映画「ロボコップ」シリーズ~企業倫理はどこまで許されるのか?~

 007シリーズ、スーパーマンときて、次は何にしようかと悩んだ挙句、以前「エイリアン」シリーズから「プロメテウス」を俯瞰したときに、ツッコミ足りなかった部分を補強すべく、1つのシリーズに思い当たって選んでみた。それが「ロボコップ」シリーズだ。1987年から1992年にかけて3作が公開され、2014年に新規に作り直された。ちょっとだけスーパーマンのシリーズに似ているが、2014年版は後日談ではなくリブート。今回も20世紀フォックスから発売されているBD-BOXで鑑賞した。

本編に入る前に、今回の俯瞰の視点だけ掲げておくとしよう。それは企業倫理の点だ。最初の3部作でも2014年版も、背景にあるのは荒廃したデトロイトというアメリカの都市と、そこに本拠地を持つオムニ社という巨大な企業の実効支配という事実だ。警察はオムニ社により買収されており、デトロイトという都市もオムニ社に借金している。デトロイトで行われている企業活動も人々の生活も、犯罪までもがオムニ社の支配下にある世界観の上で物語が成立している。一般市民も市井の人々も、オムニの支配にうんざりしながらも、その手を払いのけられない経済的状況があり、オムニはそこに付け込んで好き放題しているのである。だが、オムニ社が企業体である以上、どれほど好き勝手にやっても企業倫理という物がある。この映画では超法規的に企業倫理を超えた活動をしてのけたオムニ社が、どんな目にあっていったか? そんな視点で俯瞰してみたい。

<敵は企業w>
 1987年に公開された「ロボコップ」。犯罪者が跋扈する街・デトロイトで犯罪者手段に惨殺されたアレックス・マーフィ巡査が、街を支配するオムニ社の思惑によって、生き残った生体部品として利用されて誕生したのがロボコップである。オムニ社の思惑とは、自社ロボットによってデトロイトを犯罪のない近代都市へと変貌させること。自社開発の警官ロボットは開発途上で使い物にならず、誤作動を起こして警官としては使い物にならない。そこで人間を生体部品として使用するアイデアによって生み出されたのがマーフィのロボコップだったのだ。しかもそこにはオムニ社内の派閥闘争が関与していた。
 次々と犯罪者を検挙するロボコップ。開発担当者たちもその結果に満足していた。誕生時点でマーフィとしての記憶を消去されて個を失っていたロボコップではあったが、元同僚の女性警官・ルイスの語り掛けによって、次第にマーフィであった頃の記憶を取り戻していく。そして自分を惨殺した犯罪者たちが巣食う麻薬工場へ突入するロボコップは、見事折敷を壊滅させることに成功する。だが同時にそれは彼らを背後で操っていた人物をあぶりだすことになる。ロボコップ計画の担当役員を抹殺し、麻薬による収益の上前をハネていたのは、なんと警官ロボット開発を担当していたオムニ社の副社長であった。その事実を突きつけて副社長を逮捕するため、オムニ社に突入するマーフィ。警官ロボットとの死闘を制したマーフィは、プログラムされていた「オムニ社の社員を傷つけない」という項目に縛られ、身動きできない。だが社長によって解除され、マーフィは副社長を射殺する。

 公開当時、その設定から本邦の「ロボット刑事」に似ているし、その容姿はむしろ「宇宙刑事ギャバン」に似ていたため、日本特撮作品のパクりだと揶揄されたりもしたが、そもそも本作のロボコップのデザイン段階で、本作の監督であるポール・バーホーベンより日本のバンダイ宛に連絡があり、デザイン引用の許諾を得ていたという。由緒正しい引用であるから、堂々とパクっていただいたというべきか。もっともその後「機動刑事ジバン」はさらにロボコップからパクっていたので、おあいこというべきか。

 本作において、ロボコップの誕生の背景には、オムニ社内部の派閥闘争が大きく影響しており、完全機械のコントロールロボットのアイデアと、生体部品による自立志向型の人間+ロボットのハイブリッド(サイボーグとはいわないのね)のアイデアの対立が先にあった。コントロールと対象識別の問題で、前者のアイデアが期日に間に合わないと判断された結果、急造されたのがマーフィを使ったロボコップ計画だったのだ。

 この時点でマーフィの人格も人権も完全に無視されている。マーフィがロボコップとしてよみがえったことに対し、サイバーパンク的SFとして評価が高い本作ではあるが、どうしてどうして、立派に人権を踏みにじっており、その評価とは別に気持ちのいい設定とは思えない。もちろん生体部品としてのマーフィが記憶を取り戻し、マーフィとして個を取り戻していく過程こそが、本作の面白さであるから、それを否定しはしないけれど、会社内の派閥闘争と会社利益を優先した結果、オムニ社は完全に企業倫理を逸脱しているのだ。最後の最後で腹が立つのは、オムニ社の社長は全く責任を問われることなく、その責任を個人に押し付けて、オムニ社自体は社会的に制裁を受けていない。もちろんデトロイトという街を金で支配しているオムニ社のやることだから、あらゆる手段を講じてマスコミを黙らせている可能性はある。もちろんオムニ社を作品内で否定することは、同時にロボコップ=マーフィの生殺与奪の権利を奪うことであるから、見ているこちら側としてはアンビバレンツな思いをしながらもオムニ社の存続を認めざるを得ない。明らかに企業倫理が破たんしているのに、それを裁くことができない点において、爽快感よりもモヤモヤするのが本作の特徴でもある。

<“毒を持って毒を制す”は浅知恵>
 1990年に公開された「ロボコップ2」。筆者はこれだけは大学生の時に映画館に見に行ったので、思い入れのある作品でもある。本作では企業の倫理はなりを潜め、人間の倫理観がより注目されることになる。
 あいも変わらず犯罪が跋扈するデトロイト。そんな中、市警も労使交渉でストライキに入る。変わらず働き続けるロボコップ=マーフィは、デトロイトに蔓延する新型麻薬「ヌーク」の密売組織を追っていた。一方マーフィの処遇に手を焼き始めていたオムニ社は、新たにより忠実なロボコップを模索して2号機開発に着手する。その担当者は博士号を持つ心理学者の女性・ファックスである。殉職警官を使用した試作機が、自我に堪えかねて自殺する結果に終わると、ファックスはロボコップとしての精神的重圧に耐えられるのは、警官よりも犯罪者であるという理念に執着し始める。そしてオムニ社の会長に直訴して開発主任となる。そんなとき、ロボコップ=マーフィはヌーク密売組織を追いつめるも反撃され、破壊されてしまう。どうにか修復されたものの、マーフィを疎ましく思っていたファックスによって無用のプログラムを入力され、役立たずになってしまう。だがそんな状況を重く見たデトロイト市警の警官たちは自発的にストライキを凍結し、元に仕事に戻りはじめる。自力でファックスの入力したプログラムを排除したマーフィは、他の仲間たちと協力し、ついにヌークの密売組織を壊滅させ、そのボスであるケインを逮捕することに成功する。逮捕の際に重傷を負ったケイン。だがその生命維持装置を切り、脳と脊髄だけを取り出したのは、ファックスだ。自身の理論に従い、ケインの生体組織を使ってロボコップ2を誕生させようとしていたのである。しかも自身が重度の麻薬中毒者であるケインは、ヌークを餌にファックスに従うことになる。しかし発表会の日に禁断症状で暴走するロボコップ2は、ロボコップ=マーフィと戦うことになる。そして失敗を会長に泣きつくファックスではあったが、本人の知らぬうちに責任を取らされていた。

 本作はまるで「毒を持って毒を制す」とでもいうように、犯罪者を使ってロボコップ2を作り、犯罪者を撲滅しようという女性心理学者ファックスの問題となる。もっとも彼女にたぶらかされるようにして彼女に全権委任した会長だってその責任を免れないだろうが、そこは会社という隠れ蓑を使って企業倫理の崩壊を免れるようにしているあたりが、なんともズルい。だがそれ以上に狂っているのは、やはりファックスの思考だろう。結果としてファックスはその異常さよりもロボコップ2の失敗をもって、「トカゲのしっぽ切り」によって責任を取らされてしまう。なんだかことわざの博覧会のような作品じゃないのw

 「毒を持って毒を制す」が一見正しいように見えるのは、「敵の敵は味方」と似たような論理のすり替えの結果でしかない。この9月に公開される「スーサイド・スクワッド」ではDCコミック世界のヴィランたちが、自由を条件に危険な任務を任される話であるが、その本音にあるのはヴィランたちを使う側の「いつでも切り落とせる」という安易な切り捨ての発想だ。そう考えると、ファックスを重用したオムニ社の会長だって、これとなんら変わりがないわけで、重用ついでに女性とのセックスがついてくるだけ、会長の方が打算が高い。だとしたら、会長の欲望のままにファックスを重用し、ロボコップ2が出した被害を、ファックスを切り落とすことですべてを清算してしまう会長の倫理観は、オムニ社の企業倫理以前の問題だと思える。こんな奴にデトロイトや市警自体を運営されることを考えただけで、虫唾が走る。だが続く「ロボコップ3」では、オムニ社はついに市民に対して牙をむき出しにするのである。

<超えてはならない一線を超える>
 「ロボコップ3」は1993年に公開された。物語は前作を承っており、犯罪者の生体組織を使ったロボコップ2の失敗がオムニ社に多大なる影響を及ぼしている状況からスタートしている。

1. 日本企業「カネミツ・コーポレーション」によりオムニ社は買収される
2. 新しい都市開発計画「デルタシティ」を推進
3. オムニ社は私設特殊部隊「リハップ」を創設
4. リハップによる強制立ち退きの執行によって、市民の多くが強制収容所送り
5. 市民反乱軍との交戦でデトロイトは内戦状態
6. カネミツによる厳しいノルマを課せられるオムニ社
7. 良心の呵責に耐えかねたオムニ社社員の自殺が後を絶たない

 「~2」に登場したファクス女史は、さてこの惨状を見てどう思うのだろうか。「女の浅知恵」とは言いたくないが、彼女の行った企業理念を無視した行動の結果、自社に多大な損失を与えたばかりでなく、企業自体が弱体化し、日本企業による買収などという状況を生み出している。しかも都市計画の名目による強制立ち退きは、もはや為政者とは思えないほどの圧政を行い、あまつさえ市民と対立状況を生み出している。一人の人間の小さな出世欲が、ここまでのひどい状況を生み出すとは思えないが、物語上はこのていたらくである。これはもうどう考えても、企業理念などどこにもなく、企業の利益優先でしかなく、その利益はどこにも還元されず、企業としての活動を進めれば進めるほどに、企業として自らの首を絞めるだけである。ブラック企業もここに極まれりだ。

 この状況下でデトロイト市警は何をしていたかといえば、市民とオムニ社の間で板挟みになって身動きが取れないでいた。リハップの強制執行の中で、ロボコップ=マーフィの相棒であるルイスは市民を守るためにリハップの隊長マグダゲットにより重傷を負わされてしまう。またマーフィもまた苛烈な攻撃を受けて半壊するが、市民反乱軍に助け出されたことで、反乱軍に味方することになる。

 市民反乱軍も一枚岩ではなく、裏切り者のおかげで反乱軍の秘密基地が崩壊する。いよいよマグダゲットの支配下に置かれたデトロイト。市民の強制退去に駆り出されようとしたデトロイト市警は、ついにオムニ社に反旗を翻し、市民を守るためにリハップと戦う決意を固める。カネミツが送り込んできた最新鋭アンドロイド・オートモの攻撃を退け、フライトユニットを取り付けたロボコップが勇躍する!

 「ロボコップ」シリーズは1作ごとに監督が異なっており、1作目で構築された設定を踏襲しながら、新規のアイデアをつぎ込んでは新作が紡がれているシリーズといえる。1作目から2作目までは共通項も多いので、それほど違和感はないのだが、3作目のドラスティックな改変は、その物語上の責任をファックス一人に押し付けるのもどうかとは思う。だが出来上がってしまったものは仕方がない。

3作目は企業が営利目的で市民権侵害をしてしまう。強制退去に応じなかった市民を強制収容所に送り込み、その人々を新しく建設した「デルタシティ」に移住させるなら別段反乱も起きないはずだ。だけど反乱がおきている事実一つとっても市民に対して、なんら説明責任を果たしてさえいないオムニ社だと想像できる。その事象の一つがリハップという私設特殊部隊なわけだ。ではデルタシティにはいったい誰が住むべき街なのか? デルタシティ建設による都市開発計画とは、デトロイトを新しい近代都市に作り替える計画ではなく、都市開発によって地価を高騰させ、そこに住む住民はお金持ちだけになり、高額なお金を払ってでもそこに住みたいと思う人を主体とした、お金持ちのための都市計画である可能性がある。つまり貧乏人には用がないという計画だとしたら、辻褄が合いそうだ。税金取り放題だしね。

こうなると経済格差を助長させるだけでなく、都市の近郊にスラムの形成を加速する。スラムはまたも犯罪の温床になるから、かつてのロボコップ計画やデトロイトの市警(オムニ社に買収されてる)がまた役に立つというカラクリだ。そんな計画を市の単位で容認できても、州や国の単位で見た場合、およそ容認できはしないだろう。いくら州の政治に口出ししない方針のアメリカもそれほどバカじゃないだろう。「ロボコップ」シリーズは近未来SFであり、1,2作目がやや地に足の着いた印象がある一方で3作目が浮いて見える事情は、ちょいと現実離れしすぎた設定と物語ゆえだろう。つまるところオムニ社は、明らかに企業倫理や利益追求を飛び越えて市民権を侵害してしまったのである。しかも大企業らしくお金で解決できる範疇を軽々超えてしまってなお、お金で解決できる道を探しており、終いには日本企業による買収までされてしまい、いよいよ首が回らなくなってきた。これはもう企業としては末期と言って差し支えないレベルだろう。つぶれるべくしてつぶれるオムニ社は、決して侵害してはならない市民権に手を出した故に、自社そのものを自壊させてしまったと見るべきだろう。越えてはならない一線って、あるんです(川平慈英風にw)

<人権と法律は超えられない>
 1作目のリメイクとして登場した2014年版「ロボコップ」におけるオムニ社は「オムニコープ」という名前で登場する。物語スタート時点でやはり大企業ではあるが、デトロイトを牛耳ったり、市警を買収したりはしていないのだが、その代わり紛争地域における治安維持のために、軍事用のロボットを開発して送り込み、その海外販売戦力によって巨大企業へとのし上っていった企業として紹介されている。その売り込み方がメディアを使った偏向報道による戦略で、一見するとわかりのいい報道番組と思いきや、ジャパネットの高田社長もビックリほど、オムニコープに都合のいい報道しかされていない。そんなオムニコープがアメリカ国内での販路を見出そうと躍起になっていたが、それにまったをかけているのが、国内におけるロボット使用を制限する「ドレイファス法」だ。血肉の通わないロボットに人間の安全を保障できるものではないとしたその法律は、多くの議員によって支持されてきた。そこに楔を打ち込もうとするオムニオープのCEOのセラーズは、ノートン博士の研究に着目し、機械の体に人間の頭脳を融合させた「ロボコップ」計画を進めることになる。この被験者に、武器密売組織を追っていながら警察内の裏切り者によって死に追いやられたアレックス・マーフィだった。脳と心臓、肺、そしてなぜか右手を残してすべて機械化された体を、最初は受け入れがたいマーフィだったが、愛する妻や子供のために生きろというノートン博士の説得を受け入れ、ロボコップ計画に同意する。

 こうして誕生したロボコップ=マーフィだったが、オムニコープのロボットたちと比較して反応速度が遅い。また犯罪データ入力の余波でシステムエラーを起こしてしまう。仕方なくノートン博士はシステム強化を図り、脳のドーパミン分泌を抑制する手術などを行った。その結果、マーフィは感情をほぼ失ってしまう。完成お披露目の場で凶悪犯をとらえた後、次々と犯罪者を検挙し実績を上げるマーフィ。だが妻と子供に再会した時から変化が起き、徐々に自我に目覚めていくマーフィは、ついに自分を死に追いやった武器密輸組織と内通している警察内部の関係者を取り押さえ、ついには警察に巣食っていた汚職を摘発するに至る。

 暴かれた汚職はオムニコープにも打撃を与えることになる。世論はロボコップの活躍でドレイファス法に反対する風向きに変わりつつあったが、汚職が明るみになったオムニコープはロボコップを持て余すようになる。セラーズはロボコップおよびその家族の抹殺に動き出す。その動きを感知したノートン博士によって間一髪助け出されたマーフィは、連れ去られた妻子を助け出すために、オムニコープへ反撃を開始する。
 
 前シリーズを踏襲しながらも洗練されたスタイリッシュなデザインで新生したロボコップの、細身のカッコよさがまずもって目を引くし、前シリーズでは車を使用していたロボコップの移動は、改造バイクによってそのカッコよさが際立っている。ビジュアル的には本当に素晴らしいリメイクといえるだろう。
 そして今回のオムニコープは合法的に自社に不利益と思われる法律を排除し、あまつさえそのために人権までも犯してしまうという破たんした企業倫理を見せてくれる。もはやここまでくれば誰もがわかるはずである。人権を前に突出していい企業倫理なんかない。オムニコープのCEO役に抜擢されたのが、どこかAppleのあの人を思わせるようなそぶりを見せる、開明的な雰囲気のマイケル・キートン(ティム・バートン版「バットマン」)だとしても、偏向報道を指示するキャスターがあのサミュエル・L・ジャクソン(「スターウォーズ」のメイス・ウィンドウ役や「アベンジャーズ」シリーズのニック・フューリー役)でも、あかんもんはあかんのだ。法を侵し、人権を侵害したオムニコープがこの物語の後どうなったかは知る由もないが、いずれにしたところで企業が弱体化したであろうことは想像に難くない。こういうひどい企業は、どんな形でも社会的な制裁を受けるべきであるし、本質的に企業倫理を根本から考えなおすべきだろう。「良かれと思って」で人権やら市民権やらを侵害されたのでは、たまったものではない。

 「ロボコップ」というシリーズは、オムニ社がどのようにして企業倫理を捻じ曲げてきたかという話であり、そんな悪行の数々の中から光明のようなロボコップ=マーフィが誕生したという物語は、まるでパンドラの箱から様々な災厄が飛び出して行ったが、その後に残った希望という神話的な比喩を思い出させる。言ってしまえば仮面ライダーが悪の秘密結社ショッカーから生み出されたような話に似ているわけで、じゃあオムニ社はショッカーか?と問われれば、それはそれで否と答えるしかないのだけど、企業としてはこれほどまでに問題があるのは前述の通りだ。

 本編ではあえて触れなかったが、その実ロボコップの安定した稼働を実現するために、莫大な施設運営や人件費がかかることを考慮すれば、オムニ社としてはどうにかして儲けを出す必要に駆られるわけで、ロボコップの維持運営にかかるお金は、2014年版のように海外での資本投下だけでは立ち行かなくなることは必定である。その意味で儲けを優先したいオムニ社の思考はわからないでもない。でもそもそも人間の生体部品を使ってロボコップなど作る必要もないのであるとすれば、ロボコップの開発は企業としての自滅の道であると、この映画は言っているようなものだ。だが2014年版に登場したノートン博士は、本来この技術は、体の一部を病気や事故などで失った人々に向けて開発された技術であるから、その道を模索することは、倫理の上でも問題はないし、人道にも反しない。せっかくの技術だ。オムニ社は人助けの方面で尽力すれば、企業体として持ち直すこともできるだろう。企業倫理の前に理念が必要だという話。お粗末w
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コメント

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No title

どうも、こんばんはです。

最近、NHKラジオ「すっぴん!」の映画紹介コーナーで6週連続に渡る気合の入ったポールバーホーベン特集をやっていたので、それをきっかけに自分も何十年かぶりに第一作目のロボコップ見たのですが、
まあ、ラジオの方でもアンカーの藤井綾子アナウンサーが言っていた
「痛快なSFヒーローアクションだと思って見てみたらマーフィーが記憶を取り戻しかける等の切ないシーンが多くて意外だった」
という感想を自分も持つと同時に、
公開当時よりも今の視点で見た方がより笑えないシーンが多い事にも気が付かされまして、
ポールバーホーベン監督の事も、ロボコップ以降、トータル・リコールやスターシップ・トゥルーパーズ等を手掛けて「悪趣味&ブラックジョーク満載の映画を撮る監督」ってな印象だったのが完全に払拭されましたね。
何せ今のアメリカってデトロイトは本当に財政破綻しちゃったし、民営化された刑務所じゃ囚人を安い労働力として使うようになっちゃったし、強制的仲裁条項のお陰で企業の不手際を訴える事も出来なくなってるって信じられないような事態に陥ってますから、
そんな現代に近い未来を本作の中で描きだしたポールバーホーベン監督の先見性に呻らされると同時に、そんな世の中だからこそロボコップの“利益追及の為に人間の生き方を束縛してはいけない”というテーマ性が胸に響く物と思います。

No title

レバニラさま

 コメントありがとうございます。
 この記事を書き上げて、なんだか妙に落ち着きが悪い記事だなと、なんとなく思っていたら、ご指摘の通り、現実のデトロイトについて全く触れていなかったってことに、今さらのように気づきました。本当にご指摘ありがとうございます。

 んで、ちょいと調べてみたんですが、おっしゃるとおりひどい有様で、日本の財政再建都市である北海道は夕張市なんて目じゃないほどの荒れっぷり。住みたくない都市ランキングでは上位をにぎわす常連で、印象としてはせっかく自動車会社がテコ入れしたところで、それを食いつぶしている不良債権都市に見えてしまいそうです。

 ポール・バーホーベン監督の先見性は間違いないでしょうが、このシリーズの2や3を見ている限り、その先見性の先にある想像力は、他の監督にはなかったようで、バーホーベン監督の掌を一歩も出ていない感じに見えてしまい、2は縮小再生産、3は逸脱しすぎといった感じでしょうか。監督が違うからとはいえ、シリーズとしてはややいびつすぎるような気もします。

御推察、見事です

私も旧三部作のファンでございまして、あの倫理観を無視したオムニ社の経営方針は思う所がありました。
ある意味オムニ社興亡記というべき流れがあるのでしょね。
1作目の時点で犯罪組織クラレンス一味と癒着しながら防犯プログラムロボコップを制作する矛盾した行動が後の凋落を暗示したようにも見えますね。

2作目はよりによって薬物中毒の凶悪犯をロボコップ2の素体にするのだからこれで血を見ないわけがない。
いくらファックスが主犯者だからって一個人に責を押し付けるのはダメでしょう。ちなみに作中で新都市で居住できるのはオムニの株主だけと言われているから大半の市民は住めないそうです。

3作目はとうとう傭兵を使って地上げをするのだからもう暴力団も真っ青。ここでもリハップの人員不足を犯罪者に充てるという死亡フラグを建てるから、この会社後先考えてない。
もっと言えばこんな会社を取り立てた日本企業は見る目が無い。とばっちりを喰っただけともいえる。

おっしゃるように毒をもって毒を・・・という組む相手を選ばぬ姿勢こそがオムニ衰亡の要因では。

ありがとうございます

TTさま
 コメントありがとうございます。
 BD-BOXが出たタイミングでこの作品を見直したら、ああ、これはロボコップの視点で見るよりもオムニで見た方がヒドイなと思い直して書き始めた記事でした。ご納得いただけたようで、幸いでした。

 第1作目の「ロボコップ」には、巨大企業に対する皮肉だけでなく、様々な比喩が込められていることはご承知の通り。その要素の数は多いものの、後続の作品がそれを承っている部分のふところがもう少し深かったら、もっと違う感触の映画になっていたと思うんですよ。でも現実として出来上がった作品はどうだったかといえば、物語の責任の所在を企業に負わせてる部分があまりにも多くて。んでその視点で見直してみたら、あまりにもひどくってwww つい面白くってこんな記事になっちゃいました。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
Twitter再開しました!

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