「仮面ライダー龍騎」~ゼロ年代と決別してみよう~

 2009年の作品である「仮面ライダーディケイド」が、自分のあるべき居場所を探しながら、自分のアイデンティティを探し求めて平成ライダー世界を旅することで、ライダー世界を壊して再構成することを「決断」した門矢士の物語であると規定することで、宇野常寛氏が提唱する「ゼロ年代」はきちんと幕を閉じ、次の時代を担う「仮面ライダーW」に橋渡しすることができた。ただし思想としての「ゼロ年代の思想」は2010年を迎えて、刷新され、新しい思想を生み出すのかどうかは、まだだれもわからない。だがその前に、本当に「ゼロ年代の思想」は存在していたのだろうか? それを考えるために、宇野氏の思考の起点となった「仮面ライダー龍騎」に注目してみたい。

 「仮面ライダー龍騎」は2002年に放送を開始した。平成ライダーとしては「クウガ」「アギト」についで3作目となる。本作の物語は一人の科学者・神崎士郎が自らの力で開発した「ライダーシステム」を用い、それを使って変身する13人の「仮面ライダー」にバトルロワイヤルをさせ、最後に勝ち残った一人の願いを叶えるというもの。しかもその裏事情はたった一人の妹である優衣を救うためのバトルであり、最後の勝利者はよほどのことがないかぎり神崎士郎自身になることが決まっていた、ある意味出来レースであったのだ。だがライダーとなった人間達は己の欲望を満たすために戦うものが多い中で、主人公・城戸真司は「ライダーバトルを止めさせる」ことを目的として戦い続ける物語である。だがライダーになって戦いつづける人間達は、いずれも訳ありである。秋山蓮は原因不明で寝たきりになっている恋人を救うため、弁護士・北岡秀一は自分の命を生きながらえさせるため、犯罪者・浅倉威はただ戦いたいがため。そんな事情を知り、真司は何のために戦うのかについて考え続け、悩み、苦悩する。そのかたわらを、己が欲望のためにライダーの能力を使い死んでいくもの、ライダーバトルの果てに死んでいくものが続出し、バトルの正体が優衣の救命であることをしって、真司の苦悩は混迷の度を濃くしていく。はたしてライダーバトルの結果は、真司や蓮は生き残れるのか? 戦わなければ生き残れない戦いに、だれがどう勝ち抜くのか?という物語であった。

 さてここでおさらい。「ゼロ年代的」な作品の特徴とは、

1.サヴァイバル的に戦う事を強いられるバトルロワイヤル状況の創出
2.決断主義をキーとする物語の進行

の2点であろう。「仮面ライダー龍騎」という作品には、ライダーとなる人間達が追い込まれる状況により、それぞれがライダーバトルを戦い抜くことを「決断」する物語であり、その決断によりライダーバトルという「バトルロワイヤル」に巻き込まれていく、そしてバトルの中でもいくつかの「決断」をすることにより、生き残ろうとする物語である。本作は確かに宇野氏が規定した「ゼロ年代」的である特徴を有している作品である。この特徴が思想として完成を見るには、現状の社会状況がこれに合致していたことを示したことが大きい。小泉内閣の構造改革論により、日本の景気は一時的に大きく後退を見せるが、その中での社会状況はまさに生き残りをかけたバトルロワイヤル状況であるし、そこで生き残るための決断が、一部の企業に富をもたらす。その一方で旧来の社会状況に出遅れたものは、バトルの負け組として社会から排除されるように消えていく。企業倒産が相次いだのもゼロ年代の社会情勢であったろう。そして現在の出口の見えない不況と雇用状況は、まさに現世に現れたバトルロワイヤルの状況にも見えるではないか。

 だが本作をもう一度よく見てみたい。本作では真司と蓮のダブル主人公となっている。蓮についてはライダーバトルに参戦する動機が明確であり、物語の進行に従い親交を深めた真司とて、バトルに勝つために倒すことを明言している。だがその一方で真司はライダーとして戦いを続ける中で、漠然と理由もなく「こんな戦いはおかしいので、ライダーバトルを止めさせたい」との願いを持つにいたる。しかしその願いは、ライダーバトルに参戦しているライダー達の事情や、ライダーバトルの真の意味を知るにつれ、徐々に疑いに変わり、その願いが正しいかどうか悩むことになる。真司はその都度ドラマの状況から何度も選択をし、何度も同じような決断を繰り返すのであるが、結局ライダーバトル自体に意義を見いだせずじまいとなる。その過程でなんども親友である蓮を倒すと明言しながら、いざというときに倒すことができないのである。次第に蓮まで感情のほだされ、真司を倒せないでいるのである。
 たしかに物語上は浅倉というとんでもなくきついカンフル剤の投入により、浅倉を共闘にて倒すという思考を経て、「浅倉が倒せるなら他のライダーだって同じ」と言わんばかりにバトルは加熱する。それでも「たった一人の犠牲を強いることで、世界を救う」という英雄論を振りかざして香川教授は死に、その弟子である東条は、形の見えない英雄に振り回されるように死んだ。だがそれを見ても、真司は優衣を助ける方法など見つけることができないまま、ただ悩むだけである。そして助けをもとめて苦しむ誰かを助けるために戦う道を選んだ真司は、まるでライダーバトルからはじかれるように死んでいくのである。蓮は真司との約束を果たすというシークエンスを経ることで、ようやく最後に生き残ったライダーとしてラストバトルに向かう。そしてゲームマスターのように振る舞う仮面ライダーオーディーンを倒すことに成功し、恋人は昏睡から目覚めるものの、まるで自分の命を引き替えとしたように、蓮は静かに死んでいくのである。

 さてここで私が指摘したいのは、確かに「龍騎」という物語の原初には、「決断主義」と「バトルロワイヤル」の状況があったことは認めるのだが、その2つは物語を完遂するためのキーではなかったことである。事実として真司は何度も決断しながら何度もその決断を翻す。彼の決断とは状況如何によってどうとでも変化する柔弱な決断であり、よく言えばフレキシブルに、悪く言えば場当たり的に判断しているだけである。彼の決断自体に意味はなく、むしろそれを決断させる状況に振る舞わされて悩む姿こそが、彼の存在価値だとも言える。また親友の秋山蓮にしても、真司との交友を深めることで、ライダーバトルで彼を倒すに至らない。幾度も倒すと宣言しながら、蓮はそれができないでいる。最終シークエンスではむしろそれがラストバトルへ進む鍵ですらあったのである。戦うための決断よりも戦わない理由を探し、一度はした決断をひるがえしても大事ななにかを守る。本作の目指す物語は、むしろこれだったのではないかと思えるのだ。
 さらにひどいことに、最終的にバトルの覇者になれなかった神崎士郎は、すべてをやり直すことで、この物語をチャラにするのである。ここまでのバトルはなんだったのか、そして彼らが下した決断は、神崎士郎というゲームマスターには、何の意味も見いだせなかったのである。単に優衣の命を救うという点に関しては、ライダーバトルを経なくてもかりそめの命であれば、いくらでもどうにかできるという状況だ。ライダーバトルはまたもや続けられ、神崎士郎が勝つまで続けられる仕組みである。

 私の感慨はあくまで個人の考えである。当然宇野氏が創出した「ゼロ年代の想像力」という名著の揚げ足を取りたいのではない。ただ虚心坦懐に見直した「仮面ライダー龍騎」という物語は、私にとって「ゼロ年代の想像力」の思想の基点となるにふさわしくない点が散見されることから、私は「ゼロ年代の想像力」という基準線を否定しないまでも、その内容についてはどうしても懐疑的にならざるを得ないのである。むしろ物語がこれだけ進んでおきながら、厭世的な雰囲気でループしてしまう状況の物語にこそ注目したい。どこまでやってもどうにも元の木阿弥であり、むしろ「95年の思想」のような、~しない的に引きこもる状況すら見え隠れする。だがそれがわかっていても、前に進むことを恐れない人間の力こそ信じており、力強く時代を歩いて行こうとするかに見える「仮面ライダー龍騎」というドラマは、95年の思想とは明らかに異なる思想だと考える。立ち止まっていては前に進めない、だから歩く。たとえそれがループしても、そこにある何かをつかむために、上昇する螺旋であると信じて人は歩きつづける。私には本作からそんな思想が読み取れるのだ。

 こうした螺旋にも似たループ感は、「龍騎」の後続の作品にも垣間見える気がする。以前本ブログでも紹介した「仮面ライダー剣」という作品は、アンデッドによる生存競争の原型となるバトルが絶え間なく行われていくことを阻止した剣崎一真の物語である。バトルというループは、決して再会しない二人のジョーカーによって、新しい螺旋に突入したと読み取れる。「仮面ライダー響鬼」も、人間がいる限り絶え間なく続く妖怪との戦いを続ける響鬼たち鬼の世界が、新しい弟子達の成長により次のステージに上がろうとするかに見える。「仮面ライダー電王」のタイムパラドックスものの物語ですら、あらためて改善された時間の世界は、以前の時間よりも人間の後悔が改善された分だけよい世界になっているから、単なるループではなくよりよい螺旋だ。そしてゼロ年代の最終作「仮面ライダーディケイド」にいたっては、まさに大崩壊後の世界でも繰り返される門矢士達の終わらない旅が、まさにループではない螺旋に入ったと思わせるラストで締めくくられている。

 現状の批評界では、宇野氏の「ゼロ年代」というキーワードは、否定語にしろ肯定語にしろ、便利に使われすぎているきらいがある。そこにある単なる年代表記としてのゼロ年代は、2010年という新しい年に終わりを迎えるが、それを期に新しい思想の潮流が生まれてしかるべきであろう。宇野氏よりも先頭を走っていたと思っていた東浩紀氏が、現在宇野氏の追随者的な立場に甘んじていることがいささか他人事ながら心配である。ただ大塚英志氏や宮台真司氏が先陣を切って広げてくれた、サブカルチャー作品により世相を考察する手法が、東氏は宇野氏を経てこれほどまでに有効であることが証明された。本記事では揚げ足取りのような姑息なやり方で、私なりに「ゼロ年代の思想」を否定してみた。それはゼロ年代以降の思想を、新しい思想を模索するための足がかりになるかもしれないし、ならないかもしれない。この先に思想を体系づけるのは果たして誰なのか。それもまた楽しみな話である。

仮面ライダー 龍騎 Vol.1 [DVD]仮面ライダー 龍騎 Vol.1 [DVD]
(2002/12/06)
特撮(映像)

商品詳細を見る

ゼロ年代の想像力ゼロ年代の想像力
(2008/07/24)
宇野常寛

商品詳細を見る

スポンサーサイト

テーマ : 特撮・戦隊・ヒーロー
ジャンル : 映画

コメント

非公開コメント

プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
Twitter再開しました!

カレンダー
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
namima2のつぶやき
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

FC2カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
リンク(リンクフリーです)
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
FC2 Blog Ranking
フリーエリア
blogram投票ボタン
ブロとも一覧

あにめにゅ~す の あににゅ

分水嶺@53.8

素足のアイドル達

有名人の珍言・名言集

宮廷アリス

TOY BOX
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

[FC2 Analyzer] http://analyzer.fc2.com/ -->