「エンドレスエイト」はダメなのか?~「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期~
某大手掲示板のアニメ板を見ていると、そろそろ今期も終わりであることを感じさせるスレが立ち並ぶ。今期アニメのランキングをつけたり、最低アニメを語ったり。それはもはや年4回の風物詩になろうとしている。当然意見百出だ。どれがいい悪いなんて、個人の主観でしかないから、話半分に見ておけばいいと思う。だが今期に関しては、「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期がどうやらダントツのように見える。それも原因は「エンドレスエイト」にあるようだ。
だれもが第二期を楽しみにしていたであろう作品が、ここまで言われてしまうのは、ある意味ですごい。前期がそれこそ「神アニメ」扱いだったのに対して、今期は完全に「糞アニメ」扱いだ。また「エンドレスエイト」1つとっても、同じ話を8回繰り返したという事実、そして誰もが2回目以降のループに失望しながら、最後のオチを見せる8回目を見て罵倒するという現象にいたる。しかも7回目までたどりつかず、視聴を諦めた人もいるらしい。盛り上がりは3回目以降だろうか。毎回放送終了後に、勢いよくスレが消費されていった様子は、なかなかのお祭り気分だった。だから逆に「俺だけは・・・・」という趣向で最後まで付き合っちゃった人々もいるだろう。いずれにしても、それはそれはお疲れ様としか申し上げようがない。
なぜこの回数を繰り返したのだろうか? その答えを、制作側以外は知ることはないだろう。いわく、タイトルの「エイト」にひっかっけたという話もあるだろうし、この繰り返しを外国TVの「プリズナーNo.6」になぞらえた人の話は、以前紹介したとおりだ。問題視されたのは、あくまでこの回数だ。4回で終わっとけばとか、いや3回でいいとか。終わってしまえば、それは単にサプライズのための演出だった可能性もある。逆に製作スケジュールの問題だってあったかもしれない。
ただし、この「エンドレスエイト」のシリーズが、酷い出来だったかと言えば、それは断じて「否」であろう。少なくても作画崩壊などという話とは、無縁であったと思う。キャラクターたちの演技や演出部分で手抜きがあったかと言えば、それも見あたらない。また各話を細かく見ていくと、それぞれの話で同じようなシチュエーションで語られているにもかかわらず、同じ絵を使って使い回すような絵があったわけでもない。ここは虚心坦懐にもう一度見直して比較してみよう。
まず気になったのは、物語開巻当初に、キョンとその妹がリビングで高校野球中継を見ているシーン。ここでキョンは2話以降において、ハルヒからかかってくるだろう電話について、素直に既視感を感じている。そのシークエンスもタイミングも少しずつ異なるのだ。キョンのモノローグに挿入される映像として、テレビの高校野球の映像を流しているパターンもあれば、どこで行われているかわからないアリの行進を描いている回もある。またいずれの回でも2回キョンの携帯が鳴っているが、2回とも妹がキョンに電話を告げる場合と、1回しか反応しない場合がある。そして5話目ではテレビの高校野球でホームランを打った直後にOPに入るタイミングがある。それ以外ではほとんどホームランで残念がっているピッチャーの様子などが伝えられるシークエンスまでいってからOPに移行するのだが、5回目だけは少し違うのだ。
その一方で2回目以降でみくるの泣きの演技から入る、事態の説明シーンであるが、これがまた驚くほど同じタイミングで挿入され続けている。確認作業を始めた段階では、この説明シークエンスは、回を追うごとに少しづつタイムスタンプが早くなっているイメージをもっていたのだが、事実はほぼ同じタイミングであり、冒頭から約12分から13分目で、キョンの電話でみくるが泣いており、約18分から19分目で同じ夏の日を繰り返した長門に思いをはせるキョンのモノローグで終了する。8回のみ説明シーンが短いのは、後に来る宿題をこなすシーンのために時間を節約しているのだ。なお5回目では、この説明シークエンスの直後に肝試しのシーンが挿入され、キョンが長門に直接話を聞いている。
なんだか事態の説明をしている長門の雰囲気になってきたが、ことほど左様に毎回同じ事を繰り返しながら、毎回異なる状況を見せている。端的に言っても、毎回ハルヒやみくるたちが来ている水着や浴衣、衣類のバリエーションの少ないキョンであっても、ほぼ毎回着衣が異なっていることは、誰の目にも明らかだったろうし、冒頭の市民プールのシーンでは、ハルヒが連れてくる少女たちの年齢まで、小学生の低学年から高学年まで、バラティに飛んでいる。これは毎回の作画の段階で、きちんと設定画が起こされていることの証明でもある。まあ1回で書いてしまうことも可能だろうが、着るキャラクターが異なることを考えれば、毎回起こしていると見ていいかと思う。また同じ事を繰り返しているといいながら、毎回同じシークエンスでも見せ方が異なるし(冒頭の自転車のシーンや、蝉取りのシーンの取り扱いに顕著)、台詞のタイミングや声音も毎回異なる。特に既視感を感じ始めたキョンの台詞は、その微妙なニュアンスがよく出ているので、注意深く聞いてみるとよくわかるだろう。それはアフレコが毎回行われていたことを示すことだし、毎回脚本が起こされていることも示している。すべて状況証拠に過ぎないが、これをもって手抜きであるということは全くできない。
腹を立てる事なんて、ないじゃないですか?
少なくても、「エンドレスエイト」が私たちが通常アニメーションとして見ているものとして問題があるレベルのものではないようだ。
見方を変えてみよう。同じ話を繰り返していること自体、放送上、なんら不都合などではない。考えても見て欲しい。同じような物語構造を見せる「水戸黄門」などの長期シリーズを、だれが責める人がいるだろう。「ドラえもん」しかり「サザエさん」しかり。これらの作品の脚本家が、故意に同じような脚本を書くことだってあるそうだ。
しかも「エンドレスエイト」というそもそもの原作にある物語自体、繰り返しをほのめかしているとはいえ、繰り返すそぶりも見せていない。ある意味でこれを見て驚いたのは原作者も同じだったのではないだろうか(事前に打ち合わせがあったとしても)。また「エンドレスエイト」の物語自体は、変わらない日常の比喩であり、「涼宮ハルヒの憂鬱」という物語は、日常への挑戦を続けるハルヒの物語である。
そうした状況証拠から類推できることは、これはまさに「夏祭り」だったということではないのか? 「ハルヒ」という物語をつかって制作者側が仕掛けたイベントであったってことだ。たしかに話題には事欠かなかったし、アニメ雑誌でもとりあげられた。ましてやネットのニュースにもなったし、某大手掲示板では不買運動もみせている。みんなだれもが自分の目で見たことを、だれかと共有したくてネットでつながり、そこにおいてあったムーブメントに載せられただけだ。そういう私ですら、「エンドレスエイト」擁護のために、動画をチェックし、こんな文章を書いている。まつりが終わった後だとは言え、はからずもその流れに乗っている自分がいるじゃないか。だけど「エンドレスエイト」をダメだといいながら、百出意見を横目でにらみながら、憤りながらこの状況を楽しんでいただけだ。それも顔も見えないみんなで。まさに「お祭り」じゃないか。制作者側の意図もあるだろうが、みんなでまんまと乗せられたと思っておけばいい。「リング・オブ・ガンダム」の項でも書いたが、そんなときだからこそ、ひとは流れに乗ればいい。それはこれが「夏祭り」だったからだ。たぶんいまごろ、SOS団団長のハルヒが文芸部室でほくそ笑んでいるに違いない。「私の思惑どおりだったわよっ」って。
だれもが第二期を楽しみにしていたであろう作品が、ここまで言われてしまうのは、ある意味ですごい。前期がそれこそ「神アニメ」扱いだったのに対して、今期は完全に「糞アニメ」扱いだ。また「エンドレスエイト」1つとっても、同じ話を8回繰り返したという事実、そして誰もが2回目以降のループに失望しながら、最後のオチを見せる8回目を見て罵倒するという現象にいたる。しかも7回目までたどりつかず、視聴を諦めた人もいるらしい。盛り上がりは3回目以降だろうか。毎回放送終了後に、勢いよくスレが消費されていった様子は、なかなかのお祭り気分だった。だから逆に「俺だけは・・・・」という趣向で最後まで付き合っちゃった人々もいるだろう。いずれにしても、それはそれはお疲れ様としか申し上げようがない。
なぜこの回数を繰り返したのだろうか? その答えを、制作側以外は知ることはないだろう。いわく、タイトルの「エイト」にひっかっけたという話もあるだろうし、この繰り返しを外国TVの「プリズナーNo.6」になぞらえた人の話は、以前紹介したとおりだ。問題視されたのは、あくまでこの回数だ。4回で終わっとけばとか、いや3回でいいとか。終わってしまえば、それは単にサプライズのための演出だった可能性もある。逆に製作スケジュールの問題だってあったかもしれない。
ただし、この「エンドレスエイト」のシリーズが、酷い出来だったかと言えば、それは断じて「否」であろう。少なくても作画崩壊などという話とは、無縁であったと思う。キャラクターたちの演技や演出部分で手抜きがあったかと言えば、それも見あたらない。また各話を細かく見ていくと、それぞれの話で同じようなシチュエーションで語られているにもかかわらず、同じ絵を使って使い回すような絵があったわけでもない。ここは虚心坦懐にもう一度見直して比較してみよう。
まず気になったのは、物語開巻当初に、キョンとその妹がリビングで高校野球中継を見ているシーン。ここでキョンは2話以降において、ハルヒからかかってくるだろう電話について、素直に既視感を感じている。そのシークエンスもタイミングも少しずつ異なるのだ。キョンのモノローグに挿入される映像として、テレビの高校野球の映像を流しているパターンもあれば、どこで行われているかわからないアリの行進を描いている回もある。またいずれの回でも2回キョンの携帯が鳴っているが、2回とも妹がキョンに電話を告げる場合と、1回しか反応しない場合がある。そして5話目ではテレビの高校野球でホームランを打った直後にOPに入るタイミングがある。それ以外ではほとんどホームランで残念がっているピッチャーの様子などが伝えられるシークエンスまでいってからOPに移行するのだが、5回目だけは少し違うのだ。
その一方で2回目以降でみくるの泣きの演技から入る、事態の説明シーンであるが、これがまた驚くほど同じタイミングで挿入され続けている。確認作業を始めた段階では、この説明シークエンスは、回を追うごとに少しづつタイムスタンプが早くなっているイメージをもっていたのだが、事実はほぼ同じタイミングであり、冒頭から約12分から13分目で、キョンの電話でみくるが泣いており、約18分から19分目で同じ夏の日を繰り返した長門に思いをはせるキョンのモノローグで終了する。8回のみ説明シーンが短いのは、後に来る宿題をこなすシーンのために時間を節約しているのだ。なお5回目では、この説明シークエンスの直後に肝試しのシーンが挿入され、キョンが長門に直接話を聞いている。
なんだか事態の説明をしている長門の雰囲気になってきたが、ことほど左様に毎回同じ事を繰り返しながら、毎回異なる状況を見せている。端的に言っても、毎回ハルヒやみくるたちが来ている水着や浴衣、衣類のバリエーションの少ないキョンであっても、ほぼ毎回着衣が異なっていることは、誰の目にも明らかだったろうし、冒頭の市民プールのシーンでは、ハルヒが連れてくる少女たちの年齢まで、小学生の低学年から高学年まで、バラティに飛んでいる。これは毎回の作画の段階で、きちんと設定画が起こされていることの証明でもある。まあ1回で書いてしまうことも可能だろうが、着るキャラクターが異なることを考えれば、毎回起こしていると見ていいかと思う。また同じ事を繰り返しているといいながら、毎回同じシークエンスでも見せ方が異なるし(冒頭の自転車のシーンや、蝉取りのシーンの取り扱いに顕著)、台詞のタイミングや声音も毎回異なる。特に既視感を感じ始めたキョンの台詞は、その微妙なニュアンスがよく出ているので、注意深く聞いてみるとよくわかるだろう。それはアフレコが毎回行われていたことを示すことだし、毎回脚本が起こされていることも示している。すべて状況証拠に過ぎないが、これをもって手抜きであるということは全くできない。
腹を立てる事なんて、ないじゃないですか?
少なくても、「エンドレスエイト」が私たちが通常アニメーションとして見ているものとして問題があるレベルのものではないようだ。
見方を変えてみよう。同じ話を繰り返していること自体、放送上、なんら不都合などではない。考えても見て欲しい。同じような物語構造を見せる「水戸黄門」などの長期シリーズを、だれが責める人がいるだろう。「ドラえもん」しかり「サザエさん」しかり。これらの作品の脚本家が、故意に同じような脚本を書くことだってあるそうだ。
しかも「エンドレスエイト」というそもそもの原作にある物語自体、繰り返しをほのめかしているとはいえ、繰り返すそぶりも見せていない。ある意味でこれを見て驚いたのは原作者も同じだったのではないだろうか(事前に打ち合わせがあったとしても)。また「エンドレスエイト」の物語自体は、変わらない日常の比喩であり、「涼宮ハルヒの憂鬱」という物語は、日常への挑戦を続けるハルヒの物語である。
そうした状況証拠から類推できることは、これはまさに「夏祭り」だったということではないのか? 「ハルヒ」という物語をつかって制作者側が仕掛けたイベントであったってことだ。たしかに話題には事欠かなかったし、アニメ雑誌でもとりあげられた。ましてやネットのニュースにもなったし、某大手掲示板では不買運動もみせている。みんなだれもが自分の目で見たことを、だれかと共有したくてネットでつながり、そこにおいてあったムーブメントに載せられただけだ。そういう私ですら、「エンドレスエイト」擁護のために、動画をチェックし、こんな文章を書いている。まつりが終わった後だとは言え、はからずもその流れに乗っている自分がいるじゃないか。だけど「エンドレスエイト」をダメだといいながら、百出意見を横目でにらみながら、憤りながらこの状況を楽しんでいただけだ。それも顔も見えないみんなで。まさに「お祭り」じゃないか。制作者側の意図もあるだろうが、みんなでまんまと乗せられたと思っておけばいい。「リング・オブ・ガンダム」の項でも書いたが、そんなときだからこそ、ひとは流れに乗ればいい。それはこれが「夏祭り」だったからだ。たぶんいまごろ、SOS団団長のハルヒが文芸部室でほくそ笑んでいるに違いない。「私の思惑どおりだったわよっ」って。
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