「女性」と「家族」で見る富野作品(後篇)

承前

<Zガンダムに突き付けられた現実>
 そしてついに「機動戦士Zガンダム」では、かつてのヒット作「機動戦士ガンダム」を踏襲するようなキャラクター配置の群像劇を見せた上で、女性の本音と建前を戦わせる。当初から登場するレコア・ロンドはクワトロと名を変えたシャアと近しい関係でありながら、そもそも自分を満たしてくれる「男」という存在に懐疑的なキャラクターとして登場する。レコアは自分を満足させてくれる男を探すといいながら、そんな男はいないとうそぶくのである。一方最初はエウーゴと対立するティターンズに所属しながら、組織上層部の非道を見てエウーゴに寝返るのがエマ・シーンである。レコアが感情で動くタイプであるのに対して、エマは主義者である。だが表立って二人が対立するシーンはほとんどない。それはエウーゴに参戦したエマの教育係がレコアだったからだし、何より二人が感情をむき出しにしない大人だったからだ。
 しかしレコアがエウーゴの任務を帯びてジャブローに潜入して連邦軍に拿捕されたあたりから、レコアは自分の立場に不満を覚えるようになる。そしてティターンズのパプテマス・シロッコというカリスマを目の当たりにしたレコアはティターンズに寝返ってしまう。物語終盤に互いの思いが激突するエマとレコアの死闘は、人間の男に絶望したレコアが自分の主義に従い戦う建前だけのエマと相討ちとなるラストを迎える。二人は互いを理解することもできず、会話も一方通行なまま命尽きるのである。それは番組の二枚看板としての役割を持ちながら、互いが互いを否定してしまい共生できなくなる。これ以降、富野作品では二枚看板の女性キャラクターはなりをひそめる。だが女性キャラクターが多い「ブレンパワード」ではこうした対立も再登場する。23話でのシラーとヒギンズの言い争いは、エマとレコアの縮小再生産と見ることもできる。

 他にもカミーユのお隣さんであるファ・ユイリィ、強化人間であるフォウ・ムラサメ、ロザミア・バダム、サラ・ザビアロフなどがいるが、カミーユやカツにとってのトラウマの位置づけとなる以上、彼女たちはララアの縮小再生産といっていい(もっともよりエゴイスティックではある)。またカミーユのライバルとなるジェリドはライラやマウアーなど、彼自身を引き立て導く女性が存在する。いずれも戦闘で死んでしまうキャラクターであり、ジェリドの戦う動機となっている女性たちであるが、彼女たちは作り手がもっとも理想化しやすい女性キャラだったこと考えれば、彼女たちはこれまでのアニメの女性キャラの延長ではないか。

 「Zガンダム」においてもう一人特筆すべき女性を上げるとするならば、カミーユの母であるヒルダ・ビダンであろう。明確にカミーユの母親として登場しながら、カミーユの家庭は冷え切っており、父はMS開発研究に従事し、よそに女性を囲っている。家庭を顧みなくなった夫に絶望したヒルダは自らの材料工学の研究に没頭することで、息子であるカミーユすら放置する。こうした崩壊した家族の中で育ったカミーユは行き過ぎたナイーブさを持つ少年として描かれる一方で、父母を相次いでエウーゴとティターンズの小競り合いの中で失う。だがこうした親子関係の清算は、カミーユにとってコロニーでの生活を捨てさせる動機になるだけで、戦う動機にはなりえなかった。それをしてカミーユを薄情者と呼ぶことはできないだろう。こうした希薄でいびつな家族関係の問題の萌芽が本作にあるとすれば、その先にあるのが「ブレンパワード」だともいえる。

 富野監督は本作を「現実認知の物語」だと言った。私はこの意味が測りかねているのだが、空想の産物として創作したものが、リアルを追求したために、現実のむごたらしさを確認したという意味ではないだろうかと考えている。ここに人間の業に絶望し、物語に華を添えるはずの女性に失望し、それを支えてくれる基本的な人間関係である「家族」にも幻滅した富野監督の思考が反映されている作品、それが「機動戦士Zガンダム」という作品の側面ではないだろうか。

<ガンダムZZ、後退するテーマ>
 富野監督作品としては珍しく間髪いれずに続編の登場となった「機動戦士ガンダムZZ」では、前作に登場したハマーン・カーンが物語を牽引する。ジュドーに敵対するハマーンは、最後のジュドーとの一騎打ちにおいてその心情を吐露している。いわく、本来かたわらにいるはずだったシャアの代わりを欲したと言っているのである。身勝手な男に見捨てられた女性が、欠けた男の存在を補完するために、強い力を持つ少年を味方として欲したのである。だがこのハマーンの思い自体はこの戦争とはまったく無関係である。物語の牽引役でありながら、物語とは無関係な思いにとらわれて進む物語は、最終回においてジュドーとハマーンの対決というシークエンスで盛り上がるクロージングになるはずが、物語の幕を閉じるという感慨からは程遠いラストとなっている。しかもハマーンは物語途中で一端姿を消して見せるし、物語はジュドーという一人のニュータイプの目で見た地球圏の混乱と、少年たちの決して健やかではない成長を見せることで話を進めるしかなかったのである。ハマーンからは女性としての側面も母としての側面もはく奪されてしまう。そのため賑やかなエウーゴ側の女性キャラクターが目立つ作品となっているが、彼女たちはジュドーというキャラクターの付属物でしかなく、かつてのエルチやラグのような存在とも異なる、個性の希薄なキャラクターとなってしまった。彼女たちの家族関係を説明しないことで、新しい環境に適応した元気でイキのいいニュータイプ像を作りだしたかったのかもしれないが、賑やかさだけが彼女たちの存在価値であったように思う。プルとプルツーにしたところで、強化人間とクローンを悲劇的に描く、科学批判のコマでしかない。

 一方で本作は多彩な女性ゲストキャラクターが登場するが、安直な色恋やささやかな縁故関係ばかりが目立ち、彼女たちが登場する数話を牽引するのみで、物語全体をまとめるには至らない。本作で特筆すべきは「ムーン・ムーン」と呼ばれるコロニーを根城にした宗教団体が登場し、その教主としてサラサとラサラという姉妹が登場した。ここで富野監督は意識的に人の心の拠り所たる宗教に触れることになる。これは「Vガンダム」における「マリア主義」につながるし、「ターンAガンダム」における「祭り」やマニューピチの宗教儀式などにつながる。
 とはいえ、前作「Zガンダム」で前面に出ていたテーマ性はなりをひそめ、キャラクター主導の物語となっている。それは前作に対する反省である以上に、富野監督自身のキャラクターを封印し、周囲のスタッフに作品の主導権をゆだねた結果のように思える。だからか「女性」や「家族」というテーマ性にはあまり触れない作りになっているだけに、物語はジュドーに集中する。だが彼に物語を牽引できるほどに「戦争」は甘くなかったのではないか。

<Vガンダムの狂気>
 そしていくつかの劇場版ガンダムを挟んで、再びテレビ版を手掛けた富野監督は、再度手掛けたテレビ作品が「機動戦士Vガンダム」である。端的に言いきってしまうと、これほど不思議な印象の物語もない。だいたいにおいて物語当初から一人暮らしを余儀なくされている主人公ウッソ・エヴィンのおかれた状況に、とてつもなく異常さを感じるのである。彼の生活環境はまったく過不足がない。それは両親がすべてを整えてくれていたからであるが、それはウッソの父が反乱勢力リガ・ミリティアのリーダーであるジン・ジャハナムであること、そしてウッソの家にある充実した装備は、ウッソの英才教育のためにしつらえたのである。ウッソはガンダムパイロットの中で最年少でありながら、そのポテンシャルは高い。しかしこれが健全な子供の成長できる環境であろうか? ウッソの父母は劇中に登場して死んでいくのであるが、ウッソにとっては普段から情愛を感じられない父母の死は、「離れていても親子」などとお題目を唱えたとしてもウッソにとって戦う理由にならない。その代り幼いころから一緒に育った少女であるシャクティ・カリンをザンスカール帝国から取り戻すことのほうが重要なのである。これほど家族の存在が否定されている物語も珍しい。

 また良くも悪くも本作を代表するキャラクターである女性はカテジナ・ルースであろう。ウッソの初恋の人として登場しながら、それを疎ましく思う少女。商売に偏り家庭をかえりみない父、それを見限り愛人をつくる母など、こちらもウッソ以上に家庭が崩壊している。そして満たされない家族への幻想は、クロノクル・アシャーという男を求める。狂気を宿しながらカテジナは自分の手のひらでクロノクルとウッソが競い合い、自分を奪い合うことを夢想する。これもまた家族に満たされない人間の欲望なのか。ウッソに固執して強襲するも撃退されて退場する。そして記憶を失って故郷に戻るラストを迎えるのである。全体的に尋常でない物語の「Vガンダム」であるが、それを体現していたのはカテジナの存在だったかもしれない。そして悲劇的な彼女のラストで畳む物語をもって、富野監督は初めて女性キャラクターで物語を閉じたのである。だがそれは「ブレンパワード」が開放的に昇華して終わる物語だったのに対し、「Vガンダム」は鬱々と引きこもるような対照的なラストを迎えるのである。

<振り返って・・・>
 あくまで個人的な所感であるが、女性キャラクターの扱い方に、意外なほど変化が生じているらしいことはよくわかった。しかも「ブレンパワード」における女性キャラクターの肉付きのよさは、これまでの富野作品の中でも特筆すべきものであり、これに比肩する女性キャラクターを探せば、「イデオン」に登場するカララとシェリルだろうか。それは人間と切り離せないエゴイズムがキャラクターを支えたからでもある。では欲望に忠実に生きて狂気を宿したカテジナはどうかといえば、キャラクターとしての肉付きをそれほど感じない。それはやはり「ブレン」に参加した女性脚本家の力が大きいことはうかがい知れる。ただし、そうして肉付けされた女性キャラクターを認める富野監督がいなければ、そもそも成立しなかっただろう。
 女性的なもの、オーガニック的なもの、機械文明への懐疑的な気持ち、よりやわらかな人間関係、家族や血のつながりの否定と回帰。そういったものを富野監督が信じられなければ、「ブレンパワード」はそもそも成立しなかったと思える。そしてこうした視点が、「ブレンパワード」以降の富野監督作品を読み解く、一つのキーワードとなってくれそうな気がする。とはいえ、また別のキーワードを探してみるのも楽しいはずだ。まだまだ楽しませてくれる奥深い作品群、それが富野監督の作品なのかもしれない。
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