おじさんの考える「BL」講座~あくまで個人的見解です(笑)~

 先月「プロテクトヒーロー」や「X(エックス)」について記事を書いた。ええと、まったくリアクションがなくって(笑)。その理由もよくわかっていましてね。理由の一つはどうしても自分的にまとめておきたかったという事情ゆえに、記事が独りよがりであったこと、そしてもう一つの理由が、これら作品群に共通するあるテクニカルタームについて、あえて触れずに記事を書いたことに起因していると考えている(この場合、記事内容が面白くないことは、あえて無視する)。そのテクニカルタームとは、「BL」あるいは「やおい」である。特に「プロテクトヒーロー」の回に関しては、意識してこの話題を避けた。理由は簡単。あまりにも話題が広がりすぎるからだ。

 さて今回は「BL」について、40代のおじさんががんばって考えてみたことをここにひけらかすわけですが、その前にお断りしておく。「BL」と「やおい」は筆者が傍から見ているぶんにはまったく区別がつかないのであるが、この二つの用語の出典や成り立ちを見れば、それぞれが別の系統から派生しているものの、行くつく先がどうやら同じ内容のものとなっているらしいことまでは筆者にもわかっているつもりだ(ちなみにwikiを見る限りあいまいに見える)。だが筆者の好みの問題で「やおい」という言葉にはあまり気乗りしないので、あえて「BL」という単語を使うことを(誰に断ればよいのかわからないけど)お断りしておく。以後「BL」という単語が頻出するが、それは「やおい」とか「BL」をごっちゃにして語っているとお考えください。それでは「おじさんの考える「BL」講座」、開講です!

<1時間目:その現象>
  現在「BL」についてはいわゆる「ボーイズラヴ(Boy’s Love)」の省略された商業用の呼称であることはよく知られているところだろう。これらは少年にかかわらず、むしろ中年の男性から少年までを広く対象とした、男性同士の恋愛を描いた作品群であり、アニメ、漫画、小説などの多岐にわたるメディアで展開されている作品群だ。その中にも男性同士の恋愛をオリジナルで描く作品群もあれば、すでにあるアニメや漫画のキャラクターを用いて男性キャラクター同士の恋愛を描く(いわゆる狭義での「やおい」)作品群と、主に二分される。そしてさらに、男性同士の関係性でそれとなく見せていくものもあれば、直接的に男性による性行為そのものを見せていくエロマンガじみた作品群まで、その範囲は非常に広い。こうした作品群を嗜好する女性たちのことを「腐女子」というそうだが、近年では女性オタクそのものを指す言葉に広義化されているあたりが痛々しい。女性のオタクにもいろいろいるんだってこと、どうしてマスコミは説明しないんだろ? 自分たちの理解できないものを一つの言葉で括って、自分たちから除外したいっていう拒否反応にしか感じないのだが、それはさておき・・・。

 いわゆる「腐女子」の皆さんがこうした作品群を見る場合、非常にきわどいジャッジが発生する。世に言う「かけざん」の考え方である。平たく言えば「攻め×受け」である。このとき算数でいうところの前の項(かけられる数)が「攻め」であり、後ろの項(かける数)が「受け」に相当する。面白い事に算数では「かけられる×かける」が「攻める×攻められる」になっている。「れる、られる」は受動の意味であるから、算数的には「受動×能動」の関係が、腐女子の皆さんの中では「能動×受動」に置き換わっている。
またこのかけざんの考え方には法則性があるという。一例をあげて検証してみよう。なんでも腐女子の皆さんには、無生物でもかけざんで表せるという法則性があるらしい。「鉛筆×消しゴム」ではあるが、「消しゴム×鉛筆」では決してないという。その理由を問いただしても、そうだとしか言わない彼女たちの発言から察するに、その法則性には男性器の存在が介在していると推測されるのであるが、そも性器を持たない無生物にこれを当てはめるという発想自体が、余人の追及を許さない彼女たちの法則性なのだろう。この法則を彼女たちは「カップリング」と呼称している。
 ところがこの「カップリング」は扱うモノによって人それぞれあるようで、同じ嗜好のカップリングを持つ腐女子の皆さんは同じコミュニティを作りやすいという傾向がある。驚くべきことに、このカップリングは扱う作品によっても差異を見せるため、扱う作品が違えば、容易に別のカップリング・コミュニティへの参加も可能ならしめているというのである。
 つまりこれらの意味するところは、この腐女子の皆さんによる「かけざん」の考え方自体、算数とは全く無縁のところで発生した考え方であるということに他ならない。そしてまた彼女たちが必ず口にする、「作品への愛」こそが、このかけざんの法則を成立なさしめているようなのだ。

<2時間目:その歴史>
 さて「BL」の歴史を紐解けば・・・・なんて話は正直すっとばしたい。詳しい話はあちこちにあるし、現時点での定説となっているものにもいくつもの仮説があるので、断定的な話がしにくいからだ。そこで現在花開いている現象としての「BL」から遡ることで、「BL」の歴史としておこうと思う。

 現在では商業誌でも男性恋愛を取り扱った雑誌があるようだ。とはいえそれは驚くに値しない。それこそロリコン誌などが隆盛をきわめた80年代を想像してみれば、ジャンルに特化した商品が市場に登場するのはごく当たり前のことである。事実「百合」専門の漫画雑誌だってあるぐらいだ。だがその展開は写真を中心としたエロ本の展開とさほど変わらない。ということは人間の嗜好が多様化しても、人間の商売の論理は戦後からさして変化がないとも言える。

 男性恋愛を取り扱う雑誌が増えた背景に、それを消費する構造が必ず存在する。その消費構造の元になっているのが、同人誌によるいわゆる「やおい本」の展開だ。ここで登場するのが、以前に取り扱った「プロテクトヒーロー」ものである。「プロテクトヒーロー」作品は、いずれも美少年たちが跋扈する世界であり、前出のカップリングのネタには事欠かない。しかも主人公となる少年が5人いれば、そのカップリングの数たるや25パターンであるからやりたい放題である。と、ここでカップリングの嗜好の問題が発生する。25パターンあったって、実際に作品化する場合には、厳密なカップリングの法則が適用される。「聖闘士星矢」を例に説明してみよう。星矢や紫龍などは比較的責めも受けもいけそうなオールラウンダーとして登場するが、アンドロメダ瞬に限っては責めとして登場することはない。逆に受けとしてほとんど登場しないのは瞬の兄・フェニックス一輝である。ところがこの一輝ですら、黄金聖闘士が登場すると、なぜか受けに回る事態が発生する。これがカップリングの妙であり、腐女子の皆さんが楽しむ受け皿となるのである。

 この「プロテクトヒーロー」が一つの潮流なら、それ以前から存在する潮流が「耽美」と呼ばれる作品群だ。前回の「X(エックス)」のCLAMP作品などは「耽美」の系列の延長線上にある。この「耽美」にもいくつかの潮流があるのだが、日本で代表的なのは「タカラヅカ」をはじめとする少女歌劇団の流れ、そしてもう一つが「少女マンガ」の流れである。これらの流れには、源流として戦前戦後の「耽美小説」という存在があるそうだが、そこは正直よくわからないので触れずにおく(泣)。いずれにしても少女マンガに端を発する潮流には、萩尾望都先生「トーマの心臓」や竹宮恵子先生「風と木の詩」などに代表される「少年愛」を扱った作品群が先行してあり、70年代末に発刊された「JUNE」に代表される男性恋愛を扱った雑誌の登場により、こうした作品群を一時的に「JUNE」と呼称する時期があったことは記憶にとどめておきたい。

 つまり現在の「BL」作品群のベースにあるのは、先の「プロテクトヒーロー」ものに代表されるアニパロの一変種として登場したものと、「耽美」系の作品群の延長線上に登場した作品群という主に二つの潮流からなる流れなのだ。小説類にしたところで、その歩調はより「耽美系」寄りではあるものの、「BL」の社会認知に一役買っていることは間違いない。こうして「BL」作品群は、同人誌即売会においても一般書店においても、きちんと認知されて発売されている現状につながっている。特に我が家の近所のツタヤは、この手の本の棚が広いです(微笑)。

<休み時間:この記事を書くきっかけの話>
 少しだけ閑話休題。なんでこの記事を書いてみようかと思ったのか、そこについて書かせてください。理由は二つあるのですよ。

 一つは、当ブログの「プロとも」にもなっているある方のブログを拝見したからです。実は当ブログで「コードギアス 反逆のルルーシュ」を約1カ月にわかって扱ったのですが、記事への反応がイマイチで(泣)。そんな時に記事に様々なコメントや助言をいただいた大恩ある方がおりまして、この方のコメントなくしては、コードギアスの記事は完成を見なかったんじゃないかとまで思われるほど、そのコメントと助言に励まされました。
これをきっかけにしてその方のブログを拝見すると、「スザク×ルルーシュ」メインの小説およびイラストブログとのこと。イラストの美麗さにも心奪われましたが、何より興味深かったのはその小説。基本ラインは原典のアニメに忠実な二人の関係性を、ほんのちょこっといじった程度。ですがそこに展開される行為の数々は、40歳を過ぎたおじさんにとっても赤面必至ではあるのですが、その結末はびっくりするほど作品内にきちんと着地するのです。この手腕に筆者はすっかり参ってしまいました。

 そしてもう一つは、つい最近友人に誘われるままに「コスプレ・キャバクラ」というところに連れて行ってもらいましてね。JR神田駅の近くにあるとあるお店でした。筆者はこうした「キャバクラ」なる女性とお話しながらお酒を飲むという場所にはとんと縁がなく、出来れば避けたいと思っておりましたが、そんな気持ちとは裏腹に、コスプレしたお嬢さんたちと楽しくお話させていただき、そこで様々な貴重なお話を伺うことができました。傍から見るとお客とコスプレお嬢さんなんですが、その内容は筆者の突撃インタビューのようで、お嬢さんたちにはひたすら申し訳なかったかなとは思いましたが(泣)。
 そこで伺ったお話の数々は、コスプレして撮影する人、服を作る人、服を買う人、同人誌を作る人、読む人、買う人などなど、様々な活動や購買の赤裸々な実態を知ることができました。彼女たちのこうした活動や、私たちが訪れたコスプレキャバクラの運営なども含めて、業界を根底で支えているんだなあと実感させてくれたのであった。

<3時間目:「BL」が魅せるもの>
 さて最後のまとめとして、なぜ腐女子の皆さんが「BL」に魅せられるのかを考えてみたい。
 先述の通り「BL」にはエロ方面からライト目のキャラクター同士の関係性に着目したものまで、その範囲は多岐にわたる。その中でエロ方面に関しては、性器描写のあるなしに関わらず、見るものを欲情させる作品であることには変わりがない。それはまた通常のエロ漫画作品やエロ小説などとまったく変わらないし、現実にそれを包み隠す必要もない程、見る側の目的ははっきりしていると言っていい。木尾士目先生の漫画「げんしけん」の後半、主人公・笹原は恋人となる後輩・荻上が過去に書いたBL漫画を読んで、それではっきりと欲情したことを荻上自身にもらしている。つまり「BL」の扇情的な部分に関しては、女性であれ男性であれきちんと反応するものであり、「BL」とは言いながら、それをベースとして作られた創作物は、何も女性のみを対象としたものではないことが伺える。もちろんそれが、荻上さんの書くマンガの性質(現実の男性から妄想を膨らませてしまう、モデルにとっては迷惑なもの)であったとしても、基本的な性質で言えば「BL」作品は見る相手を限定したものではないと言える。

 それは逆にライト方面の作品を見れば、一目瞭然だと思える。例えばよしながふみ先生による漫画「きのう何食べた?」では弁護士・シロさんと美容師・ケンジのゲイ・カップルが織りなす日常と、彼らが食べる食事にまつわるエピソードを軸とする作品だ。ともに40歳を超えるゲイのカップルであるシロさんたちであるが、彼らのまわりにもゲイがたくさん登場する。本作ではまったく性的描写はないし、劇中で「ゲイ」という単語を使わなければ、それほど気にならない。だが彼らゲイカップルの人間関係や、他のゲイカップルのつながり方には、単なる男同士の友人とはまったく異なる空気感が漂う。しかも自分が死んだらゲイの相手に資産を残したいなどとシロさんに相談に来る年配のゲイカップルの登場を見れば、ゲイと呼ばれる人間関係こそがこのマンガの中核を担っていることがすぐにわかるのである。

 「ゲイ」というのは「BL」とは違うだろうと指摘する向きもいるだろう。アメリカで放送されているドラマを見ると、「ゲイ」が登場するドラマなんかコメディの場合には実に普通の出来事であり、普通の女性とゲイの男性の共同生活を描いたコメディドラマ「ふたりは友達?ウィル&グレイス」はアメリカでも人気ドラマであったと聞く。他のアメリカンドラマを見ても、「ゲイ」は話のオチに使われていることが多い。どうやら「ゲイ」はアメリカでは日常的な存在であるようだ。残念ながら日本での「ゲイ」の認知は低い。だが先の「ウィル&グレイス」の最終回のオチは、互いの存在を最大限大事に想いやる二人のままで終わる。そこに描かれているのは男女差や個人の主義を越える二人の友情であり、互いを思いやる深い愛情であった。「きのう何食べた?」にしたところで、シロさんとケンジの二人の生活には、長年連れ添った老夫婦のような味わいがありながら、互いの両親への配慮を見せたり、互いに添い遂げたいと願う二人の男性の、余人の入るすきのない深い愛情ではないのか。たとえそれが他人には奇異に見えようが、それぞれのカップルが抱える問題に真剣に向き合いながら、互いの気持ちを思いやる人間の姿を見せているにすぎない。

 かつて「マリア様がみてる」を取り上げた時、この物語が世に言う「百合」と表現するよりも、登場する女性キャラクターの関係性の多様さを見せることにより、彼女たちの成長を手助けする良好な人間関係を描いた作品であると指摘してみた。考え方としては「BL」だって同じなんじゃないだろうか? 前述のかけざんの話にしても、そのカップリングの方法論にしても、それは1対1の人間関係を表現したものであり、「攻め×受け」という表現や、「へたれ」や「鬼畜」などといったこれらに付随する単語にしたところで同じ事。アメリカンドラマでは「ゲイ」と表現することで笑い飛ばしてしまうほどの国民性で、「ゲイ」の社会認知の程度の高さを示しているし、秘匿されつつも「BL」作品群だって、主体となるキャラクターの関係性、そして作品から派生する妄想の産物として想像されるキャラクターの人間関係をあからさまに表現して見せることで、キャラクターや作品を心から愛していることを主張する行為に昇華しているのだろう。そしてまた人間が一番興味あるのは人間である。「BL」の魅力の根本にあるのは、あからさまにできない後ろめたさの隣にある、多彩で多様な人間関係に対する憧憬と興味なんじゃないだろうか。

 性的描写の部分ばかりで「BL」を好き勝手に判断されるのは、やはり腐女子の皆さんとて不愉快だろう。その根っこにある作品から想像される多彩で多様な人間関係は、現実の人間関係を良好にするテストケースになっている可能性だってある。妄想だってしないよりしたほうがいい。想像力の欠けた政治家が舌禍事件を起こすイマドキの日本だからこそ、想像力もとい妄想力はあったほうがいいに決まっている。
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コメント

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BLとはちょっと外れますが

BLとはちょっと外れますが、今から20年くらい前のネット黎明期に日本で大学や研究機関を結んだネットが
ありました。その名は「JUNET」誰も「ジェーユーネット」とは呼ばずに「ジュネット」って呼ばれていました。
現在のように、画像は送れずテキストだけのネットでしたけど。
コンピュータ関係とサブカルは何故か親和性が高いのでみんなJUNEは知っていて何故この名前にしたんだろう
って不思議がって運営に質問した人も居たようです。(男女問わず)
建前は「JapanUniversityNet」の略だとなっていましたが、どうも中の人も確信犯的に名前をつけたみたいです。
90年代頭にはそういう物が認知されていた傍証にはなるんじゃないかなあ。コンピュータ業界だけかもしれませんが。

No title

mineさま

 wikiで調べたところ、「JUNE」と「JUNET」の話は書かれておりませんでしたが、なかなか面白い話ですねえ。
おまけに、名前だけで記事内容となんの関連もないところがさらに面白いねえ。まあ、名前のの由来にも諸説あるようですが。

 んで、「BL」の話はどうした?(笑)

 もうさあ、あいかわらず元の記事に触れずじまいだねえ。コメントくれるのはうれしいんだけどさ。

 ええと、この調子で来年もよろしく(笑)

No title

私は、「平成ゴジラミレニアムシリーズの【×】はそーいう意味では無いッ!」という腐女子である友人との会話を通して、「生きている世界が違うのだなぁ」と感じました。
理解はできるのですが、しかし踏み込んではいけない領域があるようです。

No title

飛翔掘削様
 コメントありがとうございます。
 いやまあ、踏み込んじゃいけない領域って、自分で作っちゃうものだから。まさにATフィー・・・

 けどですね、無理解で拒否し続けるより、なんらかの形で理解してみるほうが、世界が広がって楽しいんじゃないかと。

 とはいえ、理解できないものは無理な面もありまして(笑) 本記事はものすごく大雑把めに書いてます。しかも私なりの理解なので。そこいらへんはごめんなさい。またチャレンジしたいネタです。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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