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空の境界 第四章 伽藍の洞~からっぽな私~

 承前
 本作の時間は1998年6月。時間軸でいうと第二章「殺人考察(前)」のあとにくる話である。
 物語は病院に運び込まれる式の様子からスタートする。もちろんその原因は不明のままだ。だが救急車には黒桐が同乗し、彼女を見守っている。なんとか一命は取り留めたものの、そのまま眠り続ける式。やがて2年の月日が経過すると、式は目をさますが、同時にもう一人の自分である「識」の存在が消えていた。いや、死んでしまったようだ。それは埋めようのない孤独。彼女の覚醒は同時に「直死の魔眼」を発動させ、見る物すべてに赤い線が入るようになる。それはそのままそのものの死を意味するものである。眠りについていたあいだ、式は深層の意識化で何度も死を垣間見る。そしてそれがトリガーとなって魔眼が発動したようだ。その「死」をダイレクトに式に見せる能力はただただ式を絶望に陥れるだけだった。彼女は絶望の中で自分の目をつぶそうとする。
 さらなる入院生活で、式のカウンセラーのような形で蒼崎橙子が現れる。彼女は式が黙している理由をすべて言い当てることで、少しづつ心を開くようになる。だが同時に覚醒した式には、入院している病院に巣くう邪念が、彼女のからっぽの体に入り込もうとする。橙子は結界をはってその侵入を最低限度にとどめるよう勤める。だが式は自分に目覚める前の記憶がないこと、それゆえに自分がからっぽの存在であることを知っていた。
 ある日病院に担ぎ込まれた患者は、全身を包帯に包まれた男で、両腕に入れ墨があった。その男が入れ墨の魔力で橙子の結界を破り、式を殺しにやってくる。首を絞められ抵抗できない式。だが式は覚醒する以前に触れた死、そしてからっぽで空虚で、孤独しか持たない体は、初めて生きることを選択しようとする。包帯男と激しく戦う式。そして橙子から渡された短剣を手に、魔眼を発動させて相手を切り裂き、自分の中に取り込んだ邪念すら自分を刺して勝利する。ふたたび眠りに落ちた式が目覚めると、傍らには黒桐の姿が。退院した式は、橙子の元で仕事を行うことになる。だがそれは荒耶宗蓮が動き出し、災いの種をまいているころと同時であった。

 本作をぶっちゃけてしまえば、式が覚醒するまでのインターバルの物語なのだけど、同時に識と長い時間をかけて別れるという話でもある。だがそれが荒耶宗蓮の手の内にある事柄なのか、関知していない話なのかは判別がつかない。ましてや式や橙子が荒耶宗蓮を認識しているかどうかもあやしい。だがこの時点ですでに動き出している宗蓮の存在は、十分式を意識しての行動だろう。

 本作を見て初めて気がついたのだが、どの章においても建造物がからんでいることだ。1章だと巫条ビルだし、2章は高校だろう。3章はレインボーブリッジだし、この4章は病院だ。劇中式が邪念に襲われるくだりがあるのだが、こうした邪念は、建物に集まりやすいのかもしれないし、特に人の集まる場所が特にそうだとも言える。それぞれの章で登場した建造物はいずれも人が多く立ち寄る場所だろうから、同時において行かれる邪念の数も多いだろう。式の意識不明の状況とこれらを因果関係で結ぶのであれば、やはり何者かの意志が働いているとしか思えない。それが両儀の家のやり方かも知れないし、宗蓮のしくんだ事である可能性もある。宗蓮がたやすく式を手に入れられれば、彼女以外の被害者が出なかった可能性だってあるのだが、それはうがちすぎか。

 この物語でより重要なことは、式の意識に「死」を拒否する気持ちが芽生えたことだ。だがそれは識という別人格が欠落したことが式の孤独を呼び、それがトリガーとなっている。自分自身に「空」を抱えて、それを満たそうとして「死」に近づこうとする。だが直接的な「死」は絶対的に拒否したい。このなんとも矛盾した思いが、式の中に芽生えるのである。また彼女のそばにいたいと願う黒桐でさえ、橙子のかたわらで、式によく似た人形を作っている。この式の人形と式自身は、黒桐においてまったく同じ意味を持つのではないだろうか。「空」を抱える式、中身のない球体関節人形の式。いずれも中身はからっぽである。そして他人の直接的な死で、式は空っぽな中身を満足させようとする。それゆえに自分の親しいものの死すら、試してみたい衝動に駆られる。橙子が式に、黒桐を殺すなよと冗談めかして言うことがあったが、それはこうした事情に起因していたのである。

 第一章「俯瞰風景」でも触れられていたが、人が「死」を感じ取ってしまうことは、意外にも多いのではなかろうか。たとえばガンや心臓病などの病気に関するテレビを見た後で、自分に忍び寄る漠然とした死を感じてみたり、高いところから飛び降りたら死ぬというようなことを漠然と考えてみたり、親しい人の死を目の前にして死について考えてみたり。今年40歳になる私でも、そろそろ知人が死亡することを想像する。それは遠くない未来の事実であろうし、それがたとえ漠然とした感覚であっても、やがて訪れる確定した未来の情報なのである。そう「死」はあらかじめ設定されている事である。だからスタートとしての「生(生まれる)」よりもエンドとしての「死」の方が、人間誰しも考えやすいのではないだろうか。
 今回の物語では「死体」はまったく登場していない。だが病院という舞台設定が、やはり「死という情報」をあつかう場所であることはすぐにわかる。直接的な「死」を見せてはいないのだが、逆に式には魔眼の能力で、「死」を司る生者の線が見えている。序盤覚醒した式が、花びんの花をあっというまに枯れさせてしまうくだりがあるのだが、これこそが「直死の魔眼」による最初の殺しであったシーンだ。こうした抽象的な「死」のイメージこそが、本作での「死」の取り扱いの特徴である。前3作にあるイメージとしての「死」、直接的な死体でありながら、死んだことのみが重要な意味を持つ「死」とは、アプローチが異なっている。だがそれは本来的に人間が感じられる「死」とは、明らかに異なる種類の「死」のイメージである。本作の気持ちの悪いのはこういうところだろう。それはやはり私を少しだけ疲れさせるのだ。

 繰り返しになるが、式は識を失ったが故に自分に「空」をもつにいたり、孤独を感じている。そしてそれを満たそうとするが故に他人の「死」を要求する。式という人物の成り立ちはそういう事になっている。一般にアニメーションの世界では「死」を直接的に扱わない。それはどちらかと言えば避けられてきた話題だからである。勝負の勝敗を決めるのは、敗者の存在であって敗者の死ではない。だから「男塾」や「星矢」のように、過去に登場して主人公たちに負けた人物が、後に見方に回るという展開は、あきれるほど見てきたし、それになんの疑問も感じない。私が子供の頃のことを考えても、「死」をダイレクトに感じたシーンは、「ゲッターロボ」の武蔵の死や、「機動戦士ガンダム」でのリュウの死やマチルダ、ララァの死だろうか。しかも死ぬことですべてを精算することにした「伝説巨神イデオン」や「聖戦士ダンバイン」といった物語だってある。なくはないのだ。だがこれらがある一定のドラマ的な要因の中での死であることが感じられれば、その必然にも納得がいくのである。

 過去の「エヴァンゲリオン」を見ていると、使徒がまるで人間同様に血を流して死ぬシーンは、本来人間となるはずだった生物種の死であるし、劇中でインパクトのあったトウジの大怪我や綾波の死、劇場版での弐号機の破壊によるアスカの偽装死など、「死」のイメージを喚起させる情報はいくらでも出てくる。だがそれは巧妙に隠蔽され、偽装された活劇の要素の中でかみ砕かれ、意外にも直接的な「死」を喚起させない。むしろミサトの死はかなりダイレクトであるし、ネルフ本部での虐殺風景は、情報的な意味合いの強い死であった。このように「死」というイメージを簡易に喚起させる仕組み、それを視聴者に突きつける仕組みが「エヴァンゲリオン」にはあったし、それまでのアニメの「死」を斟酌した上で、ぎりぎりまで機能させていたと思っていた。

 同時に表現の規制はどんどん強化される。最近のテレビではそうした表現はなかなかやりにくいのだろう。その一方で同人の世界やゲームの世界では、もしかしたらこの「死」のイメージだけが先行しているのではないのか、危惧を覚える。まさに「空の境界」という、本来同人から出発している作品における「死」のイメージが、規制を受け入れがたいところまで先走ってしまったのではないか? 漠然と心配になるのだ。
 オタクによる犯罪がテレビで報道される度、やり玉に挙げられるアニメやゲーム、漫画などの媒体への嫌悪感の正体は、たんなる無理解だと信じていたが、それも神話なのか。シンジくんは確かに自我を形成できない子供であった。それは式でいうところの「空」の状態であり、孤独を抱えていたのは確かに同じだろう。だがその「空」を埋めるために、他人の死を要求することは、本来話が別である。シンジくんはおそらく物語世界では精一杯悲しい思いを受け止めてきたが、物語の必然である他人の死を悲しまず、むしろそれを要求してしまう式というキャラクターに秘められているのは、むしろ人間の中にひそむ、押さえがたい衝動かも知れない。だが人間である以上その衝動を抑え込む手段を有していることも人間の証明であるはずだ。そこまで考えを進めると、本作「空の境界」という作品は、「エヴァンゲリオン」を起点としながら「エヴァンゲリオン」から何も学ばなかったということになるのだが、果たして・・・・。

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No title

唐突ですが、
「第28期東京都青少年問題協議会答申素案」というものが通る通らないで
いろいろやってるようですが
こちらで取り上げた「ストライクウィッチ」他にも規制対象になりそうなものが
色々ありそうですね…性的なものだけでなく
空の境界やガンダムの様に、「未成年者」の殺人や死を描くものも
屁理屈をつけて規制しそうで…
この膨れ上がったオタク産業を縮小させるようなことをすると
経済的に小さくないダメージが起こりそうに思うのですが
(タバコ税引き上げなんかと同じで)。
結局、規制する側というのはその方面の門外漢なのですし
ああいった人たちを理で説くことはできないのでしょうかね?
昔、ゆうきまさみ氏のマンガで富野監督のところに
文部省の役人が規制部分を「指導」にやってくる、
というのがありましたが、冗談ですまないですね。


No title

うめさん
 おっしゃるとおり、そうした動きを危惧しているのも事実ですが、逆に無意味に挑発的なものを作ること自体にも疑問が残ります。正直どうしていいのかわからないのですが、「死」に関連する刺激のみが、作品の売りになってしまうような状況だと、規制せざるを得ません。では規制をやめさせるために低刺激の物をつくれば、商品価値が薄れて作品が売れない、そんな悪循環がたまらなくイヤです。ましてや作品上の必然となる「死」からでも、なにも受け取れない不感症の顧客にも問題があるでしょう。
 「空の境界」に関しては、この作品をどういうスタンスで取り上げるかということに、非常に迷いがあります。最後まで見終わったときに、この迷いを吹っ切ってくれるのか、それとも私にとって唾棄すべき作品となってしまうのか、どう転ぶかわからないので、本当に困っています。認めるにしても否定するにしても、最後まで見てからではないと、とりあえず納得できませんから。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
Twitter再開しました!

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