秘密戦隊ゴレンジャー~上原脚本が信じていること~

 今回「秘密戦隊ゴレンジャー」を取り上げるにあたり、別段全話視聴したわけでもない。実のところ本作に関して、持っているDVDはごく一部でしかない。だが本作については、これまで本ブログで取り上げた特撮作品と同様に、上原正三氏の手による脚本で、そのほとんどが構成されているからである。氏は、全84話、再放送を含めておよそ2年にわたる放送の約半分以上の話数の脚本を手がけている。

 これまで本ブログで取り上げた上原作品の中には、「時空戦士スピルバン」のように、どうしても時代にそぐわなくなってきた傾向の脚本もあったし、事実「超力戦隊オーレンジャー」の序盤の脚本などを見ると、どうにも時代にはじかれてしまった感触があり、見ているこちらとしても悔いの残る感じであった。ではなぜそのような齟齬ができてしまったのか? いままであまり考えてこなかった。それは当然ご本人が第一線を退かれたこともあるし、なによりいかなる脚本家よりも長くこうした子供番組の脚本を書かれた功績のある人であるだけに、漠然とではあるがその作品スタイルが時代にマッチしなくなってきたと思っていたのだ。だが「秘密戦隊ゴレンジャー」を見て、私はそうではないと感じることができた。

 「秘密戦隊ゴレンジャー」は1975年に放送を開始し、1977年まで全84話で放送された作品である。これ以降中断をはさみながらも、現在まで連綿と続く「戦隊シリーズ」の元祖である、東映という会社の看板番組の一つである。だが円谷のウルトラシリーズと双肩するのは、一般に「仮面ライダー」シリーズと言われていたりする。東映という会社の長い歴史の中で、「仮面ライダー」というブランドが長く制作されなかった時期もあるが、戦隊シリーズは1978年に終了した「ジャッカー電撃隊」と1979年に放送を開始した「バトルフィーバーJ」の間の1年間だけなのである。そうした放送期間だけを考えれば、「戦隊シリーズ」が以下にメインターゲットの子供たちに広く愛されていたのかがわかろうというものである。そこにあるのはむしろメインターゲットの人材の入れ替わりなのであるが、どの作品を見ていたかでおおよその世代分けができるほどのシリーズなんて、日本ではそうないだろう。戦隊シリーズはウルトラシリーズに比肩するどころか、他に類を見ない特撮シリーズだと言い切ることができる。だがそれでも「仮面ライダー」シリーズよりも評価が低い理由は、あくまで固定化されたフォーマットと、おもちゃの販売促進の側面で語られることが多いことだろう。だがそれはターゲットを絞ったことによる成功だと受け取っておきたい。

 戦隊シリーズに関する思いは別として、この「秘密戦隊ゴレンジャー」という作品について、簡単に概略を説明しておきたい。
 ものすごくぶっちゃければ、本作は日本はおろか世界征服を狙う「黒十字軍」と、日本を守る組織「イーグル」の精鋭部隊「ゴレンジャー」との命をかけた闘争の物語である。1話でイーグルの関東、北海道、東北、関西、九州の各支部が黒十字軍に強襲される。各支部で辛くも襲撃に生き残った5人が選抜され、イーグルが開発した強化スーツを身にまとい、さまざまな武器や戦闘メカを操って、黒十字軍に対抗する物語である。時にイーグルの諜報員が命がけで手に入れた黒十字軍の機密情報を巡って戦い、時に偶然町中でであった人から黒十字軍の悪の計画を聞いてそれを阻止したり、時に互いの秘密基地へ侵入したりと、互いの組織に関する情報戦や侵入阻止、黒十字軍の大規模作戦の発動阻止など、現在のように単なる戦う意義にかられての戦いよりも、戦闘や諜報のプロフェッショナルが、互いのプロ意識にかけて任務を命がけで遂行することなどを主眼に置いた「スパイ戦」を中心としたストーリーとなっている。基本的に1話完結形式で進み、毎回ことなる仮面怪人があらわれて、ゴレンジャーと丁々発止の戦いを続ける物語なのである。そう、「スパイ戦」というのが本作のミソの一つであることは言うまでもない。流れを意識してみれば、モノクロ作品で「スパイキャッチャーJ3」を製作したり、「キーハンター」や「アイフル大作戦」などを製作してきた東映ならではのカラーと言えば、理解いただけるかと思う。

 そして久しぶりに鑑賞した結果、浮かび上がってきたもう一つの特徴は、「説明がない」ことである。一見すると、まったくよさげな話に聞こえないのかも知れないので、例をあげておく。
 例えば第1話で、ゴレンジャーとしての適正をチームリーダーであるアカレンジャー海城剛(演 誠直也)に確認された他の4人は、新宿のスナックゴンに集合することを告げられる。当のスナックでは客とマスターがいるありふれた風景。フラメンコ風のギターの音色が流れる店に、これから5人は終結するのだ。おもむろにマスターとカレーの大盛りの話で盛り上がるキレンジャー大岩大太(演 畠山麦)の姿に、すでにキャラクターがにじみ出る。そこに海城がやってきて、店の奥でキーを確認すると1枚足りない。それを大岩がつっこむと、「いいんだ」と満足げな表情で他の3人と一緒に、店の奥の扉に消える。長い長い通路の向こうに、いくつかのエレベーター。何度も乗り換える4人。退屈したのかメンバーでもっとも若いミドレンジャー明日香健二(演 伊藤幸雄)が、大岩に話しかけなぞなぞをだす。「火をつけて困るランプはな~んだ?」そのなぞなぞに真剣に考え込む大岩は、移動途中に他のメンバーに聞いたりするけど、「なんじゃろ?」と答えてもらえない(この解答は後の戦闘シーンで、黒十字軍の戦闘員から解答を教えてもらう)。そうしてたどりついた部屋の先に、テンガロンハットを目深にかぶり、ギターを弾く青年の姿が。そうスナックで聞こえていたギターは彼の演奏だったのだ。おもむろにキーを差し出し、ニッとわらう青年アオレンジャー新命明(演 宮内洋)。ここに5人の戦士と5つのキーがそろい、ゴレンジャールームに入っていく。
 と、すぐにゴレンジャー総司令の声が響き、黒十字軍による事件発生の知らせ。幼稚園バスをさらい、時限爆弾でバスと子供たちをとじこめた倉庫を爆発させようとする企みだ。この知らせに海城は、ゴレンジャーマシーンを目の前にして上を見上げ、「新命、あれを頼む」とだけ言うと、「よおし、あれは俺にまかせろ」と答える新命。そして隣にいた大岩の肩をたたいて、二人で巨大な何かに乗り込んでいく。そして海城は「ペギーと明日香は俺と来い」といえば、「了解」といって答える明日香とモモレンジャーペギー松山(演 小牧リサ)であった。

 たったこれだけ、時間にしておよそ5分とないシーンであるが、ここにゴレンジャーの、そして上原氏の脚本になにがあるかをすべて示しているといっていい。
 まずスナックゴンでキーを確認するシーン。ここで海城の顔を見た3人は、なんの示し合わせもなく店の奥でキーの照合をしている。そして海城も一つキーが足りないこと、そのキーを持つ本人がすでにゴレンジャールームの前に到着していることを確信しているシーンだ。このシーンには余計な台詞が一つもない。間があり、たった一つの確認の台詞があり、わかっているといいたげな満足した海城の表情がある。それだけで5人のチームワークを描いているといえる。当然あのようにスナックの奥のドアから離れているはずのゴレンジャールームの入り口から、なぜギターの音が聞こえるかという、防音上のつっこみは無視すれば、スナックゴンのマスターが、しかつめらしく表情を濁らせて、5人の登場を待ちわびた表情もなんだかうれしい。
 そしてゴレンジャールームに移動途中のやりとりにしても、なぞなぞをだす茶目っ気、答えない茶目っ気を見せながら、後への余韻を持たせている。「SFヒーロー列伝」の著者・池田憲章氏は、これをして「大人っぽい」とか「大人の余裕」と書いていたが、はじめて顔をあわせた4人が、なぜこうしたやりとりができるかと言えば、仲間同士の信頼や、復讐者としての連帯など、さまざまな感情を含ませた「人間」としての余裕なのだろう。この会話そのものにも説明がない。なんでなぞなぞなのかは、あくまで本作の企画意図にある、流行り物を取り込む作業だったのかも知れないが、そこにある何かを超えた成熟した人間のダンディズムだといえる。
 また出動時の海城と新命の短いやりとりは、まさに「戦友」がごとき雰囲気を漂わせている。ここで新命が任されたのはゴレンジャーのまさに奥の手である「バリブルーン」であるのだが、「あれをたのむ」「まかせとけ」という短いやりとりには、互いの信頼感があるし、互いの力量を認め合った二人ならではの雰囲気を醸し出す。後続の3話では負傷した新命を思いやり、ルームに待機を命じる海城に、自分も行くといいだす新命を、傷口を叩くことで新命を黙らせているシーンがある。こうしたシーンにありがちなギスギスした感じは一切無い。むしろ仲間の仇をとるために意気込んでいる新命を諫めるためのそぶりだし、そのやりとりが自分を思ってくれている海城のやさしさであることを知っている新命だからこその会話なのである。

 さあ、ここまでくどくど書けばもうおわかりだろうか。こうした説明のない脚本術にあるのは、たんなる「大人」っぽさなんかではなく、そこにある人間同士の「信頼感」や「仲間の連帯感」である。端的に言えば仲間を信頼しているし、その信頼に答えようとする人間関係である。当然それは「協力し協調し合う仲間」という企画意図に従うものである。だが「初対面の仲間が不協和音はないのか」という問いかけの答えが「鳥人戦隊ジェットマン」や、昨今の戦い合う平成ライダーだったりするし、「互いの相互不信が味方の危機を招く」などの話は、シリーズをふくらませるためのネタに使われる。「説明しない」ということは、それが「当たり前」だということだ。つまりこれを書いた上原正三氏は、そうすることが「当たり前」だと心から信じているのである。現在の目で見ても「ゴレンジャー」の脚本はそうした疑問を感じないのに、「オーレンジャー」ではなにかしっくりこないのは、こうした脚本を書く前提としての社会が、それを「当たり前」だとしていない社会になってきているからではないのか?

 先にも述べたように、現在の戦隊シリーズはこの「ゴレンジャー」を祖として、設定のアレンジを繰り返してきた歴史に他ならない。それでも時代が「ゴレンジャー」同様の「互いの信頼が前提」となるドラマがそぐわなくなってきているのは、時代のモラルが変わってきたからである。よく昔の作品を見直すと、モラルが変わって見えるからというが、ことこのシリーズや子供番組に関しては、むしろ前提となっている社会情勢やモラル自体が低下しているのではないだろうか? 
 平成ライダーシリーズがかくも複雑な人間模様を描くようになった理由は、人間を襲う怪人や悪の秘密結社よりも、さらにおそろしいのは人間自身であると自覚的になっているからだろう、「仮面ライダー龍騎」に見られる人間の欲望に根ざしたバトルはまさにそうした人間性の具現化である。だがそれは「ゴレンジャー」が前提とした「人間同士の信頼や絆」とは相容れない、より人間の愚かさや醜さをクローズアップして、物語化したものであろう。だとすれば上原氏が前提とできた「人間同士の信頼や絆」がまやかしや陳腐に見えてもしかたがないのである。だが気づくべきだ。それはモラルが変わったのではない、モラルが低下したのでではないかと。

 「鳥人戦隊ジェットマン」が現在でもレアケースであるように、戦隊シリーズの本来のフォーマットは、主人公3人ないしは5人のチームワークが、悪を倒すことにある。そこには互いの信頼関係が重要なキーである。それは追加の6人目の戦士が従来のメンバーとそりがあわずに対立したりするが、同じ目標に向かっていつしか共闘するようになったりすることで、現在でも継承されてがいる。だがなぜ戦うのかという理由を追及したり、敵が悪事を働く理由を追及するようなドラマがあるのは、そこに疑問が生じている証拠だし、そのために話数が消化されるということは、脚本家が伝えたいメッセージがそこにあるということだろう。だが前提となっているモラルが低下すれば、そこに込められた説教のような部分が拡大するのは目に見えている。「平成仮面ライダー」同様に人間の根幹を揺らがせるようなドラマを作るならば、やはりその裏返しとして、実社会のモラルが低下したのではと疑ってしまう。

 いささか物語展開に難があった「時空戦士スピルバン」を除けば、私が上原正三作品に違和感を感じたのは、「オーレンジャー」が初めてであったし、その後古巣の円谷プロで書かれた「ウルトラマンティガ」や「ウルトラマンマックス」での仕事は、「三丁目の夕日」による懐古的なブームに引っ張られるような作品か、過去の自分への述懐を込めた作品が目立つ。これらの作品から見ると、正面切って正義や信頼などの単語を申し述べるような脚本は、他の脚本家に譲っているようにも見える。その一方で「オーレンジャー」での違和感の理由が、上原氏が信じていたものと現実社会のとの乖離が原因であることも理解できた。だが上原氏の脚本の魅力は、ダイナミックな物語の流れに身を任せながら、その中にある人間賛歌を大いに満足できる魅力があるのだが、そうした脚本は勝手に低下していった人間のモラルによって否定されてしまう皮肉な結果となっている。私はもう一度「宇宙刑事シリーズ」のような素晴らしい脚本に出会いたいと願っているのだが、その復活を疑ってしまう自分の志の低さも、すでに哀しい。

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コメント

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No title

私も「ゴレンジャー」がシリーズ中で一番気に入っています。

敵も味方もプロフェッショナル同士の戦いというのは安心してみていられますし。

正直、未熟な主人公の成長とか新造チームの不協和音とか

信頼の無い人間関係とかは最近やりすぎて食傷気味というところです。

そんなもの現実でいくらでも見られますしね。

No title

うめさん
 コメントありがとうございます。
 最近の作品では、「説明しない」ことは「後で説明する」か「わかってるでしょ」のどちらかなんですが、基本的に「後で説明する」方向に流れすぎてて、説明しすぎのきらいがあります。それを感じさせるのが脚本や映像の妙だと思うのですが、最近の視聴者はそんなに理解力がないと思われているのでしょうか?
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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