最近見た映画の話とか~ドクター・ストレンジ、戦隊など~

<ドクター・ストレンジ~裏切っていたのは誰か?~>
 四の五の前フリで言い訳していても始まらないので、さくっと最近見た映画の話をしておこうと思う。1本ごと書くことも考えましたが、なんとなくそれほどのボリュームでもない気がして。
 例によってマーベルのアメコミ作品の実写化作品、マーベル・シネマティック・ユニバースに連なる1作。自信過剰とも思えるオペの技術を持つ男性外科医・ストレンジが、自ら招いた事故によって右手の自由を失ってしまう。彼が復帰を願って探し当てたのはカトマンズの修行場における修行だった。その修行の中で自身の役割を知ったストレンジは、この世界を守る目的を持って魔術師となる。指導者エンシェント・ワンの死と導きによって、闇の魔術に魅入られたかつての弟子・カエシリウスの悪行を止めるため、仲間のウォンやモルドとともに、ドクター・ストレンジは時間も空間も越えた未知の領域での戦いを強いられる。

 筆者はアメリカドラマ「SHRLOCK」も好きだったが、映画「スタートレック イントゥダークネス」におけるカーン役のベネディクト・カンバーバッチが大好きで、このドクター・ストレンジにも大いに期待していたし、その期待は圧倒的ですらある不可思議な映像体験によって報われたと思っている。その意味では大変面白い作品だった。なんとなくマーベルのアメコミにそぐわなさそうな「魔術」というターム、不可思議な魅力をたたえるエンシェント・ワンの存在、そして彼女からストレンジが与えられる霊的体験の数々を見ると、ヒーローを形作る絶対条件に制限がない貪欲さを感じる。それはヒーローというよりコミックスの限界のなさに等しい。でもこれが「オールウェイズ」や「ゴースト」になるとお涙ちょうだいになるし、「大霊界」になると小馬鹿にされる。映画とはまことに難しいw

 本作における事件のラスト、エイシェント・ワンの教えに従い、世界を守る戦いに身を投じる決意をするストレンジとウォンと袂を分かつモルド。このモルドの心変わりに筆者は注目してみたい。物語の序盤から登場し、兄弟子としてストレンジを鍛えるモルドは、物語上ではエイシェント・ワンにかなり近い存在としてふるまっていた。エイシェント・ワンがストレンジを見込み、魔術を指導する過程で、彼は一体何を思っていただろう。エイシェント・ワンの側近でありながら、彼女の若さを保つ秘密を知らずにいたが、事件の過程で知ってしまうことを理由に、モルドはストレンジたちと袂を分かつことを口にする。

 モルドの内面に少なからずストレンジに対する嫉妬があったことは疑いえない。例えこれまでの修行の日々によって感情をコントロールできていても、そういった感情は内側で止められはしないだろう。もちろんストレンジに敵対するとは限らないが、エイシェント・ワンが秘匿していた闇の魔術の力を私的な理由で利用すること自体に、裏切られたと感じたのも嘘ではないだろう。もっともエイシェント・ワンにも言い分があるだろうことも承知しているだろうモルドは、高潔な人物ではあるのだ。その感情の発露として、彼が今後どのようにストレンジに絡んでくるのかは、続編への楽しみとしておきたい。だがこんな言葉もある。「その人のどこまでを信じて、どこからは信じないというのは、最初からその人を信じてはいないのだ」と。正しくはないが確か山本周五郎の小説の一節だったか。この言葉の要諦は、人を信じるなら際限なく信じる必要があるということだ。モルドが全幅の信頼を寄せていたエイシェント・ワンは、はたしてモルドにも同じような信頼を寄せていたであろうか?秘密の隠し事があったにせよ、二人の間にあったのは信頼であったと信じていたのは、モルドだけではないか。その真実に気づいたモルドはストレンジへの協力を拒む。だがそれはあまりに愚直にすぎないか? 信頼を契約と置き換えれば、契約書の条項によって、契約の範囲が示される。これは「ここまでは信じて、ここからは信じない」と明言していることとを同義だ。人間関係の理想としての山本周五郎の言葉ではあるが、自分の身を守る、あるいは自身の役目の範囲を知らしめるために、信頼の範囲を全方位に取らないやり方は、複雑で危険に満ちた現代社会においては、必要な措置なのだ。モルドは悪くない。ただ頑ななだけなのだ。それが分っているから、ストレンジは仲間であると信じたモルドの後姿を見送ることしかできないのである。

 さて、映画のスタッフロールも終わった後、ざっくばらんの会話する魔術師ストレンジと、神の国の人ソー。二人の会話からロキの存在がまだまだ危険であることを知り、これからの世界を守るために現状を知ろうとするストレンジの姿で終幕する。こうしてストレンジがマーベル・シネマティック・ユニバースへの導入はすんだ。

<ジュウオウジャーVSニンニンジャー~気づけよ!~>
 実は両TV作品ともあまり真剣に見ていなくて、キャラクターを把握して設定が抑えられる範囲しか見ていないので、まじめに語るのもなんだかなぁ~と思うので、単純に娯楽作品として楽しかったとだけは言っておこう。
 最初っから何かの理由でジュウオウジャーとニンニンジャーが相打ちになって果てるところからスタートし、何者かの悪意によって戦わせられてる雰囲気がプンプンしてくる。案の定、可愛い系のポケモンもどきが登場し、ニンニンジャー側に取り入って、ジュウオウジャーを倒せという。行きがかり上戦う羽目になったジュウオウジャーだが、彼らとしては先輩戦隊に戦いを挑まれる理由がない。それを救いに来たのが未来のアカニンジャーの息子と名乗る少年だ。彼は2大戦隊が相打ちになるのを止めるために、時間をさかのぼる忍術によってやってきたのだという。だが2大戦隊の対決の時は来た。ポケモンもどきはデスガリアンの手先であり、その可愛さでだまし、ヒーローを排除する「ヒーロー始末人」だったのだ。互いに6人目の戦士を人質として戦い合う2大戦隊。アカニンジャーとジュウオウレッドは少年とそれを止めようとするが……。

 んで、結局はおかしいと気づいたニンニンジャーによって裏工作が行われ、ポケモンもどきの企みは見破られ、互いに協力して巨大な敵を打倒する、と。3世代によるアカニンジャーのそろい踏みといい、アカニンジャーの息子の存在といい、その息子が時代をさかのぼってくるはなしといい、無理な設定の数々をニンニンジャー側に徹底的に押し付けてくる設定の数々に笑うのを超えて失笑するしかない。バドさんはチョイ見せだし、キュウレンジャーの顔見世興行だし、嶋大輔は顔出しナシだし。文句がないというより、文句しかない。いや、もうここまでくるとツッコミどころがあまりにありすぎて、突っ込んだヤツの負けな気がしてくる。だいたい、この話で2大戦隊が消滅したら、アカニンジャーの息子を名乗る少年は、同じタイムラインには存在できない。それがいるのであるから、それだけでも2大戦隊の相打ちなんてありえないことになるのだが、もう突っ込んだら負けw まあ、そんなことどうでもよくなるようなお祭りムービーってことで。

<フラッシュ・ゴードン~素敵なスペオペw~>
 以前、「惑星大戦争」と「宇宙からのメッセージ」の2作品を取り上げた記事にコメントをいただいた。その内容が、SFよりはスペースオペラよりの作品で話をしすぎたせいで、本質的なSF作品を失念していたために、論調に違和感を覚えたという内容のコメントで、あまりに真摯で辛辣で、しかも至極真っ当なツッコミをいただき、足腰にくるほどのダメージを覚えた。筆者としては反論の余地はないのだが、「スーパーマン」のようなアメコミヒーローしかり、上記2作品しかり、質素堅実で手堅いSF作品よりも、スペオペ的派手さを歓迎して迎え入れたムードの中では、SF=スペオペ的な風潮が、あの時代に確かにあったことは、「STAR WARS」のムーブメントとともに記憶していてほしいと思ったことは確かなのだ。まあガチのSFファンには苦々しい時代の話だろうが、日本では寺沢武一氏の「コブラ」やその劇場版とTVシリーズが気を吐いていたことを忘れたくないと思うのだ。そんな中で劇場公開された「フラッシュ・ゴードン」(1980)もそんなSF=スペオペな風潮の中で劇場公開された作品である。

 「フラッシュ・ゴードン」は1934年から新聞連載されていたコミック・ストリップ作品で人気を博し、30年代には劇場用作品が公開されている。「STAR WARS」製作以前のジョージ・ルーカスは、この作品のリメイクを検討していたが版権の問題で実現化せず、その結果として「STAR WARS」の製作に踏み切ったという話がある。
 物語は惑星モンゴを支配する悪の皇帝ミンが地球に目をつけるところから始まる。天変地異に見舞われた地球は、10日以内に月と衝突する運命にあった。学会を追われた学者・ザーコフ博士は自ら設計したロケットでミン皇帝との和平交渉に赴こうとするが、折よく居合わせた人気アメフト選手であるフラッシュ・ゴードンとディルと一緒に惑星モンゴへと旅立つ。だがそこでゴードンたちが見たものは、ミン皇帝による圧制の敷かれた世界、いくつもの部族を支配し、常にその忠誠を示させることによって、帝国内の安定が保たれているという、奇形の世界だった。悪逆非道なミン皇帝はディルを見初めて花嫁に向かえようとし、邪魔となるゴードンの処刑を行うが、ミンの娘オーラ姫によって助け出される。帝国を逃れたゴードンは他の部族との命を懸けた交流の中で結託し、ついにはミン皇帝に反旗をひるがえす決意をする。そしてミン皇帝とディルの結婚式が行われる中、ディルを助け出すために皇帝軍を敵に回して大活躍するフラッシュ・ゴードン。果たしてディルは、地球は救えるのか?

 この作品を見ていると、ものすごくわかりやすい冒険活劇を見せられている気になって、とても愉快だった。序盤からゴードンの乗った飛行機が天変地異に見舞われ、開始10分で危機に見舞われる主人公。ザーコフ博士のロケットで惑星モンゴに旅立っても危機の連続。一度は一気呵成にミンの手下をなぎ倒すゴードンだが、一転してガスによる処刑で殺されてみたり、救われたと思ったら逃げ延びた先の部族に決闘を挑まれたり、そこを逃げ出しても似たり寄ったりと、息つく暇もなく危機また危機の連続なのだ。なんでだろ?と考えてみるに、これってそもそも新聞連載のコミックなので、毎回の「引き」が次回への期待を煽る作りになっているからだと気が付いた。今では週刊連載の漫画はこの「引き」次第で作品の良しあしが出るほどの重要事項。「ドラゴンボール」なんて今読んでも「引き」の良さが際立つ印象があるので、通底するところはあるだろう。隔週や月刊マンガの読み応えとは別種の、週刊連載のよさなのだ。

 この作品で一番有名なのは主題歌として使用されている「♪フラッシュ! アーアー」のクイーンの曲だろう。劇中で思いっきり聞けるかといえばそれほどでもなく、場面転換のブリッジ的に使われたり、果敢に戦いを挑むゴードンのテーマ的に使われるが、あまり長くは使われないので、物足りないと思う貴兄は、ぜひともクイーンのアルバムを敵入れて聞くべきだろう。筆者も今探している、ブックオフでw

 んで、最初の話に戻るけど、こうしたスペオペが時代の寵児であったことは否めない事実なのだ。この作品だってそも1930年代にあった劇場版のリメイクでありながら、監督は「STAR WARS」を追い越せ追い抜けをスローガンとして製作された逸話が残っている。実際本編の特撮シーンの一部は、「STAR WARS」を手掛けたILMが担当している。みな「STAR WARS」で当てた山を見ながら、別の山を掘り当てたい一心で作っていることは本当の話なのだ。極彩色の皇帝ミンとその大広間、今ではレトロに見える宇宙船の形状、そこに流れる得も言われぬエロティシズム。原作である新聞マンガを忠実に再現し、その先にまた「宇宙からのメッセージ」や「惑星大戦争」があって、さらに先に「STAR WARS」という作品がある。良し悪しではなく目指すべき到達点としての「STAR WARS」が70年代末から80年代初頭のSF映画を牽引していたのは嘘でもなんでもないのだ。そうでなければガチのSF作品「未知との遭遇」やスプラッター寄りのSF「エイリアン」、大風呂敷の典型「さよならジュピター」、ファンタジー寄りの「ET」など、続くSF作品が作られようもない。SF映画が三流作品ではなく、商売になりうるコンテンツへの成長を遂げた礎に、この時期のスぺオペ作品は寄与しているといっても過言ではないとおもうのだ。

なお、モンゴの一部族の王子バリン役で、後に007シリーズのジェームズ・ボンド役を演じるティモシー・ダルトンが演じている点は、筆者のお気に入りの点でもある。

<シビル・ウォー、その映画と原作>
 日本で売られているアメコミ原作は、もう少し安くならないだろうか。1冊3000円を超えるものもザラにある。お小遣い制の筆者にとっては、実に懐痛い話だ。ましてや古本でもめったにお目にかからない。アメコミ好きは手放さないんだよねって、よくわかる。「X-MEN」の2000年の映画の時もそうだったけど、なんとか読みたいと思って買っても、その独特のアメコミ文化に気おされて、なかなか読み進められなかったりする。それでもどうしても気になるし、読んでみたいという気持ちが盛り上がってきたので、「シビル・ウォー」を買って読んでみた。

 最近発売された「pen+」では「マーベル最新案内。」として映画やコミックスなどの紹介をしている記事の特集であった。これによれば、近年のマーベルコミックの物語は、2006年に発表された「シビル・ウォー」が大きな転換点になっており、アメリカでは子供向けのコミックスという風潮を払拭するほどの話題性をもたらしたというのだ。とある未熟で若いヒーローたちの起こした事件によって、超人たちを国の管理下に置く方が良いという風緒に従い、超人登録法が施行される中、超人の行動を国に支配されるべきではないとするキャプテン・アメリカを中心とする反体制派と、登録法に賛成の立場をとるアイアンマンを中心とする恭順派が互いに鎬を削るというのが、物語の骨子だ。

 コミックスを読めば、その膨大な量のヒーローやヴィランが登場し、その絵からの情報すら受け付け切らないまま、物語は小競り合いを続けてきた両派がついに最終的に激突するまでを一気に読ませるのは見事だ。もちろんこれを踏まえて、劇場版「シビル・ウォー」では人数も制限された中で戦いを繰り広げている様は、物量的に物足りなさはあっても、それでも見ごたえがあった。ところがこの内戦の末路は、コミックスと映画とでは趣が異なるのである。

 コミックスでは内戦によって出た被害のあまりの大きさに、自らの戦いの意義を喪失したキャプテン・アメリカが、マスクを脱いで投降し、内戦は終結する。アメリカを代表する、自由を象徴するキャプテン・アメリカがマスクを脱いで人間スティーブ・ロジャースとして投降する姿は、日本人の筆者でもインパクトは大きく、その余韻はじんわりとボディブローのように効いてくる。その後の物語では、キャプテンの宿敵レッドスカルの陰謀によって、裁判に向かうところで射殺されてしまい、キャプテンは帰らぬ人となるという驚きの結末を迎えている。
 一方劇場版では、単なるイデオロギー上の対立だけでなく、アイアンマンことトニー・スタークの秘密主義的な行動に懐疑心を持ち始めたこと、前段の「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」が大きく影を落としている。それだけではなく、「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」におけるかつての相棒バッキーを助けたいキャプテンと、ウィンター・ソルジャーを信じきれないトニーらの立場、さらにはトニーの父親の死の秘密を知っていたキャプテンへのトニーの不信感など、大きな枠組みであるイデオロギー的対立以外の心理的心象的な事象も加味されて、大枠の戦いよりも個人の気持ちの整理に落としどころがないことを示して物語は終わってしまう。

 「pen+」ではコミックスの「シビル・ウォー」が、当時の大統領選挙の派閥闘争の影響を示唆しているが、筆者には社会問題よりもむしろ二者択一を迫られた人間が、迷いの中で答えを出していく心の葛藤のメタファーではないかと考えている。考えても考えても答えに至らず、結局は二者択一の中で、どちらかの答えとそれにまつわる理屈付けにすがってしまう人間の弱さこそが、「シビル・ウォー」の本質じゃないかと思うのだ。逆に劇場版ではその闘争の根本が、あまりにも不仲や不和の中で起こっており、超人登録法の是非がどこか後退してしまっているあたりが、また別の意図を感じるし、前述のように落としどころのない気持ちの整理を巡って、どうやっても答えが出せないでいる、人間だれしもが抱えるジレンマだという気がしてならない。その意味では登場するヒーローたちは視野が狭い。超人登録法に恭順しながら、改変を加えていくという方法論とか、考えないのかしら?

 もう一つコミックス版で気になるのは、超人登録法に恭順することとアイアンマン側につくことは全くの同義なのに、登録法に反対することとキャプテン・アメリカ側につくことには大きな違いがあることだ。それが如実に表れているのは、両陣営が最後の対決に踏み切る直前で、味方であるはずのパニッシャーをキャプテンが殴りつけるシーンだ。両陣営にはそれぞれが送り込んだスパイがいたし、より強硬に恭順派を攻撃する強硬派もいたが、キャプテンはそれを抑え込んでなお、最後の対決にのみ執着していたし、できれば激突は避けたい事態だったに違いない。だが強硬派はキャプテンのコントロールを跳ね除けて小競り合いをするし、キャプテン側は一枚岩ではないことが示されている。登録法に反対するとはいっても、反対する理由はそれぞれだから、パニッシャーのようなものでも仲間にできたのだろうが、そんなパニッシャーをキャプテンは殴りつける。このあたりのチーム内不協和音は、キャプテン率いる反対派の負けを予感させるに十分な事情だったろう。

 筆者はまったくのアメコミ初心者であるから、コミックスを読んでも読み込みが甘いのは自覚している。けれどマーベルがヒーロー映画を量産し、DCもまたそれに匹敵する映画を送り出し続けるなら、できる限り原典となるコミックスにも触れておきたい。実はテレビ東京系列で放送中の「アベンジャーズ・アッセンッブル」もちゃんと見ておきたかったが、録画環境の不具合でそうもいかなくなり、アメコミのアニメにも機会があれば触れたいとは思っているのだが、なかなかうまくいかない。とにかく少ないお小遣いをやりくりして、コミックスを読んでいこうと思う。
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コメント

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ご無沙汰してます

戦隊VS映画はいまいちでしたか…(見に行って無いけど)
戦隊好きを公言してたまにまにさんが仰るのだから、かなりの出来だったんでしょうね…

(映画は見てないけど)ジュウオウジャーは面白かったと思ったけど…
ニンニンとゴースト、エグゼイドがいまいち燃えなかったから良く感じただけかも知れないんですけどね。

お久しぶりです

ちんたらさま
 コメントありがとうございます。
 戦隊フリークの私ではあっても、あかんもんはあかんといいますし、ここ数年あまり乗れてないんですよね、戦隊w トッキュウジャー以降、ほけーと見ていてもなぜか「はあ?(イラッ)」とすることがままあって、それを言葉で表現するのをためらう感じなので、当ブログでも扱いきれないんですよ。

 映画の方に話を戻しますが、最初っから戦隊同士がロストコミュニケーションなのは、ゴーカイジャー以降ではもはや物語を構成しにくいんじゃないかと思うんですよ。VSシリーズって、戦隊の長い歴史を新戦隊側が思い知る形をとることで、連綿と受け継がれてきた正義を再確認する場になってるんですが、それを堂々と繰り返してしまうことに、見ているこちらすらためらいを覚えるのに、作り手が無自覚すぎるんですよ。対象年齢幅が狭く、出入りの激しい戦隊ですから、このあたりは故意に繰り返しを避けずにやってるんだろうなとは思いますけどね。

 私にとってVSシリーズの傑作は「カーレンジャーVSメガレンジャー」なんですけど、最初こそいがみ合いますが、ラストバトルにおいて、大人であるカーレンジャーが高校生であるメガレンジャーを完全に立てているんですよ。この関係性と継続性の完成度が高い作品を見ちゃうと、事情の大半をニンニンジャーに預けきってる時点で、本作はバランスを欠いた作品だといわざるを得ません。

 けどですね、ここからが大事なんですが、このVSシリーズは、お祭りでもあるんですよw 私にとってはこのお祭り気分には水を差したくないんです。んで、この作品で1記事とせず、なんとなく複数記事に紛れ込ませてるって次第です。 

 長々とごめんなさいwww

たしかに・・・

仰られるの、わかります。

トッキューはふんわりぼんやりしてるし、ニンニンは天晴の勢いのみで突っ切ったイメージだし・・・
ジュウオウはぶっちゃけアムちゃん見たさなのが強かったようなww(照れ)

同じ内容のモノを形を変えて連綿と紡いで行く事は、過去の作品がライバルになり、それを越えて行かないといけない。
積み重ねが多くなればなる程ハードルも高くなって行くんですよね。

恒例とはいえ、リアルタイムで見てるお子様方には夢の共演。大事な祭です。
(大人も)みんな楽しめる、見て良かったと思える作品を作って頂きたいものです。

紛れ込ませてあるのをほじくり返して長々とすみません。

アム、よかったですよねw

ちんたらさま

 お返事ありがとうございます。
 いやあの、アム、よかったっすよねw
 劇中、終盤あたりのアムが、自分自身も問題ごとを抱えながら、それでもまわりに気を使ってる。特にイーグルくんあたりに、お父さんのことで気を使ってるのを見ていると、こういうささやかな気遣いのできるメンツが他にいないもので、ついこの娘の優しさにホロリとさせられてりしてw

 昔の戦隊は、サンバルカンとデンジマンの悪役の一部継続があったり、「ゴレンジャーvsジャッカー」があったぐらいで、明確な継続性はなかったはずなんです。1作ごとに毎度リセット。私の記憶が正しければ、ターボレンジャーで初めて前戦隊が登場するシーンがあり、VSシリーズやアカレッド、そして「ゴーカイジャー」で継続が明確化しましたが、作り手の想いは、たぶん今も毎年リセットなんだとは思うんです。ところが毎年見ていると、作り手が思うほどリセットになっていないことも多くて、VSシリーズはかえってそれが露呈しちゃうんですよねw

 お祭りと割り切る分にはいいんですけど、わだかまりもまた強く残るというアンビバレンツ。戦隊フリークって、40歳半ば過ぎてもまだ続けるには、ハードルが高いのかもしれませんw

目線かな・・・

アムちゃんの気遣い、ツボを押さえてて良かったです!!
それでもアムちゃん、腹黒いんですけどね~
その二面性がまた、魅力だったりして(ニヤリ)


って言うような目線で見れるのも戦隊・ライダーフリークの大きなお友達(笑)ならではなんでは?


その目線を作り手が意識した、私達世代のハードルを飛び越える傑作に出会える事を信じて見続けます!!


ダラダラ長々すみません
m(_ _)m

まったく同感

ちんたらさま

 ええ、まったくの同感です。今後も生暖かく見守っていきますよw
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
43歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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