「GODZILLA」(1998)~なぜ謎の巨大生物でなければならなかったのか?~

 この夏の話題作である「GODZILLA ゴジラ」を見て感想をアップした後、やはり見る前にこのローランド・エメリッヒ監督版「GODZILLA」を見ておきたかったと、少しばかり後悔した。以前エメリッヒ版を見た時の、あの得も言われぬ「ゴジラじゃなかった」感を考えれば、今回のゴジラがどれほどゴジラだったかと思いもしたが、では逆に「ゴジラであること」とはどういうことかを考える一助になるのではないかと思いついて、今更にように見なおしてみた。はっきりと申し述べれば、ゴジラは「謎の巨大生物」ではなく、「怪獣」でなければいけないのである。怪獣は「怪しい獣」と書くが、その出自に社会的な背景がある上、それが問題提起として人間の前に現れた時に、なすすべもなく蹂躙されることで、越えるべき壁となるべき存在なのだ。少なくとも怪獣王ゴジラとはそういった存在なのだ。ところがエメリッヒ版のゴジラにはそれがまったくない。怪獣としての畏怖も出自による問題提起もそっちのけ。なにより怪獣ではなくはっきりと「謎の巨大生物」として設定されているのである。ここまで徹底して「怪獣」を否定されるのでれば、なぜこの謎の巨大生物が闊歩する映画を「GODZILLA」としなければいけなかったのか?という疑問がわいてくる。今回はこの映画のゴジラがどうして謎の巨大生物でなければいけなかったのか?という命題について考えてみたい。

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(2014/05/14)
マシュー・ブロデリック、ジャン・レノ 他

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<作品概要>
 1998年に日本で劇場公開された本作であるが、興業成績は決して悪くない。興行収入は約51億円で観客動員数は360万人。翌年に公開された「ゴジラ2000ミレニアム」の興行収入が16.5億円、観客動員数200万人であるから、本家が復活の狼煙を上げて公開された作品よりも成績はいいのである。これを失敗作というなら、日本で公開されたゴジラ映画のほとんどは失敗作扱いになる。

 ある日、日本の漁船が巨大な何物かに襲われた。その事件の生き残りの老人は、その巨大な何物かを「ゴジラ」と呼んだ。チェルノブイリで被爆したミミズの研究をしていた科学者・ニックは、アメリカ国務省の緊急要請に従いパナマに向かう。そこでニックが見たものは、巨大な3本爪の足跡だった。続いてジャマイカや大西洋でも謎の巨大生物による被害が相次いで起こる。ニックはこの巨大生物を、フランスがかつて繰り返し行った核実験によって突然変異した生物だと推測する。そしてフランス人の保険調査員が彼らの周囲をうろつき始めた頃、ついにその巨大生物はマンハッタンに現れ、ビルの谷間を蹂躙しはじめるも、いずこかに消えてしまう。人々は避難をはじめ、報道は史上まれにみる事件に加熱する。地下道に逃げ込んだ巨大生物をおびき出すため、山のようなマグロを積むアメリカ軍。餌に食いついた巨大生物。攻撃を始めるアメリカ軍であるが、追跡ヘリの攻撃による流れ弾で被害を拡大してしまう。その上4機のヘリまで落とされて、アメリカ軍はなすすべもないまま、再び巨大生物は姿を消してしまう。ニックは血液のサンプルを採取し、巨大生物が妊娠していることを知る。つまり巨大生物は繁殖のためにマンハッタンを訪れたというのだ。巨大生物を負って地下道を探すアメリカ軍。対策を協議する会議の途中、ニックの昔の恋人で、報道レポーター志望の女性・オードリーの功名心によって情報がリークされてしまう。これによってニックは解雇されてしまう。ニックはフランスの諜報部員・フィリップによって拉致されてしまう。だがフィリップによってもたらされた情報によって、アメリカ軍は巨大生物の巣を探さないことを知ったニックは、フィリップに協力することにする。一方アメリカ軍は再び大量のマグロで巨大生物をおびき出す作戦を続行する。巨大生物は地上に現れるが、おびき出すべき公園を前にして逃げ出してしまう。アメリカ軍の総攻撃が巨大生物を海に追いやる。潜水艦から発射された魚雷をかわす巨大生物。だが攻撃の第二陣によって巨大生物はついに海中に没する。一方のニックとフィリップたちは、マジソン・スクウェア・ガーデンに生みつけられた巨大生物の卵を発見する。卵の数はニックの予測をはるかに超えていた。卵に爆弾を設置して破壊しようとするフィリップ達。だがその卵が徐々にふ化しはじめ、兵隊たちを襲い始めた。マジソン・スクウェア・ガーデンを直接攻撃させようと試みるも、外と連絡がつかない。ニックたちは羽化した生物たちからただ逃げ惑うしかない。だがオードリーたちの発案によるスクウェア・ガーデンからの中継によって、産卵場所での現状を知らせることに成功する。そして戦闘機からの空爆によって、マジソン・スクウェア・ガーデンは爆破され、生物たちは壊滅した。だが廃墟の中なら現れた巨大生物は、殺された子供たちの亡骸をみてニックたちを追いかけはじめる。巨大生物はまだ倒れていなかったのだ。ブルックリン橋に巨大生物をおびきだすニックたち。つり橋のケーブルにからめとられた巨大生物は、戦闘機のミサイル攻撃によってついに息絶える。巨大生物の死に湧き上がるニューヨークの民衆。だが燃え盛るマジソン・スクウェア・ガーデンの中に残されていた1つの卵から、1体の生物がふ化し始めた……。

<謎の巨大生物である理由>
 先述のとおり筆者はこの作品のあらすじを書いてみたが、お気づきの方もいることだろう。筆者は本文中一度もゴジラという呼称を使っていない。その最大の理由は、映画本編においてかの巨大生物を「ゴジラ」と呼称しているシーンが一切ないからだ。あらゆる状況下で日本が舞台となっているゴジラ映画において、ゴジラをゴジラと呼称していない映画はない一方で、この差は歴然としている。実はこの点に、最大の理由が隠されている。つまり脚本家や監督はじめ、本作に関わったほとんどのスタッフは、この作品を「ゴジラ」として製作しているつもりが、さらさらないのである。そもそもゴジラとして作っていないものを、「これはゴジラ映画じゃない」とのたまうことの、なんと無意味なことか。

 Wikiに記されている内容をそのまま信じるのであれば、ローランド・エメリッヒ監督にとって、「ゴジラ」というコンテンツはまったく魅力を感じるものではなかったようで、最終的にGOサインとなったアイデアと脚本は、この作品の監督を辞退するための方便として作られていたようなのだ。しかも出来上がった作品を見ても明らかだが、ハリウッド側には日本のゴジラのありようを肯定し、尊重する気はさらさらないと見える。必要なのは日本という市場において金儲けできる可能性を持つコンテンツ利用を思いついたハリウッドの人々が、高い金を払って取得したゴジラの使用権を無駄にしたくなかったという内幕事情だけでこの作品は公開されたようなのだ。これをゴジラと断定する必要もないし、ましてやこれをゴジラでないと目くじらを立てる必然もない。

 さてこの夏の「GODZILLA」にしてもこの作品にしてもそうなのだが、ゴジラが水爆大怪獣であることに目をそむけてしまっているのは、日本人としては本当にいただけない。本作の冒頭部、太平洋上の島を舞台に行われた水爆実験のシーンは、それによって島に生息していたイグアナの突然変異によって巨大生物化したことほのめかすシーンであり、劇中でも科学者たちが議論しているシーンにて、巨大生物の出自は水爆実験の放射能被害による突然変異と推測だけはしている。ところがそのシーンに軍人は登場しない。つまり軍部や国には、水爆実験という負の遺産の副産物である巨大生物の正体を謎のままにすることで、軍や国の責任を追及しない演出になっているのだ。逆説的ではあるが、ゴジラというコンテンツが本質的に被爆国である日本という国の歴史を踏まえていないと、無味乾燥なものであることを思い知らされる。つまるところ、原水爆でも原子力発電でもいいが、人間が思いあがりの果てに運用した奇形の科学によって人間自身がしっぺ返しを食らう、という思想的な問題提起がないところに、ゴジラはコンテンツとして存在しえないのである。原爆を使用したアメリカ軍が、その使用を悔いるシーンでもない限り、ハリウッドで作られるいかなるゴジラも、日本人のファンは受け入れられないのかもしれない。もっともそれは日本のゴジラにも言えることではあるが。

 どうやらエメリッヒ監督の言によれば、本作のアイデアの源流には、ゴジラの元ネタの一つでもある「原子怪獣現る」のリドザウルスがあったという。筆者はこの作品を見たことがないので言及できないのだが、雑誌「宇宙船」などに掲載されていた情報やスチールなどを見る限りにおいては、レイ・ハリーハウゼンによるコマ撮り特撮によってリドザウルスは表現されているようだ。その大きさは比較する建物のミニチュアの大きさから推測するに、巨大なビルを凌駕するような巨大さではなく、あくまで恐竜的な大きさの範囲のように見える。「回収」(2000,音楽専科社)という対談書籍に収録されているSF作家・山本弘氏の言によれば、「「原子怪獣現る」のリメイクとして見ると、すごくいい映画」ということらしい。そう、ゴジラではなくリドザウルス。ゴジラとは別物という意識で見た場合、本作は何らかのSF的な事情によって巨大化した生物によるパニック映画として見ることで、この作品の本質的な面白さがわかるのではないか? 例えばこの作品において、「科学者」「軍事」「報道」の3つの要素を、それぞれ3人のキャラクターに振り分けており、それぞれにドラマを盛り上げる。これに「避難する民衆」という視点が加わるのは9.11以降まで待たねばならず、この夏の新作ゴジラでは、むしろこちらに比重が割かれていた。それぞれの立場の人が、それぞれにスポットが当たることによってそれぞれのドラマが紡がれ、やがて事件の進捗に合わせてそれぞれのドラマが一つのドラマへと収斂していく。科学者たちは巨大生物を倒そうとする軍部に請われて協力するが、科学的興味と軍部による生物打倒は徐々に軍部の強硬さによってすり替えられていくから、科学的興味は後退せざるを得ない。一方で軍によって報道管制を敷かれた現場では、ジャーナリズムがしゃしゃり出てきて軍を疲弊させる。「知る権利」ばかりを主張する報道の一方で、混乱を避けるために報道を規制する軍の思惑は、一体誰のためのものなんだろうかと懐疑的になる。だがそんな人間たちを無視するかのように、巨大生物は人を街を蹂躙する。怪獣映画ではなく都市を舞台にしたパニック映画として見た場合、十分に面白いレベルの映画であることは間違いない。とはいえ決定的に脳みそが足りないと思わせる女性レポーターの存在が、物語に華を添えるどころかうっとおしくて仕方がないのも、あの頃のハリウッド映画のスタイルだろう。

<思い描いたゴジラ像が我が身に帰る>
 さてこの映画、本当のところこれを見た特撮ファンの多くは、これをゴジラと認めることはできなかったに違いないことは容易に想像できる。それを口に出すのもはばかれるほどに、この映画は「ゴジラ」とは程遠い映画ではあったのだ。だがそう言いながらも、かつての日本のゴジラシリーズを見ながら、特撮ファンは「自分ならここをこう演出するのに」とか「この設定はこうしたらもっと面白くなるのに」といった思いはなかっただろうか? そして特撮ファン、ひいてはゴジラファンにとっての「俺ゴジラ」は、ファンの数だけあったと思うのだ。前述の「回収」に収録されている、岡田斗司夫氏の言葉を引用してみよう。

「でね、おまけに何が困ったかってね、あれ昔からSFファンが言うてる「ゴジラ作るんやったらこう作ったらええやん」っていう、そのままなんですよ。」
(中略)「見たかったゴジラやけど、できてみたらこんなに貧相やった(笑)」



 その前後の言葉も爆笑必至だけれど、それは実際に本を手にして確認してください。まあ現在ではほぼ絶版でしょうから、古書店なりネットなりを探してみてください。つまりね、科学考証好きのSFファンがゴジラ映画を見ていて抱いた思い、特撮ファンが見続けてきたハリウッドのSF作品との比較、日本とアメリカの特撮技術の差を鑑みた結果、SFファンや特撮ファン、そしてゴジラファンが夢想した「俺ゴジラ」は、この映画として結実しているのである。そしてまた「それ見たことか」というゴジラとは似ても似つかない巨大生物パニック映画として出来上がったこの作品に、目を背けながらも批判できないでいる。その批判はすべて自分に帰ってくるからだ。大声でこの作品に異を唱える人は、間違いなくゴジラもSFも特撮にもさして興味がない人が言い放った言葉であり、それは自分を責めることができずに理論武装して、この作品に対して批判を口にしたSF&特撮&ゴジラファンの言葉の表層的な一部分だけが取り上げられた結果でしかない。

 だからといってこの作品が傑作だなどと持ち上げるつもりはさらさらないが、パニック映画としては十分に及第点のハリウッドスタイルの映画であることは前述のとおりである。ゴジラやゴジラと戦う人々を注視するあまり、そうした側面をないがしろにしてきた日本側の映画製作者たちにとっては、見るべきものがある作品だろうが、この作品を契機に復活したミレニアムゴジラシリーズにおいて、そうした側面を部分的にでも見せたのは、「ゴジラVSメガギラス」ぐらいしか思いつかず、シリーズの最終作「ファイナルウォーズ」に至っては、本作とは真逆とも思えるヒロイズムが作品を支配していて、その差に目眩がするほどだ。でもそのバラエティさが面白いとも思えるのがゴジラシリーズの懐の深さなのではないだろうか。

 一方で地震や津波、天候による災害など、その目を覆わんばかりの映像は、すでに世界中に溢れている。今年の「GODZILLA」を見ていても感じたが、パニックや災害としての怪獣映画は、すべからく大自然の猛威になすすべもなく蹂躙される人間のドラマのスピンオフでしかない。だとすれば、映画として身近とも思える災害の映像がリアルに感じるだけに、災害シミュレーションとしての怪獣映画というのは、もはや限界があるのかなと思わないでもない。さてこの映画を契機に日本のゴジラは復活したが、今後はどうなるのだろうか? 今後のゴジラの動向にも注目していきたい。
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コメント

非公開コメント

No title

呉学人「ジャイアントロボに使われているのが、あの忌まわしい原子力であるということを!」

というわけですね。逆にこれほど避けられると言うのは、そんなに原子力・核爆弾は
色々な意味でタブーというのか…。

いっそ、核爆弾の為にゴジラが目覚めたという真実を隠蔽するために、情報部が暗躍する
とかすればよかったのに。

アメリカ人って傲慢ですから、災害・自然の猛威が、目に見える怪獣=自然の神という形で
現れて蹂躙されたほうが良いぐらいに思います。

No title

?さま

 コメントありがとうございます。

 もうすぐ公開する映画でも「イン・トゥ・ザ・ストーム」で、竜巻のによる災害パニック映画ですしね。
 そっちのほうが彼らにはわかりやすいだろうし、万物に神が宿るとか考えちゃう日本人とは、メンタリティの点でそもそも相容れないんじゃないかって思います。アメリカ人にはゴジラって根本的に想像力の外の存在なんじゃないかと思うんですよね。怪獣は生物を越えちゃうんですけど、彼らにはそういった概念は理解できないから、変異した巨大生物としてしか想像できないんじゃないでしょうか。もっとも日本人には生物学的な意味でのモンスターの想像がやりづらいんでしょうけどwどちもどっちですな、こりゃ。

No title

こちらにもコメント致します(笑)。

丁度先月、ギャレゴジ公開前に日本映画専門チャンネルでこのエメリッヒ版がやっていたので、私はこれを観てからギャレゴジを観に行く事が出来ました。ラッキーでした。

『原子怪獣現わる』のリメイクとして観たら、本当に良く出来ている映画なんですよね、この映画……。
だんだん都市に近付いていっているくだりもそうですが、リドザウルスが都市破壊を行うシークエンスのオマージュも多分に含まれていましたし。

当初の3部作構成では、2代目ゴジラが放射能火炎を吐くようになったり、体質強化で通常兵器程度では死なないようになったりと、フォルムはそのままながら皆がイメージする「ゴジラ」に近い存在になっていき、最終作では宇宙怪獣と闘う事になっていたとか、そういう話も聞きます。
今となっては幻ではありますが、そのゴジラもちょっと観てみたい気がしますかね。

……・あと、私のような若輩者だと、「俺ゴジラ」というモノの概念がいまいちピンと来なかったりします。
ゴジラはゴジラのままなので、あれ以外のゴジラが本当に想像つかない訳ですから……・。
思考停止と言われたらそれまでなんですけれども。

長文、失礼致しました。

No title

飛翔掘削様

 こちらにもコメント、まことにありがとうございます。
 私は専門チャンネルで見損ねた口です。んで、DVDを自分で引っ張り出して見直したとwww

 wikiを見る限り、2作目3作目のほうが楽しみな感じですよね。まあ完成したらしたで、また叩かれそうな内容ではありますけどw

 「俺ゴジラ」って、おっしゃるようにもうちっと上の年代だといろいろあるみたいなんですよ。ところがそういうの改めて見せられて育ってきたお若い方には、たぶん想像しにくいかなって。「ファイナルウォーズ」とかって、かなりやりたいことやっちゃってた映画なんで、あれも俺ゴジラの典型例ですよね。楽しいけれど映画としてはおもちゃ感が強すぎて、つい笑っちゃいますが。

ハリウッドの思惑はその通りなんだろうけど、Godzillaとタイトルつけてる以上こんな代物は叩かれて当たり前だろw
カレー屋に入ってウンコ出されたら誰でも怒るのと同じだよ

No title

?さま

 コメントありがとうございます。
 このコメントに衝撃を受けて、正直ずいぶんとお返事が遅くなりました。申し訳ありません。
とはいえ、どうお返事してよいものやら、まだ言葉を探しあぐねております。

 「ゴジラ」と名の付く以上と書かれておりましたが、その日本のゴジラ自体が、本人自身を損なうよなキャパシティの広げ方をしている中で、「ゴジラ」というものを主張することすら、現在では難しいのではないか? もっともこの意見にしたところで私自身があまりゴジラに思い入れがないための感じ方なのかもしれません。もしお気に障るようでしたら平にご容赦を。
 逆に映画として真摯に本作を見た場合、この作品は決して書かれているようなカレーを期待されて出てきたウンコなどではなく、お客の期待していたものとは異なるカレーだった、というのが妥当な線なんじゃないかと思うのです。比喩としてはあまりに乱暴かもしれませんが戦後の日本で発達したカレーと、インドの出自のカレーは別物ですし、キーマカレーは?大阪自由軒のカレーは?などと、カレーの多種多様性を引き合いに出してみます。少なくとも私にとっては見るべきところのある怪獣映画であったことは、本文でも述べたつもりですし、ゴジラ映画ということに違和感があることも承知の上で、その見るべきところを本文にてあぶりだしてみたつもりです。世に数々のウンコのような作品もありますが、この作品をウンコと断ずるならば、私にとってのゴジラ映画は、本当に最初の1作目のみであると断じなければならなくなります。それもまた狭量の極みだと思います。
 確かに本作はゴジラ映画として愛することはできない映画です。ですが特撮怪獣パニック映画としての本作は水準以上の出来であることに間違いはなく、そこのあたりの齟齬によって貶められている本作を、できることなら再評価してみたい。私のささやかな願いはやはりウンコにも等しいのでしょうか?
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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