サイボーグ009(新・1979)~“神”を巡る思考実験~

 当ブログをご覧の方にとって“またか”と思われそうなほど、これでもかと何度も扱っている作品である「サイボーグ009」。故・石ノ森章太郎氏のライフワークでもあった作品である一方、TVアニメに映画にと、現在でも材を振りまく作品である。最近では奇跡とも思える永井豪作品とコラボレーションを果たした「サイボーグ009vsデビルマン」という作品があるし、「攻殻機動隊」のTVシリーズを作った神山健治氏による「009RE:CYBORG」という劇場版を経て、現在は「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」が劇場公開中である。筆者が009が好きだということは置いておいても、作品がこれだけある以上、触りたくなるもの必然だとご理解いただきたい。
 さて現在CSアニマックスにおいてHDリマスターされた「サイボーグ009」(1979)が放送中。実は深夜4時台では「機動戦士ガンダム」のリマスターと続けての放送になっているため、1時間まるっと録画して、毎日楽しんでいる。現在は序盤を過ぎ、話が展開し始めているところだが、新たな展開を前にちょっとだけ引っ掛かってしまった。それが序盤9話までの「宇宙樹編」である。

<ちょいとその前に>
 1979年に放送を開始した「サイボーグ009」。一般には「サイボーグ009(新)」と表記されることが多いので、これに準拠すると「新ゼロ」という言い方になる。この略式名称をTVアニメ版に当てはめると最初のモノクロ版を「旧ゼロ」、平成に入ってのTVアニメ版を「平ゼロ」というのだが、まあ知っている人にはどうでもいい話。
 新ゼロ初期9話の話をする前にちょいと漫画版のそれまでの足跡をおさらいしておきたい。新ゼロ放送当時は週刊少年サンデーにて、アニメ版の敵となるネオ・ブラックゴーストにからむ話をやいくつかの挿話が連載されているが、それ以前の作品は秋田書店コミックスとしてまとめられているものがあるだけだ。

 1964年7月「週刊少年キング」誌上において連載を開始。連載は約1年にわたり継続し、「誕生編」「暗殺者編」「放浪編」「ベトナム編」「ミュートス・サイボーグ編」およびいくつかの短編が描かれている。1966年7月には劇場版アニメの1作目が公開。これに歩調を合わせて同年掲載誌を「週刊少年マガジン」に移設して連載を再開。それが「地下帝国ヨミ編」と呼ばれる完結編として67年まで執筆される。67年には映画第2作「サイボーグ009 怪獣戦争」が公開。内容的には「暗殺者編」「地下帝国ヨミ編」の内容をベースにしており、一応映像上でも完結している。「地下帝国ヨミ編」は漫画史に残る感動的なラストを迎え完結したが、多くのファンからの連載再開の声に後押しされるように、さらに掲載紙を「冒険王」に移行して継続する。月刊ペースで描かれた物語は「怪物島編」「中東編」「移民編」「ローレライの歌編」「海の底編」と連載される。さらに68年にはTVアニメ第1シリーズ、いわゆる「旧ゼロ」が放送開始している。69年には「天使編」が執筆されているが、壮大なアイデアがまとまりきらず、休載の形で終わりを迎える。その後掲載紙を「月刊COM」へと写し、69年より「神々との戦い編」が連載開始。石ノ森氏の構想では、断片的に描かれたパーツのような漫画を断続的に連載し、単行本となる際に時系列を編み直して刊行して完結する構想があったそうだが、それでも序章部分を書き上げたところで不明瞭な表現が受け入れられず、これもまた未完のままで71年に終了している。

その後、2つの短編が発表されているが、本格的な連載としては1975年の「少女コミック」まで待たねばならなかった。この時の連載では「風の都編」「雪のカーニバル編」「ディノニクス編」「エッダ編」が不定期連載されている。その後も掲載紙を転々としながらアウトサイドストーリーが執筆され続け、1979年のいわゆる新ゼロの放送に合わせて週刊少年サンデーでの連載がスタート。81年で終了した後は「SFアニメディア」誌上で「時空間漂流民編」が連載。かつて「海底ピラミッド編」で登場したサンジェルマン伯爵を再登場させ、「移民編」に登場した未来人たちのその後の奮闘に再び009たちが手を貸すシリーズのクロスオーバーを見せる。だがその後、009の連載は再開されなかった。石ノ森氏は本当の完結編としての「Conclusion God's War」の執筆を夢見て構想を練っていたが、病に伏した氏がこれを執筆することはかなわなかった。生前石ノ森氏が残したプロットに従い、その序章部分を平ゼロの最終章として映像化している。その後実子・小野寺丈氏によって残されたプロットを再構成して小説として上梓。さらに愛弟子ともいえる早瀬マサト氏およびシュガー佐藤氏の手により漫画として執筆され、ネット上で配信。現在は単行本としても発刊されている。

<宇宙樹編とエッダ編>
 1979年に放送を開始した「サイボーグ009」(新)は鳴り物入りで放送を開始した。時は既に「宇宙戦艦ヤマト」によるアニメブームが起きており、本作の前番組とて「宇宙海賊キャプテンハーロック」である。まだ松本零士ブームの真っただ中にいて、そのあとを受ける立場の作品だ。ハーロック最終回の翌週は、009の事前番組を放送して盛り上がっているし、それはテレビ朝日の20周年記念番組でもあったので、気合いは満ち満ちていた。制作にあたりハイティーンをターゲットとして製作する確認も繰り返し行われ、監督には「ゼロテスター」で著名な高橋良輔氏と決まった。最初に題材に選ばれたのは少女コミックにて76年に連載された「エッダ編」である。004ハインリッヒに誘われて巨人(イミール)が出没するという噂のアイスランドに向かったサイボーグたち。放射能霧につつまれる不気味な村にたどり着くと、メンバーは不可解な出来事に遭遇し始める。村の秘密を求めて行動を開始するサイボーグたちは、宇宙樹という巨大な樹木に偽装したタイムマシンによって、すでに滅びた古代文明の末裔が、滅びた原因となった兵器によって突然変異し、怪物化した者たちが、謎の科学者Xによって現代に運び込まれた事実を突き止める。拉致された003フランソワーズを助けるために、009ジョーは宇宙樹を破壊。同じくして村も滅んでしまうという物語である。

 さてアニメ本編はといえば、1話で世界各国に散らばっていたメンバーがほどなく集まり、世界各地で突如現れ始めた巨人たちの被害を調べるギルモア博士とサイボーグたち。だが突如として現れ、核ミサイル基地に近づきつつある巨人たちを止めようと奮闘する009たちの目の前で、核ミサイルは発射されてしまう。だがミサイルともども巨人を消し去ってしまう神・オーディン。009たちはこの出来事が神による企みではないかとにらみ、オーディンと対決することを決意するという物語でスタートすることになる。その後、00ナンバーサイボーグたちは、世界各地で起こる神々の企み、巨人の痕跡などを訪ねて転戦する。だが各地でオーディンや北欧神話の神々の仕業である事件の実態をことごとく暴いてきたサイボーグたちは、神々の罠とも思しき戦いを制し、ついに宇宙樹の村へとたどりつく。そして激しい神々との戦いの末、ジョーたちは神々の正体を見る。彼らはサイボーグだったのだ。まやかしの神を打倒する。10話以降でジョーたちは再び日常へと戻っていく、「戦士たちの休息編」となっている。

 秋田文庫版の1巻「神話・伝説編」に「エッダ編」は収録されており、その巻末に本編の監督である高橋良輔氏が解説を寄稿している。それによれば「正直なところ未熟な私の手に余ってしまい、悩みの末に「宇宙樹編」は九本で終了させて」とある。その後「戦士の休息編」をへて「ネオ・ブラックゴースト編」で三つ子の幹部とガンダールの関係性によって再び「神」にさわることになる高橋良輔氏ではあるが、どう考えてもこれら記事を読む限りにおいて、高橋良輔氏には残念な選択を強いられて、結局「宇宙樹編」を作り上げることができなかったらしい。ここでアニメ版「宇宙樹編」と「エッダ編」を比較して、石ノ森章太郎と高橋良輔という二人の作家の「神」の捉え方の違いについて考えてみたい。

 そもそも筆者が最初に「宇宙樹編」に引っ掛かったきっかけは、1話のラストである。巨人たちを止めようと必死に戦っていたサイボーグたちの目の前で、一瞬にして巨人たちと核ミサイルを消滅せしめた神・オーディンを見て、009はそこに出来レースを感じとり、神々の企みを読み取って、オーディンに宣戦布告するのである。もちろんそこには001イワンによる予言めいた言葉があったとしても、その事件をTVなどで固唾をのんで観ていた劇中の人間にとっては、それをして「神の御業」だと思うに違いない。実際これを放送当時に見た筆者は、オーディンのカラクリに一瞬気付かず、神がオーディンに力を貸したかのように感じていた記憶があり、翌週の前話説明の中でやっと神の企みの意味に気づいて、TVの前で一人赤面したのを思い出した。わかりづらいというよりも、やはり神・オーディンの成した業があまりにも神っぽかったのでごまかされたのだろう。実はこの当時の筆者の勘違いこそが、石ノ森と高橋両作家の「神」観の違いが如実に出ちゃってる感じがするのだ。

 石ノ森の「エッダ編」では登場する怪物の正体は、古代文明の遺物であり、絶滅した理由となる破壊兵器によって突然変異した怪物であり、未来人である謎の科学者Xによってタイムマシンによって現代に連れてこられた設定となっており、巨人も怪物も過去から連れてこられた生物という解釈の下、過去・現在・未来(ウルト・ウェルダンディ・スクルト)が混在する不可思議な舞台として宇宙樹の村が設定されている。モチーフが北欧神話なだけで、神は存在しない。そこにあったのはタイムマシンを操り、子供じみた制服欲を満足させたいだけの小悪党の科学者がいただけというのが物語のオチである。

 一方の高橋はこの「エッダ編」の大風呂敷をそのまま受け止めてしまったようだ。もちろんその前提として石ノ森が中途で書き損じている「天使編」や「神々との戦い編」という前フリがあるから、高橋は自身で噛み砕いた上で石ノ森が書ききれなかった「神」に挑んでみたというのが、ホンネだったかもしれない。石ノ森が原作で描いてきた世界中に点在する神話や遺跡、滅び去った古代の文明や海底に眠る謎。そういったものが神々の痕跡の一部であり、石ノ森の頭の中で点が線となって展開し出した「神々」という存在は、あくまで地球という天体にはびこる生物種である人類を、何らかの方法で生み出し、どこかへ導く存在としてぼんやりと石ノ森の頭にあるだけで、新ゼロ製作当時の石ノ森にも、打ち合わせを重ねる高橋に対して説明することはできなかっただろう。だからこそ高橋は自身の中にある「神」を形にしてみたくて「宇宙樹編」に挑む。だがここで石ノ森の想定する「神」は高橋の理解を軽々超えていたことを思い知ったのではないか。結局9話で終わってしまった「宇宙樹編」ではオーディンの正体を何者かに作られたサイボーグであると明かして終了する。その何者か?の答えを後の続くネオ・ブラックゴーストへと匂わせることで、神の正体人知を超えたサイボーグであるというオチで終わってしまうのだ。

高橋の中にある「神」とはどんなものだったか? その一端が「ネオ・ブラックゴースト編」に現れている。例えばネオ・ブラックゴーストの三幹部・ブラフマー、ビシュヌ、シヴァの三つ子が生まれたガンビシュ村では、村を収めていた三つ子の父親は村を収めると同時にそこを聖地とする宗教の教祖であった。村人の叛乱によって父親を殺された三つ子は、自分たちに備わっている超能力によって村人を殺害し、その後ネオ・ブラッグゴーストに参加してその能力で足元を固め、邪魔なものは仲間であろうとも暗殺して幹部の座をつかんでいく。その一方で001イワンの父親であるガモ博士の手によってサイボーグ手術を施された三つ子の幹部であったが、ガモの気まぐれが三つ子から切り取った善の部分によってガンダールという聖人を生み出してしまう。出自もわからぬまま強烈なカリスマとして人々をひきつけるガンダールは、癒しと救済を求める人々によって担ぎ出されていく一方で、ネオ・ブラックゴーストにも利用されてしまうが、その利用のされ方もガンダールを首座におく宗教施設に隠ぺいされた洗脳マシーンであり、009たちが追っていた「シャングリラ計画」の正体だったのである。

さてここまで説明すればお気づきだろうか。高橋良輔氏が想像できる範囲の「神」とは、宗教としてシステム化された神なのだ。神に正体などなく、神は悪事を行うための隠れ蓑でしかなく、そのための舞台装置化したシステムとしての神ではないだろうか。そうしたシステム化された神の存在は、高橋良輔氏が後に監督を務める「装甲騎兵ボトムズ」の最終シークエンス「クエント編」におけるアストラギウス銀河を支配する神「ワイズマン」にも見ることができる。アストラギウス銀河を支配し、戦争とすべての闘争の裏に暗躍したワイズマン。その正体はコンピューターボックスの集積体であり、後継者として指名したはずの主人公キリコ・キューピーによって機能停止された。ワイズマンとはアストラギウス銀河に戦乱を起こし、キリコに試練を与え続けるためのシステムであるという答え。まさに高橋良輔が「サイボーグ009(新)」におけるオーディンに与えた役割とそっくりなのである。

 実のところ「ネオ・ブラックゴースト編」でのオーディンの再登場には理由がある。知られた話ではあるが、「ネオ・ブラックゴースト編」の後を受けて「ミュートス・サイボーグ編」が企画されていた。この物語の首謀者がやはりオーディンなのだが、周知の通りこれは実現しなかった。この事実がどうしてよく知られた話なのかといえば、かの有名なケイブンシャの大百科シリーズに掲載されていた話だからだ。「サイボーグ009コンプリートブック」(メディアファクトリー、2001)に掲載されている資料によれば、石ノ森が執筆した「ミュートス・サイボーグ編」に着想を得てはいるが、物語はだいぶ異なるようだ。

 忘れがちではあるが、前述の「コンプリートブック」でも執筆者が指摘している通り、「地下帝国ヨミ編」を2度目の完結編とすれば、原作漫画における「ミュートス・サイボーグ編」は最初の完結編でもある。「ミュートス・サイボーグ編」はかつてのアニメや映画でも映像化されていないため、タイトルと本来の位置づけ、そして神を語るサイボーグとの戦いという意味合いを考慮すれば、もし新ゼロにおいて「ミュートス・サイボーグ編」が実現していたら、当時のアニメ版における完結編として、アニメ史に足跡を残す作品になっていたかも知れない。まあ周知の通り「ミュートス・サイボーグ編」は実現しなかった。だが、これによって新ゼロは独自のユニークな解釈が可能となった。9話目で死んだはずのオーディンが最終回ですべての糸を引いている存在として存命している。このオーディンの存在によって物語は完全にループするのである。これは「ミュートス・サイボーグ編」を製作しなかったことによる偶然の副産物なのだが、このループによって初見の人にとっては前段の9話の見え方も違ってくるだろう。これは新ゼロだけが持つ特異な魅力といえる。

<その後の神の足跡>
 新ゼロの放映後に製作された劇場版第3作「サイボーグ009 超銀河伝説」。いわくつきの作品で、004の死やら放り投げきったようなラストやら、問題の多い作品ではあるが、救済や願いをかなえるといった事象を取り上げれば、敵であるゴアが狙う宇宙の創世の神秘「ボルテックス」なる代物は、神の側面よりも宇宙創成の神秘といったSF的なアイデアの賜物であると思われる。事実あまりにも宇宙に突出しすぎたきらいのある演出は、「STAR WARS」以来のSFブームの影響をモロに受けているし、それにより地球では無類の強さを発揮できるサイボーグたちの活躍の場面を減らしてまで、一体何を見せたかったのだろうと思わないでもない作品だ。

 平ゼロでは前述の通り、最終シークエンスにおいて「Conclusion God’s War」の序章部分をアニメ化しているが、ミュートス・サイボーグ編もまた原作にほぼ近い形でアニメ化されている。部分的に幻に終わった新ゼロのミュートス・サイボーグ編のために石ノ森が書き残したラフスケッチを元にしたキャラクターが存在するが、物語はあくまで原作に準拠している。

 すでに1度記事にしているので、詳しくはそちらをご覧いただきたいが、映像作品としては2012年に神山健治監督とプロダクションIGによる「009RE:CYBORG」がある。先にも書いた通り、本作では神山氏の師匠にあたる押井守氏の影響を多分に受けながらも、「天使」や「神」といった存在に果敢に挑戦したのだが、物語の帰結としてあくまで神とは人間に試練を与える存在であり、その試練は人間の力で必ず乗り越えることができる試練である、という説明がなされている。人類が受ける様々な試練は神の御業であるが、その試練は必ず乗り越えられるという、幾度目かの震災に直面した日本人や9.11の悲劇を胸に刻んだ人々へのエールのようにも聞こえるが、それはあまりに人間に都合がよすぎるのだ。

 小説として、漫画として執筆された「Conclusion God’s War」。筆者が初めてこれを目にした時、これが、私がこれまで追い求めてきた「サイボーグ009」の完結編だろうか?という思いがした。強大無比な神の力に徹底対抗するために再改造を余儀なくされた009たちは、新たな能力と引き換えにサイボーグ然とした醜い姿をさらすことになる。だが神と名乗る彼らの敵は容赦ない攻撃でサイボーグたちを追いつめていく。次第に減っていく仲間たち。残された009と003。そしてすべてを理解した001のよって語られたすべては、あまりにもむごい宇宙や世界の成り立ちであり、神によって追い込まれた人類の、罪人としての立場だった。そして決意した009がとった行動によってすべては無に帰すというラストだった。
 たしかに壮大であるし、宇宙創成や世界中に点在する遺跡や神話・伝説、そして人間に内在する善悪や人間の仕掛けられた寿命などといった事柄にまで説明をつけようとした、故・石ノ森章太郎氏の想像力は果てしない。だがそれゆえに009たちキャラクターを追いつめるだけ追いつめ、しかも神との戦いに身を投じても得るところが何もないというのは、なんともファンとしては切ないことこの上ない。こんな悲惨なラストなら読まない方がよかったと思っているファンもいることだろう。まこと、知らなくてもいい真実というのはあるものだと心から思う。いや石ノ森章太郎ともあろう漫画家が、ファンの心の機微に気づかないはずがない。だとしたら、石ノ森が生前本作の真筆が実行の移されなかった最大の理由は、この物語がファンには受け入れがたいものであると知っていたからではないだろうか。もちろん憶測の域は超えない話ではあるが、なんとなくそう思う。

 現在公開中の「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」。神と思しき力と寿命を持つ超人類ブレスドに対し戦いを挑む00ナンバーサイボーグたちは、人間であることとサイボーグであることの二面性に自分自身で突っ込むことになる。果たしてどのような結論をもって、世界にあだなすブレスドに戦いを挑むのか? サイボーグたちの戦いはまだ終わらない。
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