「機動戦士ガンダムSEED」~その1・ポスト・ガンダムの地平~

 最近取り上げた「コードギアス」にしても、今回取り上げる本作にしても、実に「なう」な感じは全くない。なぜこのタイミングでこの作品を取り上げたのか。それはうっかり9月の金曜日ごとにCS「ファミリー劇場」で放送されていた全話一挙放送を見ちゃったからだ。部分的にはDVDで補完しながら、つい先日全話完観することができた。実は以前にも1度DVDで見てはいるのだが、あまりいい感想を抱けずにいた。それは見終わった後でネットを巡回し、肯定する意見も批判的な意見も山のように読んだせいでもある。今回見終わった後、それらの意見の多くが、作品から一歩も外に出ていない意見であることに気がついた。批判も肯定も作品そのものを語る切り口であり、そこから何かを思考するところまで至っていないと感じたのだ。いや、そうした意見自体は大いに楽しませてもらったし、実に的確に自己の好悪を表現する言葉の多様性を見せていただいた。だがそれは好悪以上の感想ではなかった。
 さて今回は、放送当時に様々な議論をかもした「機動戦士ガンダムSEED」という作品に関して、まずは自分の意見を述べさせてもらった上で、少しだけ想像力を働かせて、本作の向こう側にある何かを模索してみたい。

<物語と概要>
 「機動戦士ガンダムSEED」は2002年10月から約1年間、TBS系列で放送された作品。本作の続編として「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」があり、こちらも2004年10月から1年にわたって放送されている。「SEED」に話を戻すと、放送終了後すぐに再放送が行われており、現在でも地方局やCSで放送が行われている作品であり、人気のほどがうかがえる。事実年末の恒例行事となっていた「日本オタク大賞」の2003年度では、「良くも悪くも世代を越えて議論をよんだ」という理由で大賞を受賞している(詳細は出版されている「オタク大賞」の本を参照のこと)。本作の人気はそれほどだという証明でもある。

 コズミック・イラ(C.E.)70と呼ばれる時代、世界は「コーディネイター」と「ナチュラル」と呼ばれる人類に2分された。コーディネイターは宇宙コロニーに暮らし、「プラント」と呼ばれる国家を形成し、地球連合軍と交戦状態に入っていた。「コーディネイター」とは遺伝子操作されて誕生した新人類のことである。ナチュラルたちはその優位性を危険視し、いつしかコーディネイターたちを迫害し始め、対立を深めていく。その結果として互いの交渉の場で起こった爆発テロを契機に戦争状態となった世界である。
 主人公キラ・ヤマトは中立コロニー内で秘密裏に開発された地球連合のモビルスーツと呼ばれる人型機動兵器を目にし、プラント側の軍隊であるザフトの襲撃を受ける。ザフトの少年兵アスラン・ザラはそこで旧友の姿を目撃してしまう。それは偶然乗り込んでしまったキラの姿であった。ザフトのモビルスーツに蹂躙されるコロニー。そこから学友たちを助けるべく、やむを得ず1機のモビルスーツに登場したキラは、瞬時にOSを書き替えることで操作追従性を上げてザフトの攻撃を払いのけてしまう。これを契機にキラとその学友たちは、新造戦艦アークエンジェルと臨時の艦長マリュー・ラミアスやムウ・ラ・フラガたちとともに、ザフトの追撃を逃れて地球の連合本部に逃げのびようとする。キラはザフトに奪取された連合の新型MSである4機のガンダムと戦うため、残されたストライクガンダムに搭乗し、彼らと戦うことになる。その戦いは幼き日にわかれた親友・アスランと戦う日々でもあった。
 地球に降下したアークエンジェルは、連合の勢力圏内にたどり着くためにザフトの地上戦力と戦いながら移動する。その中で「砂漠の虎」と異名をとるバルトフェルドらと戦いながら、連合のアラスカ基地を目指す旅程の中で、キラたちはカガリと名乗る少女と出会う。彼女はオーブ連合首長国の代表の娘であったが、中立な立場に甘んじている父親とは違い、実力で戦いを止めさせたいと願う理想論者であった。しかし戦い続けなければならないキラとアスランは、戦闘の中で互いの親しい友人を失うことで、ついに激突する。

 だがこの激闘と大爆発の中から生きのびたキラとアスランは、コーディネイターやナチュラルの壁を越えて集い、激化していくプラントと連合の戦争に終止符を打つべく、再びガンダムを駆って立ち上がる。だが彼らの前に立ちはだかるのは、企業倫理に基づきコーディネイターを排除しようと企むアズラエルと、選民思想に凝り固まったコーディネイターのザラ議長だ。キラとアスランの駆る2台のガンダムには核兵器を再利用できる「Nジャマー・キャンセラー」が搭載されており、そのデータをリークされた連合はアズラエルの指示のもと核兵器を使用する。ザラ議長は大量破壊兵器ジェネシスによる報復行動に出る。そしてもう一人、この世界の破滅を望む者がいる。その名はラウ・ル・クルーゼ。キラとアスランはクルーゼを打倒し、この戦争に生き残ることができるのだろうか。

<作品としての人気、ガンダムとしての人気>
 本作の第1回の放送当初、私はリアルタイムで放送を見ていた。その時の私の感想は至ってシンプルで、「なんとまあ最初のガンダムに似たものだ」というものであった。本作の監督である福田己津央氏のインタビュー記事などによれば、監督は本作を新世代におけるニュースタンダードを目指したように思える。だとすれば本作がイヤでも最初のガンダムを想起させるシーンが並ぶ理由もうなずけるのである。
ファースト・ガンダム(こういう言い方は苦手)に見られる、戦乱に巻き込まれた少年少女たちが、さまざまな試練を乗り越えていき、その中の一人の少年が戦士として成長を見せ始めるという序盤の展開は、本作でも完全にトレースされている。それは故意にファーストガンダムのたどった道をたどっているのである。宇宙から地球へ、そして地球上を逃げるように移動し、やっとたどり着いた後にはまた宇宙に上がることになる。内容の違いはどうであれ、表面的な移動はまったくこれをなぞっている。アムロたちがあくまで地球連邦軍という枠組みにとらわれていたことを考えれば、本作のキラたちは宇宙を舞台に戦争を行っている2大勢力のくびきから外れ、戦争を止めるために第三勢力として活躍するあたりは、本作の最大の特徴といっていい。

 また親友だった二人の少年が、運命翻弄されるままに戦い傷つけあう展開、そして最悪の展開の中から最良の選択をした二人の少年は、共に手を携えて世界を二分する戦いに巻き込もうとする巨悪に立ち向かうという物語もまた本作の魅力だ。ここであえて「魅力」と書いたが、この魅力の部分については物語上の魅力以上に、美少年に描かれたキラとアスラン、そしてその他のキャラクターを含めて、女性ファンを含む多くの人に受け入れられたのである。その方向性がいささか「BL」的であろうとも、平井久司氏の手によるキャラクターデザインは、たとえ一部のキャラの見分けがつかなかったとしても、喝采を持って受け入れられたことは、キャラクターを主体とするムック本が売れたことが証明している。こうした本作独自の部分が受け入れられたことは、十分評価できることである。例としては適当ではないかもしれないが、「機動戦士ガンダム」において人気の集中がモビルスーツとシャアであったことを考慮すれば、ジャンルをまたぐように様々なポイントで人気を得た本作のキャラクター人気は、確実に作品を支えたと言える。

 一方、いわゆる「非冨野ガンダム」と呼ばれる作品群においては、最低でも5体のガンダムを登場させることにより、作品以上にプラモデル等のトイ市場をにぎわせたことがあるが、本作ではまず5台のガンダムが登場する。また主役となるキラとアスランがそれぞれ新たな機体を手に入れ、同時に3台の敵ガンダムが登場すると、最後の敵となるクルーゼは、ニュータイプ専用機のようなガンダムを引っさげて登場し、都合11台のガンダムが画面に登場することになる。かつてはっきりと「ガンダム対ガンダム」を意識して制作された作品は「機動武闘伝Gガンダム」と「機動新世紀ガンダムX」(一部「新機動戦記ガンダムW」含む)であり、この流れを継承したものである。とすれば本作はファースト・ガンダムと同時に、これら非富野ガンダムまでカバーしたことになる。当然それはプラモデルや関連商品の売り上げを狙ったものであるが、これまで同様にコンセプトによるガンダムのバラエティを見せつけるデザインは、十分評価に値する。こうしたガンダムシリーズ独自の人気も得ることにより、本作は福田監督の狙い通り、新世代のスタンダードとしての「ガンダム」となることに成功している。だがキャラクター人気も、物語のトレースも、ガンダムのバラエティも、人気を博すと同時に、旧来のファンからは否定された点でもある。人気のあることは同時に衆目にさらされることにより、否定的な見解を持つ人々を生み出すのは世の常だと、イヤでも思い知らされる。

<新世代のスタンダードとして>
 ではなぜわざわざこういう構成になっているかと問われれば、当然のことながら本作が「新世代のスタンダード」を狙って作られたからではないかと思える節がある。旧来のガンダムシリーズをベースにしていることはそのための叩き台だとすれば、得心がいくだろう。ザフトが宇宙から地球に戦争を仕掛けたことも、そのMSが一つ目なのも、それに対抗する連合軍がガンダムを開発することに成功したのも、そのガンダムが圧倒的な力でザフトを排除するのも、これが「ガンダム」シリーズの一篇であることの証明である。

 オーブのコロニーから逃げ出したアークエンジェルが、ムウの乗るモビルアーマーもどきとガンダム1機で戦い続けることも、ファーストガンダムの序盤でコアファイターとガンダムだけで戦闘を続けたことに酷似している。見た目の派手さに見誤りがちであるが、こうしたファーストガンダムに酷似しているシーンで構成された「ガンダムSEED」は、確かに表面上は面白半分にファーストをトレースしているように見えるかもしれない。だがその一方で、1話に見られるオーブのコロニーでのナタルの台詞はキラたちを見て「平和なことだ」と皮肉っている。ではファーストではどうだったかというと、ホワイトベースで入港してきたテム・レイが自分の息子・アムロの写真を横目に、少年兵が戦争に駆り出されることへの憤りをあらわにしている。これらの台詞は両方とも戦争状態の世界を俯瞰した台詞であるはずだが、片や「戦うことの無意味さや命を散らすことへの嫌悪感」を示し、片や「戦わないことへの嫌悪感」を示している。インタビューによれば福田監督にとっては、フィルムになっていないことは物語としてなかったことになるらしいので、ここで表明した台詞は、そのままこの物語世界のテーゼの一つだということになる。ここでこの二つの台詞を言っている人物の職業や状況などの差異を指摘することは全く意味を持たない。福田監督がここまでファーストガンダムに拘泥し似せて作っておきながら、ここまで真逆の意味の台詞を言わせいていることにこそ、本作を語る上でのターニングポイントがあるからだ。

 もうひとつ例をあげよう。キラたちアークエンジェルの一行が地球に降りたときに戦ったバルドフェルド隊であるが、これがファーストにおける「ランバ・ラル隊」の意匠を借りたものであることはすぐにわかるだろう。アムロがソドンの街でランバ・ラルやハモンといった敵となる軍人に接触し、戦うことの意味をアムロやブライトたちに伝えて死んでいく役割は、物語中盤の白眉である。大事なのはアムロたち生き延びようとして戦ってきただけの彼らに、戦うことの結果や意味を提示することで、自分たちのやっていることの意味を知らしめたことである。一方のバルドフェルドは、知ってか知らずかキラとカガリという少年少女を相手に、ただ戦うことへの疑問を投げかけるだけなのである。そこからキラやカガリが何をか考えるきっかけになったのは、物語の進行を見れば明らかである。だがランバ・ラルがアムロに伝えたのとは全く異なるバルドフェルドの言葉は、伝えるよりも「考えろ」と言っているのである。

 そう、本作について語る際に重要なこと、それは世界にひしめく「戦争」について、自分の頭で考えてみようということなのではないだろうか?
 最初の「機動戦士ガンダム」という物語では、地球連邦と独立国家ジオンによる独立戦争のはじっこから世界をのぞくことにより、現実世界でいうところの「東西冷戦構造下の世界」というのを垣間見せてみせた。それは善悪ではなくイデオロギーの対立が世界を戦争に追いやるという歴史的事実であり、同時にその中から新しい人類「ニュータイプ」を生むという光明を見せることで、最悪の事情から最善の道を選ぼうとするアムロたちの活躍が、そのまま冷戦時代の私たちの行動規範となる可能性を示唆していた。そこには世界に対する甘えはなく、アニメでも戦争を描いて見せるという意気込みに満ちた大人の世界を覗きこむような思いがしたものだ。
 一方の「ガンダムSEED」では、人類が英知の結晶として生みだした「コーディネーター」は遺伝子操作を受けた新人類であるのだが、人類は自らの狭量さゆえに、生みだした自分たちとの戦争を強いられるというもの。その設定があくまで空想科学であったとしても、問題は人間自身の心のゆがみが戦争をもたらしているという設定である。それは現実世界における地域紛争や宗教的対立の比喩である。

 だが「ガンダム」を作った富野監督は、その後新しい時代に向けて「ブレンパワード」(近々とりあげます)を送り出す。「ブレンパワード」のタイトルにこめた思いが、「自分の脳で考えよう」だったのだ。
これにならえば、新しいスタンダードを目指して作られた「機動戦士ガンダムSEED」も、同様に「これを見て考えろ」という主題が浮かび上がってくる。自分の身に降りかからない戦争が続く世界で、日本人が過去の歴史が示す被害者意識だけで世界を理解しようとしても限界がある。現状では「戦争はいけない」とお題目だけを言葉で説明しても、理解はしてもらえない状況にあるのだ。だからこそ目を見開いてニュースに耳を傾け、なぜ地域紛争や人種や部族による対立が発生するのか、なぜ経済格差が生まれて戦争に発展するのか、本作を見ればその断片がちりばめてあるので、せっかくだから自分の頭を使って考えてみようという誘い、それこそが「機動戦士ガンダムSEED」という物語が投げかけて見せた「新世代のスタンダード」という意味ではないだろうか。見栄えの派手なキャラクターも、なし崩しに強すぎるガンダムの性能も、そのためのガイド役でしかない。

 次回、もう少しガンダムSEEDの話を続けたい。本作で私が最も引っかかったことに焦点を絞り、その理由を考えてみようと思う。


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コメント

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普段アニメを見ない友達達もなぜかその他のガンダムはまったく見ていないのにSEEDは見ていたりして驚いたことがあります。

そして彼らの中のスタンダードガンダムはSEEDなのです。

リアルタイムで初代ガンダムを見ていない自分はSEED第一話を見たときにまるで初代ガンダムの一話をリアルタイムで見ているのではないかという錯覚に陥り、興奮したのを覚えています。
ガンダムに興味をなくしていく若い世代にもう一度「ガンダム」を教える為の作品だったのだと自分なりに思いました。

が、見終わった後の感想はガンダムとは認めないが、その他のロボットアニメとしてはなかなか面白かったというものになりました。

No title

とぴろさま
 いつもコメントありがとうございます。

 お若い方々にとっては、そうなるんでしょうね。それでいいんだと思います。
 まさに若い人のためのスタンダードでいいと思うんです。そこから気になった人が、初代や「Z」を振り返れば、そこに描かれているものの「何か」の違いは、ちゃんと見てとれるつくりにはなっている作品だと思います。

「SEED」のフォーマットを初代や「Z」に当てはめれば、すぐにそれとわかるつくりになっていることは、「SEED」の強みのだと思うんです。どちらが良いとか悪いとかいう話ではなく、込められた「何か」については、見た人なりに感じることがあると思うんです。私の記事もその列から離れるものではありません。

次回は少しだけ「SEED」に手厳しい意見を書くとは思いますが、けっして否定語ではないつもりです。
 

 
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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