「プランゼット」~平成になくて昭和にあるもの~

 フルCGで映画を作ることって制作側にとってどれだけ意味があるのか考えてみると、ロボットがどうして人型をしているかと同じ答えにたどり着くような気がする。ようするに技術の進歩を具体的に表現する方法論だってことだ。ロボットが人間と同列に扱われるときにどうしても「不気味の谷」に引っ掛かる。同様にフルCG映画というのもやはり「不気味の谷」に引っ掛かる。フルCGで映画を作る時の前提として、「アニメ」を作るか「特撮」を作るかで、見る側の人間の受け取り方はだいぶ違うようである。
 「特撮」としてフルCGを使うことは、人間の役者による演技をCGにゆだねるということだ。そこには本来「俳優」という壁がある。俳優が人間である以上、監督の要求に100%応えられない可能性を秘めている。それでも現場でより100%に近い演技を要求し、ある一線で妥協する作業が撮影だとすると、フルCGは監督の要求を100%反映できる作り方だといえる。だがここに、CGのテクニカルな部分が壁となり、監督の要求を満たせない事態が発生する。十分に技術が発達した現在でも、人間の繊細な動きを100%トレースできる技術はない。現在我々が見ている劇場用映画のほとんどにCG技術が使われ、「VFX」などと称されているが、それはあくまで映像表現技術において人間の演技と住み分けがある状態の技術である。フルCGという映像表現は、その住み分けを越えようとしていることなのだ。
 今回取り扱う「プランゼット」は、同じ監督の手による「惑星大怪獣ネガドン」同様に人物までをフルCGで作りこまれた映画である。そしてこの映画の最大の特徴は、フルCGで特撮映画を作ろうとしていることである。それゆえにキャラクターたちの「不気味の谷」は厳然と存在し、本作の全編をなぶりつづける。事実として俳優のギャラより製作費を取ったという事情があるにせよ、この作品一つとっても、フルCGによる特撮映画には、まだまだ突破せねばならない課題が山積していることは、はっきりとわかる。
 とはいえ本作がつまらない駄作だと断言するには軽率にすぎる。本作の監督である粟津順監督がこだわりぬいた表現や、スクリーンに現出させた映像は実に興味深い。ここでは本作の背景となっている「昭和」という世界観に込められた思いに注目して、本作に追ってみたい。

<概要と物語>
 映画「プランゼット」は今年(2010年)の5月に劇場公開された作品。監督である粟津順氏は多くの怪獣映画に強く影響を受けてCG制作に携わり、いくつかの特撮番組や映画に関与しながら、2003年から自主制作に着手。2005年には前作「惑星大怪獣ネガドン」を完成させる手腕を見せる。本作は「ネガドン」と時間軸を一つにする作品として、さらに長い時間の作品となっている。
 西暦2047年。地球の環境悪化は止めようもなく、火星のテラフォーミングによって一部の優秀な人類だけが移住できることとなった。だがそんな日常は突如飛来した敵性宇宙人「FOS」の侵略により、あっけなく終わりを告げる。防衛軍のエースパイロットである明嶋は、宇宙人との戦闘で帰らぬ人となってしまう。息子と娘をこの世に残して。そして世界は宇宙へ進出する足掛かりを失い、ただ悪化した環境の地球とともに滅びるしかなかった。
 時は過ぎ、2053年。明嶋の息子・大志は父の意志を受け継ぐように防衛軍のパイロットとなり、宇宙人との戦闘を仲間たちとともにひたすら待っていた。そしてその日がようやく訪れる。連合統合軍吉澤少佐の発案により決定された作戦を決行し、その護衛として明嶋たちは護衛の任務につくことになる。その計画の名は「プランゼット」。その作戦は地球を護るディフューザーのエネルギーをDキャノンに転用し、莫大なエネルギーで敵の拠点ごと葬り去るというものだった。刻一刻と作戦実行時間が近づく中、明嶋は妹であるこよみのやさしさに応えることができないまま戦闘に向かうことになる。対FOS専用迎撃機動兵器「ジオメトリック・リム」3機に乗って、Dキャノン発射までの時間を稼ぐ明嶋たち3人。だが多勢に無勢の状況の中、たった3機の機動兵器で止められるはずもなく、明嶋機だけが帰還する。そしてほどなくDキャノンは富士山の火口から発射され、敵拠点を直撃した!と思いきや、敵の円盤に阻まれて、作戦は失敗に終わってしまう。悲嘆にくれる吉澤少佐。少佐の自殺を止めた明嶋兄妹は、富士基地の地下に残されていた最終兵器「カイロス」の秘密を知る。最終兵器は人類を救う鍵となるのか。地球の未来は?

<CGで作られた「昭和」>
 本作に関する的確かつみずみずしい感想については、いつもお世話になっている飛翔掘削さんのブログ「怪獣の溜息(http://mogera594.blog9.fc2.com/blog-entry-395.html)」をぜひ参考にしていただきたい。
 さて本作の見どころといえば、物語中盤のFOSとジオメトリック・リムとの戦闘シーンだろうか。敵であるFOSが円盤状でありながら数で押してくる敵であるから、ジオメトリック・リムはどうしたって手足のある白兵戦用の兵器でありながら、銃器による射撃が中心である。だがいざという時には刀状の武器を持ち出して攻撃する。この刀の劇中での使い方が敵にではなく味方に用いているのであるが、その使い方がイカしている。ぜひご覧いただきたい。また最終兵器「カイロス」に関しては、あいた口がふさがらない。まさに顎が落ちるかと思うほどの衝撃をうけること必至である。日本の象徴たる富士に、なんてことするのかとは思うものの、日本人が最後によるべき何物かは、やはり富士かなと思わせてしまう問答無用の説得力がそこにある。理屈じゃないのよ(笑)。

 もうひとつ本作を見ていて気になるところは、本作がスタートする直後から現れる。木の模様が古めかしい家具調のエアコン、ブラウン管にして小さい画面のテレビ、液晶のゲーム、プッシュ式ではあるが黒い電話などなど。そこに現出している背景美術は、どこか古めかしい。いやはっきりと「昭和」だといって差し支えないだろう。事情は本作の前作にあたる「ネガドン」にある。ここでも登場する日本の風景は、あくまでも昭和。それも昭和40年代後半から50年代前半の雰囲気を漂わせている。本作が「ネガドン」の後日談である側面を持っているらしいので、これら書き込まれた背景に関しては、「ネガドン」と地続きの「昭和」という時間なのである。それにしてもこのこだわりようったらない。明嶋家の様子もどこか昭和のやや洋風な家庭を思わせる家具配置。庭があり階段があり、ソファアがある。ここから考えても彼らの家庭が、日本の中流家庭であることもよくわかる。またそれらを背景として語られる明嶋家族の会話も、受験に失敗してふさぎこんでいる長男、それをたしなめるしっかり者の妹、そしてそれらを守ろうとする父親という、母親がいないこと以外はいたって普通の家庭で繰り広げられる会話である。
 テラフォーミングに成功し、優秀な人間から次々と移住が決まっている世界で、火星での家族の姿を夢見る妹のこよみの様子から、本作が「ネガドン」と地続きであることが説明されるあたりの機の使い方、何より父親の死による家庭崩壊が、長男であり主人公である明嶋の予期せぬ事態であったこと、父親の復讐よりも妹の立場を守りたいと願う明嶋の動機として、このスタートのシーンが十分に機能していることはいうまでもない。
 数年の後、明嶋は二人の仲間と出会い、いつとも知れぬ戦闘に向けて、訓練に明け暮れれ、次第に妹と疎遠になっていることがほのめかされるが、それを直接描かず、やさぐれる明嶋の先輩の様子からの会話でそれを語るあたり、監督の手腕が光るといえる。短い時間に果たさなければならない説明責任を、回避することなくそれ以後の台詞を含めて、必要十分に説明している。明嶋にとってこの3人のチームが、死んでしまった父親と離れて暮らす妹の代わりに現れた疑似家族であることはいうまでもない。明嶋にとって妹は一度家族以下の自分のわずらわしい付属物となってしまう。訪ねてきたこよみを粗略に扱っていることがその証拠である。こよみが父親にあげようとした「お守り」がここで効いてくる。この「お守り」はこよみの肉親を思う気持ちそのものであるが、タイミングがずれて渡せなかった父親とは異なる状態で、明嶋はこよみのお守りを拒否してしまう。見ているこちらは当然のように「死亡フラグ」という単語を想起させるのだが、むしろこよみ自身の不安を募らせるための小道具であり、観客はこよみの不安をヴィヴィッドに受け取ることになる。
 さてこのあと、明嶋は激しい戦闘で仲間という疑似家族を失うこととなってしまうのだが、こよみが富士の基地に入り込んだことにより、同時に明嶋がこよみという本当の家族を取り戻すというシークエンスにつながっている。ここで明嶋が失ったはずの家族を取り戻して終わりになるなあと思っていると、この二人にはもう一つの驚くべき役割が与えられていたのである。

<「昭和」という時間の意味>
 富士の基地内で再会した兄妹は、作戦失敗を苦にして自殺を図ろうとする吉澤少佐を目の当たりにする。だが生き残った明嶋は吉澤の自殺を止める。ここで吉澤が自殺を図る姿が、実は「親の七光り」と呼ばれて出世したと言われた吉澤自身の父親への愛憎があり、作戦自体の実行により自身のアイデンティティを確立しようとしていたことが明確になる。それはかつてエースパイロットであった父を失った明嶋とまったく同じ境遇であったことがほのめかされ、明嶋と吉澤がこの物語でほぼ同一の存在であることが示される。そして物語の前半で主導権を握っていた吉澤は家族を喪失したまま退場し、主導権を明嶋兄妹に移行してしまう。
 自暴自棄ぎみに基地の自爆スイッチを作動させる吉澤であったが、そのスイッチは富士基地に隠された秘密を開く鍵だったのである。だがその秘密を開いたのは明嶋兄妹であり、物語は完全に明嶋兄妹に移行する。フォログラフィとして映し出された人物は、なんと吉澤少佐の父である吉澤総監であった。彼は作動させたスイッチが、実は富士基地に隠された最終兵器「カイロス」の起動キーであり、その強大な能力ゆえに封印されていたのだという。吉澤総監のメッセージが終了すると、カイロスは起動を開始し、その場に3つの操縦席が現れる。明嶋はこよみに脱出口を示し、おもむろに操縦席に座る。ここで本作最大の見せ場となる。
明嶋はカイロスを使ってFOSを撃退しようとする。だがその危険性を指摘して、妹のこよみは兄を止めようとするのである。「どうしてそれをやるのがお兄ちゃんでなければいけないの? 別に他の誰かでもいいじゃない!」だが明嶋は静かに言う。「今、それをやるのは他の誰でもない、俺なんだ」と。兄の決意を承知し、同時に自分も一緒に戦うといい、兄の座る操縦席の傍らに座るこよみ。そして起動した秘密兵器「カイロス」は、FOS撃退のために浮上する。そして二人はカイロスの力でFOSと対峙することになるが、その最後の顛末は実際その目でご覧いただいたほうがよいだろう。カイロスそのものの圧倒的な登場シーンと一緒に、ラストシーンを存分に味わってほしい。

 さて私がこの明嶋兄妹のやり取りを「本作最大の見せ場」と称した理由は、二人のやり取りにヒーローとヒロインのテーゼが集約されていると感じたからだ。
 兄は父や友のために仇を討ち、同時に吉澤父娘から託された地球の未来を守るために、自分がやらなければという決意のもとに、戦いに挑もうとする。それは見まがうことなき「ヒーロー」の典型的な姿である。しかもやや「昭和のヒーロー」といってもいい。一方の妹・こよみの言い分は、自分の身の回りや日常を守りたいと願うヒロインの願いそのものだ。そしてこの日常や身の回りの親類縁者を守るというテーゼは、「美少女戦士セーラームーン」や「ふたりはプリキュア」などに代表される「平成のヒロイン」の典型といってもいい。ここに現出した兄妹の姿とは、実に昭和のヒーローと平成のヒロインが対峙する姿なのだ。しかも結論として兄妹が出した結論は、兄である昭和のヒーローの理論が優先され、物語はFOSの拠点を倒して終了することになる。
おわかりいただけるだろうか? 本作は「怪獣映画」を下敷きとしているとはいえ、「平成のヒロインの理論」ではなく「昭和のヒーローの理論」を選択し、物語をたたんだのである。確信犯でやっているとはいえ、粟津監督が「昭和のヒーローの理論」を優先させた理由はすでに映像に込められている。作品中にちりばめられている昭和の風景がそれだ。つまり監督はこの昭和のヒーローの理論を選択するために、その準備として明らかに未来的な風景を排除してまで昭和の小道具や映像的な昭和っぽさを現出させることで、昭和のヒーローのテーゼを明確に選択する意図を持って、これらのシチュエーションを配置していたと思える。
 
 本作は別に「平成のヒロインの理論」を軽んじたのではない。監督が用意した「宇宙人に侵略される」というシチュエーションを前にして、「平成のヒロインの理論」では物語が完結できないことを示したうえで、「昭和のヒーローの理論」という骨太の理論を引き合いに出すしかなかったのではないだろうか。そうどちらがいいとか悪いとかいう話ではなく、あくまで選択肢としてどちらで物語を完結できるかという話でしかない。前述のとおり本作が「怪獣映画」を目指して作られていることを考慮すれば、選択自体は当たり前だと言われるかもしれないが、それならばなぜこよみにあのような台詞を言わせたのだろうかと考えてみてほしい。もしかしたら「怪獣映画の理論」とは「昭和の理論」なのかもしれない。

追記
 最後に一つだけ指摘しておきたい。また「不気味の谷」の話に戻るようで恐縮であるが、本作に登場する明嶋の妹・こよみの表情は、私にとってはかなり谷にストライクであったことを告白しておく。夜中にひとりで本作を見ていると、なんだか背中に寒気が走った。だが同時にこよみの表情から目が背けられないような魅力があったことも事実だ。なぜだろうかと考えてみたのだが、あのこよみのあどけない表情は、「時をかける少女」でデビューした原田知世の無表情さに似ている気がしたのだ。特に「時をかける少女」のエンディングで劇中の場面を再現しながら、シーンの中で名曲「時をかける少女」を歌う、わりと無表情な原田知世のイメージなのだ。かわいいんだけど怖い。私の内緒の、しかも勝手なこよみ評である。ごめんね、こよみちゃん!


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コメント

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No title

ご紹介していただき、有難うございます!
富士山が変型して超巨大メカになるという発想は本当に凄いと思いますし、私も劇場で大笑いしてしまいましたよ(因みに劇場には私一人しか居ませんでしたので、ほぼ貸切のような感じでこの作品を観れました(笑))。

「昭和のヒーロー」、「平成のヒロイン」ですか。
時代の流れと共にヒーロー・ヒロイン像も変化し、その影響で熱血系のキャラや昭和のノリがギャグとして扱われたり、という歴史があったりもした中で粟津監督が「昭和らしさ」を強調した意味は何だったのか?という事に対してはあまり考えた事がありませんでした。まぁ、「趣味」というのも多分にあるんでしょうけど(笑)。

「不気味の谷」の話ですが、波のまにまに☆さんと同意見です(笑)。こよみちゃん怖かったデス。
まぁ、そのあたり含めて、今後も「新時代特撮」は進化していくのでしょうねぇ…。

No title

飛翔掘削様
 コメントありがとうございます。参照させていただき、こちらこそありがとうございました。

 「昭和」の意味については、まあやっぱり監督の「趣味」でしょうけどね。あえてそんな見方をしてみました。初めは「男の論理」「女の論理」の対立をテーマに書こうと思ったのですが、こよみの視線のミニマムさと明嶋の視線のワイドさを比較すると、どうしても「女性批判」的になってしまいそうで、この形で落ち着きました。

 富士山大変形のくだりは、何回見ても笑えます。富士山をぶっこわす発想って、やっぱり今までの日本特撮では「日本沈没」ぐらいかもしれませんので、「破壊」よりも「再誕」として描いた点は、爆笑付きでおおいに評価したいと思います。

 こよみちゃん、怖かったですよねえw 表現しがたい何かがあったんで、目を皿のようにして見ていると、慣れないにも関わらず、どこか可愛いと思ってしまう。一応理由を考えましたが、やっぱり無理ありましたかねw

 本作を私は「特撮」として扱いました。このアニメとも特撮ともつかないこの作品に対しては、割り切れない思いと同時に、今後も進化していくジャンルだと思います。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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