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「ブレンパワード」~その3・取り戻したいもの~

承前
 こう言っては何だが、最近歯ごたえの少ないものばかりを見ていたことによくよく気付かされる。「ブレンパワード」を感覚的に大枠でつかむことと、そこに描かれている詳細を読み解こうとする行為には天と地ほどの開きがあった。特に最近深読みをしなくてよい気楽な作品ばかり見ていたので、「ブレンパワード」は歯ごたえがありすぎて、頭に軽いしびれすら感じるほどだ。だがこれも脳トレのようなものか、呑気に過ごした新年のリハビリとしては、まあ妥当かなと思いつつ、すでに3回目。お付き合いいただいている方には、申し訳ない思いでいっぱいである。

<物語のゆくえ>
 19話で海から地上に上陸し始めるオルファン。だがガバナーはそんなオルファンにアメリカ軍を引き入れる。ガバナーこそはゲイブリッジであったのだ。オルファンを制することができるようになったノヴィス・ノアを脅威と感じたゲイブリッジは、オルファンに肩入れすることでバランスを取ろうとしたのである。ゲイブリッジはノヴィス・ノアの能力を最大限に活用したため、ノヴィス・ノアは世界の敵となってしまう。戦いで傷ついたクインシイのグランチャーはノヴィスに保護されたから、ユウは姉との新しい関係を期待する。だがそんな願いはオルファンの呪縛により蹴散らされてしまう。そしてユウにむかって家族を失ってまでオルファンで指揮を執り続けるつらさを吐露する(20~22話)。

 クインシイのグランチャーを追って、ヒメはオルファンに説得を試みる逆にがオルファンにとらわれてします。そこでヒメは直子と再会し、ゲイブリッジがガバナーであることを知る。そんなオルファンではバロン・マクシミリアンの反乱により、バロンがオルファンを掌握してしまう。オルファンから逃げ切ったヒギンズとヒメ。オルファンはさらに上昇を始め、地上への被害を及ぼし始める。再び戦いあうグランチャー部隊とブレンたち。その戦いの場でクインシイのグランチャーは、赤いバロン・ズウにリバイバルする。リバイバルの中でクインシイは、直子や翠の記憶をたどる(23,24話)。

 そして最終決戦の火ぶたが切って落とされる。ブレンたちは出撃前に互いに手をつなぎ、オルファンへの道を示す。人間たちはこれに呼応して立ち上がる。オルファンはすでに飛び上がろうとしている。クインシイはオルファンのウエハースを傷つけてまでブレンを撃退しようとするが、輝きを放ち始めたオルファンのフィギュアに取り込まれてしまう。これを契機にオルファンは宇宙へあがるための力を手に入れる(25話)。
戦っていたブレンとグランチャーはそれぞれの場所に戻る。ユウとヒメも花咲く草原の中から再び立ち上がる。そんなユウの前に立ちはだかるのはバロン・マクシミリアンのバロン・ズウである。バロン・ズウはバロンのエナジーを吸い込んで巨大化し始める。だが強すぎる力が逆に身を滅ぼす。バロンの正体はジョナサンの母・アノーア・マコーミックであった。オルファンはアメリカ軍のリクレイマーも排除しようとしている。それはオルファンと同化したクインシイの意志なのか。カントは、オルファンがほしがる何かオーガニック的なものを与えることで、オルファンを掣肘できると考えた。そしてユウたちは、人間たちは手をつなぎ、人の和をオルファンに見せつける。力をつけたオルファンは、伊佐未夫婦にももはやわからない。だがユウの言葉を迎え入れるように、フィギュア化した依衣子を返し、オルファンの中にいた人々を地上に返したオルファンは、地球に緑を与えながら宇宙への旅立っていく(26話)。

<取り戻したいのに取り戻せない>
 「守りたいものがある」や「取り戻したいものがある」、あるいは「乗り越えたいものがある」。戦うキャラクターには戦う理由が様々にある。特に最近のアニメでは「守りたいものがある」という理由が断然多く、わりと消極的な理由で戦い始めるから、どうしても戦う理由も保守的になる傾向がある。本作では主人公であるユウにとって戦う理由はなんだったのであろうか?

 それはクインシイとなった依衣子やオルファンに取りつかれているかのように研究に没頭している両親を取り戻すことだ。彼は家出のようにオルファンを出て家族と敵対する道を選んだ。一時的には家族としての自分を振り返らないユウのわがままがさせた行為に見えるが、結果的に家族を取り戻そうとする話にすり替えられている。だが一方で依衣子はどうであろうか? 彼女にしても本当にしたかったことは、家族を取り戻すとすることであり、だからこそユウに固執し、ユウをオルファンに取り戻そうとしたのである。だが24話の後半に登場する直子や翠の記憶を依衣子がたどるエピソードでは、直子がゲイブリッジに想いを寄せる理由も、翠が研作と結婚した傲慢な理由も描かれているのだが、そこにあるのは崩壊せざるを得なかった家族の無残な姿である。この残照を抱えてユウや依衣子は育ってきたのかと思うと、本当に研作・翠夫妻には腹立たしさしか思いつかないし、翠に至ってはあれで研作やジョナサンを手玉に取っているつもりなのだから、なんと愚かしいことか。直子にしても、翠という一粒種を抱きながら、ゲイブリッジへの思慕を断ち切りがたいという思いが、傲慢な翠を生んだと思えば原因は総じて直子にある。ましてや明らかに研究材料としてしか子どもを見ていない翠のやり方を見て、それを制止できない直子には、翠が自分の愛情を注げなかった娘への憐憫の情があったのかもしれない。結局ユウも依衣子も祖母から続く不完全な家族に振り回されて人生を狂わされたも同然なのである。

 これをして富野監督が「家族」や「肉親」、「血のつながり」を古い人間関係として忌み、より新しい人間関係を良しとした理由がはっきりする。だがここで一つだけ解せないことは、ならばなぜユウたち子どもたちに、不完全となる良好でない家族関係を取り戻させようとするのかである。富野監督が示すように、家族や肉親との関係を良くないものとするのであれば、切り捨てることは可能である。ヒメが26話で言うように、オルファンに見せつけるべき人間関係は、血のつながりによらない新しい人間関係であったはずだ。そしてパラレルな人間関係こそが、オーガニックエナジーを生み出し、ノヴィス・ノアを守り、ブレンパワードの真の力を発現させたのではないか。家族を取り戻す物語に、はたして何の意味があるのか?

 家族や血のつながりを嫌悪する一方で、25話のヒギンズや前述のカナンとラッセのように、新しい人間関係は異性同士でも築かれる。だがその異性同士の関係は、富野監督がこだわった人間らしい「性」のありようが示される。そのことで、キャラクターに血肉を通わす結果になることで、カナンやシラー、ナンガの黒い肌色にも、肉体の存在を感じさせる結果になる。ここに人種や肌の色をとっぱらった、パラレルな人間関係の構築が可能となる土壌が生まれる。だが矛盾するようだが、この新しい関係はSEXを介することで、新しい血のつながりを発生させる。それは新しい家族の起点であると同時に、否定した肉親の関係を肯定する結果になるではないか。

 そう考えると、作中否定的に語られていた「家族」や「肉親」という人間の関係性は、人間にとってどうあがいても否定できない関係性であることに気づかされる。そうでなければユウもクインシイも、ましてやジョナサンですら家族にこれだけ拘泥する物語が作れようはずもない。むしろ「家族」という人間関係が、時には身内だけに冷淡を極めたり、個人に対して酷であったりすることを描きながら、そのくびきから逃れられない無残さを見せつける。だがそれは壊れた家族を取りもどす方法論を、同時に見せつけていたのかもしれない。わが身に起きたことも思い出されるのだが、本作を見ていると家族とは家族としてあるものではない、家族に「なる」のである。しかも家族の長の方は多かれ少なかれそのことを忘れがちであるため、このような悲劇が繰り返されてしまう。あるいは子供とは親の付属物という傲慢さがあるから、悲劇は再生産を余儀なくされる。「家族を守る」や「家族の信頼を勝ち取る」ことは、並大抵の努力ではない。しかも親の側がそれを放棄してしまえば、家族の絆を取り戻すのは家族自身であらねばならない。子供だからといって甘えてその努力を放棄すれば、すぐに家族は崩壊する。ユウや依衣子は失った家族の絆を、取り戻したくて努力した。だがそれを知ってか知らずか、親の側はまったくそれを顧みることがない。26話終盤で直子にはり倒される翠であるが、そんな一発でチャラになる程、ユウや依衣子の心の傷は浅くない。しかもその連鎖は直子から続いていたのである。物語は方法論を示しただけで、伊佐未ファミリーが絆を回復させたかどうかまでは描かれていない。ただ死に瀕している母を胸に抱きながらオルファンを見上げるジョナサンがおり、ユウがヒメと再会しただけである。

<女性論理にすり替わったワケ>
 家族の論理を展開して見せた「ブレンパワード」という物語だが、前述の通り本作は男性理論から女性理論へと、富野監督が変換した物語である。それはノヴィス・ノアの艦長が一貫して女性であり続け、男性はサポートに回っていることや、ヒギンズのいい人が随伴艦である潜水艦の艦長であることなどにも現れている。しかも24話でクインシイが怒り始める瞬間は、ブレンを整備する男性整備士が、クインシイを邪険にしたシーンがきっかけとなっている。こういうあたりの男性の無神経さを見るにつけ、女性が男性の何にイラッときているかが見えるようである。それもそのはずで、本作には小説版を執筆した面出明美以下4人の女性が脚本に参加しており、コメントで紹介いただいたkito2198さんのブログ「TOMINOSUKI/富野愛好病」掲載のインタビュー記事をみるにつけ、彼女たちは富野監督とはずいぶんと意見交換したようである。彼女たちは意見交換の中で「それはガンダムになるから」とか「それは女性は嫌いだ」という言葉で、富野監督の意見をたびたび翻させたという。それゆえこうした女性理論がまかり通った作品になったことは疑い得ない話だろう。もうちょっと突っ込んでみれば「ガンダム」的な作劇を否定したかったという側面もあっただろう。監督にとって「ガンダム的」な作劇はまさに男性理論の代表であり、男性が女性を愛しい、愛したいという思いに呼応する形で現れた理論としての女性理論だったのではないだろうか。家族を母親の視点でとらえ直そうとした作劇も、このあたりに事情があると思う。

だがヒメに「責任感」とユウや守りたい人たちへの「思い」以外の戦う理由を認めていないことや、直子と翠のケジメの付け方の曖昧さ(初期プロットでは銃殺される予定の翠である)を考えれば、その女性理論にしたって、先日の家族論にしても富野監督の中では決着がついていないように思われる。放送終了後に発売された「ブレンパワード スパイラルブック」(Gakken)掲載の監督インタビューには「アウフヘーベン」(二つの矛盾・対立する概念を合わせて、より高次の概念に統合・発展させること)という言葉が登場しているように、いまだ監督の中では昇華されてはいなかったようだ。

 ともあれ、「ブレンパワード」という作品は富野監督の作品史の中でも重要な位置を占めている作品である。それ以上に「家族」や「女性」という単語にヴィヴィッドにならずにはいられない作品でもある。昨今子供を殺してしまう母親の犯罪などを見るにつけ、母親の功罪についてはその責任をどう問うていくかが今後も問題になるだろう。総じてその母親に責任があり、母親たちをそうさせたのは父親であり、その原因をたどれば祖父母になるという。寿命が延びて三世代や四世代が当たり前になっている時代、上の世代の責任は重い。が同時に自分たちの世代の責任の重さも自覚するべきなのだろう。

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No title

どうも、こんばんはです。
ふと、思い立ってまにまにさんのブレンパワードの記事を読ませて頂きましたが、この記事お書きになられたのが震災の年のお正月だったんですねw
色々と感慨の深い物があります。

さて、自分が今どうしてブレンパワードに着目しているのかといえば、近年の科学技術の進歩によって人類は“AI”という存在と新たな関係性を築いて行くべき段階に来ている中で、
それ以外にも、科学の進歩によって新たな関係性について考えて行くべき可能性のある存在が
“犬”です。

実は昨今の研究によって、犬には人間でいう所の五感で感じられる以外の、いわゆる第六感が存在しているという事が分かってきており、
もし、研究が進んで犬たちが何を知覚しているのか? 人間にも分かるようになれば我々の世の中が様変わりするかもしれない可能性があるというのです。
更には既に彼ら“犬”たちは、人間の体に起きる突発的な変調(一時的な失明や体のマヒ等)を事前に察知する能力があり、そういったハンデのある人達と共に生きる介助犬の存在や、
今、癌の治療法として注目される免疫治療において、彼らを病気の罹患者のそばに寄り添わせる事で免疫力が格段に上がる等の効果を上げている等々・・・

そういった昨今の人類と彼ら“犬”に関する関係性の変化を見ていたら個人的に、
機動戦士ガンダム以降、人類の未来を“テクノロジー”の面で描いてきた富野由悠季作品の中で唯一、人類と、人類に大きな影響を与える生き物との関係性から人類の未来を描いた本作に対する注目度がアップしたのです。

自分自身、初見ではかなり敷居の高かった本作も、何度目かの視聴で登場人物たち、更には彼らと行動を共にするブレンパワード達にも性格や個性等がある事が分かってきました。
例えば好戦的なラッセブレンと臆病なナンガブレンが好対照だったり、甘えん坊なブレンチャイルド達に対して、甘えるのでは無くお互いを認め合っているからこそ何時も比瑪と一緒に居るヒメブレン。
中でもユウブレンは好奇心旺盛で、奔放な性格のせいかたまに勇の言う事も聞かず勝手に動いたりもしましたが、そんな彼の“世界をもっと知りたい”という欲求があったから、愛情の欠落が原因で心が閉じてしまっていた勇に広い世界を受け入れさせる切っ掛けを作ったり、
勇が彼の強烈な意思を感じた時は、今まで自分の意思に付き合わせて来たのを逆にブレンの意思に付き合ってあげる等、勇に様々な変化をもたらしました。
きっと社会に対して失望していた勇にとっては人間との関係よりも、物の見方や感じ方を全く異にするブレンとの触れ合いが勇を変えていったのでしょう。

そしてもう一人、寂しがり屋な上にやきもち焼きなネリーブレン。
ネリーが居なくなって悲しい気持ちは一緒だけど(だからこそ)勇は自分の感情より彼の事を思いやり、ネリーと自分との関係を嫉妬する彼に(上手くは言えませんが)自分と彼とネリーが嫉妬であるとか、そういった関係を超えた所にある事を証明して行きます。
これは初期の頃、自分にとっての比瑪やカナンがどんな存在かを考えずにディスコミュニケーションに陥っていた勇の姿から比べると大きな違いです。

多分ですが、言葉や行動といった表面的な物を超えた関係っていうのはこういう物なのでは無いかと自分は思います。
ニュータイプがある種の“第六感”を持ちえた存在でありながら、その感性の補完をテクノロジーの発達に求めた結果、やがてニュータイプ同士の衝突が起きた事を考えると、
人間には無い感覚を持ったブレン達と、人間の持つ判断力や生殖機能を持ちえなかったブレンとがお互いを補完しあう関係というのは、
未来的な我々と、彼ら“犬”との関係性のヒントになるのでは無いかと思わせます。


ちなみに自分が昔飼っていた犬は勝手に首輪を外して近所の人達に食べ物をねだった挙句、
一番良い食べ物をくれる家に居つくようになった、実に即物的な奴でしたがw

ブレン=犬!

レバニラさま
 よくもまあ、こんな難解でめんどうな記事にコメント頂戴して、感謝の極みです。
 私自身、この記事を読み返してみたら、あまりに「家族」に対する自身の願いや思いが強く前面に出すぎてて、作品の本質をついているという自覚はあっても、かなり吐露している部分が多くて、いまさらながら恥ずかしい記事だなと思っておりました。記事を公開した時はさほどリアクションもなかったので、このままひっそりと残しておけばいいかと思っておりましたが、まさかレバニラさんからいまさらリアクションがあるとは夢にも思いませんでした。

 さて、ブレン=犬というお話。技術的な観点に関する詳細までご説明いただき、ありがとうございます。過日NHKでちらっと見た犬とがん患者の画面を思い出しましたが、本編を見ていないので、内容まではよくわかりませんで、ごめんなさい。イッテQ見ないで観ておけばよかった。

 ブレンってレバニラさんがおっしゃるように犬であり、人間と寄り添うために生まれた「技術」でもあるんだという説には、どえらく納得する次第。私の記事ではブレンよりも人間関係に主軸をおいて記事を書いているので、ブレンやグランチャーについてはあまり触れてなかったのですが、実はオルファンから生み出された生体ロボットという認識以外に持ち得ていない自分に気が付かされました。それこそまさに人に寄り添う犬としてのブレンをあまりにも無視しすぎた記事だったなあと反省しきりです。

 ブレンに性格やキャラクターがきちんと付与されている件にしても、人との対話の中でグランチャーと戦う意思を固める過程といい、搭乗者としての人を守りたいという願いによって動くブレンは、まさに犬そのものですよね。

 「ブレンパワード」の話で面白いのは、世界中で科学者がオルファンの行動動機を頭突き合せて議論しているのに、オルファンの感情には思考が至らず、オルファンの海底からの浮上とそれにまつわる災害にばかり目を向けていることで、科学者たちの無能さが強調されているあたり、女性特有の科学に対する不信感が如実に表れている気がします。人の良き隣人である「犬」によって、人が癒され、人が救われていくレバニラさんのお話には、科学が今までメスを入れようとしなかった部分に科学的メスが入っていく気持ちよさがあるのと同時に、それがはたして解明できるのか?という疑問との戦いが始まっている気がします。この疑問と戦わない限り、人間にはAIに取って代わられる未来しかなく、それはSF作品世界の暗い予想図でしかないので、ぜひ突破してほしいと期待してしまいます。

No title

どうも、こんにちはです、
もう一度ブレンについて語らせて下さい。

まにまにさんのコメントにもございましたが、最近NHKでは我々にとって身近な犬や猫に関する番組が増えてきており、中でも犬に関しては1万3千年前の遺跡から犬を抱いたまま埋葬された女性の遺骨がイスラエルで発掘される等の事柄が紹介されており、科学的にも文化的にも犬たちが我々の生活との繋がりが密である事を考えさせられます。
(ついでに農家をやっていると猫は食糧倉庫や畜舎のネズミ番として非常に頼りになる存在です)

そういった事もあって今、再びブレンに対する注目度が上がった・・・と、前回申し上げましたが、
実は去年、是枝裕和監督の「万引き家族」を見た後でも本作についての再考察をしておりました。
「万引き家族」と言えば是枝監督の「誰も知らない」や「そして父になる」といった作品と連なる“既存の家族の形から外れた家族の姿”を描いた映画でしたが、
その中で用いられた「血が繋がっていない方がお互いに下手な期待をしない分、楽だ」という台詞が一連の是枝作品を総括する物であると同時にブレンにおける勇を取り巻く環境を思い起こさせたからです。

「楽だ」というのは「その方が良い」という意味では無く、ただ単に「疲れない」という意味だと思って見ると、第一話の時点で勇はオルファンでの生活に疲れた状態で家出している訳で、でも色々と期待を持って比瑪に会ってみたら、比瑪に力一杯コミュニケーションをとられて疲れてしまう、
だって比瑪は期待する相手が居ない分、疲れてないから。
で、期待していた宇都宮比瑪像が崩れた所で勇はしばらく一人で疲れを癒す期間を経て、また一から比瑪との関係を構築して行く、
それはオルファンの中で疲れ切っている上に、弟に対する勝手な期待を持ち続けた上に、その期待が裏切られると勇に本気で襲い掛かって行った依衣子とは対照的です。
その背景にあるのは、勇には一人で居る時に寄り添ってくれたブレンの存在と、依衣子にはオルファンにも人間にも依存しなければならないグランチャーとの違いもあったと思います。

対照的といえばブレンの12年前に作られた「Zガンダム」のカミーユもそうで、彼もまた両親やエゥーゴの大人たちに抱いた期待を裏切られ続ける主人公で、結局誰とも関係を修復出来ずに悲しい最期を迎えてしまいますが、
その後、エルピー・プルがカミーユの本質を「優しい」と理解したのが遅まきながらの救いになったと思います。

ニュータイプの相互理解が精神感応という、相手の立場や表面的な行動に囚われない形で行われるのであれば(だからこそプルが直接対面した事のないカミーユの本質を理解出来たとして)比瑪が第8話という比較的早い段階で勇の「優しさ」に気づく事が出来たのは、彼女もまた相手の立場や表面的な行動に囚われない形で勇の事を見ていたからだと考えられます。


是枝監督の一連の作品群は、これからの日本の新たな家族像を我々に問いかける物でしたが、
このブレンパワードという作品も、富野監督がZガンダムから逆襲のシャアまでに描いた“既存の価値観に囚われた人間関係の崩壊”の先にある再生を今の時代に先駆けて描いた作品だったのかもしれません。
(Vガンの時点でその萌芽は感じられましたが、その話はまたの機会に)

家族の肖像

レバニラさま
 再びのコメント、ありがとうございます。
 なるほど、レバニラさんが「ブレンパワード」に食いついた理由がそこそこわかりました。是枝監督作品ですか。私はCSでちらっと過去作を見ただけで、レバニラさんのように注目してたわけではないので、作品についてはなんともコメントしようがないのは、申し訳ない限りです。

 とはいえ、ちらっと見た過去作から、「家族関係」がひいては社会的生活を営む最低単位の人間関係であり、それがゆがんでいるから社会的に受けれてもらえない、だとか、どれだけゆがんでいても家族になっていく、だとか、家族関係に焦点を当てているのは、タイトルやチラ見でもすぐにわかる話で。けれど「家庭崩壊」と人間関係の再構築という意味で、体験として、家族とはそこに「ある」ものではなく「なる」ものだ、という自論がある私にとっては、崩壊した家庭を持つ主人公と、彼が必死に取り戻そうとした家族、そしてその先に開けた新しい人間関係のドラマティックな展開は、私にとって非常に好ましいものに思えました。だからこそ、最大限に作品内の家族関係の無残さを否定し、その諸悪の根源である母親(祖母をふくめて)を否定し、ユウの努力を肯定しました。ユウにとっては家族以外の人間との関係性の構築自体が困難な少年だったから、ヒメという少女の登場に対して戸惑い、時には独断的に行動し気を引いたり、突き放してみたり、優しくなったりと、未経験の過程が克明に描かれているあたりは、むしろというかやはりというか富野的少年観が出てますが、富野監督作品の一つのセオリーに、満たされた家庭環境からはドラマは生まれない、というのがあるらしく、ユウもそれにならってるわけですよね。

 話がすさまじくズレましたが、是枝監督作品の根幹にある、「崩壊してしまった家族関係の最低限度の肯定」だとしたら、おそらく観客がそのことに懐疑的になる前に主人公たちの根底にある、やりなおしたいとか再構築したいといった願いに気づかせるしくみが、映画の中に埋め込まれているのであって、崩壊した人間関係を見て観客が自分の状況を振り返って見直す結果になる、そんな映画だと推測できます。その意味で「ブレンパワード」って作品は、それを26話かけてやった作品であると思えます。家族関係の崩壊は、別に今始まった話でもない話ですが、是枝監督が外界に対する社会的破綻には目をつぶってでも、内々の家族関係を最優先することで、社会的最低限度の人間関係を再構築していくことで、社会的な更生を狙っているのだとしたら、再構築だけにとどまった「ブレンパワード」の先を行く話かもしれませんね。

是枝監督作品が、「血のつながらない家族」から「家族の再生」へと歩を進めたのだとしたら、「血によらない縁故関係」を否定したのか?となりそうですが、「ブレンパワード」でもふれているように、血による縁故関係がベースにあるから、血によらない関係が築けるという論理にならうものです。それが「楽」というタームによって無理をしないで「家族関係を再構築」するという話の展開は、ユウが26話かけて必死に家族を取り戻そうとした話にケンカ売ってるように見えてしまいますが、さにあらず。疑似家族であるユウをとりまく人々との、やわらかでクッション的な家族の役割を演じさせることで、ユウが家族の意味を知るわけですから、血によらない縁故関係を肯定しているわけです。逆に血の縁故関係にこだわりすぎたバロン・ズウみたいな、崩壊した家族(そもそも親子としてどうにもならない)もいるわけですから、家族にこだわりすぎてもいけないわけですよ。そのこだわりを捨て去ろうという話として「万引き家族」とかの作品があるなら、是枝監督作品と富野監督作品の家族観は、かなり似た印象を持てそうです。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
50歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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