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戦う動機のない革命は成功するのか~劇場版「アリオン」~

 以前、「クラッシャージョウ」を取り上げたとき、上映時間が長いため、せっかくのドラマの振幅がどうしてもつぶれてしまった故に、面白さが半減していることを指摘した。よくよく考えるとこの物語は、劇中で起きている事件が時系列で整然と並んでいる。回想シーンはほとんどなく、事の顛末を台詞で語るというシーンも少ない。こういう構成は活劇などでは不利に働く。例えば悪党に追いかけられながら、主人公が列車を移動する。列車の後部に徐々に追い詰められていく主人公。ついに最後の車両にたどり着いた悪党が列車のドアをあけて、拳銃で主人公を撃つ! だが翌週の次回ではなんの問題もなく生きている主人公が事の顛末を語るという、活劇にありがちな展開がある。まずもって視聴者にはらはらどきどきさせるシチュエーションだろうし、次回への引きになる。こうした事情の説明の前後関係が入れ替わっていることにより、事態のインパクトを煽るのである。時系列どおりということは、こうしたどきどきシチュエーションもないってことだ。これは脚本上の問題もあるだろう。けど本作の監督である安彦良和氏が、何の疑いもなく「絵」の力を信じているから、こうした絵に頼り切った構成になるのではないのか? 同じ事が今回取り上げる「アリオン」にも言える。だが本作はそれ以上に物語の構造に問題が散見される。

 劇場版「アリオン」は1986年3月に公開された劇場用長編アニメーションであり、安彦良和氏が原作、脚本、キャラクターデザイン、作画監督という4役をこなした作品である。それゆえにビジュアルとしての「アリオン」は、安彦氏の美麗な絵が、きわめて高いレベルで動くすばらしい映画となている。が、物語がそのヴィジュアルを支えることは無かったのである。監督1作目である「クラッシャージョウ」に引き続き、映画がヴィジュアルと物語でできているという構造上の問題点を指摘するように、本作は安彦氏が壁にぶちあたったまま放り投げてしまったような作品となっている。

 物語はギリシャ神話を題材にとっている。聖地オリンポスを舞台に、運命の子アリオンがオリンポスに巣くうティターン王家を打倒するまでの話である。
 デメテルの子として育てられたアリオンは、目の見えない母デメテルのために、薬草を持ち帰るつもりでハデスと出かけ、そのまま冥界に連れ去られてしまう。世界は地上を治めるゼウス、海を納めるポセイドンが激しく領土争いを繰り返し、暗い冥界を支配下に置いたハデスは、虎視眈々と隙をねらい、世界を手に入れようと画策していた。冥界で生き残るために強く成長したアリオンは、ハデスの企みに乗るように地上を旅してオリンポスに向かう。その過程で盗賊の少年セネカと知り合い、セネカはアリオンと行動を共にするようになる。やがてゼウスの娘であるゼウス軍の大将・アテナに捕まり、陣地に幽閉される。そこで口のきけない美しい少女・レスフィーナと知り合う。まるでままごとのような幽閉場所でのアリオンとレスフィーナのやりとりの中で、レスフィーナの優しさに触れ、次第にアリオンはレスフィーナに惹かれていく。それは母のもとから引き離されて初めて知った、母の優しさであったからだ。だがそんな時間も長くは続かない。その日限りでアリオンが殺されてしまうことを知ったレスフィーナは、アリオンの手錠を外して陣地から逃げるように促す。しかしアリオンはハデスから受け取った剣を取り返し、アテナを討つためにアテナの天幕を強襲する。アテナ暗殺が失敗に終わったアリオンは、ゼウスの軍に追われ、命からがらセネカと脱出する。
 そのアリオンたちを海辺で拾ったのは、ポセイドン率いる海の軍団だ。そしてアリオンは父・ポセイドンと邂逅し、同時に父の覇気を知ることで、父の軍に参加する。そしてポセイドン軍とゼウス軍の一騎打ちが始まる。浜辺での水際戦に、なかなか勝ちを収められない両軍であったが、熱病に冒されたアリオンがポセイドンを刺殺したことにより、ポセイドン軍は壊走してしまう。そしてポセイドン軍にもゼウス軍にも追われる身となったアリオンは、「黒の獅子王」と名乗る不思議な人物に助けられる。
 誰かに利用される日々に疲れ切ったアリオンではあったが、黒の獅子王のはからいでリュカオーンと出会い、彼の能力により自分の生い立ちを知る。そしてオリンポスのティターンによる圧政に苦しむ人間たちと出会い、人間のために戦ったティターンの勇者プロメテウスの話を聞き、それにならう者として、人間とともに革命の戦いに立ち上がる。そしてオリンポスに囚われている愛しいレスフィーナを助けることを、民衆の前に誓うのであった。
 だが戦いは単にティターン族との戦いではなく、ティターン族を粛正し、すべてを手に入れようと企むゼウスの子・アポロンとの戦いを控えていた。その超能力故に劣勢に絶たされるアリオンであったが、眠っていた能力を覚醒させたレスフィーナの助力で、これを撃退する。そして人間の世が到来し、アリオンはレスフィーナと共に、愛する母の元へと帰って行くのであった。

 安彦氏の描き出すヴィジュアルは素晴らしいの一語に尽きる。また背景美術や、ジブリ作品の常連であった久石譲氏の音楽にも、文句の付け所がない。だが「アリオン」の物語自体には問題があるとしか思えない。
 まずもって主人公アリオンの動機の無さだけが際立ってひどい。ハデスに連れ去られたアリオンは、たくましく成長を遂げた後、彼は冥界を抜け出してデメテルのもとに帰ったっていいはずだ。なのにハデスにそそのかされたまま、オリンポスに向かっている。ここにまず理由がない。アテナにつかまって、のんきにレスフィーナと乳繰りあっている場合ではない。さも偶然のように父(と思い込んでいた)ポセイドンと出会う場面も出来過ぎだ。たとえハデスがアリオンに持たせた刀剣がキーになっているとはいえ、そんな危ない奴を王であるポセイドンの前に引きずり出してしまうポセイドンの従者たちに問題があるとしか思えない。さらにアリオンはポセイドンにすらそそのかされて、デメテルと自分を放り出した父の口車に乗せられて、戦いに参加する。それはオリンポスを打倒する目的が合致していたからに過ぎないが、そもそもオリンポスをアリオンが目指した動機が無いので、ここでもただ流されているに過ぎない。これではネコがあちこちでどつかれているうちに、帰れなくなったようにしか見えないではないか。

 最後の戦いで、アリオンは黒の獅子王の正体が、今は亡きプロメテウスの霊であることを知り、また自分が何者か知る(細かい話は本編見てね)。一見するとこの物語はアリオンが成長して、自分のアイデンティティを取り戻す話のようにも解釈できる。だがその行動原理があまりに理由や動機付けがなさ過ぎるが故に、いきあったりばったりにしか見えないのだ。

 しかも偶然の産物は、彼をして人間の革命の首謀者に押し上げてしまう。構造の問題はここにもある。ティターン族に人間が虐げられているシーンがここまで皆無であるため、どうして人間が反乱を起こすのかという、ラストシーンにむけての大事な場面が、まったく機能していないことだ。つまりアリオンは革命の首謀者にあるにあたり、彼の長い旅路の中で、ティターンに虐げられた人間の姿を目の当たりにし、それに同情的にならねば、革命の首謀者たる動機付けがないはずなのであるが、持ち上げられて気持ちが良かったのか、おそろしいことにアジテーションまでしてみせる。この煽動演説が見事なまでに理由がない。しかも「僕はレスフィーナが好きだ」から始まるのである。首謀者の色恋沙汰なんか知らねーっての。迷著「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」(佐藤健志著 文藝春秋)の「アリオン」をとりあげた項においても、はっきりと「のろけから始まる演説など、史上最低の演説である」と評している。

 そしていざ戦いの幕が切って落とされると、ゼウス軍の総大将であるアテナは、レスフィーナを激しい嫉妬の炎を燃やして、彼女を殺そうとする。この時点ですでに総大将失格である。大事の前の小事という言い逃れはできない。こうした事実で軍の士気が下がる事なんていくらでもあるだろう。彼女は彼女なりに軍の士気を高める努力をするべきであるのに、自分の欲望の果てに、アポロンに毒殺されてしまう。すでに大将のいない軍と、アリオンたち民衆は戦っているのである。むなしいことこの上ない。

 オリンポスの深奥に向かうアリオンはそこで超常の能力を持つエリヌースの民からの攻撃を受ける。彼らはゼウスの依頼により、アリオンを付け狙うのであるが、これを倒すのはアリオンではなく、黒の獅子王である。ともに霊体であるのだから、アリオンがかなわないのはしかたないなどと思ってはいけない。このあとに出現する黒幕の一人である地母神ガイア、そして真の黒幕のように描かれているアポロンとの戦いでも、アリオンはレスフィーナに助けられている。しかもトドメを指しているのはレスフィーナであり、アリオンではない。主人公なのに、まったく活躍しないのだ。最終決戦なのに、助けられてばかりなのだ。こんな主人公いるか?

 最終シークエンスでの戦いでは、超常空間の中で、アポロンとアリオンがレスフィーナをはさんで対峙するシーンがある。ここでアポロンは自分の計画の一端をアリオンに語ってみせる。その内容はよりよき人物の力により、人類は収められ、率いられるべきであるというものだ。革命家であるはずのアリオンは、こうした一握りの人物による専制は否定すべきであり、ここでなにをか語るべき人物であるのだが、このアポロンの物言いに対して、一言も言葉を返していない。事態を収拾したのはアポロンをレスフィーナが拒絶しただけで、アポロンは天に帰っていくように見える。最後の最後でなんにもしないアリオンであった。

 つまりこの物語においては、この内容から何をくみ取ればいいのかすらわからないのだ。この映画に価値を見いだすとすれば、安彦氏の素晴らしすぎるほどのビジュアルが動くという1点のみである。しかも原作漫画もこれとほぼまったく同じ構成で物語が進んでいく。この物語の問題は、すでに原作にもあるというのに、制作者側はだれも指摘しなかったのであろうか? かつて「バース」というOVAがあった。この夏に物故された金田伊功氏が監督した有名な作品であるのだが、その知名度の多くは、これが作画的に見所は多くても、お話は無いに等しいものであったトンデモな作品であったことだ。この「アリオン」という作品は、まさに「バース」に近い。しかもこれを劇場用作品でおこなったということは、さらに罪が重い。OVAは好事家が買えばそれで良しとすることができる分野であるが、劇場用映画はより多くの観客にむけて作っているものだからだ。

 安彦氏はまさに「絵描き」であるから、「絵」の力を信じているのかもしれない。「アリオン」のあと、「ヴィナス戦記」という作品を劇場用作品として上梓するが、その後彼はアニメの世界から離れ、漫画の世界にいってしまう。この事実からしても、「絵」でなにをか語らんとしている氏の態度は明白だ。だが上記で示した動機付けのない主人公の行動原理や、最終的に目的が雲散霧消してみせる戦いの無意味さ、見せ場の与えられない主人公など、どう考えても物語を楽しむためのカタルシスを無視しているようにしか思えない。それを意図してやったと言うのであれば、この劇場用作品は驚きに満ちており、まったく新しいスタイルの物語として認知されるべき作品であるはずなのだが、事実はそうではない。アニメーションが本来持っている「絵が動く」という快楽に、あまりに忠実であるがゆえに、物語に力点を入れ忘れているという作品である。ある意味で珍品であるのだが、そのヴィジュアルのすばらしさ故に、珍品ではなく迷作たりえてしまう「アリオン」という作品は、アニメを志す人にとっての戒めとして、語り継いでいく必要があるだろう。


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波のまにまに☆

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