劇場版「ポケットモンスター」シリーズ~何故に長く愛されるのか?~

 盛大な前フリをしてからすでに2週間。本来なら「宇宙海賊キャプテンハーロック」のTV版を取りあげるはずであった。はずであったのだが、横道にそれた。いつものことだけど。実はニンテンドー3DSで「モンスターハンター4G」をプレイしていた中で、ふと無料ソフトである「ポケとる」と「みんなのポケモンスクランブル」を始めていた。プレイしている内にモンハンをやらなくなった。むしろポケモンゲームにはまり込み、気が付けば毎週木曜日のアニメと、日曜朝のポケモンバラエティ番組まで録画して見るようになる。こうなると当然の帰結としてゲームに手を出すことになる。すでに世代遅れではあるが、中古の「ポケットモンスターX/Y」を購入し、ポケモン集めとレベル上げの日々だ。おかげでハーロックの記事が遅れている(ごめんなさいw)。
 若い時にはまったくゲームなどやらずに過ごし、30代になってやっと「スーパーロボット大戦」シリーズをはじめたくらいで、ゲーム経験は乏しい。モンハンを始めたのもここ5年ぐらいで、さして年季が入っているとは言えない。もちろんポケモンシリーズなどやったこともない。それでもなんとなく気持ちが乗ってきて、手を出してしまった。そもそもRPGというジャンル自体になじみがなかったのだが、ポケモンを集めていくという「集めゲー」でありながら、多彩な技を持つ様々なポケモンたちが繰り広げるバトルは、アニメでも十二分に再現されており、「ポケモン」が他のどんなゲームのアニメ化よりも成功している事情の一つになっていることに、この年にしてようやく得心が行った。いやほんと、面白いんだねえ。この年になってからこういうのにハマるのは、なんとなく後ろ暗いのだけどw
 さて近日公開の劇場版ポケットモンスター。前売りを買うと伝説のポケモンがついてくるとか、劇場に行けば映画の主役ポケモンがもらえるとか、そりゃもうこれでもかってぐらいの宣伝効果のおかげで、わがゲームにもレベル100のグラードンとアルセウスがおでましになった。見事にいうことを聞いてくれないので、早いとこゲームを先に進めないといけない。そんな中、劇場版の過去作が相次いで地上波やCSにて放送となったので、これ幸いと見ている。これがなかなかに興味深い作品群だったので、ちょいとブログで取り上げてみようかと思った次第。

<まずは基礎知識>
 そもそもゲーム「ポケットモンスター」は1996年に任天堂ゲームボーイ用ソフトとして発売された。最初は「赤・緑」からスタートし、その後シリーズはコンシューマーであるゲーム機自体を乗り換えてゲームボーイカラー→アドバンス→DSと移行しながら、2013年発売の「X/Y」がニンテンドー3DSときて、ゲームシステムは最新となっている。面白いのはシステムが更新するたびに過去作がその都度リメイクされている点で、2014年発売の最新作である「オメガルビー・アルファサファイア」は、2002年に発売されたゲームボーイアドバンス用ソフト「ルビー・サファイア」のリメイクだという。こうしたゲームを主軸としながら、「ポケットモンスター」はアニメやカードゲームの他、そのキャラクターを生かした派生ゲームまで登場する。ゲームは全世界で発売され、ゲームとカードゲームについては、世界大会まで開催されている。キャラクタービジネスとしては日本各地に点在する「ポケモンセンター」なるグッズ販売店の展開など、誰がどう見ても成功しているとしか見えない状況にある。地方のゆるキャラなぞ足元にも及ばないw

 さてアニメであるが、最初のゲームが流行を見せた1997年にスタートしており、一時的な中断はあったものの、すでに2015年で18年目を迎える立派な長寿番組となっている。タイトルは「ポケットモンスター」の無印から「アドバンスジェネレーション」→「ダイヤモンド&パール」→「ベストウィッシュ」→「XY」と変遷がある。基本的には10歳で冒険の旅に出たマサラタウンのサトシが、最初にオーキド博士からもらったポケットモンスター略してポケモンの「ピカチュウ」を相棒として、ポケモンマスターになるために奮闘努力する物語だ。シリーズの転換期に旅する仲間が変わるものの、サトシよりもやや年長の男の子1人とサトシと同い年ほどの女の子一人がサトシの旅に同行し、時にぶつかり合い、時に励ましあって互いの目標とする何かに挑戦し続けることになる。本作の大変重要なポイントだが、アニメでは原作であるゲームを忠実に再現しており、「サトシ」とはプレイヤーでありあなた自身である。ゲーム中でしばしば行われるポケモンバトルは出会い頭に突発的に行われるし、ゲームの進行によってより格上のポケモントレーナーに戦いを挑んでは、アイテムを集めていく。それを何度か繰り返し、最後には最も強いチャンピオンと戦うことで物語はエンドとなる。もちろんその過程で多くのトレーナーやライバルたちとの戦いがあり、どこかで発生する事件を解決してみたり、あるいは新しいポケモンを仲間にしてみたりと、物語のいくつかのパターンが繰り返されることになる。そうしたゲーム内での出来事を追体験することができるのが、このアニメシリーズの要諦であり人気の秘密なのだ。そしてゲームの舞台が変わればサトシの仲間も舞台も変わる。タイトルの変わり目はゲームの(あるいはコンシューマーやゲームシステムの)変わり目でもある。

 さて劇場版「ポケットモンスター」であるが、1998年7月に第1作「ミュウツーの逆襲」が公開されており、それ以降今年(2015年)までに18年連続で作品を送り出し続け、すでに夏の風物詩となっている。今年で約7000万人の観客動員数を記録し、国内邦画のヒットシリーズとして認知されるに至っている。2003年からは特別前売券に劇場にて劇中に登場する特別なポケモンのゲームデータが手に入れられる特典がついており、こうした宣伝効果も相まって人気となっている。劇場版のウリとしては、TVアニメでは出会えない特別なポケモンたちが登場することで、そうしたポケモンたちを「幻の~」や「伝説の~」と呼称する。劇場版の物語はサトシたちがこうした伝説や幻のポケモンたちと出会ったり、なんらかの事件に巻き込まれながらも、事件を解決に導くサトシたちやゲストキャラクターたちの奮闘ぶりをあますことなく伝えている。簡潔に書けばそういうことになるのだが、長年のアニメオタクには、いろいろな事柄が目についてくるので、少しばかり突っついてみよう。

<ポケモンってなんだろう?>
 さて大上段に話を構えるが、はたしてこの世界でいうところの「ポケモン」たちとはどういう存在なのだろうか? 我々の世界では生物というカテゴリーとして見た場合、「動物」と「植物」に分類される。人間はあくまで「動物」の1ジャンルでしかない。ところがポケモン世界では「人間」と「ポケモン」と「植物」(木の実があるので)があるらしい。裏設定によれば、この世界でははるか昔に動物が絶滅した世界でもあるらしく、太古より人間はポケモンと共生する生活を営んでいるらしい。我々の世界では人間は他の動物を狩猟または家畜化することによって食べ物を得ている。動物が失われたポケモン世界ではどうしているのか? 筆者がプレイしている「X/Y」では、ミアレシティのレストランにて、ポケモンの名前のついた料理が登場する。つまりポケモン世界の人間は、ポケモンたちを食べちゃってるのだ。自分たちと共生関係にあるポケモンを食べるって、倫理的にどうなんだろうかと思わないでもないが、そのあたりは「進撃の巨人」あたりに答えを導き出してほしいものだとサジを投げてみる。

またどこからポケモンは発生したのか?という疑問がわいてくる。その疑問を解決する糸口になりそうなのが劇場版第1作「ミュウツーの逆襲」だ。この作品に登場するミュウツーなるエスパータイプのポケモンは、同じくエスパータイプのポケモンである「ミュウ」の遺伝情報から人工的に作り出されたポケモンであるという。もちろん自我を持つがゆえに作り主に叛乱しちゃうあたりは、どう見ても「フランケンシュタインの怪物」ですから、決して珍しい話じゃない。ここはこの遺伝子操作によってポケモンが誕生するという点に着目して見たい。太古の人間たちは、自分たちが環境破壊やら人口増加によって食糧難になってしまい、世界の動植物のバランスが完全に崩れた後になって後悔した。そして今度こそ人間と動物が共生して生きられる世界を目指し、かつての科学者たちが残されたわずかな動物たちの遺伝子を使い、なおかつ人間と共生できるほどの能力を加味したうえで「ポケモン」なる生物を生み出して文明が滅んでしまった。そしてゆっくりと時間をかけて人間と植物とポケモンが共生できる新しい世界を作っていった、なんて妄想はどうだろうか?そうすると、劇場版でいやというほど表現されている大自然の圧倒的な情景にも合点がいくと思うのだ。

<劇場版の見どころ、あれこれ>
 第1作「ミュウツーの逆襲」では、物語冒頭にミュウツー誕生の経緯が描かれている。ミュウツー誕生に至るまでに、研究者の身に起こった娘の死と妻との別れ、そして狂気じみた研究の果てに遺伝子操作によってミュウツーが誕生し、そのガイド役として娘アイの意識データであるアイツーによって世界を知り、自分の生まれを呪うことによってミュウツーは人間に反旗を翻すことになる。この世界を支配すべきは、優秀なポケモントレーナーであるミュウツー自身であるという驕りが、サトシたちトレーナーの持つ優秀なポケモンのコピーを使って世界支配をもくろむミュウツー。サトシたちはそれを止めるために愛すべき仲間たちとともに立ち上がるという物語だ。ところがゲームでも「ひんし」とあるように、明確にポケモン同士の生き死にを描かないため、本体とコピーの肉弾戦が、だんだんと悲しみを帯びてくる。本物とコピーの戦いではあるが、生き物としてはどちらもそこで生きていることに違いはない。本物もコピーもないのだという結論を導き出し、ミュウツーはすべてをなかったこととしてサトシたちの記憶を消してしまうことで物語は完結する。これがあまりにも突拍子もない上に、どうにもミュウツーの改心の過程がくみ取れないのだ。本来なら消えてしまったはずのアイツーを再登場させて、ミュウツーの説得が必要だろうけれど、アイツーとサトシとの絡みも書かなければ片手落ちになるので、そこまでは時間が許さないだろう。遺伝子実験の是非を問うわけでもなく、本物とコピーの存在意義(コピーの遺伝子欠陥による短命の問題とか)に触れるでもなく、どうにも落としどころを放り投げた感じがして、手放しで傑作であるとはいいがたい作品ではある。製作者たちも何かいろいろ訴えたいことがあったっぽいのだが、どうやら当時発生した「ポケモンショック事件」が大きく影を落としており、過激な表現が制限された結果でもあり、ミュウツーの扱いが後手に回った事情でもあるらしい。それでも過去17年の中では最高の興行収入を記録しているらしい。

 さて、どうやら意欲的にポケモン映画を使って製作者たちが何をか言わんとしていることが分かったところで、大きく「怪獣映画」っぽい作りにこだわって製作されたのが第2作「幻のポケモン ルギア爆誕」だ。「南海に浮かぶ島々」「3匹の幻のポケモンの大乱闘」「伝説のポケモンによる鎮静」「サトシの奮闘」と、本作のキーワードを並べてみれば、本作がいかにゴジラシリーズをはじめとする日本の怪獣映画を手本としてるかがよくわかる。またファイヤー、サンダー、フリーザーの3頭のポケモンが、巨大さよりもバトルの激しさに力点が置かれて演出されている点も、まさに平成ゴジラシリーズの大河原特撮を彷彿とさせるポイントだ。とはいえ、前作が重苦しいテーマを扱い、大人向けにもターゲットを広げた作品であったからか、その反動としての娯楽作はあまり評価されなかったのが残念だ。なお前作よりもデジタル彩色が幅を広げた作品だったようで、ここからデジタル化へと徐々に移行していく。

 あくまで筆者が見たものだけを取り上げざるを得ないので、ここで少し時間が飛ぶが、6作目「七夜の願い星ジラーチ」を見る。このころになると移行していった結論であるデジタル作画は軌道に乗っているし、CGも多用されている。面白いのはポケットモンスターという作品群では、メカメカしいものを描くのは普通に作画するのに、なぜか大自然の圧倒的なパノラマを描くのに、躊躇することなくCGを使う。これが本当に圧倒的な映像で素晴らしい。そしてその中を飛行タイプのポケモンにのって、無理やり復活させられた偽物のグラードンと戦うシーンが本作の一番の見せどころである。にせグラードンの圧倒的な迫力と破壊力の演出、アオリも完璧で、巨大特撮を思わせるアングルも見事。しかも塔柱上の石柱の間を潜り抜けるアクションシーンのアクティビティは高く、見ているこちらまで体が揺れてくる。

 そうかと思えば第9作「ポケモンレンジャーと蒼海の王子マナフィ」では、マナフィという小さなポケモンと、マナフィに隠された伝説の海底神殿への道しるべを追って、神殿に隠された財宝を追う海賊とサトシたちの丁々発止の戦いが繰り広げられる。西部劇の傑作映画「駅馬車」を彷彿とさせる物語運びだ。
 第12作の「アルセウス超克の時空へ」はディアルガ、パルキア、ギラティナ、アルセウスといった大型の伝説級ポケモンがバトルする映画ではあるが、時空を司るディアルガによって、事件の発端となったアルセウスの怒りの元凶を正すために、サトシたちを過去の世界にタイムスリップさせる。SFとしてもわかりやすい物語ではあるが、こうした物語の背景に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などの映画も垣間見える。こうなると、製作者側はモチーフとなる過去の映画作品を下敷きにしている感じも否めない。こうした過去の映画を題材に取ること自体、映画を知らない子供たちにとっては、映画の楽しさを知らしめる効果があると思われる。

 15作目「キュレムVS聖剣士ケルディオ」や17作目「破壊の繭とディアンシー」にしてもそうだが、サトシたちが事件に巻き込まれる過程がちゃんとしていれば、あとの物語はものすごくシンプルで、それでいて見ている子供たちに訴える何かが埋め込まれていることが、一緒に見ている大人にはすぐにわかる作りになっている。上記2作なら「逃げずに立ち向かう心」や「大きな力を持つことに重大さ」だったり、7作目「裂空の訪問者デオキシス」なら、「どんな苦境にもあきらめない気持ち」や「仲間を信じあうこと」だったり。つまり1作目における製作者側の詰め込みすぎの失敗があって、2作目以降大きく方向転換した結果、ポケモン映画はいまや日本の誰もが認めるファミリーピクチャーに成長したってことだと思える。ちなみにミュウツーに関してはその後、16作目「神速のゲノセクト ミュウツー覚醒」という作品で再登場するが、1作目の雰囲気は払拭できたのであろうか?(未見です)

<山ちゃん無双!>
 劇場版に関してはゲストキャラクターが多いこともあり、客寄せパンダ的に、ゲストキャラクターに大御所俳優や人気女優などを充てることでも有名である。その起用に意見百出なのは承知しているが、人気優先であまりキャスティングに問題がないとは、お世辞にも言い難い。作品の雰囲気をぶち壊しているとは言わないが、これはどうよ?と思うような配役もあることはある。だがそれを圧して素晴らしいのは、大御所俳優の起用の方で、第9作目「ポケモンレンジャーと蒼海の王マナフィ」で悪役に起用された藤岡弘、氏の演技には、悪役然として威風堂々たる悪役演技だったし、第12作「アルセウス 超克の時空へ」の伝説のポケモン・アルセウス役を演じた美輪明宏氏の演技も忘れがたい。また第14作「ビkティニと黒き英雄ゼクロム」に登場したゼクロム役の高橋英樹氏、レシラム役の谷原章介氏も適役といえば適役だった。あ、15作目のキュレム役高橋克実氏も忘れちゃいけない、低音の迫力ある悪役だった。

 そして何より忘れちゃいけないのは、ポケモン映画のすべてに何らかの形で出演しているわれらが山ちゃんこと山寺宏一氏だ。1作目は劇中TV番組の司会者、2作目は主役ポケモンであるルギア役、6作目だとグラードンを復活させようとする科学者役だし、最新18作でも主役ポケモン・解き放たれしフーパを演じている。白眉は第9作で、マナフィを海賊から守るポケモンレンジャーの役で登場するが、海賊の潜水艦に潜り込んだ彼が、卵の状態のマナフィを取り戻しての大立ち回りを演じる序盤5分は、完全に山ちゃん演じるポケモンレンジャーが主役であった。かっこいい山寺さんからおどけた山寺さん、悪役の演技の山寺さんや名司会者の山寺さんと、声優・山寺宏一を十二分に堪能できるのもポケモン映画の一つの特徴ともいえる。

 さて、あくまでファミリーピクチャーとして優秀ではあっても、現在のアニメシーンにとってはどうということはないポケモン映画ではあるかもしれないが、圧倒的な大自然を描写するCGの使い方の妙、わかりやすい物語の筋立てに、必要な情報の配置の仕方の巧みさ、謎や伝説や幻などといった子供たちのとっての魅惑のタームの取り扱いの上手さ、何より「ポケットモンスター」というゲームから逸脱しない範囲での自由度の間口の広さと、込められたメッセージのわかりやすさなど、アニメ映画としての美点も数多い作品群でもある。そして何より、ピカチュウが可愛い。もうこれに尽きる。

 ところで、そろそろ20年になんなんとする旅を続けるサトシくんだが、彼はいったいいつになったらポケモンマスターとなるのだろうか?
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
Twitter再開しました!

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
namima2のつぶやき
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

FC2カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
リンク(リンクフリーです)
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
FC2 Blog Ranking
フリーエリア
blogram投票ボタン
ブロとも一覧

あにめにゅ~す の あににゅ

分水嶺

素足のアイドル達

有名人の珍言・名言集

宮廷アリス

TOY BOX
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

[FC2 Analyzer] http://analyzer.fc2.com/ -->