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「地球戦隊ファイブマン」~その1・悲しみの多層構造、テコ入れの科学~

 シリーズ第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」を見たのが小学1年生のこと。それ以降、筆者は戦隊フリークだった。といえば聞こえはいいが、その実、普通の家の子として育った筆者にも、当たり前のようにアニメ・特撮作品をはじめとする子供番組を一時的に卒業する時期があったので、きちんと見ていない作品だってある。また高校受験や大学受験などのタイミングや、大学時代に自室にテレビがなくて見ていないという作品もある。だが好悪の問題として初期数話を見て敬遠してしまった作品がある。それが「地球戦隊ファイブマン」(1990)だ。

 この作品の最大の問題点は「兄弟戦士」であり「兄弟先生」という設定にある。だがそれがこの作品が他の作品と差別化できる最大のポイントでもある。「ファイブマン」以降の作品でも、「救急戦隊ゴーゴーファイブ」や「魔法戦隊マジレンジャー」など、兄弟戦隊はいくつか存在する。いずれにしても兄弟の絆が論点となるのが常で、それゆえに話の中心になれば、逆に追いつめられたりもするわけだ。だがその反面、問題解決が兄弟や家族の中で解消されてしまい、その分だけ社会と切り離されてしまう。この社会性はゲストで登場する子供やその家族などによって補完されるのであるが、ただでさえ白々しく取ってつけたように登場するゲストであるだけに、説得力は低い。兄弟という設定はそれに拍車をかけてしまうのだ。

 また5人が小学校の教師というのも、教師としての役割が学校という場所に限定されてしまうことを考慮すれば、その設定もまた兄弟とは別の角度で社会性を切り離してしまうがゆえに、物語の幅を縮めてしまう。奇しくも「ウルトラマン80」が序盤の教師編を切り離さざるを得なかったように、同じ轍を踏む過ちを犯す危惧を感じたのである。

 話は戻るが、戦隊に「兄弟」という設定がはたして必要なのか? 例えば例年夏の視聴率低迷時期やクリスマス商戦時期にパワーアップする話があるが、彼らは幾多の困難を乗り越えて新たな力を手にすることになる。それが商戦とはいえ物語として昇華されるために、兄弟という設定はほぼ必要ない。一つの目標に向かって一致団結してあたることに、兄弟という設定は必要なく、20代の若者たちが力を合わせて団結すればいいことである。その団結を見せることこそ、「戦隊」の至上の価値であり、ことさら「兄弟」の設定に必要性を感じない。

 筆者が「地球戦隊ファイブマン」の初期数話を見て感じた危惧。それを最初に指摘しておくが、この後の記事は、この危惧が如何に無駄なものだったかを明らかにしていくものとなる。そういう話じゃないんだわ、これ。

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プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
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