「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」~家族を持てない男たち~

 ワニブックス【PLUS】新書より発刊された富野由悠季監督の「「ガンダム」の家族論」を興味深く拝読した。ガンダムを含む監督作品に込められたリアリティの所在、その意味、そして「家族」の捉え方など、おそらくは後付けであろう理由を赤裸々に明かした上で、現代の家族に宿る病理や問題点にまで踏み込んだ書籍であり、富野監督のファン、ガンダムシリーズのファン、引いてはアニメファンにぜひとも読んでほしい内容の本となっている。私が「ブレンパワード」を取り上げた3回の記事においても、その後の富野監督作品における2回の家族論も、あながち間違いではない範疇で解析できていると自負している。もしよろしければ、ご覧いただければ幸いである。

 この本の中ではキャラクターたちの「家族論」に注視して書かれているため、その傾向が顕著に表れている「機動戦士ガンダム」「無敵超人ザンボット3」「機動戦士ガンダムF91」「ブレンパワード」などが主に取り上げられている。その一方で家族論からは遠く離れている作品群である「戦闘メカザブングル」や「オーバーマンキングゲイナー」などは、あまり触れられていない。ガンダムシリーズに関して言えば、富野監督の手によるいわゆる「宇宙世紀シリーズ」に関しては、「ターンAガンダム」含めてそれなりに取り上げられており、「ガンダムシリーズ」ではわりと「家族論」が取り上げられている。それは主人公となる少年たちのバックボーンとして、彼らがなぜこんな少年となったのかという問いに対して準備された答えとしての側面が強い。主人公の少年の家族を通して、その家族を何らかの手段で否定することで、健やかで健全な家族のありようを逆説で考える論法をとっているという見方もできる。だがここに、こうしたガンダムの家族論とまったく無関係に制作された作品がある。それが今回のお題である「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」という劇場用作品である。

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<作品概要ってか、ちょっと思い出話>
 劇場用作品「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」は1988年3月に公開された作品。「機動戦士ガンダム」はそもそもテレビ版の再編集映画として公開されていたから、劇場用新作として作られたガンダム作品としては、本作が初となる。しかも注目すべきは「機動戦士Zガンダム」の終盤において行方不明となっていたクワトロ・バジーナことシャア・アズナブルが再び地球圏に現れ、あらためて地球連邦軍のエースパイロットであるアムロ・レイと雌雄を決するという内容であったことである。最初は敵として出会い、次に仲間となったシャアとアムロが、時を経て再び対決するという触れ込みなのである。旧来のガンダムファンが盛り上がらないわけがない。その結果、観客動員数103万人、興業収入約12億円をはじき出した。

 実のところ、本作品の公開当時の評価は芳しくなく、「宇宙世紀シリーズ」が「F91」や「Vガンダム」とシリーズを続けていった結果として、その位置づけの重要性が増していった結果、評価を上げていった印象が強い。その理由は最初のガンダムと異なるキャラクターデザイン、そして物語としてもキャラクターとしても否定された「シャアとアムロ」という主役二人、あまりにもエキセントリックで受け付けがたいクエス・パラヤの登場、戦争のリアルとして死んでいくキャラクターたちの一方で、アクシズの破片の落下をなぜか免れてしまうラストシーンへの賛否両論など、本作で指摘すべき問題点があるからだろう。本作公開当時、庵野秀明氏は本作に関する同人誌を製作した話は、有名な逸話であるが、それでもかつてのムーブメントを起こすほどの作品ではなかった。

<家庭を持てない男たち>
 いつもなら本作の物語を紹介するところであるが、特に知られた作品であるので、今回も割愛する。
 先に書いたとおり、本作は富野監督作品の中でももっとも家族論と無縁な作品である。その最大の理由は、シャアとアムロという二人の闘争を中心に物語が紡がれていること、その主役二人がすでに前作において出自が明らかとなっていることだ。最初の「ガンダム」でも「Zガンダム」でも登場する主役の少年たちがなぜ戦争に関与することになったのかを描くことに時間を割いている。対して本作ではそうした部分がまったく割愛されている。そのかわりに登場したのは地球連邦政府高官の娘であるクエス・パラヤと、連邦軍ロンドベル隊に所属するブライト・ノアの一子、ハサウェイ・ノアである。そしてそもそも本作の主役の位置に来てもおかしくない二人は、互いに意識しあいながらも戦火の中でクエスは死に、ハサウェイはクエスを死に追いやった連邦の技術士官チェーン・アギをモビルスーツごと殺してしまう。二人ともあまりにも直情的でエキセントリックな行動により、戦争に直線関与することなく、舞台から退場するだけである。かつて内に引きこもってしまう子供であったアムロやカミーユを、主人公として作品を作ってきた富野監督にしては、この少年たちの扱いはあまりにもひどいと言いたくなる。まるで監督はこの時期の少年たちに失望し、コミュニケーション不全を感じて切り捨ててしまったようにすら感じてしまうのである。

 だが一方の本作の主役であるシャアとアムロにしても、まったく健全であるわけではない。本作の舞台であるUC0093年。この時点でシャアは34歳、アムロにしたって29歳である。しかし家族を持たない一人身である。本作で登場する家族といえば、クエスの父とその愛人、ブライトとミライ、チェーミンとハサウェイの家族だけ。ネオジオンと連邦の密約のシーンに登場するカムラン・ブルームにしたところで、彼が結婚しているかどうかあやしいのである。本作はこれほどまでに「家族」というキーワードとはほど遠い。

 個々で見てみよう。シャアはララアとの死別を経て、1年戦争後にアクシズに移り、そこでハマーン・カーンと出会う。だが彼は地球圏の視察を名目にハマーンと距離をおくようになり、その後クワトロ・バジーナと名を変えて反政府勢力「エウーゴ」に参加し、同じくエウーゴのレコア・ロンドと乳繰り合ったりしていたようだ。だがレコアは自分を利用するだけのクワトロに愛想を尽かし、自らエウーゴを飛び出すことで、二人の関係は解消している。そしてグリプス戦役を戦ったあと、ハマーンとシロッコの猛攻の中で再び姿を消すのである。ハマーンを中心に据えた「第1次ネオジオン戦争」を尻目に見ながら、シャアは着々と地歩を固め、UC0092年を期に「第2次ネオジオン戦争」になだれ込むことになる。この時、シャアは愛人となるナナイ・ミゲルを副官として組織を編成するが、ギュネイの弁によれば、その一方で多くの女性とも寝屋を共にしているらしいことが明らかにされる。そしてアムロとの闘争の中で偶然にも胸中に飛び込んできた少女クエス・パラヤの才能を見抜き、彼女をニュータイプ戦士に仕立て上げるのだが、彼女感じすぎる性格が災いし、シャアが利用したい時にはすでに死んでいたのである。そしてアムロとの闘争が完結し、シャアが宇宙にその命を散らした時、その命果てたことを知ったのは、ナナイだけであった。

 こうして見ると、シャアはやはりララアという女性の存在感が最も大きかったことを感じさせる。劇中アクシズの破片の上で、戦いを終えたアムロとの会話のなかで、「ララアは私の母になってくれたかもしれない女性だった」とのたまっている。この一言でシャアは実に1年戦争以前に失った母親の影を追い求めていたようなのだ。「機動戦士ガンダム・ジ・オリジン」(安彦良和著)によれば、キャスバル・ダイクンことシャアは、独立前のサイド3内の政治闘争の中で母親を失っている。その経験がこうして母親を求めたのだと断定してもいいかもしれない。だが「ララア」はさらにニュータイプとして不完全な自分を補完する者としてとらえていたとすると、シャアはララアと一生離れられないのである。その自分の半身とも言える女性を失ってしまった。第2次ネオジオン戦争は、シャアが恨みをもってアムロとの対決を欲してはじめられた戦争であるというという。たった一人の自分の半身であった女性を失ったあとのシャアは、結局自分を再誕させる女性を欲していたと考えると、すでにそこに存在感のあるカリスマであるシャアを再誕させられる女性など、どこにもいはしなかったろう。あとは自分の都合よく利用できる人材を求めたというだけであり、そこに家族を持つことも、自分の子孫を残そうという発想もない。だが筆者はララアが生存していたとしても、ララアと家族を持ったかどうかは怪しいと踏んでいる。とすれば、シャアはやはり家族という社会を構成する最小単位には、何の感慨もない人物ではなかったか。それよりも自分を誇示し、必要以上に拡大していく自分の影におびえながら、それでも虚勢を張り続けた悲しい男の姿しか想像できない。

 一方のアムロ・レイであるが、こちらも「家族」に関してはお世辞にもいい境遇とは言い難い。宇宙での生活を期に別れて暮らすアムロの両親。科学技術に執着した父親は酸素欠乏症により人格までも破壊。母親は地球のキャンプで暮らすが、子供も亭主もいないところで愛人と暮らし始めている。そこに愛情があったとしても温かい家族の映像にはつながらない。政治がらみで家族が崩壊したシャアと違い、アムロは両親の都合で振り回され、家族のありようを知らないまま成長する。その結果、アムロが手に入れたのは家族の絆よりも強い、1年戦争を戦い抜いた仲間との絆である。

 さてアムロの女性関係に関しては、基本的に淡白といえるかもしれない。どちらかといえば女性に対しては奥手であり受け身であるから、アムロの側から女性に言いよるということはないだろう。フラウ・ボウはお隣さんで身の回りの世話を焼いてくれるが、大事な人ではあっても恋愛ではない。あこがれの対象として登場したマチルダ・アジャンやセイラ・マスはいても、アムロからモーションを起こしているわけではない。だからこそアムロにまつわる女性の存在はシャアほどには派手ではないかもしれない。ベルトーチカにしてもチェーン・アギにしても、アムロは一方的に言い寄られている感じがする。本作にはアムロが部屋を出るまでを外で過ごすチェーンのチャーミングなシーンがあるが、あのシーンはベッドの上で身支度する男を、かたわらで裸のまま横になって眺めている女性をイメージさせる。これは逆説的にアムロのSEXの淡白さを物語っている気がする。

「Z」の1シーンでは、母親になったフラウ・ボウには、まだセイラ・マスにあこがれていることを指摘されているのだが、アムロがうっ屈していたのはララアの死によって自分の行動を恐れているためである。ここはフラウがララアの存在を知らなかったことが、より重要だろう。フラウはアムロの悲しみの正体を、ずっと知らないままなのである。それだけにフラウがアムロのもっとも近しい存在であったとしても、彼女はアムロの本心を知ることはない。またアムロにしてもフラウにこの話をするつもりがないとすれば、アムロはやはり家族的なものに対する思いがない。アムロはアムロで、やはり家族に対する興味がないようなのだ。

 二人の男にとって非常に重要な位置を占めるララア。最初のガンダムの時には、聖女のようなイメージすらあった彼女は、本作では二人の男を縛る悪女の側面を見せる。それはララアを失った時から13年の時間を経て、二人の男の中の気持ちの変化の表れでもあるのだが、思い出の中にいる女性というのは聖女であり悪女の側面もあるという、富野監督らしいバランス感覚のなせる表現ともいえる。だがララアの存在を差し引いたとしても、シャアもアムロも家族を持つに至らない理由は、自身の出自に起因する家族に対する興味の低さという問題がある。おそらくオフィシャルな場においては、「自分は家庭を持つ資格がない」などと言っている二人だろう。だが実際には「家族」に興味がなく、自分の子孫を残すということに重きを置かず、「家族」を持つことを煩わしいと感じるタイプだったのではないだろうか。その点においては、二人はまったく似た者同士なのである。

<その後のお話>
 こんな二人を中心に据えた物語であるから、富野監督の家族論など入る余地がない。その結果、家族を持つことに興味のない人物が、互いを滅することだけを考えているというのが、本作の軸となっている。したがって本作は戦争ドラマや政治ドラマとしては興味深い作品でありながら、人間ドラマとしては実は薄味の作品なのだ。

 終盤地球に落ちようとするアクシズの破片の上で、アムロとシャアの会話の中で、クエスの処遇について言及する二人。その中でクエスは父親を欲していたことを指摘し、二人ともそれを煙たがっていたことを吐露する。クエスの悲劇はニュータイプだったからでも、ハサウェイと心を通わせられなかったからでもない。父性を求めたはずの二人の男が、二人して英雄として名高い男でありながら、父親の役割を果たそうとしなかったことにある(だが家族には満たされない父性を求めて援助交際を行う女子高生に、父親を求められても誰だって困るだろう。そもそも血のつながりのない男性に父親を求めようとするクエスが間違っているのではないか)。

 家族や血のつながりによる継続を否定するシャアとアムロであるから、本来は彼らの子孫などは、その後の宇宙世紀には存在しないはずである。事実アムロはその血を残している様子はない。だがシャアはひどい。「宇宙世紀シリーズ」のパラレルワールド的な作品である「ガイア・ギア」では、主人公アフランシ・シャアはシャア・アズナブルの記憶を受け継ぐメモリー・クローンとして登場する。また「機動戦士ガンダムユニコーン」では、フル・フロンタルというシャアを想起させるキャラクターが登場するが、彼はシャアの意志を受け継ぐフォロワーでもある。その一方で「Vガンダム」に登場したウッソ・エヴィンの母ミューラ・ミゲルがナナイとシャアの娘だとしたら、ウッソはシャアの遺伝子を受け継ぐ子供だという話もあったようだ(富野監督は完全否定)。なにかこう苦し紛れでいじましいシャアの姿がうっすら見えるようで、ちょっとおもしろい。みんなシャアが好きなんですなあ。

 いずれにしても本作では家族論を展開することができない物語であること、その原因は主役であるシャアとアムロの二人が、まったくもって「家族」に興味がない人物であることが原因である。しかも家族を求めた接触してきた少女は、どちらも拒否するという狭量さを見せる二人なのである。

 以前扱った「ブレンパワード」では、血のつながりや肉親の関係を否定し、血のつながりによらない新しい人間のつながりを全面的に肯定しながら、そうした人間関係を構築するために必須なのが家族や肉親との関係であるという結論になっている。だが本作では血のつながりを否定する2人が登場し、血のつながりを否定して見せるだけで終わっている。この点だけを考慮すれば、本作が次作「F91」や、「ブレンパワード」に至る道程の上にある作品であることがはっきりとわかる。

 それにしても英雄と言われた男たちが、ここまで貶められてなお放つ輝きはなんだろうか? 貶められた時に男を上げるシャアとアムロというキャラクターの人間臭さこそ、リアルロボットアニメの先駆けであった「ガンダム」という作品の、本質的な魅力なのではないか? それは家出してからホワイトベースに戻ってきたアムロが、独房でぐだぐだ言ってみたり、ララアの死を目にして涙を流しながら逃げるシャアの姿にかぶる。筆者はかつて、本作のようにシャアやアムロを貶めなくてもいいのではないかと思って、本作を好きになれなかったのであるが、どん底に落ちた人がのたうちまわる姿こそ、リアルに人間らしいといえるのではないか。40歳を過ぎてからわかる作品の良さというものがあるのだなと、筆者は本作の再視聴で当たり前のように感嘆したのである。

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