劇場版「宇宙戦士バルディオス」~時代の逸品? いえ珍品~

 世の中、どうにもならないことってあるものである。そのどうにもならなさ感は、イコール「大人の分別」というものかもしれない。人間あきらめが肝心であるともいうではないか。だが事が地球全体を汚染し、地球人類が滅亡の危機に瀕するなどという、とてつもない話に及べば、はたしてどれだけの人間のあきらめが、この事態を許容できるだろうか?「宇宙戦士バルディオス」という作品を見ていると、「あきらめる」という決断をしたものが進む末路、希望を見出せない未来には何もつかむことができないことを思い知らされる。歴史に「if」が無意味なように、すでに完成しているフィルムとしての作品にも「if」は無意味である。しかしそこから読み取れる作り手が込めた思いだけは、汲み取って明日につなげたい。

 そもそも「宇宙戦士バルディオス」はTVアニメとして1980年にテレビ東京系列でスタートした。だが視聴率不振や関連商品の売り上げ不振により、放送時間枠の変更を余儀なくされた上に、打ち切りとなった作品である。39話の放送が予定されていたにも関わらず、32話を31話として繰り上げて放送し、全31話の物語となった。なお現在バラ売りで販売されているDVDシリーズでは、34話までが完成作品として鑑賞可能である。また実際には39話まで絵コンテが完成しており、放映当時に発売されていた豪華本では39話までのストーリーが確認できるらしい。この未完成の39話を再編集、本作のヒーローとヒロインであるマリン(演:故・塩沢兼人)とアフロディア(演:戸田恵子)の悲恋物として再構成され、アニメ映画の目玉のなかった1981年12月に公開された。作り手たちはこの物語を「大人の鑑賞に耐えうる」物語として制作していたらしいのだが、私にとっては個々のエピソードをつなぎあわせて、雪崩をうって悲劇に向かうことを諦観する物語に見えてしかたがなかった。

 物語はS-1星での軍部クーデターで、マリンの父が殺され、また怒りの反撃でアフロディアの弟がマリンによって殺されたところから始まる。S-1星は核汚染で人が住めなくなったため、ガットラー率いる軍部の主導により新しい居住惑星を探す旅にでる。マリンは地球のブルーフィクサーと呼ばれる部隊に配属され、そこでバルディオスのメインパイロットとなって、美しい地球のために、S-1星の同胞たちと戦うという物語である。戦うたびに対立を深めるマリンとアフロディアであったが、次第に惹かれあってゆく二人。だがエネルギーが底を尽きかけたガットラー率いるアルデバランは、民間人を冷凍睡眠させ、最終作戦を開始する。それは人工太陽を使って極地の氷を溶かして、地球を水没させる作戦である。急激な氷の溶解に津波が発生する地球で、人々は逃げまどい死んでいく。だがその様子が核汚染する以前のS-1星に似ていることに気がつくアフロディアとガットラーである。実はS-1星は未来の地球であったのだ。だが互いの憎しみは、戦いを止めることができない。アルデバランはついに亜空間に固定できなくなったため総攻撃に打って出る。それを迎え撃つブルーフィクサー。バルディオスの活躍などにより戦況は好転する。アルデバランではこの戦況を打開するために、たった一人の将官の独断で、地球の核兵器を使用してしまう。その悪行は次第に地球をS-1星に変えていく。そしてマリンはたった一人でガットラーに戦いを挑む。すべての決着をつけるために。だがそれはガットラーを裏切ったアフロディアの死、そして冷凍状態のS-1星人の遥かな旅路の始まりであった。そしてマリンはアフロディアと出会った灯台の前に、アフロディアの亡骸とともに立ち尽くすだけであった・・・・。

 TV版は人工太陽が極地の氷を溶かして津波が発生し、人類がほとんど死滅したところで終了である。しかもこの先の物語を制作し映画版としてまとめたところで、この悲劇的な結末はひっくり返しようがない。
制作的な話をすれば、終盤の32~39話の絵コンテを切りなおして映画にしているわけだが、「猿の惑星」から着想を得ている本編は、S-1星=未来の地球という図式がすでに出来上がっていたため、ここを変更することはできなかっただろう。

 それにしてもどうだろう、この悲劇っぷり。マリンとアフロディアの二人の馴れ初めが悲劇なら、そこからなだれこむ二人の闘争もまた悲劇。しかもせっかくガットラーに覚えめでたくアルデバランの総司令になったにも関わらず、自分が定めた戒律に縛られて身動きができなくなり、他人から反感を買うアフロディアの悲劇、地球のために戦いながら、地球人から理解されないマリンの悲劇、そして策略によりどんどん追い詰められていくマリンの悲劇と、枚挙にいとまがない。ましてや中盤で登場するクインシュタイン博士を愛したデビットが最終決戦で死んでいく、お約束的フラグの悲劇などまである。こうした悲劇が回避できないからこそ、どうにもしようがない日常の不自由さを例えて、「大人の鑑賞に耐えうる」物語だと規定すれば、予定調和的に快活に物語が進む活劇に対して、なんと申し開きすればいいのだろう。はっきり申し上げて、この悲劇の連鎖はやりすぎなのである。そして最後はアフロディアの死により結ばれないマリンとアフロディアの悲劇である。すいません、もう勘弁してくださいとしか言いようがない。

 「冬ソナ」や「愛の嵐」の例を出すまでもなく、昼ドラ好きの女性陣は、こうした悲劇的な物語がお好きなのだろうか? それをもってロマンティックだというのは、どうだろうか? いやそういうものが好きであること自体を否定はしない。しかも悲劇はこれだけではない。そもそもテレビ版が打ち切りの憂き目にあったのは、視聴率不振であったからであるが、それはひとえにロボットものでありながら、主役ロボットであるバルディオスの活躍場面が少なかったからではないのだろうか。本映画においてもバルディオスの活躍場面は少なく、その一方でマリンとアフロディアのシーンは圧倒的に増量されており、マリンとアフロディアの悲恋物にする気満々で再編集されている。例えば1978年に放送された「闘将ダイモス」を比較対象として見ると、「ロミオとジュリエット」をベースにした「ダイモス」同様に、敵味方に分かれている設定は一緒であるが、そのきっかけが互いの肉親の復讐でスタートしている時点で、マリンとアフロディアが恋仲になる展開は無理があるだろう。一方でロボットの活躍は毎週戦っているダイモスのほうが圧倒的に多い。

 そして二人が恋仲になるキーワードが「汚染されていない海」だと言えるのだが、これがまた物語に絡みづらいのである。アルデバランの人々が、地球を欲するあまり核兵器の使用を選択したり、冷凍睡眠中の同胞を背に、マリンに降伏を迫るガットラーなど、アルデバランの占領政策に終始一貫性がない。だいたい最終作戦で使用した極地の氷を溶かす作戦であるが、津波の余波を計算してのことだろうか? こういってはなんだが、場当たり的に見えてしまうのだ。これもまた本作の魅力を損なう原因である。最後の決戦においてもアフロディアがガットラーに反旗を翻すための説得力に欠けている。結局S-1星=地球という物語が見せたいがための展開が選択された選択肢なのであることがわかる。マリンとアフロディアの恋という無理な展開、しかもその理由がアフロディアは「女」であったというひどい理由、敵としてのガットラーの魅力のなさ、ロボットものとしてのバルディオスの魅力の欠如など、本作の問題はいくらでも指摘できる。

 どんな作品でも、打ち切りだからといって掘り出す必要性はない。打ち切りになった理由がはっきりと作品自体にあるのなら、そっとしておいてやるべきだろう。ましてや客寄せパンダ的に変更された声優やアフロディアの衣装デザイン、当時の男性アイドル「堤大二郎」の召喚や声優オーディションなど、本作に必要とは思えないような余計なおまけをいっぱいくっつけての再登場であった。なによりイベントや商売が優先された時期の業界の出来事である。何が悲劇って、この作品の成り立ち自体がすでに悲劇なのである。

 だがこうした不幸自慢、なにかに似ていると感じることができる人もいるだろう。これって、戦中戦後の不幸自慢によく似ている構造を持っている。だれも戦争の中にいた、だれも望んでいない戦争をしていたころの日本。そして貧乏と空襲に見舞われる恐怖。例えば戦後のどさくさが生んだ奇形児ともいうべき猟奇犯罪者を取り扱った横溝正史氏の小説などは、これとまったく同じ構造をしているのである。そしてそこにあるのは、抗いがたい運命や宿命と呼ばれることばにがんじがらめにされたかわいそうな人間たちの群像劇でもある。テーマ的に敵味方に分かれた男女の悲恋、それも愛する男は仇敵であるというハードルの上げ方、戦争が引き裂く二人の仲など、戦争に絡んだ小説などと同じような構造が採用されている。ということは、制作者側が設定した本作のテーマは、やはり抗いかたい運命に徹底して抗うことの大事さだったのではないかと思うのだ。それを、制作状況のいかんともしがたい部分すらすべてさらけ出してまで、テーマに準じたとしたらどうであろうか? いやここまでは深読みのしすぎだろうか・・・。

 普通にアニメーションとして見た場合、ドラマをやっている間よりも、戦闘シーンにどうしても目が行ってしまう。だがテレビ本編を再編集した割には新作カットが多いことも事実である。時間をかけてしっかり作画された新作場面は、テレビでの作画との齟齬もあるけれど、いずれも見ごたえのあるシーンを導いている。また多くの戦闘シーンでは「金田もどき」が横行しているように見えるが、それこそがまさに時代の流行であったことを再認識できる。部分的には映ってはいけないものが映っていたり、セルの配置を間違えたりしているシーンも見られ、制作現場の混乱も垣間見える。それはそれで1981年という時代に固定される作品であることも、事実である。

 音楽についてはすでに鬼籍に入られた羽田健太郎氏の若き日の楽曲が堪能できる。2009年に復刻された本作の音楽集であらためて聞くと、その後氏が担当する「超時空要塞マクロス」や「宇宙戦艦ヤマト完結編」などにつながる壮大なオーケストラで表現される曲に、エレキギターなどが主旋律を務めるロック調の楽曲が心地よく混ざっている。氏が得意とするジャズっぽい曲については「スペースコブラ」の登場まで待たねばならないが、本作の楽曲は、それらの萌芽ともとれる楽曲が堪能できる。

 1981年という年回りを考えてみると、すでにヤマトやガンダムが再編集映画として人気を博していた頃である。一方で劇場用大作アニメ映画は隆盛を極め、松本零士原作の作品が幅を利かせており、映画の世界でも作品が求められた時代である。せっかく白羽の矢があたったのであるから、本作ももう少し華があってしかるべきであったが、いかんせん物語が悲劇でつづられているから、そうもいかなかっただろう。だがこれほどの悲劇の連続に、ファンは心地よく涙し、完結を迎えられた悲劇の作品を見ることで、溜飲を下げたのである。その意味ではこの時代を代表する珍品ではあったように思う。実のところ全国一斉ロードショーなどの興業が打てない現在のアニメ映画も、状況的にはかなりこれに近い、いわば珍品なんですよ。制作側にどれだけ認識しているかわかりませんけど・・・・。

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コメント

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No title

確かこの作品って主題歌で「明日を救え~」って歌ってますよね。
だけど結果は何も救えないっていう。
最初から悲劇を作るつもりだったのなら、なぜ明るい主題歌を作ったんだろう。
まあそうしないとスポンサーを納得させられないとか大人の事情があったのですかねえ。

No title

mineさま
 皮肉の利いたコメントっすねえ(あ、今日ごめんね)。
 にしても、確かにひどいよねえ、これ。企画初期の段階ですでにこうじゃなかったとしたら、ひどい詐欺だよね。

No title

渋いね、青いね

No title

バリンさま

 ・・・ええと、すいません。ほんとすいません。
 技術がありません。文章書くの必死すぎて、ブログの見栄えまで手が回りません。
 と、これもいいわけですね。しぶいはないですが、青いです。
 それでもお付き合い願えれば幸いです。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
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