「X-MEN」シリーズ~遠く時の輪の接するところで…~

 この夏の洋画イッキ見シリーズもこれで終わりとしたい。筆者自身としてはもう少しタイミングをおいてやりたかったのだが、合間にはさむ作品を絞りきることができず、少しまとまった時間が取れるとついシリーズ映画を見続けてしまったために、この夏はシリーズ洋画イッキ見ばかりとなってしまった。そこで今年のイッキ見シリーズの締めくくりとして、現在公開中の作品でもある「X-MEN」としてみた。現在公開中の「アポカリプス」が新シリーズの最終章として公開され、旧シリーズ3作、新シリーズ3作、スピンオフ2作品というシリーズ構成になっている。このシリーズが面白いのは、魅力的なミュータントと呼ばれる能力者たちが、人類と共生する派閥と人類を従順させる派閥に分かれてしのぎを削る物語なのだが、その中に含まれるキャラクターの悲喜こもごもがドラマを彩る。旧3部作は2000年代の物語で時間の推移が小さい。ところがスピンオフおよび新3部作によって旧3部作の物語のあった時間を大きくまたいで物語が展開する。これにより不思議なタイムリープSFとなるびっくり展開となるところが面白い。新3部作によって旧3部作がどのように扱われていったか? これこそが今回のシリーズ俯瞰の視点である。

<まずはその前に…>
 マーベルコミックスのドル箱コンテンツである「X-MEN」シリーズ。1963年にスタン・リー原作、ジャック・カービー作画によって誕生したマーベルヒーローズである。前述の通り特殊な能力を持つミュータントたちが、プロフェッサーX(チャールズ・エグゼビア)率いる人類と共生する道を模索するチームと、マグニートー率いる人類は優秀なるミュータントによって支配されるべきとするチームに分かれて互いに戦うというのが基本骨子の物語である。物語によっては共闘することもある。様々な能力を持つミュータントが、各々の能力を駆使し、互いの力の限り戦いあう中で、ある者は変説して属するグループを変え、ある者は仲間を守るために自らの命を投げ出す。その基本コンセプトは映画シリーズにもきちんと受け継がれている。マーベルの他のヒーローやDCのヒーローとの違いは、「X-MEN」に登場するヒーローは各々が物語やシリーズを背負いながら「ジャスティスリーグ」や「アベンジャーズ」といったグループに参加しているわけではなく、異質な能力の持ち主たちが複数人集まって初めて「X-MEN」という複数ヒーローを名乗っている点だ。その意味では日本の戦隊シリーズに近いと思われそうだがさにあらず。構成メンバーの衣服や意匠にまったく統一感がなく、アベンジャーズが最初から結成しているような印象のグループヒーロであることだ。それぞれ独立のシリーズを抱えているヒーローたちがグループを作る「アベンジャーズ」や「ジャスティスリーグ」を片側に配置すれば、反対側には日本の戦隊シリーズがおり、その中間地点に「X-MEN」がいるといった感じだろうか。

 さて映画作品であるが、名匠ブライアン・シンガーによる旧シリーズ1作目が公開されたのが2000年。先述の通りその後2作品を合わせて旧3部作とし、スピンオフ、新3部作で構成される。最新作は2016年の夏に公開された「アポカリプス」だ。今回扱う映画作品は以下の通り。

旧3部作
「X-MEN」(2000)監督:ブライアン・シンガー
「X-MEN2」(2003)監督:ブライアン・シンガー
「X-MEN:ファイナルディシジョン」(2006)監督:ブレット・ラトナー

新3部作
「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」(2011)監督:マシュー・ボーン
「X-MEN:フューチャー&パスト」(2014)監督:ブライアン・シンガー
「X-MEN:アポカリプス」(2016)監督:ブライアン・シンガー

スピンオフ
「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」(2009)監督:ギャヴィン・フッド
「ウルヴァリン:SAMURAI」(2013)監督:ジェームズ・マンゴールド

<喝采と非難の中で>
 「アポカリプス」のパンフレットにおけるキシオカタカシ氏の記事によれば、アメリカの映画界では、90年代までのアメコミヒーロー映画は一部を除いてどれも失敗作扱いされていたという。これは1989年に公開されたティム・バートン監督の「バットマン」以前を差していると思うが、筆者が先だって記事を書いたクリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」シリーズなどを含めたことだろう。ああ、アメリカ人はあの作品をして失敗作としてしまうのかと、めまいのする思いだ。だが事実「スーパーマンIII 電子の要塞」(1983)の興行成績が不調であったため、ハリウッドはコミックヒーローの映画化に興味を示さなくなったという。それゆえに2000年に公開された「X-MEN」と2002年に公開されたサム・ライミ監督による「スパイダーマン」によって、アメコミヒーローは誌面での盛り上がりとは別に完全に息を吹き返したことになる。

 2000年に公開された第1作目「X-MEN」は、あくまで顔見世興行的な物語ではあったが、マグニートー率いるブラザーフッドの野望をくじくという、かなりストレートな物語となっている。物語の中心にいるのは触れた相手の能力を吸い取って自分の能力とするローグで、相手が普通の人ならば人間の生体エネルギーを吸い取ってしまうため、ボーイフレンドを殺しかけてしまう。そんな普通の女の子ではない彼女を、自分自身の治癒能力故に助け船を出してしまうウルヴァリンことローガンで、チャールズ・エグゼビア教授が主催する「恵まれし子らの学園」でも彼女の守ろうとするのだが、マグニートーらによって拉致されたローグはマグニートーの能力をコピーさせられて、サミットに集まった各国首脳をミュータントにしてしまう作戦に加担させられてしまう。サイクロプスなどと衝突しながらもローグを助けるためにX-MENとして加勢するローガンは、自由の女神像の中での激闘を制し、ローグを救ってみせる。そしてチャールズの調べた内容に従い、自信の失われた過去を探してサイクロプスの大型バイクを借りて旅に出るというラストで締めくくられる。

 ところがその2作目「X-MEN2」(2003)冒頭で、チャールズによって示された北の湖にはその痕跡が見当たらない。そんな折、ナイトクローラーによる大統領暗殺未遂事件が起こり、ミュータントを危険視したアメリカ政府は、対ミュータント対策本部のストライカーを呼び寄せる。彼こそは実はかつてローガンにアマダンチウムを注入した人物である。ストライカーの指示の下、襲撃される「恵まれし子らの学園」。帰還していたローガンは、一部の子供たちと共に脱出するも、逃げ延びた先でもミュータントとして迫害される。再び活動を開始したマグニートー。ストライカーは学園の奥に設置されているセレブロによって、地球上に潜伏しているミュータントを探し出し抹殺することであり、マグニートーは逆にミュータント以外の人間を抹殺する目的で、ストライカーが本拠地としている北の湖へと向かう。その戦いが終結を見せた時、潜在能力を精一杯引き出したジーンは、仲間を救うためにその命を投げ出すことになる。

 3作目「X-MEN:ファイナルディシジョン」(2006)では、ジーンを失った悲しみがまだ癒えない状況下で、ミュータント能力を消して普通の人間になれる薬「キュア」が開発される。それはミュータントになってしまったわが子を助けたい会社社長の願いから完成したものだが、ミュータントたちは等しく自身の能力と普通の人間の生活を天秤にかけることになる。だがキュアを巡る攻防は、死んだと思われていたジーンがブラザーフッドに寝返っており、眠っていた能力を開放させ、かつての恋人サイクロプスやエグゼビア教授を殺害し、最前線ではローガンたちを圧倒する。キュアの開発のキーとなる少年を巡って激しくなるバトルの中で、ローガンは苦渋の選択としてジーンを殺すことになる。

 旧3部作の1作目の監督であったブライアン・シンガーは、自身が社会的にエッジに立たされていた体験を色濃く作品に反映しており、本作に登場する多くのミュータントに等しく思い入れしたブライアンは、人類とのエッジに立たされて苦悩するキャラクターの姿、そしてミュータント自身の能力に振り回されてしまう悲しみまで表現していることが本作の特徴ともいえる。しかも彼らミュータントたちは、その悩みに答えを出そうと努力しても、物語の上で解答にたどり着けないジレンマを抱えているのだ。それゆえに個人のイデオロギーによって変説する。エグゼビア教授のもとにいながら、ブラザーフッドに寝返る若きミュータントたちがそうだ。だが物語のたたみ方としては、大義としてのイデオロギーを主張して事件を起こす一方で、個人のイデオロギーがその事件を収束に導く傾向が強い。X-MENは戦いには勝ったが、その実人類との共生に対する阻害要因を除いただけで、エグゼビア教授の願いが達成されたわけではない。その意味では実にアメリカ人特有の個人の気質が反映された映画シリーズなのだ。旧シリーズは特にその傾向が強く、2つのミュータント勢力にミュータントを敵視する人類という三つ巴の様相を呈している。本来人類を守るべき立場のヒーローとしての資質を持つ者たちが、その資質故に人類から疎外され、人類と敵対してしまう姿は、かつてのアメコミヒーローではありえなかった事態で、本作ならでは特徴といえる。「スーパーマンVSバットマン」で裁判の場において人間に裁かれるスーパーマンの姿とは、これの延長線上にある。しかしこの熾烈な戦いの結果は悲しみしか残らず、ミュータントの両陣営に大きな傷跡を残しただけだった。
ちなみに3作目における監督の交代劇やそれによる出番の調整など、製作状況の悪さが映画自体にも影響して、主要キャラクターをいとも簡単に殺してしまったがゆえに、多くのファンを落胆させた映画でもあったことをつけ加えておきたい。

<ウルヴァリン、その誕生と悔恨>
 「X-MEN」シリーズの中心人物であるローガンことウルヴァリン。彼の出自が明らかになるのは、スピンオフ作品1作目となる「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」(2009)である。能力を隠して静かに生きていたつもりであったが、ストライカーに目をつけられ、監視下に置かれたローガンは、自己修復能力と両手に隠された爪の能力を強化するため、アマダンチウム合金を注入される実験を受ける。自身の自由を勝ち取ったローガンだったが、ストライカーによって頭に打ち込まれた弾丸の衝撃で記憶を失ってしまう。本作での事件の一切の記憶を失ったローガン。物語は旧3部作の1作目へとつながっていくことになる。本作のトピックは、セイバートゥースやストライカーとの因縁、ローガンとラストバトルを戦った男は、ローガンのヒーリング・ファクターを注入されたウェポンXIであり、実はデッドプールであるというエピソードが登場する。劇中でも最後の最後でむっくり起き上がって復活して見せるあたりの演出も心憎い。最近公開された「デッドプール」(2016)とは異なる人物ではあるが。

 スピンオフである前作が旧シリーズ以前の、ウルヴァリン誕生秘話だとすれば、2作目「ウルヴァリン:SAMURAI」(2013)は旧シリーズの後日談となる。スピンオフ作品が旧3部作の前後を挟んでいることになる。

 ジーンを殺してしまった悔恨からカナダで世捨て人のように暮らしていたウルヴァリンことローガン。雪緒と名乗る日本刀を持った女性からの誘いで、彼は渋々日本にやってくることになる。その目的は、矢志田という日本人と面会すること。矢志田はかつて太平洋戦争の最中にローガンが長崎で出会った青年将校で、原爆の被害からローガンに守ってもらった恩があるという。矢志田は巨大企業のトップでありながら、病魔に体を蝕まれており、余命いくばくもない。病床の彼は恩返しとして、能力によって永遠を生きる苦しみからローガンを解き放つという。そんな折、彼は急死する。その葬式の中、矢志田の孫娘マリコがヤクザに襲われ拉致されそうになるのを助けたローガン。だが矢志田の主治医であるDr.グリーンにより、何かを体に打ち込まれたローガンは、治癒能力が減退してしまう。満身創痍となるローガンは、それでもマリコを守って長崎まで逃走するも、またも黒服のヤクザたちにマリコを拉致されてしまう。

ローガンは東京に舞い戻り、マリコの婚約者であった法務大臣の隠れ家に乗り込み、強引に事情を聴く。多額の負債を抱えていた矢志田の会社であったが、政界との強いパイプを欲して法務大臣と孫娘の婚約となったこと、そしてマリコの父・シンゲンによってマリコの拉致が指示されたのは、マリコとシンゲンによる矢志田の遺産相続争いだったことが判明する。マリコの幼馴染であり、かねてより矢志田家を裏から守っていた忍者軍団を統率するケンイチロウは、Dr.グリーンことヴァイパーの指示によって矢志田家を強襲し、シンゲンはヴァイパーの毒に侵されてしまう。ローガンは矢志田が生前使っていたベッドの装置を使って、自身に打ち込まれた何かを自分で取り除こうとする。その隙にシンゲンがローガンを殺しにやってくるが、治癒能力を復活させたローガンに返り討ちにあう。マリコが拉致された古城でローガンと雪緒が見た物は、パワードスーツ・シルバーサムライだった。矢志田の意志で作られたシルバーサムライは、全身アダマンチウムで作られていた。ヴァイパーは雪緒に倒され、ローガンはシルバーサムライと激闘の中、シルバーサムライの中にいたのは死んだはずの矢志田だった。矢志田はローガンの治癒能力を奪おうとしていたが、マリコとローガンの反撃にあい、その野望は潰えることになる。

 それにしても旧3部作のラストでローガンに殺されたジーンが、ローガンの夢の中で何度も出てくる。それもほぼ悪夢として。筆者はこれをみて「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に登場するアムロの夢に出てくるララアを思い出した。ジーンもララアも以前のシリーズ作品ではヒロインだったはずなのに、これではただの疫病神扱いで、どうにもいただけない。
 このスピンオフシリーズはあくまでもローガンを主体として物語が紡がれているため、複数のキャラクターが入り乱れる本家シリーズよりも、流れがシンプルでとても見やすい。このシリーズが愛好される理由だと思うが、その一方でどうして日本が舞台なのかと、例によって外国人による間違って伝わっちゃった日本観が抜群に目を引く作品でもあって、日本人としては目を覆いたくなるシーンは数多い。もっとも時代錯誤感のある「007は二度死ぬ」やそのミスマッチを楽しんでいる「キルビル」、作品の背景からそうならざるを得なかった「ラストブラッド」などなど、おかしな日本の風景は枚挙にいとまがないが、作り手の美意識だけは十分に伝わってくるので、こういうのは日本人として笑えばいいと思うよw とはいえ、ローガンが日本にくるとか、マリコという日本人の嫁がいるとかいう設定は、原作にもきちんとお話のあることなので、ツッコミようがない。

 現時点ではスピンオフ作品としての「ウルヴァリン」の3作目の製作がコールされているが、新3部作を見終わった後で、本作の後日談となるのか、新3部作の後日談となるのかが注目となる。

<新3部作、時代を翔ける>
 「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」(2011)は、旧3部作で旧友であったはずのエグゼビア教授とマグニートーの出会いと別れが描かれている。ポーランドの強制収容所で母親を殺されて無理やり能力を開花させられる子供時代のマグニートー。やがて母親を殺したナチスドイツのシュミット博士の足取りを追うことになる。シュミットはその後名をショウと変え、「ヘルファイア・クラブ」を組織し、世界大戦を起こして、戦後の荒廃した世界をミュータントが支配する目的で活動を開始。CIAのモイラは青年となってミュータント研究の第一人者となったエグゼビアと接触し、協力を取り付ける。CIAがショウを追う現場で青年となったマグニートーと出会い、目的のためにエグゼビアと協力することになる。CIAにかくまわれていたマッコイと出会い、仲間の必要性を痛感したエグゼビアは、マッコイの開発したセレブロを使って世界中のミュータントを探し出して協力を求めることにする。やがて仲間も増え、それぞれの能力を向上させたころ、ショウはキューバ危機に乗じて目的のためにソ連の核ミサイルの強奪を決行する。仲間たちの協力によってどうにかショウの野望を阻止したエグゼビアたちだったが、彼らの能力を恐れた米軍の攻撃にあう。マグニートーの能力によってミサイル攻撃を退けたものの、エグゼビアは腰を負傷する。人類に不信感を募らせたマグニートーはエグゼビアと袂を分かつことになる。ここにX-MENとブラザーフッドの対立の構図が出来上がった。

 続く「X-MEN:フューチャー&パスト」(2014)では、なんと旧3部作以降の近未来の世界からスタートする。2023年、世界はセンチネルと呼ばれるロボットによって、ミュータントとそれに協力する人間たちが追いつめられており、いままさにミュータントは滅びに瀕していた。事態を憂えたエグゼビアは一計を案じ、精神のみを過去に送る能力を使ってウルヴァリンを過去に送り、時間改変を試みる。戻った時代は1973年。この頃のエグゼビアはマグニートーやミスティークと袂を分かち、先の事件の際に負った傷によって足が不自由になったことで酒に溺れていた。マッコイの開発した薬で歩けていたが、ミュータントとしての能力は失っていた。そこに協力を要請しに来たウルヴァリン。時間をかけて理解を求める努力の甲斐あって、エグゼビアやマッコイの協力を得たウルヴァリンは、未来を救うために活動を再開する。そしてミスティークによるセンチネル開発者トラスク博士暗殺の現場を止めるのだ。暗殺によって現場で逮捕されたミスティークは解剖され、その能力はセンチネルにフィードバックされた。だが暗殺の現場ではマグニートーの策略によって初期型センチネルが暴走し、その場にいた人間を襲い始めていた。エグゼビアの説得によってミスティークはマグニートーを止めることに成功する。この時間改変によって2023年の暗黒の未来は変わった。センチネル計画はとん挫し、ミスティークは生存。だがウルヴァリンはストライカーによって捉えられ、やがてアマダンチウムを注入されることになる。

 そして最新作「X-MEN:アポカリプス」(2016)では、時間改変後の世界を舞台に、すべてのミュータントの始祖となるアポカリプスと正義のミュータントが戦うことになる。古代エジプトを支配していたアポカリプスは、反乱勢力によって仲間共々埋められてしまう。だが1980年代になり、先の事件でミュータントの存在が明らかになった世界では、カルト集団がアポカリプスを目覚めさせてしまう。アポカリプスは世界を再構築するために、かつてのように4人の協力者を探し出し、活動を開始する。その影響によって「恵まれし子らの学園」に身を寄せていたジーンは悪夢を見ていた。エグゼビアは学園にやってきた後のサイクロップスを預かる。そんな折、マグニートーはポーランドで妻子とひっそり暮らしていたが、ふとしたことから能力がばれてしまい、彼を恐れた人間たちによって妻子を殺されてしまう。マグニートーは怒りのあまり人間たちを殺害してしまう。エグゼビアはマグニートーを学園に戻そうとセレブロを使って説得するが、マグニートーの能力を認めたアポカリプスによって、逆にエグゼビアの能力を使って世界の核ミサイルを一気に宇宙へと打ち上げさせる。アポカリプスはエグゼビアを誘拐するが、その余波で学園は崩壊するも、偶然居合わせたピーターことクイックシルバーによって学園の子供たちは助け出される。そこに割って入ったのがストライカー率いる特殊部隊で、ミュータントたちをヘリで拉致する。残ったスコットやジーンら若きミュータントたちは、彼らを救うためにヘリに飛び乗る。ヘリの行先は北の湖、そこでは今まさにアマダンチウムを注入されたウルヴァリンが、脱走するところだった。その隙に仲間たちを助け出し、エグゼビアがエジプトにいることを知ったミュータントたちは、エグゼビアを救うためにカイロへと向かう。アポカリプスによって崩壊の危機に瀕する人類。ミュータントたちはアポカプリスの野望を打ち砕き、平和を取り戻せるのか?

<時間改変の結果の世界>
 ターニングとなるのは新3部作の2作目である「フューチャー&パスト」である。この作中で行われたのはウルヴァリンの精神だけが過去に戻って、過去の出来事を改変したことにより、新しいタイムラインができた。このことによる恩恵は計り知れず、センチネルによって脅かされていた未来はまったく別の世界へと変革した。それだけではない。この事件によって常にテロに加担していたミスティークは、マグニートーを止めたヒロインとして、ミュータントの中でも英雄視されている。それだけでなく、旧3部作のX-MENとブラザーフッドの死闘の歴史がすべてないものとされ、ジーンの悲しい死もないこととなった。そう、現実的に旧3部作で非難の的になった事柄が、全てないことになったのである。う~ん、どうしたものか。旧3部作がそれなりに好きだった筆者にしてみれば、何てことをしてくれたんだ!という思いもないではないが、それよりもジーンの死がなかったことに心から安堵し、ついよかったねと口をついて出てきてしまうにおよび、新3部作の見事な筋運びに感嘆を禁じ得ない。

 ところがそれでも変えがたい事実があるのも事実で、ローガンことウルヴァリンのアマダンチウム注入という事態だけは変化しようがない既定の事実である。さらに言えばストライカーと彼の息子に起きた悲劇も回避しえなかったとしたら、これもまたひどい話だと思うわけで。

<戦う理由の複雑さ>
 X-MENシリーズを見ていて筆者がいつも思うのは、彼らが戦う理由だ。例えば旧3部作の1作目は、X-MENとブラザーフッドの対立構造やマグニートーの目的、エグゼビア教授ことプロフェッサーXの目標設定が明確に劇中に登場するために、疑う余地がない。片やミュータントと人類の平和的共存があり、その一方でミュータントによる人類支配というイデオロギー上の対立は、ものすごくよくわかるし、新3部作の「ファースト・ジェネレーション」におけるエグゼビアとマグニートーことエリックの出会いと別れを見れば、考え方もその出自もはっきりとわかる。ところが問題は両者に付き従う若きミュータントの思想なのである。特に「ファースト・ジェネレーション」や「X-MEN2」で一度はエグゼビアと共に立ち上がりながら、事の顛末としてマグニートーについていくミュータントたちの姿を見ると、能力を持たない人類のミュータントへの蔑視という事実が、高潔たる志と目先の欲望を天秤にかけて、欲望が勝ってしまうという変説がどうしても気になるのだ。

実のところ、ウルヴァリンというキャラクターこそがそのエッジに立たされており、常にX-MEN側における内部の不協和音として存在しているにも関わらず、常にエグゼビアと共に戦う理由を見つけているあたりが、対比としてはわかりいいだろう。つまりウルヴァリンこそ、目先の欲望を優先させるそぶりを見せながらも、友人エグゼビアの志に共鳴している人物であり、X-MENシリーズにおけるヒーローである資格を有している理由だと思えるのだ。本来別々の特殊能力を有するミュータントの群像劇である「X-MEN」という作品において、勢力の別はあっても全員が同じ志の元に戦っているわけではなく、特にブラザーフッド側にしてみれば、それぞれの思惑がたまたま同じ方向を向いていたからという理由で徒党を組んでいるという見方をするならば、それはまたX-MEN側も同じなのだ。だからこそジーンを失っていとも簡単に茫然自失となるスコットは、面目上のリーダーとなっても、作品を代表できるヒーローにはなりえない。

さてヴィランであるはずのマグニートーであるが、実のところ彼の存在もこの作品においては重要で、彼がいないバランスが崩れてしまった世界では、X-MENすら存在が危ぶまれるのである。
例えばマグニートーの企図する作戦が上首尾となり、彼の夢想する優性種であるミュータントによる世界支配が実現したとする。当たり前のようにそうしたミュータント支配に反旗を翻し、人類は戦うだろうが、そのためには彼らに対抗するための戦力が必要になる。例え一時的に忌み嫌われるとしても、目的次第で有効活用を考える人類は、きっとX-MENらマグニートーに対抗するミュータントを欲するだろう。つまり人類にとってマグニートーに対するカウンターとしてのX-MENは認めざるを得ないのだ。マグニートーとブラザーフッドがいる限り、X-MENは人類から必要とされる。これは人類とミュータントの共生が成り立つ土壌でもある。敵の敵は味方、という論理だ。ところがもしX-MENがブラザーフッドを駆逐したとして、そのあとの世界で人類はやはりミュータントを忌み嫌って排斥するだろう。そうなればエグゼビア教授の高潔たる志は無視され、結局人類はミュータントと敵対することになる可能性が残されている。つまりブラザーフッドという敵の存在そのものが、X-MENという正義のミュータントの存在理由であることがわかる。「X-MEN2」はまさにそれを主題とした物語だ。エグゼビアが死んでもその志はX-MENのメンバーの誰かが継ぐだろう。だがマグニートーが死んでしまうことで、X-MENすら存在意義が危ぶまれるとしたら、マグニートーとブラザーフッドの存在ゆえにX-MENは存在しているといっても過言ではない。実にアンビバレンツな二項対立といっていいだろう。

「X-MEN」の映画シリーズは、これ以降ウルヴァリンのスピンオフシリーズがもう1本控えており、最終的には全9作品となるようだ。それにしてもこれほど長く続くシリーズになろうとは、旧3部作の1作目を劇場で見ていた当時は考えもしなかったが、これあるゆえに今のアメコミ映画の隆盛があるかと思えば、感慨深い。とはいえ新3部作によって旧3部作を完全否定しちゃうっていう展開には、本当に恐れ入った。しかも旧3部作の3作目が完結編でありながら問題作扱いされちゃったために、なかったことにされちゃうって、これまで見てきたシリーズものの映画ではありえなかった事態で、そうそう出会える出来事ではない。さりとて旧3部作を見ずに新3部作だけ見るってのも、やはり片手落ちだし、「フューチャー&パスト」のラストシーンにおける、ジーンが存命してローガンに微笑むシーンの意味を正しく理解するためには、旧3部作を見る以外に方法はない。イマドキは旧3部作などは中古でも買いやすい値段になっているし、シリーズのBOXセットなどもあるので、ぜひ一通り見ることを強くお勧めする。デートムービーとしてのアメコミヒーロー映画はまったくお勧めできないけれど、男の子はこういう映画、好きだもんね。

ちなみに筆者はアメコミ自体を読みなれていないせいもあり、原作コミックを読んだことがない。筆者がお気に入りのキャプテン・アメリカのコミックもあることだし、どうにかしてX-MENもコミックを読んでみたいのだが、先立つものがないというのは悲しい話。現実として日本国内で販売されているアメコミって、高いよね。読み応えもあるんだろうけどさw
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波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
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ピカード艦長が大好物。
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