ナニガイケナカッタノダロウ?~サイボーグ009超銀河伝説~

 小学5年生の冬に、一人で初めて映画を見に行った。新宿の歌舞伎町にある映画館で公開されていたこれを、一人で見ていた。そしたら長髪でポテトチップスをほおばる細身のお姉さんが近寄ってきて、いろいろ私に話しかけてくる。
 「アニメ、好きなの?」「おうちでは何を見ているの?」「お菓子食べなよ」などなど、親しげに声をかけていただいた。だが悲しいかな、こちらは東京の端っこに住む小学5年生だ。その親切にひたすら恐れおののいて、やおら席を変えた思い出がある。あ、ずいぶんすいてたんだな。そのお姉さんをもう一度かわして、2度この映画を見て帰宅したのだが、母親に「面白かった?」との問いに、きちんと答えられなかったことが、私にとっての。この映画のすべてだといって言い。

 「サイボーグ009 超銀河伝説」は1980年の年末に公開された劇場用映画である。かの「スターウォーズ」の制作にも参加した「ジェフ・シーガル」を脚本協力に据え、当時テレビ版を制作していた日本サンライズ(現・サンライズ)のスタッフではなく、東映動画のスタッフを用いて制作された。そういう意味では白黒版の009や、劇場版2作品の正当後継となる作品という位置づけが出来るかも知れない。
 キャストについては、サンライズ版のキャストをおおむね配置。ギルモア博士と001については、ファン投票によりなぜか白黒版のキャストに置き換わっている。

 すでにブラックゴースト団との戦いを終えたサイボーグ戦士達は、それぞれの故郷に帰り、平和な日々を過ごしていた。ところが001が突如、外宇宙からの侵略を予告して泣きわめく。「ボルテックス」、ビッグバンの発生元のような強大な力の根源であるという。そのコントロールが可能になれば、地球のエネルギー問題は一挙に解決できると豪語し、そのコントロール理論を完成させたコズモ博士は、001の不気味な予告に対して、ギルモア博士にサイボーグ戦士達の再集結を依頼する。
 ある日、宇宙から飛来した巨大な光は、研究所の近くの海に着陸する。その宇宙船の中からサバと名乗る宇宙人の少年が、助けを求めてきた。宇宙の支配を企むゾアが、ボルテックスの力を手に入れるため、地球にも侵略の魔の手をのばし始めているという。両親や仲間と死に別れたサバは、001とコズモ博士をさらわれたサイボーグ戦士達とともに、ゾアの本拠地に立ち向かうために、サバが乗ってきた宇宙船「イシュメール」を改造し、はるか宇宙の強敵に立ち向かうため、地球を旅立つのだった。と、まあ序盤はこんなもんだ。その旅立ちは、明らかに「さらば宇宙戦艦ヤマト」を意識した、海からの旅立ちだった。

 辺境の惑星である地球の人間ごときが名付けた「ボルテックス」を、なぜゾアが知っているのか、不思議で仕方ない。この時点で、すでにつっこみどころは満載だ。だが私も人の子である。目をつぶるべき時と場所は心得ている。しかしそもそもの問題点として、どうしてサイボーグ戦士達が宇宙に出て、戦わねばならないのか? 脚本上の致命的な欠陥の1つがここにある。だいたい地球上や地球圏での戦闘を想定して製作されたサイボーグでしょ。以前のテレビシリーズでも必ず見られた光景であるが、陸に空に地上に、彼らはその能力を駆使して戦っていた。地球上で活躍するからこそ、サイボーグ戦士達の個々の能力が光るのである。案の定、イシュメールで宇宙に出てからの、戦艦や戦闘機との戦闘では、イシュメール加えられた武装強化により、スターウォーズよろしくレーザー機銃により戦闘を行うサイボーグ戦士を見ることが出来る。彼らは機銃に座りレーザーを打ち続けるだけだ。002は宇宙に出て戦わないし、もちろん007の変身も見られない。まったくサイボーグでなくてもよさそうな戦闘シーンが連続する。しかも戦闘中に006が饅頭を作っているシーンでは、人手が少ない戦闘時に何をやっているのかと、半ばあきれてしまうことになる。

 途中、イシュメールの修理と、エネルギーの補給のため、ファンタリオン星に寄港する戦士達であるが、そこでもファンタリオン星の住民を助けるために、戦士達は奮闘する。この戦いはたしかに魅力はある。サイボーグ達の個々の能力も生かされてはいる。しかし原住民を原始人みたいだと評したりする009の暴言もあるし、あれだけの人数もいながら、ロボット怪物ごときにおそれをなしている原住民たちに、やはりあきれる。
 しかもこの女王のタマラであるが、これがまたえらく古くさいお人なのだ。これも作劇のためとばかりに、助けられてからあっというまにお亡くなりになるし、003との三角関係が見え隠れしたりする、緊張感のないバカ展開もある。また原住民がいるにもかかわらず、009にこの星にとどまれと言う、知恵の足りない展開しかり。どうみてもこのあたりの話は、「サイボーグ009怪獣戦争」あたりのヘレナと同じような扱いだ。こういう展開やメロドラマ的な作劇のメンタリティは、古くさいとしか思えない。サンライズによるテレビ版のようなセンスからもほど遠い。しかも最後にゃ、009に復活を願ってさえもらえないのだ。なんかもう見殺しもいいところだ。タマラの死が、009がゾアたちと戦う動機付けになればよいのだが、申し訳ないがそこまで読み切るには、かなりの努力が必要だろう。

 敵の本拠地である「ガデッツ要塞星」に乗り込む009たち。ここがまたいけない。救い出すべき人数を考慮して、6人乗りのシャトルに4人で乗り込もうとする009たち。一見納得しそうになるところだが、ここでもサイボーグ達が宇宙に来た無意味さを思い知らされる。ここが地球上なら、何の問題もなく全員で突入するところだ。それを人数制限をつけるなど、しかめつらしい作戦を立てるからこんな目に会うのだ。だいたいチームを2つに割って進入して、どちらかが敵の捕虜になるなんて展開は、漫画でもあきるほど繰り返されている。だいたい9人いて、それぞれを補い合う能力を発揮するから、9人いる価値があるのに。それを作劇のため、2つにわけて、しかも一方はお留守番だと。これは魅力が半減する。

 案の定、ゾアの超能力の前に、進入が知られた009たちは、004の死という最大の見せ場をつくり、逃亡するゾアを追いかけて、宇宙の深淵に進んでいくことになる。004の見せ場のシーンは、かなり書き込まれており、その動き、その表情、山田俊二(現・キートン山田)の二の線の最高の演技と相まって、力の入った芝居が続く。ここは本当に見ていて気持ちがいいのだが、先ほどのタマラのシーンを考えると、やはり少しヤクザ映画っぽい作りに気がついてしまう。まあヤクザ映画は東映という会社のお家芸だから、ある意味正しい演出だ。爆発とともに親友の死を知らされる002の演技とともに、忘れ得ぬシーンである。

 さて問題なのは、この後である。ボルテックスを利用しようと進むゾア、それを追う009。画面が真っ白になるほど光り輝いた次の瞬間、すべての決着がついてしまい、その顛末は009の口から説明されることになる。しかも帰りのエネルギーも底をついたはずのイシュメールは、なぜか地球の目の前にいる。すべてはボルテックスと一瞬一体化した009の願いが決した結果であったのだ。

 こら。あっさりすぎるだろ。
 ここでボルテックスを巡って、サイボーグ戦士達とゾアの、激しい戦闘が繰り広げられることを期待した私の思いは、無惨にも崩れ去っていく。そういった場面でもなければ、能力を活用した戦闘シーンなど望めないと思っていたので、この肩すかしには、恐れ入った。
 しかもこのゾア、人間よりも優秀なサイボーグであることが判明する。しかもボルテックスのコントロール理論を手にするため、サバの父・コルビン博士やコズモ博士の脳から、直接その理論を読み取ろうとしていたのだ。人間よりも優秀なサイボーグが、人間の知識を吸収するって、どいうこと? お前は人間よりも賢いのか、アホなのか、ゾアよ?

 そしてゆうに事欠いて、004の復活だと。驚くよりも、あきれたよ。この事実そのものはうれしいことではあったが、なんだかこれからも009の物語は続きますと、あっけらかんと言われた気分だった。物語は、次のレースのためにモナコに行くので、一緒にパリに帰ろうなどと、「ヨーロッパ完全制覇」にとてつもない時間を要した「水曜どうでしょう」のメンバーをあざ笑うようなことをのたまう009と003の笑顔で締めくくられる。

 いったいどーなってんだー!

 先ほどから「作劇」という単語を使って、ドラマの必要上から面白くもない展開が選ばれてるという趣旨で説明をしてきたのだが、そもそもこのドラマが、過去の劇場用映画「009」シリーズ2本の延長線上にあることはご理解いただけるかと思う。監督の明比正行がクレジットされているが、彼が「マジンガーZ」などのシリーズを監督していた方である。その骨太の演出には定評がある人だ。それ以外のスタッフも、東映のスタッフで固められていることは、先に述べたとおりである。気になるのはかの「ジェフ・シーガル」とかいうおっさんである。この人、アメリカの演出家というふれこみであり、本作でもピュンマのデザインに口出ししたりしたそうだが、「サイボーグ009コンプリートブック」(メディアファクトリー)によれば、ジェフの書いた基本プロットを、石の森章太郎先生が、一部改訂したらしい。また「サイボーグ009研究序説」(福田淳一編著)によれば、ジェフが関わったとされる「スターウォーズ帝国の逆襲」のスタッフにはクレジットされていない。しかも脚本が二転三転し、脚本家と監督の降板騒動まで起きていたという。まあ今となってはほじくり返すのもどうかという、お粗末な有様のようだ。

 見た目はいいのだ。青年として立派に成長したサイボーグ達の精悍なデザインは、我々を期待させるに十分だったんだから。でも透過光を無意味に多用した画面構成にも、すこしイラッとさせられた。より以上に、そのドラマ部分で少しも楽しめない上に、気がつけば009は加速装置の使用すらしていない。彼の唯一の見せ場すら奪って、この映画はいったい何を見せたかったのだろうか?
 原作にあるような地球上の謎に、果敢にアタックする009達。やがてその不思議の裏に隠された、超古代から続く陰謀が、世界を覆い尽くそうとするその時、正義のサイボーグ戦士達が、勇敢にも立ち上がる、というような話であれば、地球上で比類ない強さを発揮できる9人である。活躍も期待できよう。
 平成に入ってから制作されたシリーズも、旧作のファンからそっぽを向かれたとも聞く。それならいっそ、基本を忠実に、話は大きくふくらませたオリジナルのストーリーで、スクリーン狭しと活躍する009達がみたいと思うのだが。だめ?
 
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ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

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監督はりんたろうさんとか…。

この「サイボーグ009 超銀河伝説」の監督には『銀河鉄道999』を担当したりんたろうさんが担当するはずでしたね…。でもりんたろうさんはこの「サイボーグ009 超銀河伝説」の脚本が上手く行かず、りんたろうさんは途中降版、そのため「惑星ロボダンガードA対昆虫ロボット軍団」の監督を務めた明比正行が交代。劇場版サイボーグ009第3作目の石ノ森章太郎氏は当初、太陽内を舞台にするはずだったけれども、東映の要望によって宇宙を駆け巡る物になってしまったらしいですね…。新聞広告でも「宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999に続く壮大なスケールの娯楽超大作」というキャッチコピーまで打っていたからなぁ…。

まぁ、このジェフ・シガール…という謎の人物は円谷プロと関わり、「アメリカ版ウルトラマン」の制作に関与する事になりますけれども、結局は実現しなかったとか…。

ですからね、珍品

マイケル村田さま
 コメントありがとうございます。返信遅れて申し訳ありません。
 このコメントともうひとネタのほうにもいただいていたコメントに関する情報で、少なくても私の所有している書籍にはなんら情報が載っていなかったため、返信差し上げていいのかどうか、迷っておりました。ごめんなさい。

 明比さんが監督したことで、作り手の上層部にとってはリクエストの概略は飲み込んでいただいたようで、完成作品がそれを物語っておりまして、それはそれは大変結構なことだとは思うのですが、出来上がったらこれはもう珍品ですよねって話で。

 ジェフ・シーガルなる人が、本作でどんな仕事をしたにせよ、それを彼のせいにするのは、違うだろうとは思うのですが、どうしたものか感情がいうことを聞いてくれません。

 りんたろうさんが脚本段階で放り投げてしまった難しい部分は、本文で指摘したトンデモ部分に集約されている気もしますし、ボルテックスの謎自体の扱いやタマラなどの扱いの悪さにも出てて。石ノ森さんの壮大な宇宙の謎に挑んで、つかみ切れなかった感じなんでしょうかね。その意味では、石ノ森章太郎は偉大だなと。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
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戦隊シリーズをこよなく
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