バーチャルアイドル考現学~ウタでセカイが救えるか?~
以前、昭和歌謡については「夏のあらし」のイメージソング集を例にとって扱いました。またニコマス動画を用いていわゆるアイドルソング全般についてもお話をしました。さらに前回、畑の違うニューミュージック界とアイドル歌謡の世界の親和性についてお話をしました。これ、すべて今回のお話につながるのです。もしよろしければ、右隣の「全記事表示リンク」からお探しいただき、前段のお話をさらっていただくといいかもしれません。
・「夏のあらし」イメージソングアルバム
・ニコマス動画「昭和の日」SP
・アイドルソングのお話
さてここでかなり強引な断言をしておきます。あまりに突飛な発言ですので、どん引きされるのを覚悟で申し述べます。
「究極のアイドルの形はバーチャルアイドルである!」
・・・・・あれ? おかしいなあ。こいつ頭おかしいんじゃねえか?とか言われて、ここで引き返すのが普通だと思うんですが。ああ、そうですか。まだお帰りにならない。では私のお話、最後まで聞いていただきますよ(は~とっ)。
そもそも平安の時代、男女の仲の基本は「遠目で見る、御簾ごしに見る、壁越しに感じる」だったようです。ましてや結婚したって一緒に暮らすわけでもなく「通い婚」だというじゃありませんか。つまり男は見えない女に恋い焦がれ、その距離を常に保とうと努力していたのです。これが日本における恋愛の基本。目に見えない女性、御簾越しにしかお目にかかれない女性、そう簡単に手の届かない女性。これこそが男性が追い求め、恋い焦がれる女性像であり、恋愛の形なのです。そう、平安の女性とは男性にとってまさに「バーチャルアイドル」ではありませんか。
そう考えるとバーチャルアイドルというのは、まったくもって男性の理想だと言えます。手が届かず、存在があるにも関わらず存在せず、だが一方的に男性から思いを寄せられる存在。そして彼女たちは不特定多数を相手にひたすら愛想を振りまく。こうした存在が、そんじょそこらにいるリアルの女性にかなうはずもないわけです。ましてや「アイドル」とは名ばかりのグロス売りの連中なぞ、足元にも及ばないでしょう。
そしてここにあらためて断言します。
「日本の歴史における3大バーチャルアイドルは、「リン・ミンメイ」「芳賀ゆい」「初音ミク」である!」と。
「リン・ミンメイ」はアニメで初めて「アイドル」として存在を許されたキャラクターであると思います。なおこの場合、「ドラえもん」に出てくる「星野スミレ」はどうする!とかいう反論は無しの方向でお願いしたい。ミンメイがこれら作品中に登場する架空のアイドルと一線を画す理由は唯一つ、「ほんとにレコードを出しやがった」からに他なりません。実際には「超時空要塞マクロス」の劇中歌扱いとして、BGMアルバムに収録されているのみです。ですが星野スミレはレコードを出したか?一度でも単独音源としてCDに収録されているか?という問いかけに回答を与えられなければ、やはりアニメ界初のアイドルは「リン・ミンメイ」になるのであります。しかもミンメイは劇中ですらアイドルとして存在し、なおかつ恒星間戦争を終結させるキーマンでもあるという見事な存在感を見せつけます。TV版の後に「正史」となるべく制作された劇場用アニメ「超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか」でも、堂々たるアイドルとして登場し、彼女本来の人となりによるわがままではなく、アイドルゆえのわがままさを醸し出し、年増好きの美沙派と人気を二分しました。また「マクロス」としての3枚目のアルバム「Miss D.J.」というアルバムでは、ミンメイがマクロス内におけるラジオ番組を担当しているという設定のトーク番組をそのまま収録するという事態に発展します。このアルバムでファンは間違いなく、ラジオブースにそっと座ってはがきを読んでいるミンメイの姿を、等しく想像したのです。そこにはアニメから派生したラジオというメディアの力を信じさせる魔力を秘めていたことになります。なおこれ以降に登場する劇中アイドル、例えば「マクロスF」に登場する「ランカ・リー」や「シェリル・ノーム」、「メガゾーン23」に登場する「時祭イブ」、「魔法の天使クリーミーマミ」などもこれに類する存在となります。
そして「芳賀ゆい」。この人をどれぐらいの人がご存じか知りませんが、簡単に申し述べると、「伊集院光氏のラジオ番組で誕生した架空のアイドル」ということになります。そしてラジオ番組内ではあたかも彼女が存在し、芸能活動をしているように語られ、やがては留学を理由に芸能活動を中止するという結果になります。もしよろしければwikipediaでも検索していただければ、詳細がわかります。
ウィキによれば、実際に「芳賀ゆい」として活動していた人物は57名にものぼり、中にはAV女優さんもいたそうです。この57名で「芳賀ゆい」という一人のアイドルを形成し、歌や写真集、イベント、ラジオのパーソナリティなどを担当していたらしいのです。先ほどミンメイの項で、「ラジオというメディアの力」という言い方をしましたが、この「芳賀ゆい」に関しては発生がラジオ番組というだけではとどまらす、さまざまな分野にすそ野を広げながら、顔を出しているにも関わらず、その存在はあくまでも「架空」であり続け、なおかつそれを主催者側と観客側が共有していた「遊び」であるという特徴を持っているのです。
さてここで「ラジオ」というメディアについてもお話しておきます。ラジオというメディアはテレビよりも先に登場しています。そしてラジオ放送の初期には、今の声優さんのもとになる役者さんの存在が必須になります。そしてラジオが一般に流布する過程で、人気のラジオ番組は、「顔」となるパーソナリティを擁します。顔を見せずに声だけで人々を魅了するラジオという機械。つまりこれがラジオとバーチャルアイドルとの親和性を示す理由です。事実ラジオからテレビでの吹き替え番組で人気を博した声優さんが、フィードバックして彼が担当するラジオ番組の聴取率が高くなったり、番組観覧希望者が現れたりすることにつながっていきます。この吹き替え番組はアニメも含まれていますので、ラジオとアニメとは、そもそも親和性が高いメディアだと言えます。現在のネットラジオ隆盛もこの一連だと思えます。
そして「初音ミク」。音声合成ミュージックソフトにおけるキャラクターである。まさにソフト内でバーチャルアイドルとして存在している。そしてより重要なのは、このキャラクターゆえに、動画投稿・配信サイトにおいて様々な楽曲が登場し、人気を博したことです。バーチャルアイドルが自分の作詞作曲した曲を歌い、踊る。単なるソフトを超えたところでミクは大人気となり、キャラクターが独り歩きを始めます。ミクはボーカロイドという歌唱に特化したロボットとして扱いを受けることになり、さまざまな賞を受けます。そして独自の曲を歌うことで歌手デビューまで果たします。そして2009年8月には、とうとう舞台の上に立ってミクが歌い、観客と時をともにするまでに成長します。また同年11月にはシンガポールにまで進出して公演を行います。2010年5月に発売されたミク名義のアルバムが、オリコン週間チャートで1位を獲得します。
現象面としてすごいのは、まったくのパソコンの中にのみ存在するキャラクター、それも完全にプログラムされたキャラクターが、アイドルとして存在し、なおかつ人気を博した事実です。80年代であればまるで絵空事、それもアニメの中でしかなしえなかった事象が、現実世界に出現しているかのようである。前述した「時祭イブ」などはまさにこの具現化ともいえる存在である。またゲーム「アイドルマスター」シリーズも、これに類するものでしょう。ゲームオリジナルでも既存の曲を歌っても、アイマスの彼女たちはプロデューサーと呼ばれるプレイヤーに微笑みかけるのです。
ミクのすごいところは、アイドルのテクノポップに、ふたたび命を吹き込んだことだと思っています。前回の記事で細川ふみえの「スキスキスー」という曲に触れました。1980年を境に日本歌謡界に登場したテクノミュージックは、「YMO」の登場以降、さまざまな形で日本の音楽に影響を与えていましたが、一時的にはブームは沈静化を余儀なくされます。ところがそうした時期にテクノミュージックを支えた人々(石野卓球やテイ・トウワ、電気グルーヴなど)がふたたびアイドルソングにテクノを持ちこみ始めました。全般的に曲そのものは注目されなかったのですが、ミクという素材がより「テクノ」に近い位置で登場したことにより、「パフューム」を新しい器としてテクノポップは再誕したと、私は考えています。つまりミクの登場が近年のパフュームの人気に拍車をかけていったということなのです。
アニメの世界のアイドル「リン・ミンメイ」、ラジオでの架空のアイドル「芳賀ゆい」、そしてパソコンやネットの世界のアイドル「初音ミク」。私たちは今、日本の歴史上における究極のアイドルの形を、目にしていると思えるのです。ちなみになぜ「世界」ではなく「日本」に限定しているのかといえば、「アイドル」という存在が奇形的に発達している国が「日本」だからです。まあ他の国にもいろいろいるんでしょうけど、低年齢の少女がアイドルとして商売が成立している国は、やはり日本だけだと思うのです。
またこうしたバーチャルアイドルという存在をミク同様に「ロボット」として規定する場合、これまた奇跡的に「不気味の谷現象」を回避している存在だともいえるでしょう。そりゃかわいらしく見えるようにデザインされているからだとおっしゃる向きには、あの奈良遷都記念にデザインされた「せんとくん」を例に出しておきましょう。あのゆるキャラが、発表当時にどれほど気持ち悪がられたかを考えてみれば、容姿の点だけでも一般化することがどれほど難しいか、ご理解いただけるかと思います。
また「ロボット」という存在であるからには、人間自体がその存在に依存しすぎることに対するアンチテーゼを突き付けている存在だともいえます。例としてあげれば、手塚治虫氏の制作した劇場用映画「火の鳥2772愛のコスモゾーン」に登場する、「オルガ」という名の乳母ロボットを例に出しましょう。主人公ゴドーを育てたオルガは、政府の人口抑制政策を担う育児ロボットであるのですが、成長したゴドーの優しさに触れることで、次第にゴドーを愛するようになります。けれどそれを口に出してはいけないと知りつつも、どうしようもなくゴドーに惹かれるオルガは、ゴドーの危機を助けるあまり、自らの体を投げ出そうとします。そして物語はゴトーに気付かせるのです、オルガこそが自分をいつくしみ、愛してくれた存在であることを。
あくまでこれは「ロボット」と「人間」の愛の形を描いた作品としての側面を述べたに過ぎず、「火の鳥2772」という作品には、手塚らしい多くのメッセージが込められた作品でもあります。けれど本作や「イブの時間」が示す通り、人間とロボットの間には、どれほどの暗く深い溝があることでしょう。それはまさに「偶像」として存在するアイドルの存在ゆえに、その存在に依存することの恐ろしさを示している気がしてなりません。
それはさておき、ミンメイやミクなどはまさにアイドルの究極の進化系であり、あとは実際の女性型ロボットの登場を待つだけのような気がします。けれど人間の中に厳然として存在する「不気味の谷」が、最後の最後で偶像としてのアイドルにくさびを打ち込んでしまうことになるかもしれません。だとすれば現在こそはアイドルとファンの蜜月期だと言い換えることもできましょう。リアルのアイドルたちがその存在感をなくし、どこにでもいるような親しみやすさを売りにしながら、ファンを一歩も近づけないとするならば、彼女たちは果たしていつまでファンを惹き付けていられるのでしょうか。リアルの彼女たちがバーチャルの彼女たちに、完全に取って代わられる日も、そう遠くはないでしょう。そうしたバーチャルアイドルたちが政府広報の形でアジテーションを行うようになったとしたら・・・・・。「紅い眼鏡」の世界が冗談とはいえなくなる日がくるのかもしれません(う~ん、地味にアニメと特撮に絡めてみた)。
・「夏のあらし」イメージソングアルバム
・ニコマス動画「昭和の日」SP
・アイドルソングのお話
さてここでかなり強引な断言をしておきます。あまりに突飛な発言ですので、どん引きされるのを覚悟で申し述べます。
「究極のアイドルの形はバーチャルアイドルである!」
・・・・・あれ? おかしいなあ。こいつ頭おかしいんじゃねえか?とか言われて、ここで引き返すのが普通だと思うんですが。ああ、そうですか。まだお帰りにならない。では私のお話、最後まで聞いていただきますよ(は~とっ)。
そもそも平安の時代、男女の仲の基本は「遠目で見る、御簾ごしに見る、壁越しに感じる」だったようです。ましてや結婚したって一緒に暮らすわけでもなく「通い婚」だというじゃありませんか。つまり男は見えない女に恋い焦がれ、その距離を常に保とうと努力していたのです。これが日本における恋愛の基本。目に見えない女性、御簾越しにしかお目にかかれない女性、そう簡単に手の届かない女性。これこそが男性が追い求め、恋い焦がれる女性像であり、恋愛の形なのです。そう、平安の女性とは男性にとってまさに「バーチャルアイドル」ではありませんか。
そう考えるとバーチャルアイドルというのは、まったくもって男性の理想だと言えます。手が届かず、存在があるにも関わらず存在せず、だが一方的に男性から思いを寄せられる存在。そして彼女たちは不特定多数を相手にひたすら愛想を振りまく。こうした存在が、そんじょそこらにいるリアルの女性にかなうはずもないわけです。ましてや「アイドル」とは名ばかりのグロス売りの連中なぞ、足元にも及ばないでしょう。
そしてここにあらためて断言します。
「日本の歴史における3大バーチャルアイドルは、「リン・ミンメイ」「芳賀ゆい」「初音ミク」である!」と。
「リン・ミンメイ」はアニメで初めて「アイドル」として存在を許されたキャラクターであると思います。なおこの場合、「ドラえもん」に出てくる「星野スミレ」はどうする!とかいう反論は無しの方向でお願いしたい。ミンメイがこれら作品中に登場する架空のアイドルと一線を画す理由は唯一つ、「ほんとにレコードを出しやがった」からに他なりません。実際には「超時空要塞マクロス」の劇中歌扱いとして、BGMアルバムに収録されているのみです。ですが星野スミレはレコードを出したか?一度でも単独音源としてCDに収録されているか?という問いかけに回答を与えられなければ、やはりアニメ界初のアイドルは「リン・ミンメイ」になるのであります。しかもミンメイは劇中ですらアイドルとして存在し、なおかつ恒星間戦争を終結させるキーマンでもあるという見事な存在感を見せつけます。TV版の後に「正史」となるべく制作された劇場用アニメ「超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか」でも、堂々たるアイドルとして登場し、彼女本来の人となりによるわがままではなく、アイドルゆえのわがままさを醸し出し、年増好きの美沙派と人気を二分しました。また「マクロス」としての3枚目のアルバム「Miss D.J.」というアルバムでは、ミンメイがマクロス内におけるラジオ番組を担当しているという設定のトーク番組をそのまま収録するという事態に発展します。このアルバムでファンは間違いなく、ラジオブースにそっと座ってはがきを読んでいるミンメイの姿を、等しく想像したのです。そこにはアニメから派生したラジオというメディアの力を信じさせる魔力を秘めていたことになります。なおこれ以降に登場する劇中アイドル、例えば「マクロスF」に登場する「ランカ・リー」や「シェリル・ノーム」、「メガゾーン23」に登場する「時祭イブ」、「魔法の天使クリーミーマミ」などもこれに類する存在となります。
そして「芳賀ゆい」。この人をどれぐらいの人がご存じか知りませんが、簡単に申し述べると、「伊集院光氏のラジオ番組で誕生した架空のアイドル」ということになります。そしてラジオ番組内ではあたかも彼女が存在し、芸能活動をしているように語られ、やがては留学を理由に芸能活動を中止するという結果になります。もしよろしければwikipediaでも検索していただければ、詳細がわかります。
ウィキによれば、実際に「芳賀ゆい」として活動していた人物は57名にものぼり、中にはAV女優さんもいたそうです。この57名で「芳賀ゆい」という一人のアイドルを形成し、歌や写真集、イベント、ラジオのパーソナリティなどを担当していたらしいのです。先ほどミンメイの項で、「ラジオというメディアの力」という言い方をしましたが、この「芳賀ゆい」に関しては発生がラジオ番組というだけではとどまらす、さまざまな分野にすそ野を広げながら、顔を出しているにも関わらず、その存在はあくまでも「架空」であり続け、なおかつそれを主催者側と観客側が共有していた「遊び」であるという特徴を持っているのです。
さてここで「ラジオ」というメディアについてもお話しておきます。ラジオというメディアはテレビよりも先に登場しています。そしてラジオ放送の初期には、今の声優さんのもとになる役者さんの存在が必須になります。そしてラジオが一般に流布する過程で、人気のラジオ番組は、「顔」となるパーソナリティを擁します。顔を見せずに声だけで人々を魅了するラジオという機械。つまりこれがラジオとバーチャルアイドルとの親和性を示す理由です。事実ラジオからテレビでの吹き替え番組で人気を博した声優さんが、フィードバックして彼が担当するラジオ番組の聴取率が高くなったり、番組観覧希望者が現れたりすることにつながっていきます。この吹き替え番組はアニメも含まれていますので、ラジオとアニメとは、そもそも親和性が高いメディアだと言えます。現在のネットラジオ隆盛もこの一連だと思えます。
そして「初音ミク」。音声合成ミュージックソフトにおけるキャラクターである。まさにソフト内でバーチャルアイドルとして存在している。そしてより重要なのは、このキャラクターゆえに、動画投稿・配信サイトにおいて様々な楽曲が登場し、人気を博したことです。バーチャルアイドルが自分の作詞作曲した曲を歌い、踊る。単なるソフトを超えたところでミクは大人気となり、キャラクターが独り歩きを始めます。ミクはボーカロイドという歌唱に特化したロボットとして扱いを受けることになり、さまざまな賞を受けます。そして独自の曲を歌うことで歌手デビューまで果たします。そして2009年8月には、とうとう舞台の上に立ってミクが歌い、観客と時をともにするまでに成長します。また同年11月にはシンガポールにまで進出して公演を行います。2010年5月に発売されたミク名義のアルバムが、オリコン週間チャートで1位を獲得します。
現象面としてすごいのは、まったくのパソコンの中にのみ存在するキャラクター、それも完全にプログラムされたキャラクターが、アイドルとして存在し、なおかつ人気を博した事実です。80年代であればまるで絵空事、それもアニメの中でしかなしえなかった事象が、現実世界に出現しているかのようである。前述した「時祭イブ」などはまさにこの具現化ともいえる存在である。またゲーム「アイドルマスター」シリーズも、これに類するものでしょう。ゲームオリジナルでも既存の曲を歌っても、アイマスの彼女たちはプロデューサーと呼ばれるプレイヤーに微笑みかけるのです。
ミクのすごいところは、アイドルのテクノポップに、ふたたび命を吹き込んだことだと思っています。前回の記事で細川ふみえの「スキスキスー」という曲に触れました。1980年を境に日本歌謡界に登場したテクノミュージックは、「YMO」の登場以降、さまざまな形で日本の音楽に影響を与えていましたが、一時的にはブームは沈静化を余儀なくされます。ところがそうした時期にテクノミュージックを支えた人々(石野卓球やテイ・トウワ、電気グルーヴなど)がふたたびアイドルソングにテクノを持ちこみ始めました。全般的に曲そのものは注目されなかったのですが、ミクという素材がより「テクノ」に近い位置で登場したことにより、「パフューム」を新しい器としてテクノポップは再誕したと、私は考えています。つまりミクの登場が近年のパフュームの人気に拍車をかけていったということなのです。
アニメの世界のアイドル「リン・ミンメイ」、ラジオでの架空のアイドル「芳賀ゆい」、そしてパソコンやネットの世界のアイドル「初音ミク」。私たちは今、日本の歴史上における究極のアイドルの形を、目にしていると思えるのです。ちなみになぜ「世界」ではなく「日本」に限定しているのかといえば、「アイドル」という存在が奇形的に発達している国が「日本」だからです。まあ他の国にもいろいろいるんでしょうけど、低年齢の少女がアイドルとして商売が成立している国は、やはり日本だけだと思うのです。
またこうしたバーチャルアイドルという存在をミク同様に「ロボット」として規定する場合、これまた奇跡的に「不気味の谷現象」を回避している存在だともいえるでしょう。そりゃかわいらしく見えるようにデザインされているからだとおっしゃる向きには、あの奈良遷都記念にデザインされた「せんとくん」を例に出しておきましょう。あのゆるキャラが、発表当時にどれほど気持ち悪がられたかを考えてみれば、容姿の点だけでも一般化することがどれほど難しいか、ご理解いただけるかと思います。
また「ロボット」という存在であるからには、人間自体がその存在に依存しすぎることに対するアンチテーゼを突き付けている存在だともいえます。例としてあげれば、手塚治虫氏の制作した劇場用映画「火の鳥2772愛のコスモゾーン」に登場する、「オルガ」という名の乳母ロボットを例に出しましょう。主人公ゴドーを育てたオルガは、政府の人口抑制政策を担う育児ロボットであるのですが、成長したゴドーの優しさに触れることで、次第にゴドーを愛するようになります。けれどそれを口に出してはいけないと知りつつも、どうしようもなくゴドーに惹かれるオルガは、ゴドーの危機を助けるあまり、自らの体を投げ出そうとします。そして物語はゴトーに気付かせるのです、オルガこそが自分をいつくしみ、愛してくれた存在であることを。
あくまでこれは「ロボット」と「人間」の愛の形を描いた作品としての側面を述べたに過ぎず、「火の鳥2772」という作品には、手塚らしい多くのメッセージが込められた作品でもあります。けれど本作や「イブの時間」が示す通り、人間とロボットの間には、どれほどの暗く深い溝があることでしょう。それはまさに「偶像」として存在するアイドルの存在ゆえに、その存在に依存することの恐ろしさを示している気がしてなりません。
それはさておき、ミンメイやミクなどはまさにアイドルの究極の進化系であり、あとは実際の女性型ロボットの登場を待つだけのような気がします。けれど人間の中に厳然として存在する「不気味の谷」が、最後の最後で偶像としてのアイドルにくさびを打ち込んでしまうことになるかもしれません。だとすれば現在こそはアイドルとファンの蜜月期だと言い換えることもできましょう。リアルのアイドルたちがその存在感をなくし、どこにでもいるような親しみやすさを売りにしながら、ファンを一歩も近づけないとするならば、彼女たちは果たしていつまでファンを惹き付けていられるのでしょうか。リアルの彼女たちがバーチャルの彼女たちに、完全に取って代わられる日も、そう遠くはないでしょう。そうしたバーチャルアイドルたちが政府広報の形でアジテーションを行うようになったとしたら・・・・・。「紅い眼鏡」の世界が冗談とはいえなくなる日がくるのかもしれません(う~ん、地味にアニメと特撮に絡めてみた)。
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リン・ミンメイの情報
マクロスシリーズの歌姫的な存在、リン・ミンメイのオークション出品情報をお届けします
コメント
No title
いつの頃からか、アイドルとか女優に「神秘性」というのが無くなってしまいましたね。その意味でもバーチャルアイドルの出現と人気は当然の成り行きだったのでしょうか。
あと、人間同士でも共依存しているのですから、それがロボットに取って代わるのも近いうちかもしれません。「ちょびっツ」の世界ですね。
あと、人間同士でも共依存しているのですから、それがロボットに取って代わるのも近いうちかもしれません。「ちょびっツ」の世界ですね。
No title
そもそも「アイドル」や「偶像」っていうのは日本の場合「神」や「天皇」の代替物です。ってことはスクリーンやテレビに映し出された彼らはすでにランクの低い俗物なわけで、「神秘性」なんてありませんよ。代わりにあるのは「神秘性」にカモフラージュされた「不透明性」だけです(笑)。現況ではマスコミがこれに加担して、不透明性を向上させる努力がはらわれています。
この間うちに来た時にもお話しましたが、ロボットが人間型をしていること自体については「技術力」の証明でしかなくても、人間は自分に似たような存在をほしがる傾向のある動物です。「偶像崇拝」自体はこれの裏返しですから、「メトロポリス」(白黒時代の洋画のほうね)の「マリア」のような、何かの象徴的なロボットの登場は、きっと人間を従えてしまう可能性があります。その意味で人間型のロボットの研究というのは、人間が人間の自尊心を保つために必要な研究だとわかります。単純に人間の立場がロボットに置き換わらないためにどうするか? みんなで考える時期に来ているのかもしれませんね。
この間うちに来た時にもお話しましたが、ロボットが人間型をしていること自体については「技術力」の証明でしかなくても、人間は自分に似たような存在をほしがる傾向のある動物です。「偶像崇拝」自体はこれの裏返しですから、「メトロポリス」(白黒時代の洋画のほうね)の「マリア」のような、何かの象徴的なロボットの登場は、きっと人間を従えてしまう可能性があります。その意味で人間型のロボットの研究というのは、人間が人間の自尊心を保つために必要な研究だとわかります。単純に人間の立場がロボットに置き換わらないためにどうするか? みんなで考える時期に来ているのかもしれませんね。
No title
あずささん(´;ω;`)ブワッ
No title
あ、泣かせちゃった・・・・。
えへ!
えへ!
No title
神秘性ですか。
とすると「噂」と呼ばれる情報伝達形式はとりわけ重要ですね。
あとバーチャルアイドルと聞いて映画「シモーヌ」を思い出しました。
仮に、「彼女達」が物理的な肉体を与えられなかったとしても
絶大な社会的影響力を振るう可能性があるわけです。
とすると「噂」と呼ばれる情報伝達形式はとりわけ重要ですね。
あとバーチャルアイドルと聞いて映画「シモーヌ」を思い出しました。
仮に、「彼女達」が物理的な肉体を与えられなかったとしても
絶大な社会的影響力を振るう可能性があるわけです。
No title
名無しでいいや様
コメントありがとうございます。
「神秘性」という言葉自体が、演出を感じるため、私自身の思考にはなじみません(すいません)。
突き詰めれば、そうした「神秘性」は「情報の遮断」による付属物であり、「平凡」と「明星」をはじめとするアイドル情報誌などから開示される本人情報や、演出としての「親しみやすさ」が「神秘性」を排除する方向で、最近のアイドルはできているような気がします。
ヴァーチャルアイドルが究極だと私が思う理由は、実態がないゆえに、開示する情報がないにも関わらず、それを見た人間が空想を膨らませる存在であることだと思っています。それは「神秘性」ではなく、「情報の断絶」なんですけど、見る側にそれを気付かせないことが、実に面白い存在だと思うのです。
コメントありがとうございます。
「神秘性」という言葉自体が、演出を感じるため、私自身の思考にはなじみません(すいません)。
突き詰めれば、そうした「神秘性」は「情報の遮断」による付属物であり、「平凡」と「明星」をはじめとするアイドル情報誌などから開示される本人情報や、演出としての「親しみやすさ」が「神秘性」を排除する方向で、最近のアイドルはできているような気がします。
ヴァーチャルアイドルが究極だと私が思う理由は、実態がないゆえに、開示する情報がないにも関わらず、それを見た人間が空想を膨らませる存在であることだと思っています。それは「神秘性」ではなく、「情報の断絶」なんですけど、見る側にそれを気付かせないことが、実に面白い存在だと思うのです。