劇場版「超人ロック~魔女の世紀~」~SF漫画の雄として~

 過日当ブログでも取り上げた映画「メッセンジャー」を見て以来、10年ぶりかというほどのSFブームが、筆者の中にだけ来ている。この筆者の脳内ブーム(マイブームとは決して言わない)は、いくつかの潮流があり、その中でもレンジの長く、なかなか廻ってこないのがSFブームだ。最近はハヤカワや創元社といったSF文庫小説を読みながら、中古で手に入れた「宇宙大作戦」(「スタートレック」、いわゆるTOS)をモニターで流し続けるのが日課になっている。夏はクーラーのひんやり効いた部屋でSFだよね!と、筆者はこの夏のスタイルを決め込んでいる。

このSFブームはなんとなく書店で手に取った「すこしふしぎな小松さん」(大井昌和著 白泉社)なる漫画作品にまでおよぶ。SF小説好きの女子高校生の小松さんの、SFファン的日常を描いた作品で、作品中にいくつも紹介されているSF小説のタイトルを見るだけでも、ひとかたならぬSFファンなら引っ掛かるところがある作品だ。そんな小松さんの日常は、読みたいSF小説のリストを作り、読みふけり、誰も読まない感想をしたためる。かつてのSFファンがだれしも通り抜けてきたあの道を、彼女は当たり前のようにゆっくりと歩んでいるのだ。だから高校生の小松さんは、少ないお小遣いをやりくりしながら、中古書店を巡り、作品集めにいそしんでいる。ところがなんちゃらオフとやらのおかげで、最近の中古市場における価格の高騰は、彼女の財布を直撃し、なかなかお目当ての作品を手に入れることができなかったりする。

 そんな小松さんの1エピソードに、不愛想なおばあさんが経営する個人経営の古書店で、ある作品を目にする小松さん。小松さんが目を止めた作品こそは「超人ロック」。しかも少年画報社発行のヒットコミックス版の12巻だ。小松さん、お目が高い。当たり前のようにSF漫画の傑作を知っているのである。そんな彼女は、今をさかのぼる33年前に、長大な原作から選ばれた1編が劇場用のアニメ作品になっていたのを知っているのだろうか? 筆者はその頃、中学2年生でした。今回はかような適当な理由によって、劇場版「超人ロック」をお送りいたします。

<まずは「超人ロック」ってなーに?>
 「超人ロック」をご存じない方のために、一応筆者なりにまとめておこうと思う。これを読んでいただければ、筆者が考えるこの作品について、確認いただけるだろう。
 「超人ロック」という作品は、漫画家・聖悠紀氏の手による作品。最初に同人誌として発表された「ニンバスと負の世界」に登場する。これが1967年のこと。この同人誌の回覧によって、少しずつではあるが人気を獲得していき、71年に発表された第3作「ジュナンの子」が貸本としてリリースされる。1977年にみのり書房発行の「月刊OUT」にて特集が組まれ、その別冊「ランデブー」誌で連載作「新世界戦隊」を発表。これが初の商業誌展開となる。その後1979年に少年画報社の「少年キング」に連載が開始。これ以降、公に発表されて現在に至る。キングが「KING」と名を変えても連載を続け、廃刊になった後も掲載誌を変えながらも連載は続けられている。その長さはあの長期連載作品の雄「ゴルゴ13」に匹敵する。

 なんでも1979年にパイロットフィルムが作られており、それがアニメ化第1作となるそうだが、さすがにこれは未見なので、手のつけようがない。その後レコードの時代にイメージアルバムやラジオドラマなどで展開し、その人気はいやがうえにも上がっていく中で、ついに劇場用アニメーションとして1984年に発表されたのが、今回扱う「超人ロック~魔女の世紀~」である。なお劇場公開時にはサブタイトルはなく、表記上は「超人ロック」のみであったが、映像ソフトリリース時に他のOVAとの区別のためにサブタイトルが付け加えられている。「魔女の世紀」は、本作の脚本を担当した大和屋竺氏と監督を務めた福富博氏の弁によれば、単独の作品としてよくまとまっているために、映画の原作として選ばれたという。

 時は宇宙歴0301年。作品に付随する年表によれば、それ以前の地球ではハイパードライブ(超空間航法)が完成し、太陽系内の惑星は開発が終了している。そして人類が太陽系外へと進出した記念に、西暦から宇宙歴と改められている。その後、植民星への入植が進む中、各植民星での独立の機運が高まり、各々の星系で独立戦争が勃発する。そうした人類の闘争の中に時折現れる一人の超能力者がいた。名を「超人ロック」。強大な超能力を駆使して、無限ともいえる時間の中を生き抜いてきた男。だが数多の戦いを経て疲れ果てた彼は、名を伏せ、姿を変え、市井の中へと紛れて消えていく。そんな彼の眠りの刻を妨げるものがいる。歴代最年少の28歳で銀河連邦軍情報局長官となったリュウ・ヤマキである。彼はロックの過去を調べ上げ、羊飼いをしている彼の元を訪ね、ヤマキが内偵中の事件の解決に協力要請をするが、ロックにすげなく断られる。だがヤマキの熱意とほんのわずかな心の交流が、凍てついたロックの心を開かせ、ロックはヤマキに協力することになる。

 ヤマキが追っていた事件、それはレディ・カーン率いるカーン財団が目指す「千年王国(ミレニアム)」の実態調査だ。財団とそれが運営する学園を隠れ蓑にして、成し遂げようとする超能力者による王国。ヤマキは内偵を進める過程で幾人もの部下を失ってしまう。そんな折、シャトルの事故を通じてヤマキは一人の少女と知り合う。記憶を失った少女は、便宜上アメリアと名付けられ、ヤマキとアメリアは次第に愛し合うようになる。だがアメリアこそはレディ・カーンがロック暗殺のために放った刺客であり、偽の記憶を植え付けられてロックを憎む、アンチエスパーの力を持つ少女だった。危うく落命しそうになるロックだが、逆にレディ・カーンの居城・アステロイド・カーンの情報を得る。植物状態となったアメリアことジェシカを見て怒りに燃えるヤマキ。ロックはヤマキと共にアステロイド・カーンへと突入する。多くの超能力者の抵抗の中、ついにレディ・カーンの元へとたどり着く二人。レディ・カーンの恐るべき正体を暴き、ロックたちは無事生還できるのか?

<SF的ガジェット満載!>
 本作の美点を洗い出すことは、とりもなおさず漫画「超人ロック」の美点をつまびらかにすることに通じることになる。とはいえ、筆者は最近になって文庫版を全巻買ってきたぐらいで、まだ読み込んでおらず、漫画全編を取り扱うことは不可能なほどの長大な物語であるので、あくまで原作となる「魔女の世紀」編と本作についてのみ扱うことをご了承願いたい。とはいえ、それでも「超人ロック」という作品の片鱗をつかむことは可能だと思うので、本文をご覧になって、もし興味がわいた方がいらしたら、ぜひともこの長大な物語にチャレンジしてほしい。この夏をかけて読み込む価値あるSF作品であることだけは間違いない。

 なんといっても主人公・ロックの八面六臂の大活躍は目を見張る。無限ともいえる寿命やら伝説的なサイキッカーとかの見出しは、この際どうでもよい。実際に動くロックの、アニメーションらしいカット割りによる動きや、超常ではありえない短距離の瞬間移動などのシーン、ロックによる強力なサイコキネシスによって倒れ逝く敵の不可思議な動き、そしてレディ・カーンとのラストバトルにおける光の剣などなどを見ると、特撮ではなくアニメとして「超人ロック」が有効なコンテンツであることを証明してくれていると思える。
 ただし、問題はすでに存在する超能力者を描いたアニメがあることにより、それらとの差別化までには至らなかったところがある。最後の「光の剣」がロックオリジナルの能力の見せ方だとしたら、それ以外の能力に関しては、例えば「バビル二世」(1973)があるし、前年である1983年には「幻魔大戦」という作品があった。接触による電撃を主軸としたバビル二世の攻撃超能力の、その限定的にリアルな描写を別とすれば、前年に見せつけられたオーラをまとうサイオニクス戦士と、物理的間接的な攻撃の数々を見せる「幻魔大戦」の超能力バトルを見た後では、どうしても「超人ロック」のサイキックバトルもステレオタイプに見えてしまう。

 劇中に登場する宇宙戦艦や航空機といったメカニック類は、原作にもあるメカニックのデザインを踏襲している。劇中ではまだ早い段階でのCGによるメカニック類が登場しているが、今の目で見れば多少古臭くは感じるだろうが、やはり1983年に公開された「ゴルゴ13」が先んじて3DCGが部分的に使われており、短期間での技術向上は目を見張る。もちろんこうしたガジェット類の未来感はやはり本作のSF感を強化する一助にはなっている。アステロイド・カーンにしても、原作のデザインを踏襲しつつも新しいデザインが掻き起され、より“らしい”ものとなっている。

 さて、作品「超人ロック」をSFたらしめているのは、上記に示したものだけではない。いやむしろSFらしさを最大限に演出しているのは、表立っては現れない、超人ロックの世界の成り立ちを示す「年表」なのだ。作中ではロックの出自の部分については、ほとんど語られず、ヤマキの調査結果として語られるのみなのだが、この映像のほとんどが、人類が宇宙へと版図を広げてからの闘争の歴史の中でのロックの存在感を示している。例えば年表ありきで物語を紡ぎ続ける「ファイブスター物語」のように、銀河に現れた二人の英雄が胎動する前日譚を示した「銀河英雄伝説」の書き出しのように。ジオン独立戦争を描いた「機動戦士ガンダム」のように、はたまたデロイア独立戦争を描いた「太陽の牙ダグラム」のように、こうした物語のおぜん立てを整えるための前段部分を、架空歴史として描くことで、SF感が増幅されることになる。この年表効果によるSF感の増大こそが、「超人ロック」を最大限にSFたらしめている部分だと思う。

 本作だけを読み込んでいてもわかりづらい部分ではあるが、大河マンガ「超人ロック」という作品世界を俯瞰すれば、年表通りに事が進む一方で、一つの事件が数年後に別の事件へと発展する展開が待ち受けている。例えば小品ではあるが、本作で結ばれたヤマキとジェシカの子供たちは、後に超能力者として覚醒し、ロックと絡むことになる。こうした時間の流れの中に絡むロックとキャラクターたちの因果も、この作品が根強く支持される理由の一つだろう。まあいちげんさんお断りな雰囲気も、あるにはあるけどね。

<キャラクターの甘さはマンガありき>
 漫画「魔女の世紀」は、読んでいてものすごく引き込まれて集中せざるを得ない緊迫感がある。もちろんジェシカとヤマキのラブロマンスやロックとコーネリアの邂逅など、気の緩む瞬間もあるが、それはそれとして割とスキのない緊迫した展開が続き、なかなかに読みごたえがある。この感覚自体が映画にもきちんと持ち込まれており、緊迫した展開は、映画の展開としてもかなり気が抜けない。その意味では間違いなく原作漫画をきちんとトレースしている作品であることがよくわかる作りだ。

 その一方で、ヤマキやジェシカといった物語の展開に深く関わるキャラクターの書き込みが集中し、ロックをはじめとするそれ以外のキャラクターの書き込みが薄いのは否めない。特にレディ・カーンという人物の人となりについて、何より何故千年王国を作ろうという考えに至ったかについては書き込まれておらず、どう考えても片手落ちで残念だ。この遠因に、長きにわたる独立戦争などが関わっていれば、歴史の中での位置づけも明確化されてわかりやすいだろう。同様にコーネリアとロックの、超能力者だけにしかわからない、深い部分での邂逅が付加されたなら、ラストシーンの余韻もまた格別なものになるだろう。特にコーネリアに関しては原作にも台詞量が多いキャラクターでもあるから、そぎ落とすにはもったいなシーンも多々あることは否めない。ちなみに最終決戦前にクローゼットを前に衣装を逡巡するコーネリアのシーンは、原作にはないが、揺れる彼女の心の機微を上手く表現した名シーンだと思う。やれるべきフォローはしてあるのだ。

 実はこうしたキャラクターの詰めの甘さは、漫画原作ありきで作られているからで、そもそもこの作品が、「超人ロック」のファンありきで作られているから、このあたりの詰めの甘さは、そもそもの原作に忠実に作られているからこそ許容されるポイントだといえる。であるから、この点をあげつらって本作の失点だといい立てる理由はない。単独で本作を見た場合には、そうしたツッコミもあるだろうが、原作漫画ありきで考えれば、決してあだなすポイントにはならないだろう。その意味では、本作はファンのための作品だといえるかもしれない。大規模上映のアニメ作品が徐々に鳴りを潜めるころに、ファン向けに作られた「超人ロック」は、後のOVAの隆盛を見越した作品だったのかもしれない。

 それが顕著に表れるのがエピソードの前後入れ替えによる説明順序の再整理だろう。例えば劇場版の冒頭は、あくまで主人公・ロックを紹介する必然があるから、ヤマキがロックを訪ねるシーンからスタートしている。これをマンガの方に目を移せば、時間的に順序が先になる、ジェシカが両親を失い、潜在意識の中でロックを憎むための過去話が最初に来ている。漫画の場合は、最初にこのエピソードを読んだ人が、伏線を理解するタイミングであるから、こうした時間の順序に従う理由付けがはっきりしている。だが超人ロックを知らない人がこのエピソードを劇場で先に見た場合、明らかにロックが悪役に見えてしまう。脚本家がそれを恐れ、なおかつ主人公・超人ロックを強く印象付けるために入れ替えていることは明らかだろう。原作漫画を読めば、こうしたエピソードの入れ替えが逐次行われているが、劇場版となるにあたり、取りこぼしたエピソードもないのには本当に恐れ入る。もちろん多少なりともカットされたシーンや台詞はあるが、エピソードをまるまる落としたようなところはないので、本作が劇場用映画にコンバートするにあたり、実に映画向きであったことが、原作を読めば証明される。

<大河ドラマの欠如>
 さて筆者の思い出の作品でもあるため、どうしてもひいき目で見てしまうので、ここまでほめる言葉が多くなってしまったが、問題点がないわけではない。本作の最大の問題は、大河ドラマとしての「超人ロック」の、もっともSFらしい部分の欠如にある。

 本作を単独で鑑賞した場合にはまったく気にならないのだが、原作漫画を読んでしまっては、どうしても気になってしまう。そもそも「魔女の世紀」という物語は大河マンガ「超人ロック」の1章にすぎない。前述のようにハイパードライブ航法を開発して宇宙に乗り出した人類が、地球という大地を離れて別の惑星へと移住していった未来が物語の舞台であり、「魔女の世紀」に至るまでにいくつものエピソードが存在する。劇中に枕詞のように登場する惑星の名前は、かつて物語上の舞台となった惑星の名前だ。ロンウォールやディナール、マイアといった惑星の名前がそれだ。銀河連邦が設立したものの、各惑星では最初の入植惑星ロンウォールが独立したのを皮切りに、反連邦勢力は地下で活動を活発化。連邦はエスパーを実戦配備するために利用しようとする一方で、一般の人々からは迫害されている。こういう背景があるから、カーン財団率いるレディ・カーンが台頭するし、カーン財団は反連邦組織に肩入れする。ヤマキが劇中で各惑星の叛乱にあせっていた本当に理由は、このあたりのあるのだ。だが、本編を見る限り、ヤマキはジェシカへの想いが最終的なトリガーになっている演出になっており、若いとはいえ銀河連邦のおえらいさんとはちょっと思えない言動になっているのはいただけない。つまりヤマキの行動動機を単純化させることによって、物語の背景にある「超人ロック」のSF的背景をばっさりと落として見せていることになる。それはつまりレディ・カーンの「千年王国計画」に欠ける意気込みや思い入れ、それをつぶす側のロックの想いの部分を、どうしても削り落としてしまうので、その分だけ物語の多層構造が薄味になってしまう。本作を単独作品として見るのであれば、全く問題ないのだが、本作を皮切りに「超人ロック」という物語に触れていくとなると、あ、なるほどね!と合点がいく箇所が散見される。それもまた本作を鑑賞する上の楽しみでもあるのだが。

 さてこの夏の脳内SFブームは、数々の劇場用映画も控えているだけでなく、買い足したSF小説とともに、このたび買った超人ロックの文庫版漫画を、クーラーの効いた部屋で楽しみたいと思う。しかも「超人ロック」の物語はさらに継続し、そこまでフォローするにはさらに時間もお金もかかるだろう。はたしてそこまで脳内SFブームが続いてくれるかは、未知数ですけどね。 また他のロックのOVA作品を、当ブログで扱うかどうかも、保証いたしかねますので。
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波のまにまに☆

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