009 RE:CYBORG~009らしさとは何か?~

 この秋はアニメーション映画の公開が相次いでおり、「新世紀エヴァンゲリオン新劇場版Q」も公開されたばかりだ。劇場版「魔法少女まどかマギカ」が前後編合わせて約10億円の興行収入を達成し、続編となるオリジナル作品の公開も決定しており、劇場用アニメはにわかに活況を呈している。
そんな状況の中で、「攻殻機動隊SAC」シリーズや「東のエデン」シリーズなどを手がけてきた神山健治監督およびプロダクションI.G.がこの秋に送り込んできた作品は、かつての漫画界の巨匠がライフワークとして挑みながら絶筆となった作品に、新たな命を吹き込む作品だった・・・・のか?w

009 RE:CYBORG009 RE:CYBORG
(2012/11/10)
神山 健治、福島 直浩 他

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<概要と物語>
 「009 RE CYBORG」は2012年10月から公開されている劇場用アニメ。その原作は故・石ノ森章太郎が残したライフワークともいえる作品、「サイボーグ009」。1964年に本作のコミックスが発表されてから、掲載誌を変えながら断続的に書き続けられ、1985年「時空間漂流民編」を最後として未完のまま、石ノ森氏は1998年に物故された。ただし氏は1969年に2度にわたり完結編の執筆を始めるも、中断してしまう。それが「天使編」と「神々との闘い編」である。いずれも黒い幽霊団と00ナンバーサイボーグたちとの闘いが終わった後に、人間の造物主である天使あるいは神と敵対する物語だが、あまりにも壮大な物語であったため収拾がつけられず、未完のままとなった。
アニメ版は1966年、1979年、2001年にと3度製作されており、2001年版ではアレンジを施しながらも原作に準拠して製作が進められる、未完の「神々~」編もその序章部分がアニメ化されている。なお劇場版も1966年、1967年、1980年に3度製作されている。つまり本作は009の映画としては4作目ということになる。

 時は2013年2月。世界各地で巨大ビルが破壊されるテロが相次いで発生し、世界は緊迫状態にあった。その時、日本の高校生・島村ジョーは、何かにとりつかれたように六本木ヒルズの展望台にいる。その行動は、六本木ヒルズを爆破するためであった。折しも世界でのテロの横行によって、各国の諜報員は活発に活動していた。ニューヨークのバーで人知れず再開したのはグレート・ブリテンこと007とジェット・リンクこと002。かつて00ナンバーサイボーグとして世界のために戦ってきた同士は、11年の時を経て再会を果たす。現在はともに祖国の諜報部員として働く二人。二人の話題もやはりテロの話だ。だがその会話の中で、テロを行った実行犯の人間になんら特徴も共通項も見られないという。だが007の話によれば、テロの実行犯は「彼の声」に導かれて爆破を行ったというのだ。疑心暗鬼の002。だが002と別れた007は謎の一団に襲われ、そのまま行方不明になってしまう。
 六本木ヒルズが突如激しい揺れに襲われる。それは米軍が発射したミサイルがビルに命中したのである。その騒ぎの中で乱闘になるジョーとジェロニモJr.こと005。それを上空哨戒中の輸送機から監視する目があった。ギルモア博士からの密命でジョーを監視していたフランソワーズ・アルヌールこと003だった。003と005の行動はサイボーグとしての能力と記憶を封印されていた島村ジョーこと009を目覚めさせるためだった。ミサイル攻撃で爆発するヒルズ。そこへ降下していった003を助けたのは、005と戦っていたはずの009。目覚めた彼は、加速装置を発動させて003を救ったのである。合流した彼らは、未曾有のテロの驚異から人類を救うため、再びギルモア博士のもとに結集することになる。だがそこには、11年前に袂を分かった002の姿はいない。
 張々湖こと006は、ギルモアとの確執をぬぐって天津の港で諜報活動に当たっていた。国際海運会社「SMO」。アメリカでのビル爆破の瓦礫を輸送したこの会社と、アメリカとの関与を疑っていたギルモアの指示により、006はSMOの郵送物を探っていたのである。だが武装した兵団に襲われることになる006。難を逃れるものの、過剰なまでの装備に疑いはより濃厚となっていく。
 イスタンブールでは考古学者として発掘に携わっていたピュンマこと008を、アルベルト・ハインリッヒこと004が訪問していた。それは008たちの発掘隊が発見した奇妙な化石に関するものだった。だがふとしたことで地下に降りた008は、004の追跡にも関わらずその消息を絶ってしまう。彼が消えた場所には、背中に羽の生えた奇妙な人体骨格の化石を発見する。
 行方不明になったメンバーとジェットを除いてギルモア研究所に集結するメンバー。そこで009は世界各国の状況と、テロの現状を改めて知る。そこでギルモアは、SMOとアメリカの結託により世界にテロをまき散らすことで、再び世界を戦乱の渦にたたき込む計画であるという自説を説く。だが自分が導かれた「彼の声」の存在を問いただす009は、ギルモアの疑念を受けて拘束されてしまう。その時、アメリカの爆撃機がインド洋で消息を絶ったという情報が入る。爆撃機の向かった先はドバイだ。拘束された009は003を人質に取ってギルモアに自分を信じるように懇願し、イワン・ウイスキーこと001のテレポーテ-ションによってドバイに向かう。また時を同じくして「彼の声」の捜査当たっていた002もドバイに到達する。爆撃機の機上で11年前の対立を蒸し返す二人。互いのイデオロギーが対立する中、ついに爆撃機から核ミサイルが発射される。壊滅するドバイを目の当たりにして、009はなすすべもない。二人はそのまま行方不明となってしまう。
 008が行方不明のまま研究所に帰投した004。彼は008が残した資料を元に、人間にとっての「神」の起源について静かに語り始める。テロを引き起こしている謎の「彼の声」とは。その実体を探るために002はSMOの親会社であるサムエル・キャピタル社に赴き、社長のサムエルと対峙する。だがそこで002が見たものは、彼らですら「彼の声」に従っていたという事実であった。事の真相を上司に報告するためにペンタゴンに向かう002。だがアメリカ国防総省は一連のテロの主犯を、00ナンバーサイボーグであるとして発表するというのだ。自分が信じてきた祖国の正義に裏切られる002。次の瞬間ペンタゴンの屋根が崩れ大騒ぎになる。だがそこで002が見たものは、金髪の天使が降臨する姿だった。
アメリカはギルモア研究所にまで手を伸ばしてくる。襲撃されるギルモア研究所の中で奮闘する004,005,006の3人。サムエル・キャピタルの死体改造兵士に数で押されて劣勢になる中、009の帰還によって形勢は逆転する。
 研究所での戦闘が一段落した後、002から脳波通信が入る。アメリカの原子力潜水艦が消息を絶ったというのだ。原潜の核攻撃によって危機に瀕した世界。この危機から世界を救うのは、やはり00ナンバーサイボーグしかいない。009たちは原潜のミサイル発射阻止のために立ち上がる。はたして009はミサイル発射を食い止められるのか? そして「神の声」とは何なのか?その答えにたどり着こうとする009たちの闘いは厳しい。

<作品周辺の事情について>
 本作は神山監督のいる「プロダクションI.G」とスタジオ「サンジゲン」のコラボレーションとして誕生した。そしてできあがった作品が3DCGによってキャラクターや背景を含めて、作品の全てを作りあげた作品となった。この事実はこれまでのセル画主体のアニメから脱皮し、コンピューターによる彩色が主流になったアニメ製作の現場が、さらに背景をCGで作り込んだり、車やメカニックをCGで作り込むなどの過程を経て到達したアニメ製作現場の変革そのものといっていい。それがあまりおおっぴらに喧伝されない事情は、「フルCGによるアニメ」はすでにこの世に存在しているからである。あの劇場用作品「ファイナルファンタジー」や「アップルシード」など、これに類するフルCGアニメーションというのはすでに存在する。本作がそれら既存のフルCGアニメと一線を画す点は、できあがりの映像が「セルルック」と呼称される、セルに描かれたアニメのタッチや雰囲気を残して製作されている点だ。もし本作の製作裏を知らない人が見れば、キャラなどの動きに違和感を感じつつもセルアニメと認識してしまう可能性だってあるだろう。詳細は発売中のムックやTogetterのまとめ(http://togetter.com/li/406913)を参照していただければ幸いです。ではなぜ3DCGによるフルアニメという部分を前面に出して宣伝しないか?それはもう、先述の作品の受け止められ方を見れば明かでしょう。だって不利にしか働かないもの。

 またプリプロダクション(製作前段階)において、本作の製作に関して、神山監督の師匠である押井守氏が一枚かんでいたことは、多くの雑誌媒体でのインタビューで書かれている。発売中の「アニメスタイル002」における神山監督のインタビューが非常に面白い。それによれば、最初の発端は押井さんによるアイデアで「009」を作ることが決まり、神山監督によるシナリオが書き上がった段階で、その脚本を押井さんのアイデアで一度ひっくり返そうとしたのだそうな。しかも押井さんのアイデアというのが異常なまでに偽悪的であり、009ジョーと003フランソワーズ以外の他のメンバーはすでに死亡しており、001の脳は犬に移植されて、ギルモア博士まで死んでいる。おまけにジョーは若いままなのにフランソワーズは58歳だというのである。んなもん、誰が見たいってーの!(笑)紆余曲折を経て押井さんではなく神山さんが監督をやったからいいようなものを、このインタビュー記事を読んでいる限り、神山監督が上司である押井さんに、いいように振り回されている印象を受ける。それでも苦労を表情に出さない神山監督に拍手ですな、これは。

 できあがった本作を見るにつけ、神山監督が「押井守へのラブレターのつもりで書いた」というように、本作はいわゆる押井テイストにあふれている。特に「金髪の少女」や「天使の化石」というのは、押井監督が手がけたOVA「天使のたまご」に通じるし、世界のとらえ方や現代風アレンジのやり方にしても、どこか「攻殻機動隊」風ですらある。神山監督が作ったTV版「攻殻機動隊S.A.C」シリーズはまさに「009」風であり、本作は先祖帰りしたような印象すら受ける。先のインタビュー記事によれば、押井監督自身は「自分の原典は「神々の闘い編」だ」と公言していたらしく、この辺りは完全にループしている感じだろう。彼らが「009」を素材として扱うこと自体は、どうやら自然の成り行きだったようだ。

 筆者個人は本作を大変気に入っており、神山監督作品である「攻殻機動隊S.A.C」シリーズも「東のエデン」シリーズも大好きだったので、あまり詳しく考えずに本作を飲み下したつもりになっていた。ところがいざ本作をブログにしたためようとした段階で、どうしても筆が前に進まない。何でだろうか?と不思議な感覚にとらわれつつ、2週間以上が経過してやっと本記事を執筆している状態だが、なぜにこれほど本作を言葉にすることをためらったのか? その命題を今は、本作ははたして「サイボーグ009」だったのか?ということにして、話を進めてみたい。

<神山作品に見え隠れする押井さんの影>
 最近発売された島本和彦著「アオイホノオ」第9巻の中に、主人公ホノオくんの分析による「サイボーグ009」に関する円グラフが登場する。それによれば「サイボーグ009」という作品は、「SF」+「反戦」+「アクション」=50%と「何だかよくわからない」=50%で構成されているというのだ(笑)。そしてホノオくん曰く、「この何だかわからないところがカッコイイのだ」というのである。本作にこれを照らしてみれば、わかりやすいかもしれない。「SF」の部分は00ナンバーサイボーグの解釈や死体改造兵士などに現れているし、「アクション」は間違いなく本作における見応えあるアクションシーンに相当する。「反戦」はそもそもサイボーグたちが戦争用に作られたサイボーグであり、造物主に叛乱を起こして立ち上がる部分を含めての話だが、本作ではそのかわりに現実世界における「正義のあり方」について問うており、009と002のドバイ上空でのやりとりに現れている。ところがこの「何だかわからない」という部分に関して言えば、「彼の声」や「天使の化石」など、あまりにも押井テイストにあふれており、本作の一番わけがわからないところでありながら、その答えとして「押井作品らしさ」であふれかえっていることになる。とするならば、どうやらこの作品を言葉にしようとしたときに言葉にできなった理由がわかったような気がした。つまり石ノ森作品であるはずの「サイボーグ009」の本質的な面白さであるはずの「何だかよくわからない」の部分に、「押井テイスト」と突っ込んだ結果、「009」らしさが失われてしまったのではないか? そしてまたこうした例を我々は知っているではないか。かつて「うる星やつらビューティフル・ドリーマー」という作品があったことを。あの作品も映画としては大変面白かったのだが「うる星やつら」としては疑問符がつく内容ではなかったか? どうも本作はこれとまったく同じ現象が起きているらしいのだ。映画としてはいいのだが「009」としてはどうか?

 検証の一つとして、本作のラストシークエンスである原潜から放たれた核ミサイルを追う009たちというシーンを考えてみたい。009たちの敵は「彼の声」を発して人間たち自身の手で自らを滅ぼそうとするかに見せる「神」とおぼしき何者かだったはずだ。だが物語の辻褄ではその何者かと対峙し、009たちが彼らと対話することでしか物語の完全なる終幕はない。ところが本作では最後のシークエンスを核ミサイルの阻止としてしまった。これでは「何者かの悪意」をみすみすほったらかしにすることになる。しかも最終的にそれを神が与えたもうた試練であり、人間が超えられない試練を神は与えないとするオチであることは、そもそものテロを引き起こした「何者かの悪意」も「彼の声」に反応した人間たちの中に潜む悪意も、すべて否定してしまうことになる。本来進むべき物語の道筋は、全く別の帰結にすり替わってしまっているのだ。これと同じ事が「ビューティフル・ドリーマー」にも言えることで、不思議な事件の原因がラムの願いにあるとしておきながら、物語の帰結が諸星あたるの本心にシフトしており、話題が入れ替わってしまっているのによく似ているのである。観客側にしてみれば一見わかりのいい話に見えて、本質的に戦わねばならない相手から目をそらした形で幕が引かれている。そしてそれでもよいと結論を放り投げて終わってしまうところまでよく似ているのである。どうやら神山監督は押井さんへのラブレターである本作で、本当に押井作品の持つテイストまでまねて、そのまま取り込んでしまったようにも感じてしまうのだ。

<009らしさとの対立>
 本作を見終えて興奮したままツイッターでつぶやいたとき、本作は「天使編」や「神々との闘い編」へとつながる前日譚ではないか?という感想をいだていたのだが、いやまったく本来の「009」とは別物であることに、あとから気づかされたという次第。指摘し始めたら指摘せずにはいられなくなる。言い出したら切りが無いのだ。例えば003フランソワーズがエロかったとか、001イワンの超能力が便利すぎる上に、一向に眠る気配を見せないとか、007グレートと008ピュンマの出番がものすごく少ないとか、ギルモア博士があまりにも狭量だとか、どうしてそこまで002ジェットはアメリカという国に準じようとしているのかとか、もう気になり出すと気になってしまう点は数多い。
特に対立軸としての「正義」の描き方を、ジョーとジェットを代表にして日米で述べてしまう点は、あくまで神山監督の「正義」のとらえ方であるので、これに文句を言うつもりはない。だがブッシュ政権下でのアメリカの正義があの忌まわしい「9.11」の呼び水だったとすれば、そんなアメリカにジェットが果たして意義を見いだすであろうか。00ナンバーサイボーグは、どこの国の人物であっても、その国の最下層に暮らした人々であり、彼らには「祖国愛」はあっても本来頼るべき国などないのだ。祖国の事情を持ち出してしまう時点で、00ナンバーサイボーグとしてはどうか?と首をかしげてしまう。彼らは本来人種や国、差別などから解放されたはずの9人ではなかったか。これはもう「サイボーグ009」らしいとは言えないのではないか。

だからといって本作がダメだと言うつもりもなく、「009」という作品をソフィストケートしようとしてやりきれなかった作品だという認識が筆者にはある。何より現実っぽい世界観の中で00ナンバーサイボーグたちがアレンジを加えられてそこにいるかもしれないと思わせ、本質的に「何かよくわからない」けどカッコイイ部分に相当する「センス・オブ・ワンダー」の一端は掴んでいる作品ではないだろうか。ええ、繰り返しますが、筆者はこの作品が好きです。

追記
 キャストについては素晴らしいの一言。特に003の斎藤千和さん、004の大川透さんが個人的にツボでした。しかし斎藤千和さんの声ってば、なんか時を超える効果でも含まれているのだろうか?まどマギのほむらといい、これといい。

SOUND OF 009 RE:CYBORGSOUND OF 009 RE:CYBORG
(2012/10/24)
川井憲次

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009 RE:CYBORG(1) (ビッグガンガンコミックススーパー)009 RE:CYBORG(1) (ビッグガンガンコミックススーパー)
(2012/10/25)
石ノ森 章太郎、麻生 我等 他

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微妙に映画の内容が補完されています。
009 RE:CYBORG THE COMPLETE009 RE:CYBORG THE COMPLETE
(2012/11/10)
石森プロ、 他

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テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

コメント

非公開コメント

No title

お久しぶりです。
自分にとって009の好きなところは

ブラックゴースト首領「私も『黒い幽霊』の細胞のひとつに過ぎない。そして、
『黒い幽霊』は滅びない、『黒い幽霊』は人間が生み出すものだからだ。
人間の悪が、欲望が生み出した怪物だからだ。」

009「おまえが細胞のひとつに過ぎないというのなら、ぼくにも仲間がいる、
僕の仲間たちが、お前たちを、たとえひとつずつでも叩き潰してやる。
最後のひとつまで叩き潰してやる!」

あのやり取りに集約されているので、天使編て蛇足に思っています。

No title

うめさん

 「天使編」が蛇足かあ・・・・・

 原作「サイボーグ009」って何度か終わろうとしてるじゃない。
 「地下帝国ヨミ編」とか「ミュートスサイボーグ編」とか。いわゆる「誕生編」とされている物語も、一度は完結しようとはしているんですよ。ってことは、それ以降はほぼ蛇足なんじゃない?特に、ぼくらの世代がリアルタイムで読めた「週刊少年サンデー」で連載されたネオ・ブラックゴースト編のほとんどや、「時空間漂流民編」は蛇足になっちゃう。

 これってどう思う?

 単純に連載の時系列だけで考えたとき、「サイボーグ009」っていう数々のエピソードを有する群体としてのマンガは、ほぼ蛇足だらけになっちゃう。しかもきちんとした形で終結すらしていないエピソードである「天使編」と「神々との闘い編」は、蛇足どころじゃない。でも「サイボーグ009」っていう作品を俯瞰したときに、この2編なしには考えられないのは、原作者の思考の変遷が読み取れる内容だからだし、なにより00ナンバーサイボーグたちにとって、この世界にもはや敵がいなくなった証拠でもある。

 最初、小学館で発行された文庫版にも収録されなかった「天使編」と「神々編」を私が最初に読んだとき、そのあまりにも壮大な敵を前に、目もくらむ思いがしたのよ。それは009たちの最終試練としては正鵠を射ているし、何より完結することに見ている側の思いが満たされることへの期待感だった。それは「サイボーグ009」というマンガにとっての必然だったように思えます。

 あなたの考えを否定するつもりもない。でもあの2編は、蛇足でも何でも無く、物語の必然として当然の帰結だと、私は思います。

 ちなみに、記事であつかった映画「009 RE CYBORG」では、神が与えた乗り越えられるはずの試練として事件が描かれておりますが、これが神の悪意だとしたら、それは人間の心に宿る悪意の総体である「黒い幽霊団」自体であり、009たちの闘いはやはり終わっていなかったという解釈もできると思います。とはいえ、神山監督はそれを否定しているようですが。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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