「機動戦士ガンダムSEED」~その2・教え導くもののいない世界で~

 「ガンダムSEED」という作品を見ていて、いくつか腑に落ちないことがある。それは作品に対する不満とは言わないまでも、なぜこうなのだろうという疑問である。
こういってはなんだが、ガンダムSEEDについて人と話すことがあれば、ついいろいろあげつらっては、笑い話にしてしまいがちである。そういう意味では実に話題豊富な作品だ。キラ×アスランやらイザーク×ディアッカなどのBL話にしても、無駄に揺れるマリュー・ラミアスの乳にしても、いちいち癇に障るフレイやアズラエル、前半と後半で異なるいくつかのキャラクター、特にラクスの変貌など、話題に事欠かない作品である。それだけに真剣な話になりづらい作品だ。私のようにファーストガンダムに少しだけ間にあわず、再放送と劇場版をリアルタイムで見ていた人間としては、どうしてもそういうイマドキな表現がチャラく見えてしまい、しばしば批判の対象となる。だが前回も書いたように、本作が新世代のスタンダードを標榜する作品であるならば、本作の真のターゲットは初めてガンダムを見た頃の私たちと同じ年齢である、イマドキの若いファンであるはずだ。だから上記の指摘も、若い方にとっては取り立て指摘するほどのことではないのだろう。
そうした理解をしている私だが、それでもどうしても気になることがあるのである。

<ガンダムの話>
 まず1話から登場した「ストライク」「イージス」「デュエル」「バスター」「ブリッツ」の5機のガンダムについてであるが、これがなんとも納得しがたい。どう考えても5機である必然性が感じられないのである。
まずイージスであるが、あまりに特殊すぎるとは思わないだろうか。イージスはアスランの乗機であるのだが、この赤いガンダムが手足の4本を展開させて変形すると、「スキュラ」というエネルギー砲を発射できる状態になる。4本のアームで戦艦に取りついて、ゼロ距離で仕留めるという戦法らしい。イージスを含む5機が同時に開発されていたとはいえ、イージスの機体構造を考えると他の機体との互換性がなさ過ぎる。しかもフレームが違うことは、形式番号が明らかにしている。しかもこんなにえぐい変形する機体が、本作の主役の一人アスランの乗機だなんて。
 デュエル、バスターについては、基本的に扱える武装が異なるだけで、フレームが一緒ということらしい。ってことは、完全に互換性があるということだ。これなら、この2体を区別する意味が感じられない。デュエルとバスター、片や1対1の近接戦闘に特化し、片や長距離支援に特化した機体であるのだが、ザフトがジンというMSを大量に投入し、集団戦闘をすることで前線を維持したり戦線を前進させたりする戦法をとっている。これに対抗する手段として、近接するデュエルと援護するバスターに部隊を分けることに、果たしてどれほど意味があるのか。それだったらストライクを大量に製造し、前線に集団として投入するほうが、ジンによるMS部隊を圧倒することができるはずである。
 最も謎なのが「ブリッツ」である。ブリッツが1体のみで、敵のふところに入り込んで勝利するための機体だとすると、むしろ内臓火器に重きを置くんじゃなかろうかと思うのに、有線の武装やらランサーやら、ぱっと見、意味がわからんじゃないか。デザインと設定の食い違いがはなはだしい気がするのだが。だいたい艦隊戦ですらモビルスーツ戦が主体なのに、ブリッツの能力って、なんの役に立つのか。 だいたい隠密行動を得意とし、電撃戦により敵を圧倒する戦法を考慮しているとすれば、連合軍はまっとうに戦う気なんてサラサラないってことになる。どれだけ卑怯なみなさんだろう。しかもこの目的も戦法も異なる4体を、一緒に並べて戦闘に投入するなんて、ザフト側にも問題がある。
「ストライク」が結果としてこれら4体の集大成の機体になるのだろうけど、最終的に採用されない「イージス」と「ブリッツ」の機体構造と戦法は、一体どうしてくれるんだ!

<作品世界の話>
 この「ガンダムSEED」の世界で最も私が腑に落ちないこと、それはこの世界には大人の判断ができる人物がいないことだ。この世界はまるで子供の邪気にあふれている。
 例えばこの世界の対立構造であるプラントと連合の対立について言えば、前回の記事でも書いたように、実に大人げない。人類はコーディネイターを自分たちの力で生みだしておきながらその能力に嫉妬し、排除する。その行動がどれほど狭量なことか、いまさら説明する必要もないだろう。コーディネイターはさらにコロニーに上がり人類と別の道を歩むかに見えたが、「血のバレンタイン」による連合側の虐殺があったとはいえ、挑発行為ともいえる連合のやり方に、コーディネイターは戦争という形で応えてしまっている。コーディネイターは人類の遺伝子に手を入れたにもかかわらず、性格の因子までには手を入れていないと見える。新人類といいながら人類が越えるべき矛盾までは越えることができなかったのである。このようにこの世界の戦争の理由は、かなり子供じみており、戦争に興じる大人たちのなかには、誰一人として大人の判断力を持っているものはいない。

 もう一つの例として「オーブ連合首長国」を挙げてみよう。この国は地球上で唯一の人類とコーディネイターが共存できる国とのこと。キラ自身もこの国の出身であり、この世界では中立国として登場する。完全に2大勢力に分割された世界において、中立をうたうオーブの存在は、この世界の良心といっていい存在である。それだけに連合の艦艇であるアークエンジェルの受け入れに慎重な態度を見せたり、アークエンジェルのその後の動きに指針を与えたりと、物語上重要な働きをする。だがその一方で自国の技術力やマスドライバー、力への屈服を拒否するための行為として、連合の戦力を道連れに自爆するのである。物語上このオーブの決断がカガリの涙を誘い、同時にカガリの甘えを断ち切ることで、親離れの儀式となっていることは明白だ。そしてオーブのこの決断は、アークエンジェルへ中立や戦争を止めさせる意思を引き継ぐことになる。

 ところがこの決断、一見すると大人の決断のように見えるし、自決そのものは中立や戦争抑止という崇高な目的を連合やザフトに知らしめるために行った行為に見えるだろう。だが「中立」の意思、「戦争への反対」の意思を示すために行った行為としては、非常に子供じみているのではないだろうか? こうした崇高なお題目を貫くためには、当然ながら覚悟がいる。その覚悟を示すための「中立」であり「非戦」であるのなら、相手の戦争行為に対して対抗するために自爆するというのは、まったくもってその覚悟を否定しているとしか思えない。この行為が大人の判断だといえるだろうか。この背景には、中立という立場にありながら、自国の企業でMSや戦艦の開発を秘密裏に行っていたことが原因である。その後ろめたさゆえの自爆だとすれば、「中立」もへったくれもあったものではない。そもそも「中立」をお題目に掲げたことも中途半端なら、戦力開発も同様である。この二面性を「大人の判断」というのであれば、やはりそれも違うと思うのだ。これらは決して大人の判断とはいえないだろう。そこにあるのは「取引」や「駆け引き」である。

 最終的な敵将となったアズラエルとザラ議長であるが、一軍を率いる将としては、あまりにも器が小さく、私怨を晴らすことにのみ執着しているようにしか見えない。アズラエルは後半に登場したことで、その背景が見えづらいのであるが、各種書籍をひっくり返せば、彼の幼少期にコーディネイターにバカにされたことが引き金となっており、その私怨を晴らすために、政治団体「ブルーコスモス」に入って、連合に経済的な圧力をかけることで指揮権を奪い、連合の一軍を率いてコーディネイターと戦ったようだ。この「ブルーコスモス」という団体そのものがまずもってばかばかしい。地球の産業はすでに力乏しく、その能力の一部はすでにプラントに依存していたというではないか。アズラエルがしきりに経済活動を軍事活動の比喩として使っていたことから、「ブルーコスモス」は表向き政治団体である一方、事実上は経済団体が裏で糸を引いていることは明らかだ。となればアズラエルは自分たちが着ている衣服や食べている食べ物が、どうやって作られ自分たちに配給されているか知らないわけはない。「恩を仇で返す」とはまさにこのことだろう。

 またザラ議長閣下にあらせられては、前半に登場し、アスランに見せた優しい態度や、コーディネイターの悲しい歴史に胸を痛めて、自分たちの闘争しかない未来に胸を痛めていた良識的なシーンが見られた。が、対立するクライン派を議会から追いやって、事実上のプラントの独裁を始めた頃からどんどんと協調性がなくなり、私怨を晴らすためだけにナチュラルへの徹底抗戦を進めることになる。その変わり身は「変貌」と呼ぶにふさわしく、前半の悩める議長の面影はどこにもなく、後半だけを見れば前半の姿は想像しがたく、まったくの別人となってしまっている。またこれほどまでに彼が変貌した理由も明らかではないのだが、劇中よりなんとなくわかってくるのは、クライン派を追いやって議会を独占したところ、まるで背信のようにアスランが彼を裏切る行為に出ることで、彼は議会での自分の地位の失墜を恐れたために、強硬な姿勢を取り続けた可能性がある。つまり彼をしてあのような戦争に及んだ理由は、息子アスランの離反が原因ではなかったろうか。

 だが如何に理由があるにせよ、人間の命をもてあそんでいい理由にはならない。ザフトの仕掛けた「オペレーション・スピットブレイク」は連合に筒抜けであり、大量破壊兵器「サイクロプス」により多くのザフト兵が死地に追いやられた。核兵器が使用できない状況下となっているこの世界では、電子レンジに代表される電磁波機器は容易に兵器に変貌し、多くの人々を殺すのである。マスドライバーを破壊するきっかけとなった「グングニール」、Nジャマーキャンンセラーを手に入れたアズラエルは地球上に残っている核兵器を使用し、冷戦状況下の恐怖を再現して見せる。それに怒ったザラ議長は、ジェネシスを発動させ一気に連合軍を半壊にまで追いやる。ここに示した出来事はもはや戦争ではなく、双方が一方的に行った虐殺であり、その応酬でしかない。怒りが怒りをよび、戦いが戦いを呼ぶ。だがこんな連鎖は断ち切るべきだ。だがそのための努力を払うこともせず、いたちごっこを繰り返し、公然と私怨をむき出しにして相手を敵として争いあう行為を繰り返す。これはどう見ても正常な大人の判断ではない。この世界の戦争はまりにも稚気に満ちており、それを止めるすべを行使する大人すらいないのである。

 こんな世界には、これを制止し牽引するべき人間が必要である。ここで再びオーブ連合首長国の問題が明らかになる。彼らは「中立」の立場からすべての武器や兵器を捨てて、世界に強く呼び掛けるべきであり、コーディネイターにもナチュラルにも公平な空間を公表し、戦争を抑止するための先達者となるべき人々だったのである。それを連合やプラントの圧力に屈し、連合のMS開発などに手を貸し、取引や駆け引きを続けてなお、自国の戦力を増強し、己の国だけを守ろうとする行為は、やはり大人の判断とはいいがたい。しかも自爆によってその立場の不透明さを償おうとするやり方は、オーブに住む人々まで欺いていたのであるから、相当な背信行為である。ここまで説明して、初めて「カガリ」という人物は理想論者でありながら、オーブという国が目指すべき目標だったのである。この指導者不在の世界を救うための鍵、それはカガリだったのである。どうりでキラもアスランもカガリを中心にして心を開いていったわけである。

 こうなるともう一人クローズアップされてくる人物がいる。それはラクス・クラインである。オーブを説明するに当たりカガリを出せば、転じてコーディネイターの中からクライン派と呼ばれる一群が生まれたのは、必然である。クライン派のトップであるクライン氏はプラント議会の中では穏健派であったから、ザラ議長へのアンチテーゼとして存在する。結果的にクラインは殺されることで、娘のラクスにその仕事が引き継がれることにより、クライン派の頭目として担ぎ出されたことにより、彼女はプロパガンダの地下放送を通じてコーディネイター内部に非戦派を増やそうと働きかけるのである。ここまでである意味ラクス・クラインの存在意義はほぼ成立しており、大人の判断が下せない指導者不在の世界に、純な子供の論理で立ち向かったのである。

 そしてここから「機動戦士ガンダムSEED」という物語の最大の矛盾につきあたるのである。これに関してはすでに多くの人々が指摘していることであるから、ここでは議論しないが、ラクスもカガリも、結局戦争を止めさせるという行為を実行するに当たり、自分たちも武器や兵器を手にして戦ってしまったのである。本作の福田監督の言によれば、本作はあくまで「非戦」をテーマにしていると公言されていた。しかも劇中後半のキラ・ヤマトの戦闘では、基本的に敵MSの手や足を破壊し、戦闘不能の状態にすることで人命は救っているという演出がなされることで、「非戦」というテーマを貫いたとしている。だがキラやアスランは所詮兵士で、末端レベルの実行部隊に過ぎない。問題は彼らの上司であり、意思決定をするカガリやラクスの立場が戦闘に介入することを決めたことのほうが、よっぽど罪が重いと思うのだが。

 とはいえ、そんな矛盾やはらんでいる問題を含めても、私は素直にこの「機動戦士ガンダムSEED」という作品を楽しんだ。「新世代のスタンダード」として新しいガンダム像を見せてくれたし、なにより9.11後の世界、それも(少なくても私にとっては)大人の論理が通らない地域紛争や宗教対立を繰り返す現在の世界を垣間見せたことで、現実世界に横たわる「事情」を見せつけている。これを少年期に見た子が大きくなってから、もう一度作品を振り返って考えるだけのフックがあるし、その条件は十分に整っている作品だと思う。当然この作品からガンダムシリーズをさかのぼる人もいるだろうし、富野作品に触れる人もいるだろう。そうした人々のガイド役にはうってつけの作品ではあった。私個人としてはこの稚気にあふれた作品の世界を、現在の世界にあてはめることに戸惑いを感じる。少なくても福田監督や脚本家・両澤千晶にはこのように世界は見えていると考えたほうがよさそうだ。そして彼らが本作のテーマとして設定した「非戦」というテーマは、次回作「ディスティニー」や「機動戦士ガンダム00」にも引き継がれることになる。「00」にいたってはすでに劇場公開が始まっている。ぜひとも注目したい作品群である。「SEED」シリーズに関しても、今後の劇場用作品の公開が楽しみである。


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(2008/06/18)
ポストメディア編集部

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気になったので

設定についてのコメントを。
ナチュラルとコーディネーターの対立についてですが、ちょっと設定と違っています。
コーディネーターへの差別感情は基本的に遺伝子操作への嫌悪が先であって能力云々は後からきているものです。
ブルーコスモの元は環境保護団体という設定もそこからです。
そこからS2インフルエンザ等の事件が起こり、排斥運動が活発化していきます。
トドメとなったのはNJの地球散布です。
これにより電力供給が断たれ地球のインフラが壊滅的被害を受け地球人口の10%が死んでしまいます。
そのため地熱発電のできるオーブなどの一部を除き反コーディネーター一色となるわけです。

あと、これはよくある勘違いなんですが、「血のバレンタイン」以前から戦争は始まっています。
理事国とプラント代表の会談が何者かのテロで理事国代表団が全滅した「コペルニウスの悲劇」が開戦理由です。
その後の「世界樹」での戦闘を経て「血のバレンタイン」という流れだったと思います。

No title

ちはるさま

 コメントおよびご指摘ありがとうございます。
 すいません、すいません、すいません・・・・・・・。

 ご指摘いただいた歴史については、参考にした書籍をひっくりかえすとちゃんと書いてありました。
 ううっ・・・厳しいご指摘でした。

 それにしても、ご指摘いただいた歴史には、やはり「目には目を」的な発想ですね。こうした積み重ねが戦争に至る歴史であることはわかるのですが、やはり大人の論理ではないような気がします。

「血のバレンタイン」の話ですが、「コペルニクスの悲劇」以降の戦争に関しては、劇中説明が無いようで勘違いもしかたないのかもしれませんが、資料をひっくり返すと具体的な戦争行為は連合軍の侵攻開始の記述のみでした。このあたりわかりづらいですね。
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波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
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