テレビドラマのお話~分け隔てなく愛してます~

 かねてより時代劇(っていうか必殺シリーズだけど)の話をしているが、以前はドラマを良く見ていた。よくよく暇だったんだなあと思うが、両親が共働きで学校から帰宅後に友達と遊ぶことが少なかった私には、3時から夕方までの母親が帰宅するまでの時間は、自由にテレビが見られた時間だった。しかも母親はテレビがあまり好きではなかったようで、母親帰宅後のテレビにはかなり制限が加わったため、夕方の再放送の時間枠は本放送時に見られなかった作品を補完するまたとないチャンスでもあったのだ。
 この時間は意外に多くのドラマが再放送されている。ひとりの時間を慰めるには、実に充実した時間だったと言える。もっともこれは関東地方のみの話かもしれない。キー局の番組は日本国中どこでもやっていると思っていたが、ある日愛読書であったアニメ誌に、地方局でのアニメ放送予定が掲載されていたのを読んだ。関東地方では再放送されていない作品が目白押しであり、うらやましく思ったことを今更のように思い出す。現在ではケーブルテレビなどでの放送があり、新しい番組よりも古い番組を見ることのほうが圧倒的に多い。それこそ必殺シリーズなんて様々なチャンネルで扱っているから、ある意味見放題である。いい時代になったなあ。
 今回は、思いつくまま昔見たドラマの話をしてみたい。大した話ではないので、興味のない方はスルーしてやってください。なお、これを機に今後ドラマの記事も増えていくことをご承知ください。

<ドラマ事始め>
 少しばかりお聞きしたいのだが、あなたが最初に見たドラマって覚えているだろうか? 正直申し上げて私もはっきりとは覚えていない。だが小学校上がる前から「太陽にほえろ」(1972~86)はよく見ていた記憶がある。私には6歳年上の姉がいるのであるが、彼女が幼い日に見ていたのが「アテンションプリーズ」(1970)であったと聞いている。たぶんキャビンアテンダント(スチュワーデスだと語弊があるからね)にあこがれを持っていた少女時代の思い出だったろう。またその頃に母親が珍しく楽しんで見ていたのは、水前寺清子が主演していた「ありがとう」(1970~75)である。
そもそもテレビドラマといえば「ホームドラマ」とされており、家族を主体とした日常を描くドラマが主流を占めていた。その対抗馬は「時代劇」しかなかった。そこに加わってきたのが「刑事ドラマ」である。時代劇の持つアクションと娯楽性、そして事件を解決に導くための推理ドラマが組み合わさり、それを捜査する刑事さんの背景にホームドラマの要素まで組み込んで誕生したのが「刑事ドラマ」だったのではないか。

 「刑事ドラマ」で忘れていけないのが「太陽にほえろ」と同じように長寿番組となった「特捜最前線」(1977~87)だ。シリーズが進むとかつてのヒーローを演じた役者が大挙してレギュラー化した作品だ。制作が東映であるからそれもむべなるかな。かつてのヒーローに再会できる喜びに勝るものなしである。一方ホームドラマは私の趣味ではなかったため、あまり視聴していた記憶がない。それでも「時間ですよ」(1970~)「寺内貫太郎一家」(1974)などは見ていた記憶がある。特に後者は毎回小林亜星演じる貫太郎と息子役の西城秀樹がちゃぶ台をひっくり返して大喧嘩を始めるシーンが出てくる。このケンカの本気度がすさまじく、ドラマでありながら生っぽさを持つ面白いドラマであった。ちゃぶ台をひっくり返して起こる父親像って、定型はたぶん「巨人の星」の星一徹だと思うのだが、絵としてはこの「寺内貫太郎一家」のインパクトが意外と大きいのではないだろうか? 毎回ご飯ののったちゃぶ台をひっくり返すものだから、お手伝いとおばあちゃんが、ケンカが始まるとちゃぶ台をサイドに避けるなんて楽屋オチめいたセルフギャグを見せてくれたのも、この作品ならではのお遊びだった。これが後のドラマのバラエティ化を促進させることになる気がする。

<ジャンルの爛熟期>
 かつての人気ジャンルである「青春もの」を私が見るようになったのは夕方の再放送枠であるが、よく見ていたのは「われら青春!」(1974)の中村雅俊である。それ以前の村野武憲が演じていた青春もの「飛び出せ!青春」(1972)も見ていた気がする。なんでそう思っていたかといえば、こうした作品に出ていた学生役の役者さんが、総じて同じ役者だったからだ。先生役の役者の話を聞くと、生徒役の役者のほうがキャリアが上であったから、彼らと飲みに行ってよくおごってもらったとかいう話がよく出てくる。中村雅俊はこの作品で人気者となり、「俺たち」シリーズなる日テレのドラマ作品群を作り上げる。「俺たちの旅」(1975)「俺たちの勲章」(1975)「俺たちの祭り」(1977)など、役も立場も違うが中村の演じた役は、どこかせつなく、どこかやるせなく、でもどこかに希望があった。「俺たちの旅」なんて別に彼が何をするでもないドラマなのに、彼の一挙手一投足がなぜかドラマになり、そして最後にホロっとさせるのである。必死に生きているだけのドラマなのに、その必死さを忘れて生きていることを思い出させるドラマだったような気がする。いまでこそその熱さを笑いに転化できるが、当時圧倒的に受け入れられていた中村雅俊を笑う人なんていなかったんじゃないだろうか。その後中村は「ゆうひが丘の総理大臣」(1978)という学園物にも主演する(原作漫画とはだいぶイメージが違ってたけど)。

 ホームドラマはそこにミステリーや悲劇の要素を組み込んだ。特にTBSで放送されていた大映が放つ「赤いシリーズ」(1974~80)は当時人気者であった山口百恵と三浦友和を主演に据えることで加速した。当時からその仲を疑われていた二人は、まるでドラマのように結婚をし、山口百恵は芸能界になんの未練も残さずに去って行った。なにか現実と虚構がごちゃまぜになったような感慨があった。またこのころTBSのホームドラマはバラエティ化していく。「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」はシリーズを重ね、ついにバラエティ化したドラマの極地「ムー」(1977)および「ムー一族」(1978~79)を迎える。基本的には足袋屋を舞台にしたホームドラマでありながら、毎回挿入される女生と駆け落ちして逃げる兄や、足袋屋に因縁を付けに来るやくざなど、お約束が毎回挿入される。レギュラーの郷ひろみと樹木希林の二人が歌う挿入歌「おばけのロック」や「林檎殺人事件」も大ヒットし、ドラマはついに収録ではなく生放送で行われる。さらに驚かされたのは、エジプトのピラミッドやスフィンクス像を背景に、ドラマの生放送が行われている。そのスタジオや現場のあわただしさは、見る者に生々しさだけが伝わり、ドラマを見ているというよりもバラエティ、それもドキュメンタリー番組を見るような感触であったことを今でも覚えている。

 刑事ドラマもさらに進んでくると、「太陽にほえろ」のスタイルから派生してややワイルドさや悲惨さを増してくる。「大都会」シリーズ(1976~1978)や「大追跡」(1978)など、日テレの刑事ドラマはすさまじく、その表現も容赦ない。特に「大都会」シリーズに登場する渡哲也演じる黒岩の妹は過去に犯罪者にレイプされた経験を持つ女性であり、黒岩のトラウマになっている。それゆえに犯罪を憎む黒岩の静かな執念こそが、ドラマの縦軸となっているという重いドラマでもあった。後にやや軟化していくが、その他の刑事ドラマと一線を画すのは、こうしたバイオレンスな一面がリアリティを持っていたからである。だがそのバイオレンスさゆえに、近年ではほとんど再放送されることがない作品でもある。

<バラエティ化するドラマ>
 萩原健一の「傷だらけの天使」(1974)や松田優作の「探偵物語」(1979)も大好きだった。退廃的でやるせなく、どこまでも滑稽な彼らのディテクティブストーリーは、時代の先端にある若者の気持ちの代弁者だったのかもしれないが、子供だった筆者にはよくわからなかった。彼らのスタイルやファッションには目もくれず、仕事をしているようでしていない彼らの面白そうな日常が楽しくて仕方なかった。その一方で不真面目でも愚直に生きる人間が噛みしめるだろう「勝ち負け」を、なんとなく感じていたのかもしれない。劇中萩原健一の相棒だった水谷豊は風邪をこじらせて死に、主人公は一人ぼっち。松田優作も愛する仲間を殺した奴らを闇に葬ったあとで復讐されて殺されている。何かこう、因果応報ということばを思い出すラストであったことだけは覚えている。けれどドラマ自体はあくまでも軽薄なのに重みがあって、楽しいけれど悲しかった。

 水谷豊はその後、日テレの顔となる。彼が主演して覚えているドラマのタイトルを思いつくまま列挙してみる。「熱中時代」(1978~81)「熱中時代 刑事編」(1979)「事件記者チャボ」(1983)「あんちゃん」(1982)「気分は名探偵」(1984)など。流行したのは「熱中時代」シリーズだろうか。教師編も2シリーズ制作され、人気のほどが伺える。若い熱血教師が子供たちに全力で挑む姿は、理想の教師像であったが、その一方で無軌道な若者役が多かった水谷には、「刑事編」もまた当たり役だと思えた。「刑事編」の恋人役ミッキー・マッケンジーはその後結婚することになるのだが、後離婚。その後「あんちゃん」にて兄妹やくとなる伊東蘭と再婚する。ともにドラマの共演者というのが、私生活がいまだによく見えない水谷らしいというか。

 TBSでも教育現場を題材にしたドラマがやがてスタートする。「3年B組金八先生」(1979~2011)である。いまもって長く続くシリーズであるが、私がきちんと視聴したのは第2シリーズ(1980)まで。あの「腐ったミカン方程式」ってやつで打ち止めである。スピンオフシリーズであった「新八先生」(1980)や「仙八先生(1981~82)」、川谷拓三が主演した「貫八先生」(1982~83)というやつも見た。私にとって一番記憶に残っているドラマの原風景の一つが、「金八」第2シリーズの終盤で、桜中学転校前の中学に卒業前に赴いた加藤優が、自分を放り出した教師に詫びを入れさせにいくエピソードで、最後には警察に逮捕されてしまう件である。あのシーンにかかる中島みゆきの曲「世情」の歌声のむなさしさだけが印象に残る衝撃的な映像であったことを、今でも覚えている。また「仙八先生」ではクラスの生徒たちの一部が自主的に教科書を焼き捨て、その火を必死に消そうとする仙八先生という姿を良く覚えている。必死の先生に冷たい視線の生徒たちのコントラストが、教育現場の崩壊という警笛を鳴らしているかに見える衝撃のシーンであった。「仙八先生」は生徒と先生の色恋沙汰や、生徒の家庭環境などの問題が多く取り沙汰されているイメージが強いのだが、この教科書焼打ち事件は「教育」の根本的な意味を改めて問い直し、なぜ私たちが教育を必須としてこの国の教育を受けているのかを提示する試みのドラマだったと思っている(DVD化されていませんので、お願いですからしてください!)。この枠は貫八先生をもっていったん終了し、その後「青が散る」(後述)や「オサラバ坂に陽が昇る」などが放送されている。「オサラバ坂~」(1983)は矢崎滋主演のドラマで舞台が少年を更生させる施設だった。矢崎の奥さん役をイルカが演じており、これがまたなんだかいい雰囲気のやさしい奥さん像であったことを覚えている。

 日テレも負けてはいない。水谷豊を輩出した同じ時間枠で、西田敏行主演の「池中玄太80キロ」(1980~81)が放送される。これも第2シーズンで死に別れた妻の連れ子の3姉妹と心通わせる玄太が、北海道で鶴の写真をとりに家族で赴き、その雪原に舞うタンチョウヅルの姿に亡き妻をだぶらせて泣く玄太のシーンを覚えている。主題歌であった「もしもピアノが弾けたなら」や杉田かおるの歌う劇中歌「鳥のうた」はともに大ヒットした。その西田敏行もその後「サンキュー先生」(1980~81)という先生もののドラマに主演する。
 また開局記念番組として制作されたのが「西遊記」(1978~80)シリーズである。故・夏目雅子を三蔵法師に起用した驚きもあったが、何より堺正章、西田敏行、岸部シローらがくりひろげる絶妙な間で行われるしゃべくりは、現在のどの西遊記シリーズと比較にならないほど抜群の面白さがあった。堺先生といえば、今ではチューボーやかくし芸の個人芸の人のような扱われ方であるが、当時は歌にドラマにバラエティにと引っ張りダコの人気者であった。ほぼ同時期に放送されていた「キッド」(1981~82)という親子ものの刑事ドラマや「天皇の料理番」(1980)という歴史ドラマにも主演していた。私は堺先生が大好きだったのでいずれの作品も見ており、小学生のくせに同級生とは話が合わないことも度々であった。こうしてドラマは様々な手法でバラエティ化していくことになる。

 「ただいま放課後」(1980~81)なんていう「金八先生」出身者のたのきんトリオが出演した学園ものもあったが、あまり真剣には見ていなかった気がする。そして金八先生と同じころにスタートしたドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983、後に数シリーズあり)でドラマの世界は少しづつ主役一人の状態から抜けだし、複数主役制がはびこりだす。「金曜日の妻たちへ」シリーズ(1983~85)、そして本邦初のトレンディドラマとうたわれた「男女7人夏物語」(1986、「秋」は1987)が登場する。そんな80年代半ばから後半に至る作品群の中で私が見ていた作品といえば、宮本輝原作の「青が散る」(1983~84)である。新しく設立された大学に入学した若者たちが、テニスサークルを立ち上げる中で、仲間を増やし恋愛沙汰に発展していくなかでの栄光と挫折の物語である。本作は二世俳優を主に起用したドラマであり、二谷友里恵、石黒賢、佐藤浩一などが主演した集団劇である。私はこの作品を見ながら大学でのキャンパスライフを夢見たのであるが、ドラマ以上に無残なキャンパスライフだったことを告白しておく。なお原作も読んだが大したドラマの起伏もない小説でありながら、当世若者のなんとなく日々を過ごす日常の姿を活写していたことは紛れもない事実だったろうと思う。またあだち充原作の「陽あたり良好」(1982)も竹本孝之、伊藤さやか主演でドラマ化された。これも私が中学時代の大好きな作品である。同時期に「スチュワーデス物語」(1983~84)や「スクールウォーズ」(1984~85)などの大映ドラマがあったが、なぜか私にはそれらに興味を抱けなかったが、ネタとしてちょいちょい見ていた程度だった。一方刑事ドラマは飽きることなく続く「太陽にほえろ」にあるていど見切りをつけて、気持ちは「西部警察」(1979~84)や「Gメン75」(1975~83)の後番組である「スーパーポリス」(1985)などに喜んでいた。特に「スーパーポリス」は三浦友和・かとうかずこが主役を演じながら、当時活躍していたJACのメンバーがレギュラーとして登場する。特撮ファンなら見逃せないドラマであった。この作品の主題歌「I’m Free!」を歌っていたのは、まだ「My Revolution」ヒット前の渡辺美里であるのだが、この曲だけは彼女のどのアルバムにも収録されていない。シンガーソングライターである彼女の楽曲ではないためだろうか。なんとか聞きたいのであるが。そして刑事ドラマの金字塔「あぶない刑事」(1986~1989)がスタートしドラマのバラエティ化に拍車がかかる。
 こうして中学高校生時代は、トレンディドラマの萌芽となる作品群である「男女7人」や「金妻」シリーズなどを見ていたが、それを面白がっていたというよりも、話題作に食いついていた感じしかしない。それよりも「スケバン刑事」シリーズや特撮やアニメに力を入れていた時期だったからだろう。

<トレンディドラマの台頭>
そして万全の態勢で登場したトレンディドラマでひと山当てたのが、フジテレビのドラマ群である。それまで「北の国から」(1981~)や多くの大映ドラマが主軸だったフジテレビが、トレンディドラマという名の恋愛劇を送り出すことでドラマのバラエティ化が極地に至り、世の中が恋愛至上主義になっていくのである。
「抱きしめたい」(1988)「愛しあってるかい」(1989)「君の瞳をタイホする」(1988)、「君が嘘をついた」(1988)「君の瞳に恋してる」(1989)「すてきな片想い」(1990)「恋のパラダイス」(1990)「世界で一番君が好き」(1990)「結婚の理想と現実」(1991)など、タイトルを思いつくだけ並べてみたが、ここで詳しくご紹介するまでもない。恋愛にさらに重苦しい雰囲気がまとわりつくようになっていったのは、「同・級・生」(1989)や「東京ラブストーリー」(1991)など柴門ふみ原作の漫画がドラマ化されたあたりだろうか。その後「愛という名のもとに」(1992)や「101回目のプロポーズ」(1991)「ひとつ屋根の下」(1993)などは、だいぶ重苦しい雰囲気のドラマとなっていたが、それでもトレンディドラマのもつ「軽さ」と「バラエティ」の域を脱しているものではなかった気がする。その頃大学が忙しくなり始めてきたため、ドラマをゆっくり見る余裕がなくなってきた。ここで私のドラマ視聴はほぼ終わりを告げることになる。これらトレンディドラマの中で取り上げるとすれば、「東京ラブストーリー」とジェットコースタードラマと言われた「もう誰も愛さない」(1991)だろうか。前者は1話をリアルタイムで見て涙し、これをもう1,2年早く見ていたら、別の仕事についていたかもしれないと思えるほどだったし、後者は「ツインピークス」などその後のミステリーやサイコサスペンス色の強いドラマの先駆けであったように思う。ついでにいうと、佐野史郎を人気者にした「ずっとあなたが好きだった」(1992)や「誰にも言えない」(1993)なんてドラマも、これに一役買っているようだ。

こうしたトレンディドラマが隆盛を見せるとき、それでも見ていたのはホームドラマだったかもしれない。「HOTEL」(1990~)「ホットドッグ」(1990)「次男次女ひとりっこ物語」(1991)「パパとなっちゃん」(1991)などTBSで放送されていたホームドラマをわりとまじめに見ていたように思う。また長淵剛がドラマで幅を利かせていたころでもある。「家族ゲーム」(1983)での主演を皮切りに、「親子ゲーム」(1986)「とんぼ」(1988)「しゃぼん玉」(1991)「RUN」(1993)「英二ふたたび」(1997)と断続的にドラマに出演していたのである。特に「とんぼ」のヤクザ英二は当たり役であり、彼の吐く台詞の重さが受けたようであった。だが私にはいまいち届いてこなかった気がする。

まったく論評などではなく、時間の経過に従い思いつくまま書いてみた。ここで思うのは、筆者は特撮作品とこうしたドラマを、まったく区別することなく見ていたような気がする。絶対数が少ない子供番組よりも、再放送の機会が多いドラマを見ていたのは、私が単にテレビっ子だっただけだろう。だがその実、私に中では両者を区別しているわけではない。だからこそ特撮作品を卑下する言葉に傷つきながら、そこらのドラマよりも特撮のほうがメッセージ性が強いんだなどと強がっていた時期も確かにある。かつて池田憲章氏が自身の著作の中で特撮作品をして「人間ドラマ」と書いていたが、私にとっては特撮作品もドラマも同じ「人間ドラマ」だと感じている節があり、区別ができていないのである。だから特撮作品に「人間ドラマ」という言葉を当てること自体に、あまり意義を見出していなかったように思う。
最近では1時間も時間を費やすドラマを見る気持ちがあまりしてこない。どうしても時代劇や特撮作品に目が行きがちである。だがかつてはこうしてドラマになじんだ時期もあったのだ。そんなころの思い出を交えながら、今後はドラマに関する記事も書いてみたいと思っている。
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テーマ : テレビドラマ
ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

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私の中の懐かしいドラマといえば

私の中の懐かしいドラマと言えば、ディテクティブ物なのに若者の集団劇でもある「俺たちは天使だ」とか
いかりや長介さんが「8時だよ全員集合」終了後に、連続ドラマをやった最初の作品「ベイシティ刑事」なんかを
思い出しますねえ。
後は必殺シリーズの現代版パロディともいえる「ハングマン」シリーズとか。

私は逆にホームドラマはほとんど見ませんでした。
大映ドラマは弟が好きだったので「スクールウォーズ」は見ていましたが他はあまり記憶に無いですね。
トレンディドラマもほとんど見ていないし(101回目のプロポーズは何となく覚えていますけど)
今振り返るとずいぶん偏ったドラマばかり見ていた気がしますよ。


No title

mineさま

 コメントありがとうございます。長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

 ご指摘の作品なら私も見てました。書ききれなかった作品もありますよ。それこそ「古畑」とか「フードファイト」とか「ウラ刑事」とか「あきれた刑事」とか。たまにはこういうのもいいよね、と思って書いたのですが。なんかしっくりこないかねえ。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
Twitter再開しました!

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