「君に届け」で思う事、アニメ化とドラマ化の境界線

 今期の深夜アニメがほぼ壊滅的だからといって、見ないわけでもない。スタートしてから見直したものもあり、実は最終回の感想を書くのが楽しみになりつつある作品があるのも確かなのだ。「ささめきこと」「空中ブランコ」「DTB」「そらのおとしもの」「君に届け」がそうだ。今回「君に届け」については、詳細は省く。いずれ最終回を迎えた段階で書きたいからだが、その前に「君に届け」をテストケースに、漫画のアニメ化とドラマ化の違いについて考えてみたい。

 さて漫画を原作としたアニメ化、ドラマ化した作品は枚挙にいとまがない。ちなみにアニメ化され、ドラマ化(あるいは映画化)もされたものを考えると、こちらも例が多い。「ハチミツとクローバー」や「花より男子」、「のだめカンタービレ」、「デスノート」、「働きマン」、「NANA」といったところか。ありゃ、意外に女性向け漫画(あるいは少女漫画)が多いんですね。これがどういうことかと言えば、ドラマを作る側が、視聴者層をかなり限定していることを表していると思われる。当然読者は女性だ。それも10代から30代までのかなり幅広い女性がターゲットだ。当然ドラマ化にあたっては、その素材である原作漫画が、男性にも幅広く支持されることも考慮されている。「のだめ~」なんてのはまさにそうだろう。

 一方アニメ化にあたっては、これらの作品のほとんどが深夜枠で放送されていた。「花より男子」や「デスノート」はまだしも、それ以外の作品は、フジテレビの深夜アニメ枠で放送されたものである。こうなると当然「メディアミックス」という考え方が根底にでてくる。だから普段アニメを見ない人をターゲットとした「ノイタミナ」という枠の意義が、ここにあらわれるということになる。アニメ化とドラマ化の前後関係を無視すれば、アニメを普段から見る人間と、ドラマを普段から見る人間の両方を取り込もうとしたことになる。その双方の人間にDVDが売り上げられれば、これはアニヲタ相手の商売よりも、遙かに身入りがいいに決まっている。

 だがここで気がつく奴はいくらでもいる。「この作品を、アニメで作る必要があるのか?」と。

 我が家もどちらかと言えばこれと同じ類である。昨今のCGなどを多用した映像は、これまで特撮の分野でしか表現できなかった映像を、らくらくと超えてきた。「百鬼夜行抄」という作品は、日本テレビ系列でドラマ化されたが、そのためには化け物の映像化が絶対条件だったはずだ。それをかなえたのはCGやVFXといった映像技術の進歩である。「ゲゲゲの鬼太郎」はモノクロの時代から延々とアニメが制作されるのみならず、テレビドラマとしても制作された。過去「月曜ドラマランド」などで映像化された実写版鬼太郎を見るにつけ、その背景にあるのは特撮技術とクリーチャー制作技術の向上があったからだ。現在劇場作品としても制作された鬼太郎の存在は、さらに向上した映像技術が、素材を求めた結果だと見ることもできる。だがその一方で、アニメでは大成功をおさめ、深夜枠から夕方の放送枠に昇格した「夏目友人帳」というレアケースもある。どちらかといえば、この作品も「百鬼夜行抄」や「鬼太郎」と同じ妖怪物のジャンルに属している。だがこちらの作品はドラマ化あるいは実写化する予定がないようだ。「にゃんこ先生」をCGで表現しても面白くないということもあるだろうが、「夏目友人帳」の特徴の1つである「季節の風景」というファクターが、実写化を拒んでいると思うのだ。

 かつて「夏子の酒」というドラマがあった。これは農業や酒造りに無関心だった造り酒屋の娘が、亡き兄の意志を継いで最高の日本酒をつくることを目指す話である。この原作漫画は、まず酒造りのもとになる「コメ作り」から始まり、日本の農業の現実を見つめる。そして次に「日本酒」つくりとそれにまつわる問題を露呈させる。同時に農村のもつ問題性まで指摘して見せた。これにより「有機農業」や「無農薬栽培」に関する知識の広がりを見せた作品でもある。これを映像化するため、たった3ヶ月の放送期間のために、役者・スタッフは1年間この作品に係わり続けたのである。その結果、1年の制作期間でコメの実りを疑似体験でき、杜氏が酒を仕込む仕事を体感できるような番組となっている。
 だがいかんせん、現在のテレビを取り巻く状況では、このような贅沢な時間も予算もありえない。このように日本酒をつくる状況が、日本の四季と密接に関わり合っていることを知らしめるための努力と敬意が払われていたのだが、現在の貧血(金欠)状態のテレビ業界では、無理な話である。

 「君に届け」という物語は、黒沼爽子という陰気な少女が、風早くんとの出会いにより、少しずつカミングアウトして、人とふれあっていく物語である。それはそれまで他人との関わりを拒否されてきた人間が、徐々に他人から理解をされ、同時に誤解をとく努力をした結果として爽子に与えられた物語なのだ。能登麻美子などの声優陣のはまり具合もレベルが高く、見ていて非常に楽しい作品である。ここには特殊な映像も必要なければ、ワイヤーアクションも必要ない。とすれば、この漫画を映像化するのに、ドラマ化するための障害はないはずだ。

 原因はただ1つ、爽子の不幸の程度が軽いのである。
 一時期はやったドラマの傾向は、「こんなことあり得ないだろ」というような事態に、主人公がおちいるが、そんな困難な事態を、必死でクリアする主人公の姿が視聴者の感動を呼ぶ類のドラマだ。その類型は「刑事ドラマ」や「ジェットコースター型のドラマ」などがそうだろう。「トリック」や「ケイゾク」などの奇天烈なドラマと仕掛けがそうだし、古いところでは「もう誰も愛さない」や「ずっとあなたが好きだった」などが好例とも言える。残念ながら「君に届け」という学園ものをドラマ化するためには、爽子がより不幸のどん底に陥れられてこそ、そこから幸せをつかむという物語の形態でないと、ドラマ化は難しいのだ。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、「ドラマ」とはまさに、視聴者にとっての「蜜」でなければならない。しかも年々歳々その蜜の味はよりうまく、より濃いものでなければならない。「女王の教室」で不幸の連続だった志田未来が、今度は「小公女」をやるというのが、まさにそういう意味に見える。爽子では志田未来が演じてはくれないということだ。

 テレビとはおそろしいことに、テレビという機械があれば無料で楽しめる魔法の箱なのである。そこに求められる刺激は、常に新しく、鮮度よく、驚きに満ちている物でなくてはならない。テレビという媒体は、常に刺激のデフレ状態である。しかもその情報はあくまで鮮度が問題であって、情報の真意は問題にされない。情報を発信する側が情報の真意について疑問視しないのなら、嘘の情報が流されたとて、文句をいうものもいない。現在のマスコミとはそうした生き物である。実はネットで流れている情報も、質的にはテレビと同じ物であることも認識する必要がある。問題はそれを受け取った側の判断能力なのである。

 さて激しく話が横道にそれたのであるが、以上のような観点から、漫画原作をドラマ化するのかアニメ化するのかという分岐点は、ドラマとしての刺激だけだと思える。いくら人気のある漫画だとて、そこに不幸や困難を感じさせない物語では、ドラマ化してもらえないのだ。みんなハッピーではドラマ化はおろか、話題にすらしてもらえない。これも中流意識のなせる業か。だとしたらアニメ化される作品群は、すべからくテレビ業界の良心だと言えまいか。

 すいません、「スクールデイズ」見てたら、そんなわけないと思っちゃいました(泣)。
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テーマ : アニメ
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波のまにまに☆

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