「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」~2大監督のエゴイズム~

 2015年の2月と3月に、相次いでTV放映された宮崎駿監督の「風立ちぬ」と高畑勲監督の「かぐや姫の物語」。劇場公開時にはなんとなくスルーしていた作品を、これ幸いと見ることにした。長く当ブログをほったらかしにしたもので、昨年の10月から1度の更新もしていない。もしかしたらこれら作品の視聴を契機に、書き始められるかもしれないと思い立ち、視聴に踏み切った。結果としてブログの更新と相成ったわけではあるが、実のところこの2作品にまったく思い入れを感じてなどいない。ただそこにあったのは、日本では著名な二人のアニメ作家のエゴイズムが、あまりにも画面から露呈していることに、ただただ狼狽した自分を発見したからだ。「老いてなお盛ん」という言葉もあるが、これほどまでにエゴイスティックに作品を作ることが許された人は、おそらくこの二人の他には「Gのレコンギスタ」の富野由悠季監督ぐらいなのではないだろうか?
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<軽~く作品解説>
 いつもなら当ブログでは、作品解説として作品のあらすじを述べるところだ。これまでは作品を見ていない方にでもわかるようにあらすじを書くことを旨としてきたのだが、実は当ブログでは結構な手間なのだ。そこで自分のブログ更新の手間を省くために、あらすじはあえて省くことにしたい。ご了承ください。
 2つの作品は2013年に相次いで公開された。「風立ちぬ」は2013年7月、「かぐや姫の物語」は2013年11月の公開だ。
 「風立ちぬ」は零戦などの旧日本軍の戦闘機の設計に携わった実在の人物、堀越二郎をモデルに、堀辰雄の小説「風立ちぬ」からの着想を絡めて、若き日の堀越二郎の姿を描いた作品。監督の宮崎駿は本作を持って長編作品の監督の座から退くことを発表した。

 一方の「かぐや姫の物語」は昔ばなしの「かぐや姫」、いわゆる「竹取物語」に着想を得て、成長するかぐやのエピソードや、かぐや姫がなぜ翁のところにやってきたか?という部分について肉付けをした物語が展開された。その絵柄はあくまでも手書きの水墨画のような描線が刻々と動いていく絵柄にこだわりぬいた作品で、竹取物語の絵巻物がそのままアニメーションとして動いているという感触が印象的な作品だ。共に国内外での受賞やノミネートも多く、どちらかといえば大人向けの作品であるがゆえに、興行収入は振るわなかったものの、作品としては概ね受け入れられた作品ではある(と、筆者は勝手にそう思っております)。

<さすが巨匠たち、さすがジブリ>
 「風立ちぬ」を見たとき、別段いつもの宮崎アニメと何が違うのだろうかと思いはしたが、個々のシーンを見ていると、どうしてどうして、なかなかに意欲的な実験をしていると気がつくシーンがいくつかあった。宮崎駿は手書きにこだわっているのかといえば、決してそうではないだろう。CGを使うべき場所を決めて逐次投入することは、それこそ「もののけ姫」のころからやっていたし、複雑怪奇な「ハウルの動く城」などもいい感じに動かしている。ナウシカの王蟲だって、今ならCGで表現することだろう。今回は紙飛行機だ。いつものふわりと飛ぶ宮崎アニメ特有の浮遊感とスピード感のある飛行とはまったく別種の、紙飛行機ならではの鋭い軌跡や風を切るスピード感を、CGを使って表現している。なんとなくスルーされた方はもう一度ご覧いただきたい。少なくともメーヴェや豚の飛行艇が飛ぶのとは、わけが違うことがおわかりいただけることだろう。

 また個人的に一番驚かされたのは物語序盤に登場する関東大震災の表現だ。山がこだまし、地がうねり、大地がきしむ。その結果として線路が歪み、都市が破壊され、火事が起こり、被害が拡大する。その過程が逐一画として表現されている。もちろん戯画的な意味での過程ではあるし、そんなふうに地震の被害が広がるとは思えないだろうが、あの感覚は「ポニョ」っぽくカリカチュアライズされてはいても、感覚としては3.11を経由してきた人々にとっては、決して間違いではないのだろう。あの表現はもちろん震災の被害にあった人々への配慮もあるだろうが、感触としてはああなのだろう。この震災の表現でもう一点大事な表現は、効果音を人間の声を使って表現している点だ。兼ねてより宮崎監督が既存の声優を好まないことはご承知の事だと思うのだが、ことほどさように効果音として人間の声を起用するあたり、その効果を狙ったことは疑いえないが、人間の声がこのような自然災害時に音として聞こえるものに当てはめるということは、人間の声が宮崎駿という人にはこのように聞こえているのか?と疑わしくなる、ちょっとぞっとする表現手法だった。

 「かぐや姫の物語」についても、巨匠と呼ばれる人の挑戦は格が違うと思わせる。先にも書いたが、人物や背景に至るまで、その描線はまるで毛筆で書かれた線であり、水墨画を思わせる描写力で、まるで「鳥獣戯画」の絵が絵巻物から浮き出てきて、それがそのままアニメになって動いているかのような表現方法をとっている。しかも手書きだってんだから、恐れ入る。かつて高畑監督の「ホーホケキョとなりの山田君」でも単調きわまりないいしいひさいち氏の漫画における線画を、あますところなくゆらめく描線で表現して見せた作品を見ているので、その手書きによるアニメーションの可能性、あるいは人の手によるアニメーションに限界はないことが証明されたと思っていたが、あの表現力はすさまじいの一語に尽きる。終盤にいたるかぐや姫が自分に思いを寄せた男の死を知って、その罪にさいなまれて駆け出すシーンのすさまじさは圧倒される。また捨丸とのひと時の逢瀬のシーンでのふわりとした飛翔感は、「千と千尋の物語」における千とハクの飛翔感を思い出させるジブリらしい浮遊感で、実に気持ちがいい。さらに序盤かぐやが徐々に成長するシーンにも、アニメーターの画力の高さのすさまじさがうかがえる。カットが変わることなく、1シーンの1カットの中で自然とかぐやの体が成長するのである。ほんの一瞬画面から目を離したすきに、あっという間に大きくなっている感覚。あのかぐやの一連の成長のシーンは、「這えば立て立てば歩めの親心」という言葉をそのまま画として表現したのではないかと思われる名シーンだ。もちろんこんなこと、今の20代にはわからないかもしれないが、人の親になろうかという年齢にもなれば、おのずとこういう点に美点を見出してしまうのは、筆者が年を取ったからかもしれない。

<アニメ作家としてのエゴイズム>
 「エゴイズム egoism」という言葉はgoo辞典によれば「自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。利己主義。」とある。「風立ちぬ」公開当時より、喫煙シーンが物議を醸していた。特に病床に臥せる妻・菜穂子の傍らで二郎がタバコを吸いたいと懇願して、菜穂子が二郎にこの場でタバコを吸うように促すシーンについては、二郎をしてエゴイスティックだと評した人がたくさんいたし、wikiの記事によれば、禁煙団体から批判されたという。だが何も二郎のエゴイスティックさはこれだけではない。劇中二郎は菜穂子と結婚することになるのだが、その結婚は本人たちの臨んだものでありながら、すでに母親と同じ病を抱えている菜穂子にとっては命がけの恋であり結婚だった。菜穂子にそれを選択せしめたのは、二郎の人となりであるのだが、それは二郎が自身の設計や事物に対して効率ゆえの美しさを尊ぶ性格であったからだ。その美しさは菜穂子も含まれており、彼女の美しさは二郎に選ばれるだけの器量を認められた故に恋が成立していたかに見える。この「美しさ」という点に関しては、劇中年を重ねるはずの二郎と菜穂子が、20代の若々しい姿のままで物語中ほぼ変化しないことにも表れている。二郎とシンクロするように、宮崎もまたその美しさをエゴイスティックに支持したかと思えるのだ。

 二郎の効率偏重に関しては、劇中で零戦設計に全段階における全体会議において、非効率と思われるものを大胆に削っておいて、目的を達成するために最善を選択していることからもうかがえる。それは多くのチャレンジを含んでいながらも、現場の技師たちに喝采をもって受け入れられるのであるが、それを独善ととられないのはあくまで演出の問題である。本来ならば現場の技師たちと喧々諤々のやり取りがあって、その中で最適解を見つけていく過程があってもよさそうなのだが、それはない。こうなると独善的な二郎のものいいは、エゴイスティックに見えてくるのである。病気と闘うために一人空気の良い山荘で療養する菜穂子は、次第に仕事に没頭する二郎の手紙に不安を感じる。仕事にかこつけて見舞いにも来ない二郎をとがめるでもなく、菜穂子は命をかけて二郎に会いに行く。そこで寝たきりとはいえ結婚生活を送ることになる二人だが、これもまた美談に隠れた二郎のエゴであることは明白である。しかも零戦の試験飛行の日、ついに二郎の元を離れる菜穂子。彼女は病で醜く朽ちていく自分の姿を二郎にさらすことを嫌って、二郎の元を去ったのである。時を経て病は菜穂子の命を奪ったが、それまでの経緯を二郎がどう思っていたのかは劇中の描写がない。ただ物語の最後に緑の草原の中にたたずむ菜穂子に姿に、「生きて」と言わせて物語は静かに幕を閉じるのである。

 筆者はこの作品をみて、ところどころに登場する飛行機に関する宮崎の思想的な部分が、「紅の豚」に登場するシチュエーションに似通っていると感じたが、それ以上にこの作品に、宮崎監督自身のもの作りに対する真摯さという名のエゴイズムを感じた。それは二郎が零戦の設計にかけた青春を描き、同時に菜穂子という女性との恋と結婚を描きながら、宮崎監督が「男は仕事に生きるもの」といったテーゼを心から信じており、仕事を優先させるがゆえに他を顧みなくなった男のエゴイズムを正当化しているように感じられて仕方がなかったのだ。今はまともに仕事もしていない筆者ではあるが、男が時に家庭よりも仕事を優先させることに異論をはさむつもりはない。ただ賛美する気にもなれないのだ。もちろん作品作りにおいてはエゴイスティックである必然もある。そのエゴイズムを宮崎監督が二郎に託しているのだとしたら、そのエゴイズムの行く先は、まさしく現在も現役で作品作りの現場にいる二郎役の庵野秀明氏に向けられているのではないだろうか。この作品で長編アニメの制作から引退を表明した宮崎駿監督が、庵野氏をはじめとするモノ作りに携わる数多のクリエイターに向けてのエールとして本作から滲み出すエゴイズムの賛美があるとしたら、それはあながち間違いではないと思えるのだ。

 「かぐや姫の物語」にもエゴイズムは表出する。どう考えても作画に手間のかかる水墨画のような描線の手書きアニメ自体にこだわった高畑監督のエゴもそうだが、キャラクターとしては地上に降りたかぐや姫のエゴ、かぐやを幸せにしたいと願うあまりかぐやの意向に意を砕かない翁のエゴ、男性たちの求婚に応えまいと無理を要求するかぐやのエゴ、嘘の品を用意してもかぐやを手に入れようとする男たちのエゴ、果てはかぐやと添い遂げようとしながら妻子を捨てようとする捨丸のエゴ、そしてすべて月の意向に準じさせる月の一族のエゴまで、この物語はすべからくエゴで貫かれているといってもいい。しかもその一つ一つが二郎と菜穂子のように納得づくで受け入れているのとは正反対に互いの一方的な思いがすれ違い、悲しみしか生まないのである。

 劇中、竹取の翁がかぐやを保護した竹藪にて、金品を手に入れるシーンがある。この時翁が、この金品が天からのかぐやのために遣わされた贈り物と認識し、かぐやのために役立てようとするくだりが登場するのであるが、筆者はこのシーンが物語のターニングポイントではないかと踏んでいる。もし翁がただかぐやのために貯蓄するだけであったら、かぐやは都に移ることもなく、幸せだったのかもしれない。するとこの物語の根本的な問題点が明確になってくる。この金品故にかぐやや翁たちの不幸がはじまるとしたら、金=悪という図式が浮かび上がってくる。振り返ってかぐやに求婚する男たちにしたところで、金をつんでかぐやの要求したものの偽物を仕立てあげてくるし、劇中ではそれを作った職人への支払いを渋ったがゆえに、事実をバラされた男もいる。金を積んで位を手に入れようとした翁も、同時に成り上がり者として周囲にはバカにされたりもしている。もちろんこの金=悪という思想はかぐやが自然を背景に健全に成長するエピソードの対となっているから、金まみれの都での生活が、かぐやの想いと裏腹なものであることは明確なのだが、徹底して金=悪という思想そのものは、どこか作り手である高畑監督のエゴであるかと感じるのだ。特に金=欲=悪という図式の印象を強くするのは、最後に月の遣いがやってきてかぐやを連れ戻していくのであるが、その姿があまりにも仏教絵画的な印象でまとめられている。かようにエゴで括られる本作の主要人物であるから、どうして媼役の宮本信子が、本作のナレーションを務めているかもよくわかる。彼女は本作の主要キャストの中で唯一といっていいほどの欲と関係ないのだから。

 ところで高畑勲監督といえば、東映動画時代に労働組合運動をしていたこともあるし、思想的な意味では宮崎駿に影響を与えた人物でもある。国政選挙では日本共産党を支持する表明までしており、純粋に金=悪と割り切りで考えられるほどに単純な人物ではない。そんな人が金=悪という図式のエゴイズムで物語を貫くとは思えないし、それが本作のテーマでもないだろう。だが竹取物語を題材として作品を作ると高畑監督が腹をくくった時に、物語の中核に金=悪というわかりのいい図式を取り入れたことは、自分の主義主張よりも優先すべき物語がそこにあったからではないか? 高畑勲監督が求めたエゴイズムは技術的な面もあるだろうが、テーマ的には自分の主義主張よりも物語を優先させているとしたら、これはまるで「風立ちぬ」とネガポジの関係のようにも感じるし、あまつさえ富野由悠季監督のような始終一貫したテーマに主義主張を入れ込むことに対するアンチテーゼにも見えてくる。そこに拘泥しないこともエゴイスティックだと思えるかのように。

 さて約半年ぶりの更新は、ジブリ2大巨頭の手による作品を「エゴイズム」という単語で比較してみたが、いかがだったろうか? そうは書きながら、筆者はこの作品をアニメ映画として出色の出来だと思っているし、何よりこの作品の存在自体が日本のアニメ界における至宝であることは間違いない。単に技術的な面で見てもこれだけ作品を連ねていても野心的な実験を繰り返していることを考慮すれば、深夜アニメにこだわらずにアニメ界を俯瞰するには不可欠な存在であることは疑いえない。「風立ちぬ」が私的な部分を宮崎駿監督がわざと突出させた作りをしている一方で、わたくしを抑えて物語に埋没するように殉じている高畑勲監督の「かぐや姫の物語」の作りという比較論は他の作品に当てはまらないだろう。両巨匠に関する言説や評論の類はいくらでもあるし、二人の比較論はこれからもいくらでもあるだろうが、今後も作家であり続ける二人の作品が、いつの日かまた見られる日を楽しみにしたい。それは単なる希望ではないと思いたい。


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コメント

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No title

どうも、こんばんはです。

「風立ちぬ」に関してはまにまにさんのおっしゃる通り、二郎のエゴイズムが物語にとって一つのキーポイントになっている、というのは自分も感じた所ですが、
同時に駿監督自身、そういった二郎の姿勢をどこか“冷めた目”で見ているようにも見えました。
例えばドイツの設計士、ユンカースがヒトラーを批判した事で会社を追われたという話が出た後も、二郎は黙々と飛行機の設計を続けるという件なんかは・・・何でしょうかね?

自分でも上手く言葉には出来ませんが、ただ黙々と仕事をしている二郎に、何か空虚な影が落とされているように感じられました。


「かぐや姫の物語」に関しては個人的に考えたのは、昔中国なんかで作られていたけど、文化大革命があって技術の継承が途絶えた水墨画アニメ(牧笛とかあの辺りの作品ですね)を、高畑監督なりにリベンジを果たしたかったのかもしれない・・・と、思ったんですよね。
まにまにさんの言うように高畑監督のイデオロギーに、そういった社会主義的な裏打ちがあったのなら、80年代に頓挫してしまった社会主義への夢を、文革以前の形のまま見続けているのかもしれないとも思いました。


まぁ、どちらも話に派手さが無いせいか「見てて面白い物じゃない」ってのが自分の正直な感想ですが(^^;

No title

レバニラさま
 コメントありがとうござます。
 「二郎への宮崎監督の視線」の冷たさは、私はあまり気が付かなかったのですが、それは宮崎アニメではわりといつも通りと感じてまして。「魔女の宅急便」のキキとか「ハウル」のソフィとかにも感じていたので、今回はあまり気になりませんでした。わりと主人公と距離を置くタイプの宮崎監督の場合、「ラピュタ」の二人ほどにキャラに入れ込んでいる話のほうが珍しい気もしてます。
 でもその視線の冷たさそのものは、作品作りの冷静さだと思うんですよ。どこか仕事で作ってる義務感みたいな。ちがうかな?

 「かぐや」に関しては、どうしてあの手法にこだわったのかは関係図書を読むしかないと思うんですが、レバニラさんのご意見が正鵠を射ている気がします。文化大革命で一度途絶えた中国の文化歴史の継承が、共産主義的な考え方に影を落としているのは間違いないのでしょうが、同時に東映動画が持ち得ていたフルアニメの技術(白蛇伝とか)を使わないのか?という話もあるんですよ。もちろん現行のアニメの現場では無理からぬことであることは前提の上で。そういう意味では高畑監督のこだわりは「アニメを作る」ことにあり、その手法が困難であればあるほどこだわりぬきたいのかもしれないなと。しかもその苦労を表立って見せない。「となりの山田くん」なんかには、わりとそんな片鱗が見える気がしてます。

 とはいえ、おっしゃる通り見ていてしんどい話なのは間違いないし、面白い話でもないし。付け加えるならばあまりにも日本人の泣かせにすり寄った感じもするので、あいかわらずプロデューサーの問題を挙げておきたいですねwww
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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