機動戦士ガンダムユニコーン~二次創作の難しさ~

 2015年3月初旬に「機動戦士ガンダム ジ・オリジンI 青い瞳のキャスバル」を見た。また放映中の「ガンダムビルドファイターズトライ」を楽しみに見ている。特に「トライオン3」の合体やバトルシーンに完全にやられてしまうし、黒田洋介の書く脚本が、どこまでも熱くバトルを盛り上げるのを見て、ロボットアニメ好きでよかったと心から思えるので、目が離せない。映画を見に行くにあたり漫画のジ・オリジンも読み返しており、ことここに至って完全にガンダムづけになっている。私の人生には珍しく、これほどガンダムのことばかり考える日々も珍しいので、このタイミングで買っておいてほったらかしていた「機動戦士ガンダムユニコーン(以下、UC)」を見るべきかなと思い、出来る限り短期間に集中して全7巻を見ることにした。実は原作の小説も1巻で放り出した不心得者であり、第1巻のDVDが発売された時、1度だけ本ブログで扱ったきり、その後1度も扱っていない。あまりに不義理なので扱いかねていたのだが、もはやこのタイミングしかないと自分に言い聞かせて見ることにした。さて今回はあくまで初見で筆者が感じたことだけをまとめておきたい。正直に申し上げて、筆者はこの作品に微妙な違和感を覚えてしまったのだ。主人公バナージ・リンクスの成長譚として、作品自体は原作も含めてよくできた物語であると思ってはいる。だが何かほんの少しだが違和感を覚えてしまったのも事実なのである。
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(2014/06/06)
内山昂輝、藤村歩 他

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<せわしない宇宙世紀と連邦の腐敗>
 本作の物語に関してはwikiなどにも詳しく掲載されているので、そちらをご参照あれ。旧世紀から宇宙世紀に転じた時に起きた事件に端を発して、「ラプラスの箱」とそれに秘められた謎を巡って、少年バナージ・リンクスとオードリー・バーンことかのザビ家の遺児ミネバ・ザビの二人を中心に事件の核心へと迫る物語であり、連邦とネオジオンが三度戦火を交えることになるのが、この物語の骨子となっている。

 本ブログをご覧の方には釈迦に説法だとは思うのだが、ここに年表のような形で宇宙世紀を俯瞰してみたい。以下に宇宙世紀の年表とその事件が映像として描かれている作品をカッコ書きで示してみた。

UC.0001 ラプラス事件(ガンダムUC)
UC.0079 一年戦争(ガンダム、ポケットの中の戦争、第08小隊)
UC.0083 テラーズ紛争(0083 STARDUST MEMORY)
UC.0087 グリプス戦役(Zガンダム)
UC.0088 第一次ネオジオン抗争(ガンダムZZ)
UC.0093 第二次ネオジオン抗争(逆襲のシャア)
UC.0096 ラプラス戦争(ガンダムUC)
(UC.0104 マフティ動乱(閃光のハサウェイ)→映像化してないのでカッコで)
UC.0123 コスモ・バビロニア建国戦争(ガンダムF91)
UC.0149 ザンスカール戦争(Vガンダム)



 いわゆる1年戦争以前については、現在公開がスタートした「ジ・オリジン」シリーズで映像化される運びとなるし、ザンスカール戦争以降については「∀ガンダム」と現在放送中の「Gのレコンギスタ」がある。もちろんこれらの事件の間には映像化されていない漫画や小説、ゲームなどで描かれ公式となっている事件もあるので、これですべてではないことはご承知の通り。

それにしてもこの1年戦争以後の宇宙世紀のせわしさったらない。大きな騒乱は3~4年ごとにあるし、グリプス戦役からネオジオン抗争のあたりは、ほとんど連続して事件が起こっている。これをして連邦のタガが外れまくってるからだと指摘するのは簡単だが、それ以上に地球連邦という組織の成り立ちが、今にして思えば危ういなと思うのだ。少なくても連邦の創設と宇宙世紀への移行にあたっては、高潔な指導者の下で行われていたことは想像に難くない。本作の根幹たるラプラスの箱の中身であるオリジナルの連邦憲章の最後の1項目にも、その高潔たらんとする意思が見えている。ところがその高潔さがもののみごとに瓦解していくさまこそが、宇宙世紀の初年度から起こっており、宇宙世紀はその高潔たる意思が時間の経過とともに衆愚となり下がる歴史として刻まれている。しかも連邦が自浄したようすは、グリプス戦役の1度だけで、そのタイミングを狙ってネオジオンが台頭するのだから、情けないことこの上ない。しかもコスモ・バビロニアにしてもザンスカールしてもジオンのフォロワーですらなく、単なる連邦のくびきから脱するための独立戦争を繰り返しているだけなのだ。反抗勢力が一掃されても連邦は時代を連ねているだけで、その組織力は完全に崩壊し、「F91」では現場の担当者がそれぞれの持ち場で頑張っているだけで、連邦の上層部はほとんど顔を出さないし、「Vガンダム」に至ってはリガ・ミリティアなどという在野の組織が中心となっており、連邦自体が形骸化している。戦争とは国家という単位の組織が始めるものであるから、その組織を描くことは最初にガンダムを作った富野監督が意を砕いた点だろう。だが同時にその組織にも限界があるし、腐敗が存在することを監督は知っていたから、地球連邦は最初っから組織としてダメなところを隠そうともしない。ジャブロー基地に隠れ住む連邦高官などの描き方や、命令一辺倒のワッケインの融通の利かなさなどに現れている。これでは「マクロス0」のような統合軍の成立前夜を舞台にするバルキリー開発秘話みたいな話ができるわけもない。「ZZガンダム」ではブライトが連邦高官を怒鳴りつけたり殴ったりしているほどで、ジュドーたちの怒りの矛先は常に現場を知らない彼らに向けられていたのだ。モラルは低下し、実働部隊がブライト率いるロンド・ベル隊ぐらいになって、ネオジオンの2度目の反乱を制して以後、腐りきった連邦とアナハイムとの癒着が強かった時代、この物語のスタートはまさにこの頃にあたる。

<二次創作のいやらしさと難しさ>
 筆者がこの作品に感じたわずかな違和感。それを整理してみると2つの点に行きつく。まず1点は登場するモビルスーツに対する違和感である。特にepisode4「重力の井戸の底で」でその違和感は噴出する。ガンランシェール隊の地球降下に呼応して、地球上にいたジオンの残党軍が一斉蜂起し、連邦の首都ダカールやトリトン基地を攻撃し始める。物語はいい。問題はこの戦闘に登場するモビルスーツなのだ。ジオン残党軍については、「機動戦士ガンダムZZ」にもロンメル部隊などが登場しているので、別段珍しい話ではない。こうした地球上に残るジオンの人々は、自身に与えられた戦力を、いつなんどきでも主力の蜂起に呼応して参戦できるように、整備しているものだと思っているので、どんなMSが登場しても、過去作に登場したMSなら、その存在自体は理解できる。ところがジオン残党軍のMSがあまりにもバラエティに富んでいる。ディザート・ザクなどのザクシリーズはいうに及ばず、ドワッジ、ドム・トローペンなどのドム・シリーズといった1年戦争時代のMSおよびMSVの登場はまだいい。時代の流れを考慮すれば、1年戦争から第二次ネオジオン抗争までに登場したMSが登場するのはわかるのだ。このうちどうしても納得しがたいのは水陸両用MSであるジュアッグおよびゾゴッグの2体のMSVである。この2体のMSVは少なくともアニメーションとして動いているのを見たのはこれが初めてで、これまで動いているところを見たことがない。どんな趣旨でこの場に登場したのかは、おそらく「グレートメカニクスDX」などの雑誌などにあるのだろうが、筆者の感覚では悪い冗談にしか思えない。MSVとして様々な書籍でそのデザイン画を見てきた2体のMSであるが、水陸両用MSとして登場したゴッグ、ズゴッグなどのラインを考えた時、説得力が感じられない。もちろんジオン残党軍が、時代に沿った改修を行いながら、これあるを信じて試作機を整備し続けてきたというバックボーンを否定するつもりはないのだが、どうしてもこの場にこの2体のMSVがふさわしい舞台だとは思えない。またドラッツェについても、不思議な感じしかしなかった。ドラッツェは「0083 STARDUST MEMORY」に登場したテラーズ・フリートが使用していた宇宙用の機体で、元々はザク系統の機体をスラスターなどに換装したりして改修した機体で、戦力が足りないテラーズ・フリートが数合わせのために運用した機体であったはずだ。ジリ貧に見えるガランシェール隊が運用するには間違っていない選択だとは思えるし、テラーズの叛乱時に激戦の中から逃亡に成功した機体がその後も運用されているというのは考えられる話ではあるが、その後のネオジオン抗争には登場していない機体だけに、違和感を覚えるのだ。もちろん作品の制作順序という問題は理解しているけれども。

 一方の連邦にしたところでいただけないのは、ネオジオン側と共通している。テラーズの叛乱以降、ジム系のMSで統一されている連邦のMSではあるが、グリプス戦役で登場したネモ系MSはなりをひそめ、第二次ネオジオン抗争時に登場したジェガン系のMSが主力となっている様子がわかる。また宇宙ではリガズィの有用性が認められたのか、リゼルという可変MSが幅を利かせている。そんな中で地球上では、連邦としては消し去りたい汚点であるグリプス戦役時代に、ティターンズが使用したバイアランのカスタム機が活躍するシーンが登場する。これにも激しい違和感を覚えた。そもそもこのバイアランという機体、「機動戦士Zガンダム」においてカミーユの駆るZガンダムを付け狙うジェリドが搭乗した機体で、カミーユが愛しいフォウと死に別れる原因を作った機体でもある。もちろんそんな事情など連邦内部は知ったこっちゃないだろうが、実働記録の低いバイアラン、ジェリドがカミーユに負けたバイアラン、宇宙に持って出たところで大した活躍もなかったバイアランを、何故にこの場に出さなきゃならんのだと思うわけだ。しかも設定を読む限り、頭のモノアイを改修され、2体存在している内の1号機だという。申し訳ないけれど、どうでもいいわ、そんな情報(笑)。
 いろいろ難癖つけてはいるが、筆者にしたところでこの感情に根拠なんかない。ただ批判するほうもスノビズムなら、出してくるほうもスノビズムだと思うのだ。そして何より、いわゆるガンプラのラインナップに影響を及ぼし、劇中で活躍するMSに興味を持った人が、立体物としてその手にしたいという欲望を満足させるのである。その商業主義的な登場MSの出し方に、わかっちゃいるけど腹が立つのである。

 さらにもう1点。本作の物語に影響を及ぼす設定の数々に、過去作が影を落としていることだ。歴史という時間の流れの中では当然だと思われるかもしれないが、その扱いが鼻につく。「逆襲のシャア」の終盤、地球に落ちるはずだった隕石の破片が、アムロの駆るνガンダムに組み込まれているサイコフレームを通じて共鳴した緑色の光によって、地球から離れていった奇跡を、この作品では「アクシズ・ショック」と呼んでいる。本作のラストでは、ネオジオングとの戦いを終えたユニコーンガンダムが、バンシィとともにコロニーレーザーを退け、その勢いをかって緑の光に導かれるように虚空の宇宙の彼方へと消えていくシーンが登場する。「アクシズ・ショック」の再来とも取れるシーンであるが、原典すら理屈不明なシーンであるにも関わらず、本作でも理屈不明のまま使いまわしているように見える。もちろん旧作のガンダムシリーズからの台詞の流用はいうに及ばず、露骨すぎるシャアの再来といわれるフル・フロンタルの台詞がシャアとまるかぶりであるゆえに、この人に中身がないことが最初かっらはモロバレなのである。言ってしまえば引用が乱暴すぎるのだ。もちろんその引用に理由があるフル・フロンタルなどはマシなほうで、劇中の登場人物の台詞には過去作からの引用が多々認められるし、オリジナルを想起させるものではある。その引用故に心理描写の説明を省いているようにも思えるのだが、逆に言えば過去作を豪快になぞっているともいえる。むしろそれをわざと意識的に配置しているのだから、正直鼻持ちならないとはこういう事だろう。いちいちしゃらくさいのである。

 先にも示した通り、本作の時代設定を考慮すれば、「F91」や「Vガンダム」に続いていく宇宙世紀シリーズなのであるが、本作が過去作からの引用が目立つわりに、のちの時代へと引き継がれる部分があまり感じられないのもバランスを欠いている。ネオジオングとの戦いを終えて奇跡を見せたユニコーンガンダムには、緑色の結晶がきらめている。これは「∀ガンダム」に登場するナノスキンに影響する感じだし、宇宙へと旅立つユニコーンガンダムには、光の翼を広げて宇宙を行くV2ガンダムを思い起こさせるが、言ってもこの程度ではなかろうか。
ユニコーンガンダムが見せる奇跡の中で、ミネバの演説によって全世界に発表されたラプラスの箱の中身の正体である最初の連邦憲章のオリジナルの最後の一文。もちろん物語的にはビスト財団の弱体化、連邦が覆い隠したい事実の隠ぺい工作の結果として、これがつまびらかにされたことは、大いに意義ある内容なのであるが、このラプラス事件の顛末によってその後の宇宙世紀に歴史に残した爪痕が、まったく感じられない。これはこの作品が本質的に無意味だと自ら語っているようなもので、見ているこちらの気力すら奪いかねない。何を楽しみにこの作品を見たのかと、唖然とした気持ちになってしまう。コスモ・バビロニアにしてもザンスカール帝国にしても、地球連邦に対して反旗を翻したが、ジオンと変わらない戦争を引き起こしていることを考慮すれば、連邦は本作でのミネバの発表をなかったこととし、その上でコロニー単位の独立自治など認めずに、圧政を強いてきたらしいのだ。「歴史は繰り返す」というが、その意味ではミネバの演説による連邦憲章の最後の一文の公開は、何の意義も意味もなく、歴史の一部として埋もれていったようなのだ。この作品における戦いで死んでいった人々は、あまりに甲斐がないといわねばなるまい。これでは死んでも死にきれない。過去作から多大な引用を受け取りながら、次世代へ引き継がれていかない歴史に、どれほど意味が見いだせるのか? もちろん最新作である本作が、先の時代を描いた過去作に影響しようもないというのは当たり前なのだが、「0083 STARDUST MEMORY」という作品の、最初のガンダムと「Zガンダム」のブリッジ的な出来上がりを見る限り、これではあまりに不甲斐ないと思わないでもない。

本編におけるMSの出し方の不可思議さ、そして過去作をこれほど承りながら、次の時代への受け渡しのバランスを欠く事実の2点が、筆者が「機動戦士ガンダムUC」に覚えた違和感だったのだが、これとて物語に身を任せている間は、そんなに感じない些細な話かもしれない。これをもって本作を全否定するつもりもない。とはいえ、こうした過去作の引用という点については、つくづく二次創作、それも公式として認められる二次創作の難しさを感じる。それが同人誌レベルではなく、正式に公式として認められるとなれば、その難しさも尋常ではないだろう。ガンダムシリーズであれば、漫画、小説、ゲームとその広がりは際限がない。にもかかわらず、1年戦争のバックボーンとしてまとめられている。最近だと太田垣康男著「機動戦士ガンダム サンダーボルト」なども面白い。もちろんこういう二次創作が時代考証にさして影響を及ぼさない範囲に収められているから、あまり些末な部分に引っ掛からないで済む。つまり「機動戦士ガンダムUC」という作品がどうしても引っ掛かってしまう最大の理由は、時代に大きく干渉してしまったが故なのかもしれない。それは野心的で意欲的な作品である証しであり、それだけに二次創作とは難しいのだ。ガンダム→Z→ZZといった作品の場合は、二次創作とはいえ富野監督自身が作った正史である。その後の宇宙世紀シリーズも、富野監督自身が制作しているので、二次創作とはいえ時代考証がなされているわけで、「F91」や「Vガン」などは、それまでの宇宙世紀の歴史との差別化のために故意にデザインラインや設定などを一新している。それゆえに本作が後の歴史となる2作品に橋渡しする点にバランスを欠いていても仕方がない。だからこそこの作品に違和感を覚えるものの、「機動戦士ガンダムUC」という作品に感じる二次創作の難しさは、無理からぬことだし、それだけに本作は骨太な意欲的だと思うのだ。

二次創作の難しさは、別に今に始まったことじゃない。かつてのOVAでは「超時空要塞マクロスII」や「YAMATO2520」なんて作品もあるわけで、本編とのリンクや時系列などを迷わす作品はいくらでもあった。近作「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」だって、こうした二次創作ではあるが、その後の展開を期待させるだけの高いポテンシャルの作品だった。長く続いているシリーズには、今後もこうした正史のはざまを作品化する機会があるだろう。本作のような野心的な作品で業界がにぎわうといいなと、心から思う。きっとなんのかんのいいながらも、絶対見ちゃうのだから。

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(2010/02/01)
福井 晴敏

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