「キューティーハニー」というコンテンツ

「キューティーハニー」を知らない人はまずいないだろう。そういう意味ではとても優秀なコンテンツの1つである。軽く解説しますが、現段階で6つのハニーが存在する。

1.キューティーハニー(増山江威子):一番古く、テレビ化された作品。
2.新キューティーハニー(根谷美智子):東映でOVAとして制作。
3.キューティーハニーF(永野愛):セーラームーンの後番組として制作。
4.キューティーハニー(佐藤江梨子):庵野秀明による実写版
5.Re:キューティーハニー(堀江由衣):GAINAXの手によるアニメ
6.キューティーハニーTHE LIVE(原幹恵):実写特撮作品

 またその都度原作者永井豪により漫画が連載されたり、別の作家の手による漫画が、作品連動で制作されているから、実態として漫画を視野に入れると、裾野はさらに広がることになる。そのすべてを見ている人はいないだろう。実のところ、いい年をして「2」は未見だし、「6」はさすがに抵抗があったのでこれもまた未見である。

 しかしこのおどろくべきリバイバルの数は、もうさすがと言うしかない。「キューティーハニー」だけが持つ、作品の根底にある「エロティシズム」や「ちらりズム」、基本コンセプトの自由度などが、この数を支えていると言っていいだろう。だがすべての作品が良い出来だったかという話は、また別の問題である。

 特に、庵野秀明の手による作品以降、ハニーは女子高生ではなく社会人に設定されており、成長が伺える。だがその一方で記憶を失ったことで、やや白痴化している。体よく言えば、「おまぬけ」に磨きがかかっているのだ。このため戦闘シーンでも、かっこよく見栄を切るシーンを別とすれば、あとはひたすらかわいらしく、愛らしいハニーが戦うことになる。その結果、旧作に見られた緊迫感は微塵も感じられない。同時に周辺キャラクターについても、かなりのアレンジが加えられている。これをどう見るかは、あなた次第だ。

 個人的な感想を言わせて貰えば、実写の庵野監督作品は非常に楽しめた。まさにハニーというコンテンツによるお祭り騒ぎの様相であり、みている私の気持ちは、すんなりこの仕掛けに乗っかったから。同じコンセプトで描かれた5作品目も楽しんでみれた。白痴のハニーは、抱きしめて頭なでなでしたいほどかわいらしい。だが1作目にあった、空中元素固定装置にまつわる丁々発止のクライムコメディとは、一線を画す形になっており、その分の楽しみはあっさり忘れ去られたことになる。

 あちらをたてればこちらがたたず、とはよく言ったもんだ。「ハニー」という優秀なコンテンツが、長生きすればするほど、本来の持ち味を生かし切れず、設定の大事な一部が忘れ去られる結果になるのだ。でもこれは仕方のないことかもしれない。作り手は、後のことなど考えていない、一発勝負で作品を作っているからだろう。そしてその時にもっとも受け入れられる「ハニー」を追求した結果なのだと思う。

 「時代」という重みは、コンテンツに対して重みを課し、耐久力を試し続けているようにも思える。そしてその重みに耐えきったコンテンツのみが、さらなるアレンジにより生まれ変わり、私たちの目を楽しませるのだろう。よく「時代の要求さえあれば、いつでも復活します」などと軽々しくのたまう人がおられるが、コンテンツに課せられる重みは、そんなに容易いものではない。だからうっかり間違った方向に行く場合だってある。そう、ダークサイドに落ちるのは容易いのだ。そんな危険をかいくぐり、幾度も復活するコンテンツである「キューティーハニー」はやはり優秀な作品なのだろう。
スポンサーサイト

テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

それは「鏡花水月」~必殺シリーズ雑感~

 子供の頃に両親や祖父母などと一緒にテレビを見ると、時代劇をよく見ていたことはないだろうか? いまだに放送が続いている「水戸黄門」や、お白州で桜吹雪をちらす「遠山の金さん」。NHKの大河ドラマだって時代劇が主流だし、最近では「逃れ者おりん」なんて作品も注目された。また再放送に恵まれているのも時代劇の特徴だろう。その気になればいつでも見ることができるってのは、時代劇が持つ普遍性だと思う。その普遍性は同時に、時流に逆らわず、時代をうまく取り込むことで勝ち取ったものだろう。だが同時に、時代を相手に真っ向勝負を挑んだ時代劇がある。それが必殺シリーズだ。

 1972年9月に「必殺仕掛人」でスタートしたシリーズは、1987年9月に「必殺剣劇人」で一端幕を下ろすまで、都合15年にわたりシリーズを継続。その後劇場用作品やテレビスペシャルなどを断続的に制作されている。2000年代になると、テレビでの放映がなくなるが、どっこい舞台化されている。そして2007年のテレビスペシャルで復活し、先頃放映された「必殺仕事人2009」で、テレビ版としても復活した。
 この必殺シリーズ、地方にいくと意外に再放送にであう確率が高い。また本放送とは異なる地方放映版というのも存在するため、再放送が絶えて久しい東京地区では、ファン垂涎の仕様となっている。

 私は必殺シリーズが好きである。特に後期必殺を愛しているのだが、前期必殺をけなしているものではない。それは単に見始めたのが「仕事人4」からであるからだ。それは三田村邦彦氏演ずる「秀」と中条きよし氏演じる「勇次」の2枚看板による、空前の必殺ブームの頃であり、「必殺!」という劇場用映画が製作されたときだ。だから見慣れたのがこの作品であり、それ以前のシリーズを見ていなかったからだ。当時はまだビデオが普及し始めたころであり、旧シリーズを見ることはなかなか叶わなかった時代である。それでも旧来からのファンによれば、当時の必殺よりも、旧シリーズのほうが良かったなどの話は、耳にタコができるほど聞いていた。しかし旧作を見ることができない私にとっては、判断基準がないため、比較できない。

 そんな状況が一変するのが、大学で6年暮らした高知県にて、再放送が始まったことだった。「暗闇仕留人」「必殺仕置屋稼業」を初視聴。また「必殺仕置人」の1話と最終話は、ビデオになってレンタルできるようになる。おかげさまで勉強になりました。当然ダメと言われていた後期シリーズとの比較もできるようになってきた。その中で私が感じたのは、「必殺シリーズ」は良くも悪くも「時代」に支配された作品群であったことだ。

 「必殺仕掛人」は、原作に池波正太郎氏を迎えて、ストイックさを持ったアウトローが活躍する時代劇であった。それは当時の対抗馬であった「木枯らし紋次郎」の影響が大きいのだろう。しかしシリーズ2作目の「必殺仕置人」では、むしろ市井の人々に焦点を当てている。闇の仕置師たちも市井の人々であるから、世界の末端にいる人が主役であった。そのため洗練されたストイックさは消え、逆に泥臭さや人間としての生々しい本性がぶつかりあう「江戸」という町の、活気を活写した映像が作られる。反対に外連味を増し、陰影に重きをおいた「殺し」の映像の美意識は、この作品以降で完全に開花する。この2項対立の映像表現の独特さが、前期必殺シリーズの持ち味となる。それは高度経済成長期にある、日本の風景が持つ二面性を映像化したようなものだ。それゆえ必殺は時代や世相を映す作品となる。

 視聴率的にも低迷し始めると、時代がダイレクトに作品そのものに反映される。特に「必殺仕業人」の窮屈そうな場面作りは、省エネだとかオイルショックだとか、高度経済成長を経て、じり貧の状態に陥った日本の世相にあわせている。無精髭すらはやした藤田まこと氏演じる中村主水の姿は、どう考えても社会の軋轢にもまれるサラリーマンでしかない。
 
 そうした時代をとりこみ、自在に姿を変えていく作品作りは、いつしか行き詰まってくる。通常「新必殺仕置人」の人気のボルテージをもって、前期必殺とする。その後に制作された「飛べ!必殺うらごろし」で大こけしたスタッフは、シリーズの根幹を見直し、起死回生の一打を放つ。それが基本に立ち返った「必殺仕事人」である。この作品に初登場した若い仕事人の「秀」が人気を博し、シリーズは完全に息を吹き返す。「仕事人」シリーズと、13話1クールのシリーズを交互に放映する形態で、やはり時代をとりこんだストーリーと、中村家で主水が嫁と姑にいびられるコントで人気は上昇する。そして「新仕事人」に登場した「勇次」の大人の雰囲気を称えた流し目で、さらに女性ファンがつき、完全なブームとなったのである。

 さて前期シリーズと後期シリーズを比較して気づくことは、まず画面から放たれる熱量に差があることだ。それは撮影方法にも現れている。たとえば前期シリーズでは、大勢の人々が大騒ぎしたり、殺されたりする大きなシーンに、キャメラマンがハンディカメラでつっこんでいくなどの、現在の位置を固定されたカメラでは考えられない、撮影を行っている。それはなんとかしてギラギラとした熱量のある、迫力ある画面をつくろうと努力奮闘するスタッフの姿である。当然危険が伴う撮影であるのだが、そのできあがりの迫力たるや、固定カメラで遠方から撮影された画像の比ではない。
 また前期必殺では、世相を個々の作品のカラーとするべく、作品の背景に託したのだが、後期必殺では、個々のストーリーの脚本に、世相が反映されている。ええと、わかりづらいかもしれないけど、前期では先の「必殺仕業人」のように、作品の雰囲気に世相が込められているのだが、後期必殺では、「エリマキトカゲ」や「ルービックキューブ」など、その時代の流行が、個々の1話のシナリオにのみ反映されている。端的に言えば、世相の捉え方がとても短絡的なのだ。おそらく後期必殺を否定しているファンは、このあたりを指摘したいんだろう。よく前期はハードで後期はチャラけているとか、簡単にいう輩がいるが、前期にだってちゃらけた話はいくらでもあるし、後期にだってハードな展開を見せる話はある。それはすべて時代をどん欲に取り込もうとした結果であり、方法論の違いでもある。善し悪しではないだろう。

 だがそうしたどん欲さは、最終的に裏目に出る。単に視聴率の低迷だけではなかろうが、1987年に一端その幕をおろすことになる。それは取り込み続けた「時代」に、はじかれた結果だとは言えないだろうか? 時代劇はもう古い、当時の人々には「トレンディ・ドラマ」が喜ばれた。そんな時代背景に、「必殺」は裏切られたのだ。その後も断続的に続けられるテレビスペシャルや「~激突」、そしてついに中村主水に死が訪れる・・・とかいいながら、ちゃっかり復活する。だが時代劇である本質、必殺としての外連味が、必殺に「普遍性」をもたらす。それをこそ強みであると、復活してみせる。それが「~2007」そして「2009」に結実したと思いたい。

 この「2009」で特筆すべきは、東山紀之氏が演じた「渡辺小五郎」である。裏と表の顔については、中村主水のオマージュであるが、仕事に挑む時の小五郎さんは、本当に怖い。鬼気迫る表情で圧倒的な怒りのパワーを胸に秘め、仕事を遂行する。そしてそのために仲間を平然と犠牲にできるのではと思わせるほどの残酷さすら併せ持つ。それゆえに中村家と渡辺家のほのぼのコントが、本当にほっとさせてくれた。それほど息が詰まるかとおもうほどの緊迫感でせまるのだ。今回の「2009」は視聴率好調により放送期間も延長したし、若い仕事人の死と、そこから再生する仕事人チームというドラマも見ることができた。尚かつ新人の加入や、あわやチーム崩壊寸前のところまで追い詰められた。ドラマ的には非常に見応えがあった。

 だからといって前期必殺のようなギラギラした感じは、やはりしないのだ。それはやはり30年にもわたるシリーズの継続による、スタッフの熟達によるものだと理解したい。だっていまだに必殺のテレビクルーは、女優を美しく撮影することについては定評があるのだ。そして必殺ファンだったTOKIO松岡が必殺に出演するという、いわばファン代表の夢のようなことになっているのだ。この時間の流れを否定しようがないではないか。だからいまさら前期必殺のような作品を望むということは、すでに手に入らないものを欲しがるのに似ている気がする。それはまさに「鏡花水月」だといえる。

テーマ : 特撮
ジャンル : サブカル

涼宮ハルヒの振れ幅~ハルヒのスピンオフ作品群~

 現在放送中の「涼宮ハルヒの憂鬱」で、「エンドレスエイト」が、まさにエンドレスで、まったく同じ話を複数回繰り返していることが話題になっている。端で見ているとどうしてこうも騒ぐのか、理解に苦しむ。正直言ってこれだけ騒げば、京アニの予想通りだと思うと、騒ぐに騒げない冷めた視線が、自分にあるのを確認できる。
 よくよく「エンドレスエイト」を見返せば、基本的な台詞回しや構成は同じであるものの、それぞれの回でのキャラクターの衣装や、カメラアングル、プールでハルヒが連れてくる小学生のお友達など、細かい違いが目につくことがわかる。私は、なにかこう、同じ作品で作画スタッフやスタジオの違いで、絵が変わることのパロディのように見ていた。しかしある日、mixiに寄せられている意見などをみていると、この繰り返しの元ネタは「プリズナーNo.6」であるとの意見があった。「プリズナーNo.6」とは、「村」と呼ばれる場所に軟禁された主人公が、「村」の秘密にせまろうと、何度も脱走にチャレンジするが全くぬけられず、何度も脱走を繰り返す話だ。なるほど、こういう見方もあったのか。まあ解釈はひとそれぞれであるから、本当にそうだという確証もないのだが。

 それにしても本編である小説は完璧に停滞し、小説のネタのストックを用いてテレビ版が放送されているが、「エンドレスエイト」でこちらも停滞気味だ。そんな中、エンドレス騒動とは別に、スピンオフ作品が活況を呈している。
 YouTubeで断続的に放映されていた「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」と「にょろーんちゅるやさん」はDVDで発売、それぞれの漫画版は好評連載中であり、角川書店からはコミックアンソロジー本まで出版されている。みんな好きだなあ。買ってる自分も人のことはいえないけど。

 さてこれらスピンオフ作品群の中で、アニメ版「ハルヒちゃんの憂鬱」は群を抜いて面白い。DVDでは「ちゅるやさん」とのカップリングもうれしい。そしてなにより、ハルヒちゃんたちのはじけっぷりは、心から楽しませてもらっている。
 「ハルヒちゃんの憂鬱」の中で、キャラクター達は2~3頭身のデフォルメされたキャラクターとして登場し、さまざまなギャグをかましてくれる。そのギャグセンスは、本編である「ハルヒの憂鬱」のキャラと同じ地平上にありながら、拡大解釈により本家の面白さを逆手にとっている。ハルヒちゃんのいきあったりばったり具合はさらに拡張し、無論理ぶりに拍車がかかる。みくるはどじっこメイドの属性を持たされており、必要以上にハルヒちゃん達にいじられまくっているし、長門にいたってはゲームオタクとしての属性を持たされており、もはや事態に無関心ではいられないよう、再設計されている。また本編ではすでにお亡くなりになっている朝倉涼子にいたっては、ちびキャラ「あちゃくらさん」として登場し、長門の身の回りのお世話をしている始末である。

 お話などあってないようなもの。いつものとおりハルヒちゃんの無理難題に、SOS団の面々が引っ張り回されるだけだ。原作のネタに準拠した話もあるにはあるが、ある意味でこれも別の側面を見せているだけである。いわゆるギャグ方向での拡大解釈ってことだ。昨今のメディア事情からすれば、同じような展開はいくらだってあるし、ハルヒだけが特別ではない。けどハルヒがこれだけ支持されて、商売となっている事情はどこにあるのか。

 「涼宮ハルヒ」というキャラクターは傍若無人でありながら、常識的な人間性も垣間見せる。そもそもが振れ幅の広いキャラクターである。「涼宮ハルヒシリーズ」という物語の幅は、まさに彼女に起因しているといって言い。頭身を縮めてもハルヒの物語が、ギャグとしても成立している理由は、小説本編上のキャラクターが、まことに大きい受け皿であることを証明していることに他ならない。それはその他のキャラクターにも言えるのだが、唯一キョンだけは立ち位置もキャラクターを変えずに、あらゆるスピンオフ作品に登場する。つまりキョンという一軸により、スピンオフ作品がすべて紡がれてると説明できる。どこまでいってもキョンという枷をもっているかぎり、どれだけストーリーや設定が逸脱しても、キョンというキャラクターが、作品の一貫性を醸し出す役割をになっているということだ。

 このキョンというキャラクターを決定づけたのは、原作におけるあらゆる場面での突っ込みの役目であるのと同時に、その多彩なつっこみを表現した杉田智和氏の、幅広い演技によるところが大きいと思う。氏のアドリブかと思わせるような台詞回しは、おそらく多くの脚本家を刺激し、さらなるアドリブで杉田氏は応えるのだろう。

 さて角川書店が発売している「コミックアンソロジー」シリーズも、すでに2冊目に突入した。基本的なスタンスはどれも一緒であるが、なにより「ハルヒ」という物語が有している要素の、何を拡大解釈するかが、各作品のミソである。ハルヒとキョンのささやかな恋愛模様も、少なからず含まれているのだが、もう少し見てみたいと思うのは、私だけだろうか? だがやり過ぎないということも、重要なことである。ささやかな恋愛要素というタームを考える上で、この「ささやかな」の部分が重要である。だがこの二人の気持ちがこのあとどう展開するのか、やはり本編の小説の続きが気になることはいうまでもない。一番の問題は、いっこうに再開しない本編だろう。その飢えや渇きを癒すために、これらスピンオフものに群がっているというところが、真実に一番近い事情だと思える。

テーマ : 涼宮ハルヒの憂鬱関連
ジャンル : アニメ・コミック

大人を逃げないということ~十兵衛ちゃん~

 私には子供がいない。様々な事情があって、結婚しても子供をもうけずに暮らしている。幸い近親者は理解が深く、嫌みのひとつも聞かずにすんでいる。だがやはり「子供がいたら」と思うこともある。それは自分がいい年をした「大人」として情けないと思ったときだ。そんなときに必ず思い出す作品がある。それが今回のお題、「十兵衛ちゃん」だ。

 「十兵衛ちゃんーラブリー眼帯の秘密ー」は、1999年4月から 6月にかけて、テレビ東京系の深夜枠で放送された作品だ。作品のタイトルから、多少ちゃらけた印象を受けるかも知れない。総監督は大地丙太郎氏。「おじゃる丸」や「こどものおもちゃ」などで名をはせた監督だ。作品はコメディと決まったようなもんである。演出等を桜井弘明氏、キャラクターデザインを吉松孝博氏が担当している。桜井氏は最近では「GA」の監督もなさっているし、吉松氏も原画やキャラクターデザインで、現在でも第一線で活躍しているアニメーターだ。制作はマッドハウス。

 物語はいまから300年前にさかのぼる。いまわの際を迎えた柳生十兵衛、その弟子の鯉之助にラブリー眼帯を託す。このラブリー眼帯に選ばれしものは、十兵衛の剣の力を発揮する2代目十兵衛となることが出来る。そして十兵衛が残した2代目の条件とは、「ぽちゃぽちゃのぷりんぷりんのぼんぼーん」だという。
 鯉之助は2代目となる人物を捜すべく、300年にわたる長い旅を続けた結果、「菜の花自由」という中学2年生の少女に行き当たる。自由はいやいやながらも眼帯を手にし、2代目十兵衛となって、眼帯の秘密をもとめる「竜乗寺家」から送られてくる刺客と、戦う羽目になる。そしてラブリー眼帯の秘密とは、十兵衛の剣にやどる、悪意を払う退魔の力だったのだ。

 吉松氏独特の柔らかい線による、キャラクターの多彩な表情、毎回の見所となる剣劇アクションのスピード感、日常のなにげない演出、はっきりいって切れ気味のギャグ演出など、現在の目で見ても全く面白さは衰えを知らない。特に作画を崩したり、落書きのようなキャラクターを出してきて喋らせたりする、内輪の冗談のようなギャグも、「ギャグマンガ日和」などで見られる大地監督の手腕により、本気で演出されている。

 また自由とその父親の菜の花彩の二人については、とても手を尽くして描かれており、印象深い。当初彩は、娘の入学にいかつい格好でついてきて、ひたすら娘を心配する親ばかのキャラクターとして登場する。これだけだと心配性の父親の設定で終わってしまうのかと思いきや、中盤で二人にしかわからない大事な事情が明らかになる。この二人の親子には母親が存在しない。自由が小学生の時に、風邪をこじらせて亡くなっている。このとき彩は、とある時代小説家のゴーストライターをしており、売れっ子であったその小説家のために小説を書いていたため、彼女の死に目に会えなかったのだ。そんな父を自由は決して許そうとしなかった。彩がゴーストライターをやめて独立しても、自由の心は縛られたままだ。その自由の心を解きほぐしたのは、彩の必至の説得と、自由がわからないと悩んでいた引き算について、父親として説明したときだった。

自由「十の位から1借りてきたのに、どうして返さないのか、わからない」
彩 「返さなくていいんだ・・・・、返さなくていいんだよ」

 その瞬間に、彩の中で自由が彩のすべてになった。だからラブリー眼帯を無理に外そうとした自由が、高温で寝込んでも、自分の体を呈して助けようとする。亡き妻の面影をもつ女性の誘惑に心揺らされながらも踏みとどまろうとする。自由も、小説家で日々だらしなく過ごす父を心配したり、思いやって過ごしている。そんな自由にとっては、他人を思いやることも普通だし、300年間2代目十兵衛を捜すつらい旅をしてきた鯉之助をも思いやるやさしさも、あたりまえのことなのだ。残念ながらラブリー眼帯は、そうした自由の日常を破壊するものだったので、日常を取り戻そうとするために、彼女は時に眼帯をつけることを拒否したりする。

 最終的にラブリー眼帯の力で、敵を救うことを目的とし、自由は戦うことを決意する。そして竜乗寺家に巣くう悪霊を退治して、ラブリー眼帯から一時的に解放される(パート2があるからね)。それはラブリー眼帯に秘められた力でもあるが、同時に父親との絆で得られた、すべてを許すことが出来るやさしさゆえに、悪霊をも解放する力を得ることが出来たのだと思う。それは彩が「大人としてなすべきことから逃げなかった」し、そのことを自由が認めたからだろう。「大人」であることは決して難しくない。でも今の大人達がその責任を果たしていると、胸を張って言える者は少ないのではないだろうか。だからこそ自分を振り返ったときに、自由と彩の親子の絆にどこまでも酔えるし、どこまでも感動できる。大人であることを逃げなかった彩に、それを闇雲に否定しなかった素直な自由に、素直に感情移入できるのだ。

 これを見るたびに、私も逃げずに大人として振る舞える人間になっているかどうか悩んでしまう。まさに自問自答の毎日だ。自分が子供を持っていなくても、社会的に大人として果たすべき責任はある。ささやかな選挙権を行使することだって、そういったことの1つだろう。選挙も近い。いつ何時大人の判断を迫られてもいいように、心の準備を怠らないようにしなければと、今日も心にとめておこう。

テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

所轄内だけでクライムアクションは成立するか?~「逮捕しちゃうぞ the Movie」~

 「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」といったのは、「踊る大捜査線」の織田裕二演じる青島刑事であった。これが意味するところは何か? 現場では巡査や巡査長などの末端の人間が、数百人体制で現場の捜査などにいそしんでいる。だが彼らを指揮・統率する人間は現場にはおらず、会議室で頭を付き合わせて、事件の対応に四苦八苦しているのだ。その時間的、空間的な距離感は埋めようもない。リアルタイムで動く現場の状況を、報告という形で受け取っても、その情報を処理するには、会議室内での判断を仰ぐしかない。決定的な何かを決断するときには、不都合な民主合議制である。「船頭多くして、船山にのぼる」とはまさにこのことだろう。
 だがその一方で、「警察」という機構において、末端を含めた組織体制が確立している証拠でもある。だからトップダウン方式での指揮系統が十分機能するし、全国の県警も、大型の事件の場合には、警視庁によるリーダーシップの上、行動することが出来るのである。「踊る大捜査線」の人気の秘密は、こうした警察機構と現場警察官の軋轢が、些細な事件の背景に見え隠れし、現実の地平に降り立っているバックボーンを持っているからだ、という指摘を友人から聞いたことがある。

 「所轄」。それは簡単に追えば警察組織の縄張りのことだ。それを超えてはいけない事実があり、超えた場合の捜査は「越権行為」となる。だが私たちが慣れ親しんだ「刑事ドラマ」は、この越権行為こそが、エンターテイメントとしての面白さを醸し出していたのではなかろうか?
 越権行為の最たるものは「西部警察」シリーズだろう。越権行為も甚だしい。他県に出かけていって派手に銃撃戦をやらかすのだから、地元警察もたまったもんではない。これではヤクザと変わらないではないか。

 だがよく考えてみて欲しい。殺人事件をおこした犯人が、逃走の末、西部署の所轄外に出てしまった。その時、大門団長が「逃走先の所轄にまかせろ」と言ったきり、マシーンRSやマシンZは出番を失うし、銃撃戦もありえない。しかも捜査課の部屋で、始末書かいてる館ひろしさんなんか、誰が見たいものか。「Gメン'75」にいたっては、香港なんかまで出張する。忘れてはいけない、その出張費はわれわれの血税だ。
 つまるところ、こうした「越権行為」が排除されれば、ドラマの盛り上げが無くなってしまい、これらの刑事ドラマは魅力を失うことになる。重ねて言えば、「踊る大捜査線」の魅力は、この越権行為の基本をわきまえた行動の中にある真実をあばきだしたこと、それによって警察機構であっても、人間が運営している組織であり、我々が日常働いている会社組織となんら変わることがないことを証明して見せたことにある。

 この「踊る大捜査線」の本質は、「機動警察パトレイバー」の劇場版2作品の影響を、多分に受けているという話だ。それとて越権行為は、だれもがあり得ないと思いながら、ドラマの波と共に、ラストの盛り上がりを成立させるための嘘として描かれている。捜査権限がない特車2課の面々が、なんで方舟を壊す必要があるか。すでに特車2課を離れた野明たちが、なぜ後藤や南雲のもとに集まってきたのか。それは「正義」という名の越権行為の結果だったはずだ。まあ特車2課には「所轄」の考え方に疎かった可能性もあるけれど。

 だがそういった「所轄」にとことんこだわったクライムアクションがある。「逮捕しちゃうぞ the Movie」である。本作の原作漫画は、1986年から1992年まで『モーニング・パーティー増刊』(講談社)に断続的に掲載されていた作品だ。作者は「ああっ女神さま」の藤島康介だ。1994年に発売されたOVAシリーズ(4作品)の後を受け、1996年からTBS系列にて放送開始。この劇場版はこのテレビ版の後日談となる。それ以降2001年、2007年にも続編が制作されている人気シリーズだ。
 基本となるストーリーは、墨東署の交通課に勤務する二人の女性警官、夏美と美幸の二人を中心に展開されるお話で、周辺キャラクターやマシンチェイス、日常話に至るまで、凝ったデティールで見せるストーリーが人気を博した。
 劇場版では、前作となるテレビ版ラストで、一度はコンビを解消した夏美と美幸が、再び墨東署にもどり、コンビを復活させた日からスタートする。久しぶりの復帰をものともせず、すぐに居場所を取り戻す二人。だが交差点の信号の不審な故障、放置車両に残された銃器の押収、銃器密売のたれ込みによる捜査と忙しい。翌日、突然蟻塚警視正の訪問で、風雲急を告げる墨東署。隅田川にかかる橋の爆破予告で、現場にかり出される署員であったが、その隙をねらって墨東署が襲撃される。なんとかこれを撃退する婦警たち、そしてこれが、「蜂一号」と呼ばれた、封印された警察署へのテロ・シミュレーションであったことを告白する交通課課長。夏美と美幸は、テロリスト達を追う。墨田区、隅田川を舞台に繰り広げられる、警察とテロリスト達のおいかけっこ。そして彼女たちにはヘリポートでの死闘がまっていた。テロの首謀者は誰か、不審な行動をとる交通課課長は、なぜ「蜂一号」を知っていたのか? その謎は東京タワーで明かされる。

 この話で発生する出来事のほとんどは、墨東署の所轄内で行われている。しかもその所轄の中で、カーチェイス、ボートチェイス、海上保安庁所属の船舶の活躍、ヘリポートでの銃撃戦まで行われている。刑事ドラマ、とりわけアクションを主体とするドラマではおなじみのシーンばかりだ。これをすべて所轄でまかなっている。しかもそのクオリティが高い。車のタイヤのきしむ音やガソリンの臭いまで香ってきそうな臨場感を持って、そのマシンの魅力を最大限に引き出している。
 特に後半、テロリスト達の逃走ルートを見誤った美幸と夏美が、ホンダTodayをヘリにつられて移動、テロリスト達の車を発見し、強引にヘリから離脱するシーン、かちどき橋があがり、その間を海上保安庁の船が通過するシーンなど、よくぞ映像化したと思えるアクションシーンが連続する。橋の管理者が、かちどき橋を操作する時、喜々とした表情を見せるシーン、それに続く橋の上昇シーンなぞ、劇場で見ていて少し震えが来たほどだ。
 
 重ねて言うが、これをすべて所轄でまかなっているのだ。この物語がいかに地続きであるかは理解いただけると思うのだが。それもこれも、この物語の核となる「蜂一号」というシミュレーションが、テロリストによる警察署襲撃という、きわめて小規模なくせに悪辣であるためだ。だが残念ながら、それゆえにどうしても、犯罪規模も部隊も、小さく狭いイメージが払拭できなかったことが悔やまれる。また、本作が初見の方にはかなり説明不足なことも、指摘しておきたい。これだけキャラクターが立っている面々がいるし、事件は刻一刻と進んでいくので、説明する暇もない過密なストーリーであったからだ。
 だがその尺ゆえに、本作は中だるみもなく、快く墨東署に迎えられてうれしそうにほほえむ夏美と美幸の笑顔を見るまで、一気に駆け抜けてくれる。ほぼ1時間半という上映時間も、ハリウッド的なスタイルで言えば、十分合格点だろう。原作やテレビ版を少しでも知っていれば、非常に楽しめる一本である。

 繰り返しになるが、この物語が「所轄」内でストーリーが完結していることに、まずは賞賛を送りたい。それは舞台となる場所の、綿密なロケハンにより成立している。「パトレイバー」の劇場版1作目でも、東京の取り残された風景を、きめ細かくロケハンしていった経緯が、特典映像に収録されているが、要はあれと同じである。橋を破壊することで麻痺する警察機能や、かちどき橋の上昇など、狭いエリアでも十分にポリスアクションは成立することが、本作で証明された。それはつまり、舞台の規模=物語の規模ではないということだ。本作が「パトレイバー」の影響を受けた「踊る大捜査線」の影響下にあることが、おわかりいただけると思う。問題なのは、後続の作品がこれに続かないことだ。

テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

昭和歌謡再発見~「夏のあらし」キャラクターソングアルバム~

 「夏のあらし」は、この6月に終了した1クールアニメだった。小林尽原作の漫画が原作で、第二次大戦をバックボーンとしたタイムトラベルものの話だ。主人公達は、喫茶「方舟」で、ウエイターやウエイトレスとして働きながら、シチュエーションコメディを繰り広げる。そんな中、タイムスリップ能力を有する少女・小夜子と、彼女にあこがれる八坂一が、第二次大戦の日本にタイプスリップし、人助けをすることで、時間改変が行われる話だ。シリアスな話も、幕間のコントの比重が大きかったせいで、必要以上に重たくならずにすんだ点で、一応評価できる作品に仕上がってる。しかし、ストーリー以外のノスタルジックな部分が目立ちすぎて、イマイチな感じが否めない作品であった。

 このノスタルジックな部分については、OPやEDに見られるシングルレコードのコラージュや、喫茶「方舟」のシックなたたずまいなどが担っているのだが、もっとも比重が高かったのは、劇中でかかる昭和歌謡である。この曲の歌唱は、キャラクターを演じている声優さんが担当している。DVDの特典ともなっているのだが、この度CDとして発売された。それが「歌声喫茶方舟」というタイトルのキャラクターアルバムである。とりあえずラインナップを見てみよう。

01 ひと夏の経験
02 心の旅
03 夜明けのスキャット
04 恋のダイヤル6700
05 どうにもとまらない
06 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
07 黒ネコのタンゴ
08 喝采
09 悪魔がにくい
10 サウスポー
11 東京ブギウギ
12 氷の世界
13 夢は夜ひらく

 さて、本ブログをご覧の皆さんは、どのあたりでピンと来るだろうか? このラインナップはまさに昭和歌謡の歴史そのものといっても言い。特に「東京ブギウギ」が昭和の歌謡ポップスで幕を開けた昭和歌謡は、演歌、フォーク、ロックとその時代に応じて姿を変えていく姿は、まさに昭和歌謡史だ。

 1曲目の「ひと夏の経験」は、山口百恵の初期のヒットソングだ。彼女の年齢に似合わぬ落ち着いた物腰は、そのまま歌唱に影響し、女性歌手としては低い声を武器に、大人っぽい曲を得意とする歌手だった。本作では主役・小夜子役の白石涼子が歌っている。その原曲キーに近い低い声を出して歌っているが、少々苦しそうにも聞こえる。だが「夏のあらし」という話そのものが、まさに「ひと夏の経験」という内容であるから、さびの部分の歌詞が、特に意味深に聞こえてくる。

 2曲目の「心の旅」は、ビールのCMでも使用されたチューリップの名曲ではあるが、大分前に吉田栄作によるカバーでヒットしたこともある。三瓶由布子が男の声で歌唱している。多少の無理は織り込み済みである。むしろこの男の子声を維持しながら歌唱するのは、大変だったろう。いつかくる小夜子との別れの予感が、この歌を切ないものにする。

 3曲目の「夜明けのスキャット」は、お姉さんの安田祥子さんと童謡を歌って活動をしていらっしゃる、由紀さおりさんの歌が原曲だ。冬場のキンと底冷えのする朝焼けの空の下でこの曲を聴くと、由紀さおりさんの美しく澄んだ歌声が、心にしみいってくる名曲だ。これをカヤ役の名塚佳織さんが歌う。名塚さんがもともと幼めの少女の声を得意とする声優さんであるから、大人の女性による歌唱というわけには行かなかったが、ピンと張り詰めた空気感が醸し出されており、聴き応え十分の1曲に仕上がっている。

 5曲目の「どうにもとまらない」は、マスター役の生天目仁美さんが、もうノリノリで歌っている。まるで録音ブースで踊っている彼女が見えるかのようだ。しかもうまい。原曲の山本リンダさんの歌唱に全く引けをとらないねっちこい歌唱が、この曲を正当に平成の世に復刻させている。ぜひ普段からカラオケでも歌っていただきたい。

 8曲目の「喝采」は、ちあきなおみさんの名曲中の名曲だ。そもそもちあきなおみさんの声は低い。この歌を歌っている堀江由衣さんの、素の音程を知っているので、まさかとは思ったが、実に彼女らしくかわいらしい楽曲として仕上げていた。劇中、加奈子の声を、低く演じていたので、この声で来るかと予想していたのだが、あっけなく裏切られた。すこしあっけらかんと歌われて、多少残念な気がする。あの堀江由衣さんが、昭和歌謡どストライクな曲を歌うと、こうなるのである、ということがわかっただけでも儲けもんだと思いねえ。

 圧巻は10曲目の「サウスポー」だ。ピンクレディーの名曲で、モチーフは現在は監督として活躍している王貞治である。しかしこのピンクレディーの楽曲というのはふしぎな楽曲である。このピンクレディーの大ブームの洗礼をあびたものにしかわからない、時代の共通言語としてのパワーに満ちあふれている。かつて作詞家の阿久悠氏がお亡くなりになった時、NHKにて特番が放送されていた。これに出演していたあのデーモン木暮閣下は、これらピンクレディー曲は、どのジャンルにも属さない、「ピンクレディー」という1つのジャンルだったと評していた。まさにその通りだと思う。
 そのパワーもそのままに、白石涼子さん&名塚佳織さんのコンビによる歌唱は、見事なほどの再現率でこの曲をものにしている。目を閉じれば、二人があのピンクレディーのダンスを踊っているのが想像できるだろう。そしてそのダンスが、まぶたの裏で再現できるあなたは、間違いなくアラフォーである。

 さて、ざーっとアルバムの楽曲をレビューしてみたが、いかがだったろうか? 興味のない人々もいただろう。よく見ると阿久悠氏作詞の楽曲が、以外に多いことに気づく。「昭和歌謡」を舞台に、阿久悠氏が活躍されたかが、わかろうというものだ。
 それはさておき、こういった曲たちが、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していることはよくわかる。だがしかし、現在の楽曲群と比べても、いささかの見劣りもないことにも気づかされる。新しい編曲を得て、新しい舞台で、新しい歌手を得ることで、埋もれていた楽曲が、再び日の目を見ることができるのは、うれしい限りだ。
 現実に目を向ければ、こうした昭和歌謡が、ふたたびリスペクトされ、あらたな歌手を得て、リバイバルヒットとなることも、近年ではよくあることだ。エグザイルが「銀河鉄道999」を歌ったときの驚きと爽快感は、近年の日本のポップシーンで気持ちがいいと感じることができた希有な例である。
 また声優さんによる歌唱もまた、堂に入っている。ふだん歌手活動をされていない人々でも、キャラクターソングという舞台なら、遠慮なしに踏み込んでくれる。こういう舞台があればこそ、昭和歌謡も輝きを増すのではないか、という可能性も見せてくれる。作品としての「夏のあらし」は別としても、こうした副産物が生まれる土壌となったことは、よいことだ。せっかく第2期も決まった「夏のあらし」であるのだから、このアルバムの第2弾も期待して良いのではなかろうか。

テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

追悼 金田伊功さん(リライト2000words)

 2009年7月21日、金田伊功さんの訃報が舞い込んだ。彼は70~80年代に大活躍した名アニメーターである。それにしてもアニメ界の偉人「金田伊功」とは、どれだけ巨大な人だったろうか。その功績については、名著「20年目のザンボット3」や、キネマ旬報別冊「動画王」のVol.1などの、氷川竜介氏の著作に詳しい。金田氏の作品に精通した氷川氏こそ、金田研究の第一人者である。

 「エフェクトアニメ」という言葉をご存知だろうか? 「SFアニメがおもしろい」(アスペクト刊)によれば、ドラマ部分の人間の動きではない、メカや物体の爆発や破壊、ロボットの戦闘シーンなどのことである。実写映画で言えば、エフェクト(特殊効果)に相当する。金田氏はこのエフェクトアニメの名手であった。
私が子供のころ親しんだのは、劇場版「銀河鉄道999」の惑星メーテルの崩壊シーンや、「ヤマトよ永遠に」の、敵中間補給基地でのシーンなどである。他にも「幻魔大戦」における富士での大戦闘シーンや、「さよなら銀河鉄道999」での、鉄郎対黒騎士の対決シーン(銃を持つ鉄郎の小指に注目)、「無敵超人ザンボット3」での戦闘シーンなど、枚挙に暇がない。

 そして金田氏の傑作といえばオープニングの作画であろう。「サイボーグ009(新)」や「銀河旋風ブライガー」、「超電磁マシーン ボルテスV」「機甲創世記モスピーダ」などが有名なところだ。後年「ふしぎ遊戯」のOPでもお名前を拝見でき、うれしかった思い出がある。
 その作画スタンスは一貫している。OPの作画で、世界観や設定などを惜しみなく説明することだ。だからといって淡々と説明していたのでは、面白くない。主役キャラクターを順に見せていく。時にはその秘めたる能力を惜しみなく表現する。そして主役がロボットの場合には、派手なバトルシーンまで見せてしまう景気の良さだ。そして印象的なラストカットを、止め絵を用いて物語の世界観を示しつつ、稲妻や光となって飛んでいく。金田氏の作るOP映像は、おおよそこのようなパターンで作られている。しかしどの映像も、各作品の特徴を最大限引き出されていることは、言うまでもない。こういった映像は、動画サイトでいつでも気軽に楽しむことができるので、ぜひご覧いただきたい。

 個人的には、「サイボーグ009(新)」のOP映像が気に入っている。9人のサイボーグ戦士たちの能力を、惜しみなく見せ付ける映像は、氏のなした仕事の最高傑作であると思う。
 特に曲の中盤、009以外の8人の能力を、Bメロに乗せて一気に見せていくシーンがすばらしい。たとえば004がその右手から放つ、マシンガンの火花のエフェクトに注目してほしい。放たれた縦断の流れが、画面左から着弾する。着弾地点が徐々に正面に移動し、やがて我々を直撃するコースをとる。撃たれる側の目線を、そのイマジネーションで映像化して見せたのだ。まさに衝撃映像である。胸と顔のアップから入る、力の入った表情の005は、大岩の重量感を存分に描ききっているではないか。そしてジョーの流す涙は、009の繊細さと魅力を決定付けたといわれている。このわずか数秒の落涙シーンが、ジョー役の井上和彦氏を勇気づけ、監督の高橋良輔に方向性を与え、東映プロデューサーの鈴木武幸に作品の成功を予感させたのである。
 その時間、わずか1分数十秒。この短い時間の中で、「サイボーグ009」のすべてを詰め込んだ、名オープニングフィルムである。と同時に、わずかな時間でこれだけの表現が詰め込める、アニメーションというものの、限りない可能性すら感じさせるのだ。

 最近ではまれではあるが、一時期番組の放送開始に、OP映像が間に合わないということが頻出した時期があった。これらの作品には本編の質を優先させるために、OPにまで手が回らなかったなどの逸話が残されている。しかし主題歌が流れるOPの映像は、作品の顔である。本編を見る前にOPの映像を見て想像力を刺激され、本編を予想し、作品の出来不出来をある程度予測するものだ。ここに心血注いで意地を見せずに、何をみせたいのか。出来の悪いOP映像を見せられて、本編を楽しめと言うほうが、無理な話だ。
 最近ではこういったことはほとんど聞いたことがない。準備期間がきちんと設定されているからだろう。だが一方で、金田作品に対抗できるような魅力的なオープニングに、最近出会えていないことも、また一面の事実である。残念なことだ。

 さまざまな作品で、媒体を問わず作品を提供してくださった故・金田氏の偉業を、今は静かに称えたい。そして彼の偉業のもう一つの側面は、さらに第3世代に相当するアニメーターを輩出したことだ。越智一裕、山下将仁、大張正己、摩砂雪など、金田氏のフォロワーたちである。
 金田伊功さま。本当に、本当に、すばらしい作品群を、ありがとう。あなたがこの世に残してくれた作品を胸に、私たちはあなたの名前を、死ぬまでわすれません。

テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
Twitter再開しました!

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
namima2のつぶやき
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

FC2カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
リンク(リンクフリーです)
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
FC2 Blog Ranking
フリーエリア
blogram投票ボタン
ブロとも一覧

あにめにゅ~す の あににゅ

分水嶺

素足のアイドル達

有名人の珍言・名言集

宮廷アリス

TOY BOX
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

[FC2 Analyzer] http://analyzer.fc2.com/ -->