漫画原作をアニメにするなら~TV版蒼天航路~

 昨今のアニメシーンにおいて、漫画原作やラノベ原作のアニメ化というのが、その大半を占めていることについては、以前に一度触れている。それは漫画の販売促進というものが念頭にあり、その上で「製作委員会システム」により、お金を出してなおかつ作品を一元管理し、作品の失敗の責任は分担するという、現在のアニメ製作の常識となっているシステムだ。これに漫画原作を管理する出版社がからむことで、いわゆる体のいい簡易なメディアミックスの形態をなすことになる。言い悪いではない。現在のアニメ作品の製作やお金の出所のシステムは、こういう風になっているのである。

 ただ、どういう体裁であれ、アニメを作る段階となっては、その表現や演出は、監督や作画監督などの人間の手にゆだねられる。当然原作を斟酌し、議論を重ねた上で、二重三重のチェックの末、われわれがテレビで見るアニメになっているわけだ。そこには漫画のような一人の人間の自由裁量による作業ではないから、複数の人間の解釈を、絵や演出により、ある程度の統制をもって管理されるものである。

 しかしながら今回取り上げるテレビ版「蒼天航路」を見ていると、何を持って原作の味わいを薄めるような演出になるのか、まったくもってその演出意図が感じられない場合がある。こういったことは、原作を愛してやまない人々にとっては、はなはだしく不快なことなのだ。

 「蒼天航路」は、1994年10月から2005年11月まで「モーニング」で連載されていた漫画であり、三国志をモチーフに、悪役として名高い「曹操孟徳」を主人公として描かれた物語である。単行本発売当時の帯に「ネオ三国志」と書かれていたとおり、これまでの蜀の三兄弟である劉備、関羽、張飛を主人公とせず、曹操の視点を中心に描かれた三国志の物語は、いまもって新鮮みを与える斬新な三国志である。
 アニメ版は2009年4月より、日本テレビの深夜枠にて放送を開始した。当初より「赤壁の戦い」をモチーフとした劇場用映画の大作である、「レッドクリフ」にあおられるように放送を開始し、監督であるジョン・ウーが声の出演を果たしたことも、もはや記憶の彼方の出来事ではある。

 さて本作がアニメ化されて、だれもが懸念したことは、いったいこの長きにわたる物語を、どこまでアニメ化されるのかということだ。だれしも曹操の死である最終回までは届かないだろう事は予想されており、現在放送中の13話でも、まだ序盤の悪役である董卓の死が描かれている状態である。26話となるといったいどこまで作られるのやら。ただしこの短さが、作品の演出を薄めている最大の原因だと言えるのだ。

 まずここで一番主張したいのは、原作できちんと描かれている表現が、省かれていることである。その演出意図は原作者のみならず、読者にとっても重要だと思える絵が、みごとにカットされている。これでは漫画原作をアニメ化した作品を、見ている甲斐がないではないか。漫画で表現されている内容が、時間的制約や詰め込みの段階で、切り落とされているのである。

 てっとりばやく実際の映像を見ていただくのが早いだろう。13話「魔王対魔神」での出来事である。物語はもはや絶頂の域に達して長安の都を支配している董卓が、美女・貂蝉の暗殺を退けたものの、その美しさに心揺らされた呂布の謀反により、董卓が殺される話である。そして董卓が死んだ数日後の夜、董卓派の武将による呂布暗殺のあおりで、貂蝉は殺されてしまう。このシーンにおいて、彼女はいとも簡単にあっさり袈裟切りで殺されてしまうのだ。原作では忍び込んだ武将に切られた彼女は、悲鳴をあげまいと口をふさぎながら倒れるのである。このシーンは、殺される直前に、呂布の傍らにいながら、彼女が天下の近くにいないこと、つまり呂布は覇権をつかむ人材ではないことを悟るシーンにつながっている。貂蝉は自らの口をふさぐことで、呂布の暗殺しやすいようにしたのである。このシーンは現在発売中の「極厚 蒼天航路 3巻」に、「その七十八 魔王の余韻」に示されているので、参考にご覧いただければ幸いだ。
 もう一つの解釈としては、彼女は董卓の死後の世界に未練はないとして、一度は刃物で斬りつけたまぶたを、自らの手でおろしたシーンだとも言える。
 どちらの解釈が正しいとしても、このシーンがあるのと無いのとでは、このシーンのイメージは大きく変わってくるのである。

 またこの前話である12話「孫堅昇天」において、貂蝉はその最後の方で初登場するのであるが、董卓暗殺を決意し、一重まぶたを切り自身の顔を変貌させる。このときまぶたを切りつけた後で、両の人差し指でまなじりを上に上げるシーンがあるのだが、このシーンもカットされている。これでは彼女の決意の程が表現されていないではないか。

 他にもこのような些細なシーンのカットは枚挙にいとまがないほどだ。それがあまりに過激であったり性的な描写でもないのであるが、このシーンがあることでこの台詞が引き立ったり、キャラクターの真意を表現できたりという細かいシーンが、ばっさり切り落とされているのである。そもそもの原作漫画が、非常にケレン味あふれる表現がなされている漫画であり、その表現が漫画ならではの手法で、抜群の効果を生んでいる。しかしそれがアニメになったときには、そううまくいかないこともあるだろう。それはわかる。しかしその1枚の止め絵がないばかりに、表現することをためらっている様にも思えるのだ。

 なぜそのような暴挙が行われてしまうのか。それが前述の通り、26話という時間的制約の中で、できるだけエピソードを消化したいという思いによるものだという可能性だ。だが董卓の死体を数十秒も見せられるより、貂蝉の死に様をみるほうが、なんぼかおもしろいだろう。そう考えると、もう一つの可能性に思い当たる。それは作画あるいは絵コンテを描いている段階で、解釈が複雑となる表現を、意識的に避けている可能性だ。
 先ほど貂蝉の死に際の行動に対する2種類の可能性を指摘しておいたのだが、同じように作画マンや絵コンテを描く演出家が、どちらの表現にしようか悩んでいるのだとしたら、それは原作漫画を独自に解釈した事になりかねない。だからどちらにも言質をとられないように、カットした可能性が考えられる。しかしだとすれば、あまりに消極的ではないだろうか?

 こんな僻地のブログごときが、何を言っても始まらないというのは、書いている本人が一番よく知っている。だがしかし上記で示したような消極的なシーンカットは、誰がどう見ても決して好ましい物とは思えない。このシーンをどういう解釈をしたのか、その演出家の力量が問われる場面ではないか。それならばその力量に応じた解釈により、原作の漫画の表現を超えるようなシーンを作ることだって出来るはずだ。原作よりも矮小になってしまったアニメなんか、原作者をはじめ誰がみたいと思うものか。原作漫画から逃げずに正面からぶつかって、演出家なりの答えとしての「画」をつくること、それがファンを喜ばせ、原作者を唸らせることになるのではないだろうか。ここまで消極的に過ぎれば、それはDVDなどのソフトの販売戦略にも影響を及ぼすだろう。漫画原作以上の付加価値のないアニメに、おいそれとファンはお金を出さないのも現実だ。

 いまこそ、原作にまけないケレン味をもって、別の一面を持つ「蒼天航路」の登場を、期待したいと思っている。
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テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

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