天装戦隊ゴセイジャー~その2・理由なき地球崩壊、若さゆえの力~
さて最終回を迎えた「天装戦隊ゴセイジャー」でしたが、みなさんどうご覧になられたでしょうか? いくつか興味深い件がありましたが、それはまああとのお楽しみとしておきましょう。前回は「天使」というワードに注目して、「ゴセイジャー」の物語的な弱点を指摘し、いまいち盛り上がらない敵組織の存在について申し述べました。なんだか批判的な意見でしたが、それはあくまで戦隊ウオッチャー故と思っていただきたい。長年継続して制作されたシリーズには、どうしてもすべてが一定レベルというわけにはいきませんし、戦隊フリークでも好き嫌いの話はどうしても出てきます。だからといって酷評された作品が本当に出来が悪いかといえばそうではなくて、あくまで様々なパターンが作品を見ている人々に受け入れられたかどうかの差でしかない。このあとに展開する記事がどのようなものであっても、本作が私の大好きな戦隊シリーズの1本であるという認識には違いはないのである。どう思われようとも、これが偽らざる気持ちです。
<システムおよびロボット関連>
今回の作品は、「ダイスオー」と呼ばれるカードゲームに連動している初のシリーズである。そのためキーアイテムとして「カード」が使用されることは、既定の条件であったと思われる。「ダイスオー」自体は先行の成功作「仮面ライダーガンバライド」と同じシステムであり、姿かたちが違っても中身は一緒のようなものである。平成ライダーシリーズでカードを使用したのは「仮面ライダー龍騎」であったが、ゲームと完全にリンクしたのは「仮面ライダーディケイド」である。ところがゲームシステムと本作でのカードの意味が全くリンクしていない。ダイスオーが過去の戦隊を出してゲーム内でバトルを繰り広げるものでありながら、ゴセイジャーの使うカードは、変身や武器やそれぞれのゴセイパワーの召喚、ロボットやヘッダーの呼び出しに使われている。まあゲームに関しては無視するにしても、これではゲームとのつながりがないのも著しい。
また召喚機「テンソウダー」が変身アイテムとして使われているのだが、このテンソウダーのプレイバリューの低さはおもちゃとしてどうなのだろう? こうした変身アイテムは携帯するために普通は小さめに作るのだが、なにかこうやけに大きい。しかも出来ることといえば顔を模した中の口の部分を開くだけ。別に武器にくっついて強化されたりしない。前作「シンケンジャー」の「書道フォン」や「ボウケンジャー」の「アクセルラー」ほどのプレイバリューもない。こういうあたりが何か設定の甘さを感じてしまう。
さらにカードで召喚する「ヘッダー」と呼ばれる交換パーツもどきもまったく面白いとは思えなかった。ロボット関連でいえば、1号ロボであるゴセイグレートが登場する。5つの召喚獣(ドラゴン、フェニックス、スネーク、タイガー、シャーク)が変形合体して完成するのであるが、そもそもの召喚獣はヘッダーと体が別々に存在する。だがロボットの素体を形成するのは体のほうである。ロボットの素体にヘッダーがいろいろとくっついて、それをプレイバリューとして楽しむ商品であるのだが、どのパーツを見てもヘッダーとのコネクターがむき出しであり、3つの種族がもつ3つのヘッダーがとりついた姿が容易に想像できる。意外性もへったくれもない。そもヘッダーは意志を持つがしゃべらない存在であり、護星天使はカードを使ってヘッダーを召喚してその力を使用する。だがカードで召喚するというひと手間が、どうしてもアクションのテンポを遅らせている。しかもその召喚機があの大きさときては・・・・。それ以降に登場するロボットやヘッダーに関しても、新たな驚きにはめぐり合えないままであった。
<ゴセイナイト、もろ刃の剣>
17話から登場したゴセイナイトであるが、彼はなんとグラディオンヘッダーというヘッダーであり、過去に幽魔獣と戦った経験のあるという。ヘッダーが超進化したのだそうだ。これには正直度肝を抜かれた。ヘッダーということは誰かに使役されていたに違いないが、そのくせ自意識を元に人型に進化したという。ということは現時点でゴセイジャーたちが使役しているヘッダーも、超進化することでこうなる可能性がある。いっそ護星天使などやめて、ヘッダーが超進化するのを推し進めたほうが、敵を圧倒できるんではなかろうか?それぐらいゴセイナイトは強い。だが同時に、彼の登場でゴセイジャーに使役されるだけの存在だと思っていたヘッダーに新しい概念が生まれてしまったことになる。しかもゴセイナイトの登場時、人間を否定することでゴセイジャーと対立する物語を展開する。そう使役されるだけのヘッダーは、超進化した自意識によりどんな勝手なことを言い出すやつになるかわかったもんじゃない。これなら超進化などせずに、だまって護星天使に使役されてくる方がよっぽどましである。
またこうした強力な助っ人として登場したゴセイナイトの存在は、ゴセイジャーの「強さ」の理由をかすませてしまう。それまで見習い護星天使であった5人は、それでも天装術を使うことで成長しながら敵を葬り去ってきた。彼らは戦いながらも成長することで強くなる。だがゴセイナイトの存在は、結局ゴセイジャーの強さを「ヘッダー」に求めてしまうことになる。結果的に金色輝くミラクルゴセイヘッダーの登場によるゴセイジャーのパワーアップがそれを助長してしまうため、ゴセイジャー自身の成長よりもより強いヘッダーの使役こそが強さにつながるテーゼが示されてしまう。これもまたゴセイナイトのもたらした問題点だろう。それゆえにゴセイジャーの強さ議論の中では、彼ら自身の成長や努力などエピソードが登場しても、ドラマとして完結できなくなっている。
<若さは未知数? だから強い?>
さて前回も触れたように、最後の戦いはゴセイジャーの先輩にあたる護星天使が姿や名を変えていたという大オチ。3つの組織にそれぞれ属しながら、崩壊に都度逃れては新しい組織に参加するあたりのブレドランの執念には素直に恐れ入る。だがこれも今となっては幽魔獣との戦いのときを経て、機械化されて再登場したブレドランを見た瞬間にだれもが思いついただろう。そして3つの組織から得た知識は、ブレドランを強化したってんだから、ゴセイジャー視線で見るよりもブレドラン視線で見たほうが、屈折加減が面白いと思えたのは私だけじゃなかっただろう。そしてブラジラとしての正体を現して掲げた「地球救星計画」は、地球を一端破壊しつくして新たな星として甦らせるというものであった。そのために自ら使役する怪人(そもそもはヘッダー)を使って地球に打ち込む楔を作り、それを打ち込んで計画を成し遂げようとした。
この時ブラジラは本来使役していたグラディオンヘッダーことゴセイナイトを洗脳してダーク・ゴセイナイトとしてゴセイジャーに敵対させる。一度はゴセイジャーに楔の1本になると疑われていたゴセイナイトであったが、それすらブラフであったなどという千両役者ぶりは立派であったと言っておこう。
だがここで3つ腑に落ちないことがあった。
まず一つはゴセイナイトの救出劇である。仲間であったゴセイナイトと戦う決意は、ゴセイジャーたちにとって思い決断であることはよくわかる。だがブラジラに闇の力を注入されたゴセイナイトに、圧倒されるゴセイジャーたち。当然ゴセイナイトとの共闘の歴史があってこそ、この対立は大きく意味を持つ。だがなぜか光り輝くオーラをまとったアラタの素手の一発により、ブラジラの闇の力が消え去ってしまうという展開は、あまりにもあまりなご都合展開である。ゴセイジャーとゴセイナイトの思い出は5人等しく持っていてもおかしくない。何故アラタのラブ注入のみがゴセイナイトを救ったのかは、今もって謎である。
さらにブラジラがなぜ地球救星計画を行う道を選んだのか、その理由については劇中まったく触れていない。もし地球を汚した人間への報復が狙いだとすれば、それは人類抹殺という単純極まりない方法を選ぶはず。なぜ地球を再生させるという選択肢が彼に中に閃いたのかは、これも物語を閉じた今もって謎である。しかもこの思考はゴセイナイトとまったく同じことであり、わざわざゴセイナイトとブラジラに、2度同じことを言わせたことになる。それはあまりにもクドいじゃないの。
そして最後の難点であるが、アラタが最後の戦いでのたまった、自分たちに護星の力が宿っている理由についてである。これがまた「僕たちは未熟だ。だから地球やそこに住む人々の素晴らしさを知るために、戦う宿命や護星の力が宿っている」という回答を示して、仲間を鼓舞する。5人は力を合わせて打ち込まれた3つの楔を消去することに成功して、5人の苦しく長い戦いは終了することになる。これについて、あなたはどう思われただろうか? これをメインターゲットである子供たちへのエールと説教だととるのは簡単だ。事実そうなのだろう。そういう意味ではメッセージは正しく伝わるだろう。だがうがった見方をしてみれば、これは「老人たちの若さへの嫉妬」にすら聞こえるのである。未成熟の5人は見習い護星天使から見習いが取れても、地球にとどまることになる。それをして護星天使たちの希望で終わり、同時に納得できる天知家の二人との別れを切なく演出する。けれど、そこで描かれるアラタたちの願いは、あくまで彼らの「若さ」ゆえの希望に満ちあふれている。だが1年を立派に戦ったはずの戦士が、それをして未熟だということはなかなか難しい言いぶりである。しかも未熟だからこそ力が宿り、それゆえに新しい旅路へと向かうという展開には、どう考えても作り手の老人たちの期待混じりの嫉妬が感じられてしまう。それがうすら寒いのである。
最後には人の目に触れなくても、人々の幸せを願って人とともにある5人の護星天使が旅立っていくラストで締めくくられる。こうして護星天使たちの1年は終わりを告げたのである。あなたのそばに護星天使。う~んランディックの兄妹は勘弁してほしい気がする。あとエリ丼は勘弁ね(笑)
すでに話題になっている次回作「海賊戦隊ゴーカイジャー」。なんでも歴代の戦隊に変身できるとか。まあ「ディケイド」を考えれば容易に想像がつくのだけど。これもゲームの効果ですからね。こうやって戦隊シリーズも過去がなくなり現在だけになる。長年見ていると、掘り起こさないでそっとしておいてほしいという気持ちもあるのだけれど、せっかくのキャラクタービジネスに水を差す気もないので、今年もゴーカイジャーの活躍を楽しんで見てみようと思います。
もうすぐ発売。その前に劇場で見てこようかと。レビューします!
<システムおよびロボット関連>
今回の作品は、「ダイスオー」と呼ばれるカードゲームに連動している初のシリーズである。そのためキーアイテムとして「カード」が使用されることは、既定の条件であったと思われる。「ダイスオー」自体は先行の成功作「仮面ライダーガンバライド」と同じシステムであり、姿かたちが違っても中身は一緒のようなものである。平成ライダーシリーズでカードを使用したのは「仮面ライダー龍騎」であったが、ゲームと完全にリンクしたのは「仮面ライダーディケイド」である。ところがゲームシステムと本作でのカードの意味が全くリンクしていない。ダイスオーが過去の戦隊を出してゲーム内でバトルを繰り広げるものでありながら、ゴセイジャーの使うカードは、変身や武器やそれぞれのゴセイパワーの召喚、ロボットやヘッダーの呼び出しに使われている。まあゲームに関しては無視するにしても、これではゲームとのつながりがないのも著しい。
また召喚機「テンソウダー」が変身アイテムとして使われているのだが、このテンソウダーのプレイバリューの低さはおもちゃとしてどうなのだろう? こうした変身アイテムは携帯するために普通は小さめに作るのだが、なにかこうやけに大きい。しかも出来ることといえば顔を模した中の口の部分を開くだけ。別に武器にくっついて強化されたりしない。前作「シンケンジャー」の「書道フォン」や「ボウケンジャー」の「アクセルラー」ほどのプレイバリューもない。こういうあたりが何か設定の甘さを感じてしまう。
さらにカードで召喚する「ヘッダー」と呼ばれる交換パーツもどきもまったく面白いとは思えなかった。ロボット関連でいえば、1号ロボであるゴセイグレートが登場する。5つの召喚獣(ドラゴン、フェニックス、スネーク、タイガー、シャーク)が変形合体して完成するのであるが、そもそもの召喚獣はヘッダーと体が別々に存在する。だがロボットの素体を形成するのは体のほうである。ロボットの素体にヘッダーがいろいろとくっついて、それをプレイバリューとして楽しむ商品であるのだが、どのパーツを見てもヘッダーとのコネクターがむき出しであり、3つの種族がもつ3つのヘッダーがとりついた姿が容易に想像できる。意外性もへったくれもない。そもヘッダーは意志を持つがしゃべらない存在であり、護星天使はカードを使ってヘッダーを召喚してその力を使用する。だがカードで召喚するというひと手間が、どうしてもアクションのテンポを遅らせている。しかもその召喚機があの大きさときては・・・・。それ以降に登場するロボットやヘッダーに関しても、新たな驚きにはめぐり合えないままであった。
<ゴセイナイト、もろ刃の剣>
17話から登場したゴセイナイトであるが、彼はなんとグラディオンヘッダーというヘッダーであり、過去に幽魔獣と戦った経験のあるという。ヘッダーが超進化したのだそうだ。これには正直度肝を抜かれた。ヘッダーということは誰かに使役されていたに違いないが、そのくせ自意識を元に人型に進化したという。ということは現時点でゴセイジャーたちが使役しているヘッダーも、超進化することでこうなる可能性がある。いっそ護星天使などやめて、ヘッダーが超進化するのを推し進めたほうが、敵を圧倒できるんではなかろうか?それぐらいゴセイナイトは強い。だが同時に、彼の登場でゴセイジャーに使役されるだけの存在だと思っていたヘッダーに新しい概念が生まれてしまったことになる。しかもゴセイナイトの登場時、人間を否定することでゴセイジャーと対立する物語を展開する。そう使役されるだけのヘッダーは、超進化した自意識によりどんな勝手なことを言い出すやつになるかわかったもんじゃない。これなら超進化などせずに、だまって護星天使に使役されてくる方がよっぽどましである。
またこうした強力な助っ人として登場したゴセイナイトの存在は、ゴセイジャーの「強さ」の理由をかすませてしまう。それまで見習い護星天使であった5人は、それでも天装術を使うことで成長しながら敵を葬り去ってきた。彼らは戦いながらも成長することで強くなる。だがゴセイナイトの存在は、結局ゴセイジャーの強さを「ヘッダー」に求めてしまうことになる。結果的に金色輝くミラクルゴセイヘッダーの登場によるゴセイジャーのパワーアップがそれを助長してしまうため、ゴセイジャー自身の成長よりもより強いヘッダーの使役こそが強さにつながるテーゼが示されてしまう。これもまたゴセイナイトのもたらした問題点だろう。それゆえにゴセイジャーの強さ議論の中では、彼ら自身の成長や努力などエピソードが登場しても、ドラマとして完結できなくなっている。
<若さは未知数? だから強い?>
さて前回も触れたように、最後の戦いはゴセイジャーの先輩にあたる護星天使が姿や名を変えていたという大オチ。3つの組織にそれぞれ属しながら、崩壊に都度逃れては新しい組織に参加するあたりのブレドランの執念には素直に恐れ入る。だがこれも今となっては幽魔獣との戦いのときを経て、機械化されて再登場したブレドランを見た瞬間にだれもが思いついただろう。そして3つの組織から得た知識は、ブレドランを強化したってんだから、ゴセイジャー視線で見るよりもブレドラン視線で見たほうが、屈折加減が面白いと思えたのは私だけじゃなかっただろう。そしてブラジラとしての正体を現して掲げた「地球救星計画」は、地球を一端破壊しつくして新たな星として甦らせるというものであった。そのために自ら使役する怪人(そもそもはヘッダー)を使って地球に打ち込む楔を作り、それを打ち込んで計画を成し遂げようとした。
この時ブラジラは本来使役していたグラディオンヘッダーことゴセイナイトを洗脳してダーク・ゴセイナイトとしてゴセイジャーに敵対させる。一度はゴセイジャーに楔の1本になると疑われていたゴセイナイトであったが、それすらブラフであったなどという千両役者ぶりは立派であったと言っておこう。
だがここで3つ腑に落ちないことがあった。
まず一つはゴセイナイトの救出劇である。仲間であったゴセイナイトと戦う決意は、ゴセイジャーたちにとって思い決断であることはよくわかる。だがブラジラに闇の力を注入されたゴセイナイトに、圧倒されるゴセイジャーたち。当然ゴセイナイトとの共闘の歴史があってこそ、この対立は大きく意味を持つ。だがなぜか光り輝くオーラをまとったアラタの素手の一発により、ブラジラの闇の力が消え去ってしまうという展開は、あまりにもあまりなご都合展開である。ゴセイジャーとゴセイナイトの思い出は5人等しく持っていてもおかしくない。何故アラタのラブ注入のみがゴセイナイトを救ったのかは、今もって謎である。
さらにブラジラがなぜ地球救星計画を行う道を選んだのか、その理由については劇中まったく触れていない。もし地球を汚した人間への報復が狙いだとすれば、それは人類抹殺という単純極まりない方法を選ぶはず。なぜ地球を再生させるという選択肢が彼に中に閃いたのかは、これも物語を閉じた今もって謎である。しかもこの思考はゴセイナイトとまったく同じことであり、わざわざゴセイナイトとブラジラに、2度同じことを言わせたことになる。それはあまりにもクドいじゃないの。
そして最後の難点であるが、アラタが最後の戦いでのたまった、自分たちに護星の力が宿っている理由についてである。これがまた「僕たちは未熟だ。だから地球やそこに住む人々の素晴らしさを知るために、戦う宿命や護星の力が宿っている」という回答を示して、仲間を鼓舞する。5人は力を合わせて打ち込まれた3つの楔を消去することに成功して、5人の苦しく長い戦いは終了することになる。これについて、あなたはどう思われただろうか? これをメインターゲットである子供たちへのエールと説教だととるのは簡単だ。事実そうなのだろう。そういう意味ではメッセージは正しく伝わるだろう。だがうがった見方をしてみれば、これは「老人たちの若さへの嫉妬」にすら聞こえるのである。未成熟の5人は見習い護星天使から見習いが取れても、地球にとどまることになる。それをして護星天使たちの希望で終わり、同時に納得できる天知家の二人との別れを切なく演出する。けれど、そこで描かれるアラタたちの願いは、あくまで彼らの「若さ」ゆえの希望に満ちあふれている。だが1年を立派に戦ったはずの戦士が、それをして未熟だということはなかなか難しい言いぶりである。しかも未熟だからこそ力が宿り、それゆえに新しい旅路へと向かうという展開には、どう考えても作り手の老人たちの期待混じりの嫉妬が感じられてしまう。それがうすら寒いのである。
最後には人の目に触れなくても、人々の幸せを願って人とともにある5人の護星天使が旅立っていくラストで締めくくられる。こうして護星天使たちの1年は終わりを告げたのである。あなたのそばに護星天使。う~んランディックの兄妹は勘弁してほしい気がする。あとエリ丼は勘弁ね(笑)
すでに話題になっている次回作「海賊戦隊ゴーカイジャー」。なんでも歴代の戦隊に変身できるとか。まあ「ディケイド」を考えれば容易に想像がつくのだけど。これもゲームの効果ですからね。こうやって戦隊シリーズも過去がなくなり現在だけになる。長年見ていると、掘り起こさないでそっとしておいてほしいという気持ちもあるのだけれど、せっかくのキャラクタービジネスに水を差す気もないので、今年もゴーカイジャーの活躍を楽しんで見てみようと思います。
<初回生産限定>天装戦隊ゴセイジャーVSシンケンジャー エピック ON 銀幕 特別限定版(仮)【DVD】 (2011/03/21) 千葉雄大、さとう里香 他 商品詳細を見る |
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テーマ : 特撮・SF・ファンタジー映画
ジャンル : 映画