「仮面ライダー電王」と「仮面ライダーキバ」~時間とは何か?~

 小林靖子と井上敏樹。二人の脚本家は現在の東映ヒーロー作品には欠かせない存在となっている。特に平成ライダーシリーズにおいて二人がなした功績はあまりにも大きい。「未来戦隊タイムレンジャー」や「仮面ライダー龍騎」を執筆した小林と、「鳥人戦隊ジェットマン」や「仮面ライダー555」を執筆した井上。いまここで上げたそれぞれの2作品を見ても、その作風はかなり対象的ですらある。
 恋愛を軸とした人間ドラマに注目してみると、「ジェットマン」はかなりがっつりとチーム内外における恋愛模様が、ドラマの軸となっていたのに対し、「タイムレンジャー」でのチーム内恋愛は時空間を越えた絆の延長上であり、物語の主軸ではない。人間の欲望がドラマを紡いだ「龍騎」は、同時に欲望を持つ人間同士の軋轢を描いて見せた。人間同士の軋轢は、人間の種として進化したオルフェノクとそうでない人間とに分けることで、結果的に人間同士の対立を描いたのである。
 このように二人は意識的にしろ無意識にしろ、制作タイミングすら異なっているものの、執筆した作品のモチーフを同じくしながら、その考え方には面白い程異なっている。いや別に仲が悪いとかいう話じゃなくてですね・・・。この対象軸をもう少し明確にするために、ほぼ同時期に制作された作品、しかも同じ平成ライダーというモチーフで作られた「電王」と「キバ」を比較しながら、そのどちらにも共通するテーマであった「時間」に対するアプローチの仕方を考えてみたい。

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<作品概要>
 まず基本的なデータを押さえておこう。
 「仮面ライダー電王」は2007年から翌年にかけて放送された、いわゆる平成ライダーシリーズの8作目にあたる作品。仮面ライダーなのに電車に乗るとか、ライダー史上最弱の主人公であるとか、放送開始当初から様々なことが言われていたが、いざフタを開けてみれば時間の特異点である主人公・野上良太郎(演 佐藤健)と彼に憑依する4体のイマジンの友情物語を主軸に、仮面ライダー電王に変身する良太郎が、時間を越えて世界を破壊しようとする悪のイマジンと戦う物語。最後は良太郎の姉とその婚約者の記憶の謎を解明し、時間改変によって崩壊する世界を修復するという結末で幕を閉じた。その脚本のほとんどは小林靖子が手掛けている。本作はより仮面劇の側面が強く、良太郎の相棒となる4体のイマジンの声優の暴走っぷりも、人気の一因となっている。残念ながら視聴率的には苦戦を強いられたものの、おもちゃの売れ行きは史上最高であったとのこと。

 一方、翌2008年からスタートした「仮面ライダーキバ」。シリーズ9作目であり、モチーフに吸血鬼を据えた作品。本作では吸血行為は人間のエナジーを吸う行為と同義とみなされ、世界に残る化物の伝説は、ファンガイアを含む怪物の一族によるものとのこと。こうした化物は当たり前のように人間と対立しているのだが、ファンガイアを含む一部の化物たちは、人間と共存することを願っている。本作における仮面ライダーは、そうした人間とファンガイアとの間に生まれたハーフである。主人公・紅渡は自分の出自を知らないまま、人間を襲うファンガイアと戦う。だがやがて知る父親・音也の過去の出来事をキーとして自分の出自知り、渡は次第に世界や現実と向き合うことで成長をしていくという物語。現代編および過去編に登場する「仮面ライダーイクサ」はファンガイアと対立する組織「素晴らしき青空の会」が開発した対ファンガイア用の装備であり、装備のヴァージョンアップを経ながら、イクサの装着者の変遷も重要なポイントだ。2008年と22年前となる1986年で起きたことをパラレルに描き、今を解き明かす謎を過去に求めるという手法が人気を博した。

<キバの時間>
 ここから本題にはいっていこう。まずは「仮面ライダーキバ」における「時間」から考えてみたい。キバにおける時間とは、1986年と2008年という二つの点で示されている。だがその中で示される時間とは、常に22年という歳月の流れを示しており、1986年という時代に発生した事柄の解決が、22年後の2008年まで持ち越しになっていることが多い。物語当初のストーリーはこうした展開が非常に多い。物語上の原因を探すとすれば、それは22年前には主役である「キバ」が存在せず、「素晴らしき青空の会」でも「イクサ」が完成にはいたっていなかったため、ファンガイアを倒すことができなかったからだ。物語がファンガイアの討伐で完結するとすれば、この物語構造では1986年の物語は、単独で完結しないことになる。だが音也、ゆり、真夜の3人が織りなす物語は、ファンガイアと人間が共存する世界を望みながら、それを果たせなかった悲しい物語として完結する、かにみえる。だがゆりは音也の愛を知りながらも、彼と別れることで恵を生み、音也と真夜の間には渡が生を受ける。真夜とキングの間にも太牙が誕生し、次世代のキングとして育てられる。「素晴らしき青空の会」にしてもファンガイアの討伐を望む一方で、その盟主たる嶋は、太牙を引き取り育てることにより、彼をファンガイアと人間のかけ橋にしようとしている(失敗に終わってはいるが)。こうした動きは人間とファンガイア双方の妨害があったことだろう。だがキャラクターたちは強い想いを持って自分のなすべきことをなそうとしている。その結果としての恵や渡の誕生なのである。

 一方の2008年の物語では、1986年の人々のほとんどは生きながらえているはずの世界である。だが恵の母であるゆりも音也もすでに死んでいる。一番未来に託した想いの強いものほど死んでいるのである。渡にしても太牙にしても、そのキーとして母である真夜の存在のみで過去とつながっているのであるが、そこにあるのは深央を間に挟んでの愛憎劇である。その深央ですらファンガイアの次代クイーンであることで、物語は人間とファンガイアのとの共存という物語をふたたびキャラクターたちに問いかけることになる。渡にとっては自分という存在に結集している母・真夜と父・音也の想いの正体を知ることなくキバという使命を引き受けていた。だが物語の進行は渡自身の変化を激烈に強いることでしか進まない、ことさら剛の物語を展開している。自分の正体を知らず、世間との関わりを極端に避けて生きてきた紅渡という青年は、自身が「キバ」であることよりも、「紅渡」として深く人間に関わろうとする。序盤の物語がどうしても地味な展開に見えるのは、キバ=紅渡でありながら、渡自身がキバであることに力点を置いていない物語展開であるからだ。渡がキバであり人間であるという双方の世界のエッジに立たされている人物だからこそ、彼は迷い悩む。その結果、渡はキャッスルドランに秘められた力により、22年前にタイムスリップし、父親・音也と邂逅することにより、自分のアイデンティティを確立することに成功する。だが本質的には、音也や真夜の想いの結晶である渡自身こそが、22年の時を越えた想いの結晶であるはずだ。本当なら渡のタイムスリップなどなくても、渡は自身の身の周りや人々の言葉から、両親の想いを受け取ってしかるべきなのである。とはいえタイムスリップによって渡は両親の真意を汲み取り、22年に渡って受け継がれてきた想いを現実化させる原動力となる。
 本作における時間。それは過去の人々が未来へ託した想いの強さであり、未来の人間にとっては、自分の出自を確認するアイデンティティなのである。

<電王の時間>
 「仮面ライダー電王」における物語の基本フォーマット、それは時間を改変しようと企むイマジンが、人間の記憶をたどって過去にさかのぼり、過去の世界で暴れることにより現代の時間を破壊しようとする。それを電王はイマジンが遡った過去の時間を特定し、イマジンを探し出して倒すことになる。イマジンにとっての「時間」とは人間の記憶をキーとした過去の時間であり、電王側にとっては守るべきものなのである。
さて、「電王」の「時間」には、一つの概念が存在する。それは「人の記憶が時間を作る」というものである。この概念を当てはめれば、電王にとっては守るべきは「人の記憶」であり、その人の記憶を破壊しようとするものがイマジンなのである。筆者はこの考え方自体を実に素敵な発想だと思いながらも、SF的に懐疑的なのである。人が記憶している限り、過去は常にあるべき形で存在する。この考え方は因果関係を根底から破壊するものである。時間を未来方向への矢印で表現するとすれば、未来方向にはいくらでものびる時間は、その一方で過去はすでに閉じてしまうことになる。ある過去を記憶している人間が死んでしまうことで、その記憶が現存しなくなった時点で過去は消滅するのである。イマジンの目的が世界の破壊だとしたら、イマジンは過去に飛ぶ必要すらなく、現在の人を抹殺するだけで、過去が消滅することになる。しかも過去が無くなっても現在はなくならない。起点がない矢印を書くようなものである。こんなことができるだろうか?

 さらに言及すると、未来はさまざまに分岐してすることになる。だが未来から過去にさかのぼって過去が改変された場合、そこから派生する未来は改変される前の未来とはまったく異なるはずでないとならない。こうなると現在を中心に、未来のパターンと過去のパターンは幾通りもの組み合わせで構成されることとなる。とするとデンライナーによって移動する時間は、そのパターンのたった一つということになる。たった一つの事件からたった一つの過去をたどったり、そこから元の時間に戻るという作業は、どう考えても確率論が左右する。

 しかも過去改変や修正によって特定の人間は恩恵を受けることは、劇中でも明らかではあるが、世界中の人間が恩恵を受けるわけではない。たとえばこの時間改変でより多くの人々の最大の幸福を得ることがかなう可能性もあるはずなのに、必ずしもその選択肢が採択されることばかりではない。デンライナーの選択は人々の最大の幸福をもたらしえないことがわかる。この事実は正しい歴史に修正することに拘泥しないという縛りすら持たない自由度をほこるのである。

 ただここで考えてほしいのである。記憶と異なる時間を人はどう思うのだろうか? 筆者の父は70歳を超えていまだ元気である。彼の地元は島根県にあり、彼は集団就職で東京に出てきている。母と結婚をして東京に暮らして50年以上になるのだが、実家にはすでに父の両親はなく、自宅の場所も変わっているし、少年期の思い出の場所すら失われているという。その父の言葉を借りれば、そうした故郷もあるのだろうが、いまさら帰る必然はないというではないか。これがもし、彼が少年期に過ごした場所の記憶とともに、その場所がそのまま残されていたとしたら、こんな言い方はしないだろう。「故郷とはお母さん、あなたのことです」と言い切った武田鉄矢の歌とは異なり、その場所の記憶は自分がそこで暮らした記憶であり、人にとって必要なものはその場所やそこにあった何かであり、時間そのものではない。

 その意味ではSFとしてはどうかと思うのだが、「時間とは人の記憶」というのは、実に人にやさしい設定ではないだろうか。電王のそれぞれのエピソードのエピローグが、どの話もやさしいオチになっている事情は、こうしたところにあるのかもしれない。「DEN-O PROSPECTIVE 仮面ライダー電王公式読本」(ミリオン出版)に掲載されている小林靖子インタビューを読む限り、彼女は「SFをやるつもりはない」とはっきり明言している。彼女がモノにしてきた作品群を考えれば、ハートフルな物語を見せる彼女を脚本は、仮面ライダーというモチーフを扱いながら、人のやさしさに根ざしている物語を作ってきたのだと思える。

<タイムスリップものとして>
 「キバ」の物語が同一軸線上に1986年と2008年があるという意味においては、SF的にまことにふさわしい。またその時間軸を強固にしているのは、2つの時間をつないでいる、人とファンガイアの共存を願うというキャラクターたちの強い想いなのだ。一方の「電王」の物語では、時の列車デンライナーによって、時の運行を守るといいながら、その時のありようはあまりにもフレキシブルであり、何を持って正とするかの判断は、登場するゲストキャラクターに依存しまう。時の運行が守られることというのは、何も万人にとっての正解ではなくてもいいのである。もっともデンライナーに乗るイマジンたちや良太郎や幸太郎がデンライナーで移動する先の時間で巻き起こした騒動が無ければ、そもそも時間改変も大きな事件も起きはしない。そこはまあ、上質なコメディということで納得できる範疇ではある。

 「タイムスリップ」ものの名作である映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズと比較してみると面白い。この作品のテーゼはあくまで「時間改変はしてはならない」ことがある。だがさまざまなキャラクターによる介入が、未来を狂わせ、マーフィーたちを過去へと走らす。だがそれが明らかな時間改変と知りながら、その物語の過程で経験したことをすべて肯定することにより、無限の可能性を秘めている未来の改変を許してしまっている。この考え方は、根本的に人に寄った考え方であり「人の記憶が時間を作る」と変わらない。一方の「キバ」の最終回での未来の扱い方は、新たなる人間関係が新しい婚姻を結び、その血のつながりが無限の未来を作っていくことが示されている。その意味においては血のつながりこそが未来を作るのである。そう考えると、過去は人の記憶が作り、未来は新しい人の関係や血のつながりが作り上げるということになる。どっかで聞いたなあなんて思っていたら、ほらあれだ。映画「銀河鉄道999」の「永遠の命とはずっと連なっていく人間の血のつながりのことだ」っていう考え方。「キバ」の時間の考え方ってのは、これに近いのだろう。

 ファンに根強い人気のある平成ライダー2作品である「キバ」と「電王」。その二つをつなぐ「時間」の考え方の根本にあるのは、あくまで「人間」だ。井上敏樹の書く脚本は、人間につらく厳しい現実を強いながら、それでもその現実に立ち向かう強さを描いている。それは人間という生き物の限界を知っている冷めた視線でありながら、どこまでも人間の強さを信じていると思える。一方の小林靖子の書く脚本は、人間の欲望を前にした弱さや他人に対する優しさに根ざしている。そして弱い側面から人間を見直し、人間も捨てたもんじゃないという人間賛歌にも聞こえるのだ。そもそも「人間」に対するアプローチの異なる二人。こうした見方で横断すれば、「龍騎」と「555」の見方も面白いものになるのではないか? いずれ再び東映作品に登板するだろう二人の脚本の、今後の活躍を願って、ここは筆を置こうと思う。

DEN-O PERSPECTIVE 仮面ライダー電王 公式読本 (ミリオンムック 6)DEN-O PERSPECTIVE 仮面ライダー電王 公式読本 (ミリオンムック 6)
(2008/01/18)
不明

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仮面ライダーキバ 公式読本 KIVA LUNATIC ARCHIVES TV EDITION (GLIDE MEDEIA MOOK 27)仮面ライダーキバ 公式読本 KIVA LUNATIC ARCHIVES TV EDITION (GLIDE MEDEIA MOOK 27)
(2009/02/05)
東映

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今回の参考図書です。ほかにもいっぱい出てましたが、スタッフインタビューの充実ぶりは、本書の特徴です。
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テーマ : 特撮・SF・ファンタジー映画
ジャンル : 映画

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波のまにまに☆

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