エヂカラ~劇場版吸血鬼ハンターD~

 「マッドハウス」という製作会社が送り出す作品が、なぜこんなにもすばらしく、見る人を魅了するのか? その答えは送り出された映像の中にある。質が高いとか簡単な言葉で言い表せるかも知れないが、なにかこう言い足りない気がする。そこで今回は「吸血鬼ハンターD」の劇場版を取り上げることで、もう少し補完してみたい。

 劇場版「吸血鬼ハンターD」は、2001年4月に公開された映画である。実のところ本作は、国内での公開以前に海外での公開を前提としており、公開時には英語による音声に日本語の字幕がついた状態で鑑賞した。内容はソノラマ文庫3巻「Dー妖殺行ー」を原作としている。

 貴族と呼ばれる吸血鬼達がこの世を謳歌していた時代はすでに過ぎ去り、生き残った吸血鬼達が夜の世界に跋扈し、人間達を震え上がらせていた時代。様々な悪鬼羅刹を狩るハンター達の中で、ひときわ不死身で強く、そして美しい若者が吸血鬼達を狩っていく。その男の名は「D」。
 本作では、娘を吸血鬼に誘拐された男の依頼により、Dとマーカス兄弟が、同じ相手を追い、丁々発止の戦いをしながら吸血鬼を追い詰める話である。しかし吸血鬼は誘拐した娘の生き血を吸おうとはしなかった。吸血鬼の、誘拐された娘の真実は・・・・というストーリーだ。

 監督の川尻善昭氏は、「D」の原作者である菊地秀行氏の作品である、OVA「妖獣都市」で一躍人気作家となった人物だ。その洗練されたキャラクター、スタイリッシュな画面構成、なによりグロテスクな原作の描写を、遠慮仮借無く表現し、あまつさえ美意識まで感じさせる技術と、明と暗を使い分ける技量に圧倒された作品である。言ってみれば魔界と人間界の調和のための嫁探しに、魔界の皆さんがちょっかいを出しに来るという、わりと単純なストーリーながら、圧倒的な絵の力で見せきってしまう。その力量は、本作でも遺憾なく発揮されている。

 「D」の冒頭部、Dとマーカス兄弟が初めて対峙する場面。長兄ボルゴフが九大天王顔負けの矢を放ち、ゾンビどもを始末する。そして気配を察知して放った1本の矢が、木陰に隠れているDに向かって飛んでいく。その矢をDが手でつかみ、同時にDの乗る馬がいななく。この一連のシーンの出来映えを見て欲しい。そして馬上でマントを広げるDの、なんとかっこよいことか。これには完全にしびれてしまった。それまでの超人的なマーカス兄弟の活躍など、矢を1本受け止めるDのカットだけで、無かったことにしてしまうほどのカットである。本来、それ以前のシーンで、Dは顔を見せているので、2度目の登場にインパクトなど必要ない。ところが前段すら無視して、主人公であるDの、かっこいいところを惜しげもなく見せつける。絵に力があり、その絵が観客に与えるインパクトを信じているからこそ出来るので所業である。

 設定として吸血鬼は太陽の光に弱く、日中は棺桶に入って体を休ませ、夜になってから活動する。D自体も(ネタ晴らしで恐縮だが)人間と吸血鬼のハーフであるため、この呪縛から逃れられない。それでもDは半分の人間の血を頼りに、日中動くことで、マーカス兄弟との確執のドラマが昼に動く。武器屋のじいさんが、Dに機械馬を売る場面など、涙無くしては見られないエピソードは、昼に与えられる。
 しかしながら吸血鬼である里湯のため、全体的に夜に話が進む。だから画面が暗い傾向になるのだが、この夜が異常なまでに美しい。そしてこの夜中に、貴族マイエルリンクと刃を交えるDの戦闘シーンは、壮絶でいて見るものを魅了する。よくよく見ると、マイエルリンクのマントとDの剣が交わる一瞬を作画したり、俯瞰の位置での作画などはなく、狭い馬車の屋根の上である狭さを利用した寄り気味の画面構成をしている。遠景で全体の動きを見せるよりも、できるだけ寄ったカメラで、Dとマイエルリンクの手に汗握る戦いを描きたいという思いが、画面に現れている。絵の力は十分に感じられる。

 後半、マイエルリンクが雇ったバルバロイの獣人の一人であるマシラが、マイエルリンクを逃亡させるため、崖の上でDと戦うシーンがある。原作ではこのマシラのシーンは、それなりに描写されているのであるが、映画本編では暗転した画面の次の瞬間、Dが剣を一閃し、マシラが雄叫びをあげて絶命する。ほんの一瞬の出来事として描かれている。公開時、ふと頭をひねったシーンである。どうかんがえてもマシラは、バルバロイの獣人の最後の生き残りであり、Dときちんと対峙するキャラクターだと考えていたので、これではあまりにマシラがかわいそうだと思っていた。その後発売された絵コンテを見ても、この前後のシーンは描かれている様子がない。あの作画はコンテの状態のままだったのだ。

 後日、この点について川尻監督に質問をする機会を得て、お話を伺ったのだが、「映画のテンポとして、マシラのシーンはコンテの段階からあの長さだった」との回答を得た。お話を聞いたときは、ああそうかと、一人で納得してたのだ。しかしあらためて考えてみると、これはあの数カットの絵だけでマシラの話を見せきるというやり方であり、原作におけるやりとりを改変したことになる。しかも川尻監督の隣で、だまってうなずいている菊地さんの表情から、それこそが映画として妥当であると言わんばかりであることが伺えた。菊地さん自身も小説書きである。だから絵を描くことを生業としているアニメーターの、「絵力」を素直に信じているのだろう。描かないことで絵力を強める結果となっている。

 そして最後の決戦の場となるチェイテ城。真の敵である流血の貴婦人カーミラの居城にて、流血の儀式が始められる。このとき、祭壇の周りに圧倒的多数のろうそくが火をつけている。しかもこの祭壇を回り込む画面が出てくる。またラストシークエンスでは、城からロケットが旅立つシーンなどが見られるが、初見時これらはすべてCGであると思っていたのだが、これらすべてが手書きであると知って呆然とした。マッドハウスのスタッフはバカか? このようなシーンこそCGでやるべきであろうに。しかもその手書きの画面の圧倒的に美しい事よ。そういう意味でも、本作はセルアニメの最高峰に位置する1本であり、なおかつセルアニメ時代の最後の残り火であるとは言えまいか。

 いい話ばかり書いてきたが、いただけない話もあるにはある。初見時、英語音声で日本語字幕で見たと描いたが、後日DVDにて日本語音声で見ることになる。このときもう一人のヒロインであるマーカス兄弟の一人・レイラの声が、当時まだ人気を誇っていた林原めぐみ嬢であったことだ。決して悪いわけではない。ただ同時に発売されていたPSのゲームでは、高山みなみ嬢であったため、その違いに唖然としたのを覚えている。いやいうなれば洋画として本作を見てしまっていたが故に、日本語音声がいくぶんちゃらく聞こえたのだろう。
 この作品の主題歌を歌っていた「Do As Infinity」は、この作品で出会ったのだが、解散と再結成をしており、なんだか残念な感じだ。

 さきほどのCGの件でもふれたが、この作品に限らず、マッドハウスの作品群は圧倒的に美しい画面が多い。それは背景美術しかり、キャラクターしかり、アクションしかりだ。しかもその「絵力」を存分に知っており、「絵力」を緩急自在に扱う監督がいる。今回の「D」の絵コンテを見てもわかるが、その絵コンテは、それだけで十分読み応えのある漫画となっている。絵の描ける人は違うなあということを、今更ながらわからせてくれる1本である。そしてそれをささえる作画マンの実力があっての話だ。マッドハウスの皆さんは、きっと「絵力」を心から信じているのだろう。CGが多様される現在でもなお、手書きの質感と良さを理解している、きっとマッドハウスとは、そんな人々の集まりなのじゃないだろうか?
 「マッドハウスに夢中(オークラ出版)」というムックを読むと、監督にもアニメーターにも多くの実力者を擁している、マッドハウスの豊かで確かな質感を感じるのである。
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テーマ : アニメーションの評論・感想
ジャンル : アニメ・コミック

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