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映画「ゴジラVSスペースゴジラ」~俺たちのMOGERAが見たい!~

 「平成特撮世代」(中沢健著 洋泉社)を読んでいると、こういう本が書けるライターになってみたかったと、まじまじと思う。いや批判しているわけでも全肯定しているわけでもないのだけれど、少なくとも著者自身の想い出を、記録されている時代的事実を交えてルポルタージュ風に仕上げることで、読み物として成立してしまうことに、素直に嫉妬を覚えたからだ。だからって筆者がこの本が書けるかといえば、到底思えない。本を書く、もちろん同人誌ではなく一般書籍として商売を念頭においてこうした本を書くには、(たとえ企画書を著者本人が持ち込んだりする経緯があったとしても)ライターは出版社から選ばれる理由がある。こうした本を商売にするためには、

1)ライターがその筋で認められた実績を上げている
2)ライター自身が売れている
3)ライターが別の事情で著名である

などの事情が必要だ。1で認められて本を書けるならばこれ以上の喜びはなく、いっそこの1冊でライター人生終わってしまってもいいくらいだろう。だが問題は3で、実のところ送り手も読み手も、ニーズはここに集中するから、所詮辺境ブログの管理人ぐらいでは、同人誌すらも超えることはできないわけだ。「平成特撮世代」の筆者はすべての項目が満たされているので何ら問題はないが、とはいえ帯にある「平成特撮で育った世代によるはじめての本格特撮評論」は、あまりにも言いすぎな気がして、著者でもないのに気が引ける。

 まあそんな筆者の与太話は置いといて、先の本の第3章の後半で、「ゴジラVSスペースゴジラ」の名前がやたらと出てくるのだ。本文によれば、著者はちょうどこのあたりで1作目の1954年の「ゴジラ」を見てしまい、至高のゴジラ作品に触れてしまったが故に、公開前の「VSスペースゴジラ」に言い知れぬ不安を抱いたこと、そして同時期に学校でゴジラの話をする同級生がいなくなりつつあったことを吐露している。つまり過去と現実の両面で発言を封じられてしまいそうになった時期に、この「ゴジラVSスペースゴジラ」に出会っていることになる。40代の特撮ファンなら、いかにも過去に突き当たった、テーゼともいえる命題に踏み込んだ瞬間だったろう。だが著者はそれでも「ゴジラVSスペースゴジラ」を人気作と位置付けており、当時の小中学生にとっては平成ゴジラシリーズが根強い人気があったことがうかがえる内容となっている。それは間違いなく当時のオタクシーンにおける若い特撮ファン、あるいはゴジラファンの評価であって、さらに上の世代に洗礼を受けた筆者世代には導き出せない答えだったろう。筆者は「平成特撮世代」の著者・中沢健氏の文章をうらやましく思うと同時に、平成ゴジラシリーズに対する悪いイメージが払拭される未来を感じた。

<作品概要>
 「ゴジラVSスペースゴジラ」は1994年の年末に劇場公開された作品だ。1998年に劇場公開されたトライスター版「GODZILLA」が、監督交代や脚本の練り直しなどで時間を費やしたために、その期間の穴埋めとして製作された経緯がある。内容的には「ゴジラVSモスラ」の内容を引き継いでいる。「ゴジラ・デイズ」(集英社)に掲載されている冠木新市の記事によれば、1989年の「ゴジラVSビオランテ」以降の作品群が連続ものとしてまとまりを見せているのは、トライスター版の製作に影響を受けた日本側スタッフによって意図的になされたことだという。「平成ゴジラ大全」(双葉社)によれば、それまでの監督と脚本家が変更になっているのは、東宝が肝いりで製作していた映画「ヤマトタケル」にシフトしたためだ。「ヤマトタケル」がTVアニメ作品などとメディアミックス展開をしていた作品だった。筆者はアニメの放送がない地域にいて視聴できず、映画だけを鑑賞した。日本武尊の伝説を大胆にアレンジし、派手な巨大特撮を売りに描き上げた一大叙事詩だったが、興行収入はゴジラシリーズに及ばなかった。いや、けど筆者は割と好きな作品でしたけどね。これもそのうちレビューしようっと。

 前作「VSメカゴジラ」(1993)にて、Gフォースの目玉兵器メカゴジラを撃退したゴジラは、悠々とベビーゴジラをつれて海へと戻っていく。そのベビーがどうなったかというと、バース島でGフォースの監視下に置かれていた。「VSビオランテ」(1989)での大阪におけるゴジラとの戦闘で亡くなった権藤の親友だった結城は、血液凝固弾を手に一人親友の敵討ちのため、ベビーの様子を見に来るゴジラを打倒せんと、バース島で暮らしている。一方Gフォースは2択を迫られていた。メカゴジラの優秀性を引き継いだ対ゴジラ兵器「モゲラ」の実戦配備を急ぐMプロジェクトと、サイキックセンターの三枝未希のテレパシー能力を使ってゴジラを操ろうとするTプロジェクトの2つだ。Tプロジェクト実行のため、新城と佐藤の2人がバース島へ先行する。一方未希を連れて、計画の実行主任となる大久保博士とG対策研究所の権藤千夏が遅れてバース島入りする。バース島にてゴジラやベビーの処遇を巡って衝突する人間たち。それぞれの思惑を超えたところで、事態は急激に展開し始める。ゴジラとの小競り合いの中で、ゴジラに装置を打ち込むことで、ゴジラをコントロールすることに成功する一同。だがはるかかなたの宇宙では巨大な生物が胎動し始めていた。虚空の宇宙より地球めがけて飛来するそれは、白光きらめく結晶に身を包み、その間から生物を想起させる部分をのぞかせ、調査確認のために出動したモゲラを撃退する。権藤の見解によればそれは、ビオランテが崩壊した際に宇宙へ飛散したものか、あるいはモスラによって宇宙に運ばれた可能性のあるゴジラ細胞が、宇宙の神秘によって変質し、怪獣化したもので、それは「スペースゴジラ」と名付けられる。バース島に飛来したスペースゴジラは、ベビーゴジラ拉致する。ゴジラをコントロールしたはずだったが、ベビーを奪われたゴジラのすさまじい怒りは、未希のコントロールを受け付けず、Tプロジェクトはとん挫する。一瞬の静寂が油断を生み、未希が何者かに拉致されてしまう。共にいた新城たちは帰国し、結城の指揮下で未希を救助するが、未希の拉致は、プロジェクトを中止させられた大久保博士の乱心であり、コントロール下においたゴジラによって、日本に経済的打撃を与えようとする外国籍企業の企みであった。その一方で福岡に陣取ったスペースゴジラを相手に、ゴジラが勇躍し、結城たちが操縦したモゲラが参戦。ついにモゲラはゴジラと共闘することで、スペースゴジラとの激しい乱戦を制することができた。

<当時の評価をおさらい>
 近年の平成ゴジラシリーズの高評価を知る人にとっては、本作が公開当時に低評価だったことはあまり想像したくない話かもしれない。「特撮秘宝 vol.4」の特集記事は「平成ゴジラ30年」というタイトルが付けられており、近年の再評価を積極的に後押ししている記事になっているし、何より表紙が格納庫内のモゲラだったりする。また記事内では登場怪獣のランキングも発表されており、4位にスペースゴジラ、9位にモゲラという堂々たる順位を示し、本作の人気ぶりもうかがえる。

 では公開当時、何が本作の評価を低めていたのか? 迷著「回収」(音楽専科社、2000年)に収録されている岡田斗司夫氏の言によれば、「民田直に、僕は地球上のくだらん映画を全て見たけど、スペースゴジラは見れませんでした。負けました。ていうてた」ということらしい。公開当時、筆者は大学生で特撮好きの友人も少なからずいて、一緒に見に行ったし、仲の良かった大学の助教授も毎年お子さんと見に行ったとかで、本作について話をする機会があったが、総じて評価が「いや、まあ、面白かったよw」というものだった。

で、よくよく話を聞くと、何がダメだったかって、やっぱり「スペースゴジラ」の出自の問題が大きい。劇中の説明によれば、宇宙に飛散したゴジラ細胞がブラックホールから入り、ホワイトホールから排出されるにあたり、未知の変化を経験し、誕生した宇宙怪獣」ってなことになっている。この、わけわからんものをわけわからんものの中に突っ込んで取り出したら、なんか妙なものができたっていう、科学では到底説明つかないことを、科学知識もなさそうな女優にしれっといわせてるあたりで、だいたいの人があっけにとられるようだ。この部分が押し切れないあたり、遺伝子怪獣として人間の恐怖に抵触してきた平成ガメラシリーズのギャオスあたりと比べてしまうと、どうしても見劣りがする。そんなわけのわからん奴が、なぜにゴジラを狙って地球に飛来してきたのか? それも造物主への造反という、人間の単純な思考の中で収められている。あんなわけわからん奴なのに?

 また人間ドラマの部分に着目しても、物語と時間的なつなぎ方が雑な上、怨嗟を縁故関係で解消させてしまうキャラクターの出し方の安易さにも問題がある。権藤の友人・結城に権藤の妹と、出すべきタイミングを明らかに間違った人材が物語を動かしているというのは、一つの殺人が別の殺人を引き越す連続殺人事件の連続2時間ドラマを、1年以上の期間を経て放送しているようなもので、感覚的に間延びする。もうそれだけで緊張感がないのだ。いくら権藤のパキパキっとした兵士像の対極にあるような、大人の余裕をかまして言葉少なに活躍する結城を見ていると、キャラクターは面白いし、何より柄本明氏の巧みな演技も相まって、カッコよく見えていいはずなのに、そうした時間感覚が間延びしてやや弛緩した世界観の中では、かなり浮いて見える。では新城たちはどうかといえば、これもまたキビキビとした若手の生きのいい兵士像を見せながら、どこか物語にそぐわない。おそらくは南国風の島という舞台設定にも問題があるだろう。

 もう一つ本作を低評価たらしめている事情は、ゴジラが人類と共闘してしまう点だろう。平成ゴジラシリーズは、徹頭徹尾ゴジラを悪役として規定していたシリーズだったから、たとえベビーゴジラの救出という目的とスペースゴジラ打倒が、人類の目的と部分的に合致していたからとて、共闘する理由がない。そも平成ゴジラシリーズがそれまでの「メカゴジラの逆襲」までの昭和の近作における「子供の味方ゴジラ」を払拭するべくスタートを切ったシリーズだったから、少なからず当時の情報を知っている人であれば、ゴジラとモゲラの共闘部分で首をかしげてしまうことになる。今のお若い人には「はァ?」とか食いつかれそうな話だが、当時のいい年をした特撮フリークにとっては、平成ゴジラシリーズを諸手を挙げて否定することは、ある意味でのステータスで、うるさ型の年輩特撮ファンに従順だった当時の若い特撮ファンにとっては、ある意味で絵踏みみたいな作品群だったのだ。「いいよね、平成ゴジラシリーズ!」なんて高評価は、老舗の特撮雑誌「宇宙船」誌上でもほぼほぼ封殺されてしまっていた時代の話だと思ってくだされ。

<再評価の機運>
 そんなわけで、公開当時の特撮好きからはけっちょんけっちょんだったはずの本作が、なぜに再評価されているのか? もちろん本作だけではなく平成ゴジラシリーズすべての再評価につながるのだが、期待の大きかった1984年「ゴジラ」の低評価を受けて、公開当時あまり興行成績の良くなかった「VSビオランテ」(1989)の再評価がきっかけだった。ビオランテの遺伝子組み合わせ怪獣という設定は、原案を担当した小林晉一郎医師によるものだが、彼に手による素案の応募によって映像化された「帰ってきたウルトラマン」の34話「許されざるいのち」のレオゴンに近い。この34話がいわゆる「11月の傑作群」としてファンからも評価の高い作品であったから、このあたりの関連性の部分は、公開当時でも注目を集めた点だった。その後「VSデストロイア」(1995)にて、いったん幕を閉じた平成ゴジラシリーズではあったが、トライスター版「GODZILLA」の公開による特撮ファンの不評、さらに1999年に公開された「ゴジラ2000ミレニアム」に端を発するいわゆるミレニアムシリーズへのファンの落胆が、平成ゴジラシリーズの評価を押し上げたといってもいい。いやこれ、落ち着いて考えてみるとさ、昭和ゴジラシリーズを見て育った子供たちが、成長して青年になり、平成ゴジラシリーズをささやかなノスタルジーと1954年「ゴジラ」第1作を後ろ盾にして小馬鹿にしたことと、子供のころに平成ゴジラシリーズをみて育った子供が青年期を迎えて、ミレニアムシリーズを小馬鹿にしたことは、まったくの相似形であり、時間の流れとモラルの変化がもたらす皮肉だといっていい。人は所詮繰り返す生き物であることを証明する話だと思って、聞き流しておくんなさい。

 ところがここでちょいと面白いことが起こる。
 まず一つは平成ガメラシリーズのスタートだ。かつて子供たちの無条件な味方だったガメラをとらえ直し、敵対戦怪獣を遺伝子の化け物とした上で、霊的な存在として地球の守護者となったガメラの扱いと、新世代と旧世代の特撮技術の融合によって、かつてよりも迫力ある映像を作って見せた「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995)が、その後の特撮シーンに大きな影響を及ぼしていく。また「ウルトラマンティガ」(1996)によるウルトラマンシリーズの復活、そして2000年の「仮面ライダークウガ」による仮面ライダーシリーズの復活と現在までの継続は、特撮作品シーンを過熱させていく。そんな中で弊映に「とっとこハム太郎」を迎えた2001年に公開された「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総進撃」が、公開当時から特撮ファンによって積極的に評価されていく。折しも平成ガメラシリーズで監督を務めた金子脩介氏だったこともあり、ゴジラの存在そのものを「太平洋戦争で死んでいった兵士たちの魂」と再定義して見せたのである。と同時に、平成ゴジラシリーズの作品群(特に「VSビオランテ」)が積極的に見直される傾向が始まる。歴史は繰り返しただけではあるが、それでもこうした好条件下で見直されることになった平成ゴジラシリーズは果報者といわねばなるまい(戦隊なんかあいかわらず見向きもされねーもんよ)。

<モゲラがいれば、それでよし!>
 さて、ここからは過去の話はおいといて、このたび見直した筆者が「VSスペースゴジラ」を見てどう感じたのかだけを述べておきたい。とはいスペースゴジラの出自に関しては、やっぱり「ブラックホールからホワイトホール」云々の件でだいぶ気がそがれたのは事実だし、キャスト的にも吉川十和子の存在感が浮いて見えるのはご勘弁としか言いようがない。いい悪いではなく、あくまで筆者とそりが合わなかったという意味で。拉致された三枝未希に芽生えた超能力も、なかなかに作品になじんでいない。ささやかなテレパシー少女を、脚本上の都合で超能力者にするのは、未希の魅力を損ねると思うのだ。

 対戦怪獣としてのスペースゴジラは、見た目のはったりがあって素晴らしい。肩関節に巨大な結晶が邪魔してそうで、動きが制限されそうな気がしたが、ゴジラってそもそも肩から上に腕を上げない(特に平成は)ので問題ない。DVDの特典映像にも収録されているように、そもスペースゴジラのデザインはスーパーファミコン版ソフト「超ゴジラ」に登場する、ゴジラの超進化形態である超ゴジラのデザインからとられている。CSフジテレビONEで絶賛放送中の「ゲームセンターCX」でも取り上げられたソフトだ。長くて細いしっぽの先にも結晶があるし、口の横にある牙とか、何のためにあるのかわからないけどカッコイイ。しかも宇宙の果てから自分の根源であるゴジラを倒しに来る律義さとか、ベビーゴジラをいぢめる矮小さとか、無類の強さも含めて、もうセンス・オブ・ワンダーの塊だといっていい。

 さてなんといっても筆者が取り上げたいのは、モゲラである。このモゲラが実にかっこいい。基本的には対ゴジラ用に作られてはいるものの、劇中Tプロジェクトが推進されたため、対スペースゴジラ用にと転用された経緯はあるものの、その姿は前作のメカゴジラを踏襲しながら、運用面ではメカゴジラ&ガルーダの合体機構に目をつけたのか、上半身と下半身の分離合体機構が魅力であるばかりか、合体後のモゲラ自身の強さも際立っており、これの量産の暁には、怪獣軍団なにするものぞといいたくなる。分離合体機構に意味があるかなんて話を聞いてくる奴らには、鉄拳くらわせて、「男のロマン」という言葉をこぶしで語ってあげよう。敵の反撃を、横倒しに倒れた状態からブースーターで水平方向に逃げるシーンの胸アツさは、「ふしぎの海のナディア」のラストシークエンスに登場するレッドノアに追いつめられて逃げるNノーチラスのシーンを挙げて証明して見せよう。両手がマニピュレーターではないから、ゴジラ&スペースゴジラに対し近距離格闘戦は挑みづらいが、突く、薙ぐといった、根本的な打撃には壊れやすいマニュピレーターよりも打突部の面積が広い分だけ破壊力が乗る。何より全兵装のフルバースト状態なら、ゴジラもスペースゴジラも追いつめる。劇中ではスペースゴジラの肩の結晶を破壊しており、スペースゴジラの力を削ぎ、ゴジラの必殺の攻撃への花道を開いている。もうそれだけでいい。

 んで、翻然と悟るのである。モゲラの何がいいって、デザインや設定や動かし方や見せ方もさることながら、ゴジラと共闘している部分に華があり、なおかつゴジラの勝利を導くための布石を打っているという部分が圧倒的にメカ特撮好きをうならせていることに、気が付くのだ。前作メカゴジラが徹頭徹尾ゴジラ打倒を目標として動いておきながら、嫌味な演技の原田大二郎を乗せているあたりや、結局ガルーダによる機動力強化がなければ、一花たりとも咲かせることができなかったのに比べると、モゲラには圧倒的に華がある。そして何よりスーパーXという試金石から、スーパーX2、メカキングギドラからの技術的フィードバックを経て、メカゴジラで運用面を確認して出来上がったという歴史的経緯を持つモゲラこそ、Gフォース史上、いや平成ゴジラシリーズ最強の対戦怪獣であると断言していいだろう。自身の細胞から生まれたビオランテやスペースゴジラ、自身のアンチテーゼから生まれたデストロイアといったゴジラ自身に由来する怪獣をも凌駕する、ゴジラ作品世界の人間の英知の結晶、それこそがモゲラの最大最強の価値であると、筆者は信ずるものである。こんなムネアツのキャラクターが死蔵されていいわけがない。筆者はまだまだモゲラの活躍が見たい。そんな理由で本作を見直すことになるだろう。

 そんなわけで、「ゴジラVSスペースゴジラ」を再レビューした結果、公開当時の感慨も間違ってはいないと思うし、それを曲げるほどには大人になり切れていない筆者なのだが、そうはいってもこれほどまでに魅力的な対戦怪獣に恵まれた作品もないだろう。逆にドラマ部分のむちゃくちゃさを覆い隠して余りある特撮バトルシーンの熱量こそを、筆者は好きになった。これをして平成ゴジラシリーズがすべて素晴らしいなどというつもりはないが、平成シリーズがもつ時間的連続がこれを後押ししていることも見逃せない事実だ。制作側にとっては面倒くさい足かせとも思えた時間的連続が、これほどまでにシリーズを力強く後押ししていることを今更ながら理解した。

以前にも書いたが、「シン・ゴジラ」を見た目で1984年版の「ゴジラ」を見直してみると、ポリティカルフィクションとして踏み込まなかった部分の差異を発見して、ターゲットに見せたいものの取捨選択を見た気がした。もちろんゴジラの昭和のシリーズだって無政府状態ではなく、常に自衛隊が防衛隊と名を変えて登場し、無制限なゴジラ攻撃を律していることは、今も昔も違いはないのだ。だが単品として各作品を真摯に、丹念に見ていくと、映画という概念にとらわれることなく、90分から2時間の時間制限の中でゴジラを主軸に映画を作ってきたシリーズとして俯瞰した上で、見たいものと見せたいものを的確に読み解くだけで、ゴジラシリーズは面白いのだ。筆者はそれほどゴジラシリースには傾倒しておらず、むしろ冷めた目で見ているつもりだったが、おおよそのシリーズを見終えた今、ゴジラファンを名乗ってもいいのかなと思ったり思わなかったり。正直言うと、まだためらいはあるのです。
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コメント

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No title

お疲れ様です!

平成生まれの私としては、やっぱり『VSスペースゴジラ』は人生の中で最初期に触れたゴジラ映画という事もあって、それだけに上の世代の方による本作の酷評、延いては「平成ゴジラVSシリーズ」全体の酷評感に対しては本当に如何ともし難い思いがあります。平成ガメラ上げ、平成ゴジラ下げみたいな風潮も、両シリーズを並行して楽しんだ世代としては感覚として全く分かりません。
いや、それらの理由についても理解はしているんですけどね……(笑)。

『VSスペースゴジラ』は、まぁ、大小含めて粗の多い映画ですよ。
しかしながら、記事内でも仰っているように本作はMOGERAのスーパーロボット性と本来敵同士である筈のゴジラとの共闘という熱さが、この映画の全てなんですね。
スーパーロボットと怪獣の魅力を教えてくれたこの映画は、私の人生の中で一番の映画です!

ありがとうございます!

飛翔掘削さま
 コメントありがとうございます。私も公開当時に劇場で見ましたが、50歳に手が届こうかというこの時期に、こんな感想を抱くなんて、過去に戻って自分を引っぱたきたい気持ちでいっぱいになりまして、記事を仕上げました。もちろん掘削さんがこの作品がお好きなのを以前から知っておりましたのでね。

 いやほんとうに、モゲラがいいし、この際出自の説明をもう少し何とかしてあげたいスぺースゴジラだと思います。シン・ゴジラがゴジラをどう見せるか?だとしたら、VSシリーズはゴジラをどう引き立たせるか?だと思えるふしがあって、そこから昭和までさかのぼると、いろいろ発見があることがわかりました。でもまだゴジラファンを名乗る勇気がないw まだまだですww

No title

どうも、こんばんはです。

平成世代がオタクのメインストリームに上がって来ると同時に、それまで評価の低かったVSスペースゴジラを始めとした平成VSシリーズの評価もまた上がって来ている様子ですが、
最近なにやら水面下で「ゴジラ2000-ミレニアム-」の再評価の機運が高まっている様子。
https://matome.naver.jp/odai/2148996549020206401
http://fukurami.hatenablog.com/entry/2016/09/16/235259

何分、ミレニアムシリーズと言えば、その世代の興味はポケモンを始めとして同時期に仮面ライダーやゾイドの復活が話題になる中で正直、埋もれてしまった印象があります。
・・・かく言う自分もミレニアムの時はゾイドに夢中で、従弟にせがまれてメガギラス見に行ってなかったら多分GMKとかも見に行く気になれなかったくらい、それくらい当時のゴジラ熱は冷めてましたね。
(ついでにその従弟もゴジラにハマりはした物の、所謂ミレニアムシリーズが好きって訳では無かったようで)

ただ、ミレニアムは後年ビデオで視聴して以来、気になる作品ではあったんですよね、
ゴジラに対するアプローチが政府だけでなく民間、それにミレニアンという第三者の視点も得て多段的になっているし、
その中でそれぞれの役割を経て“ゴジラとは何か”という大きなテーマを浮き彫りにしていく展開は他のシリーズには無い独特な雰囲気を醸しているし、
そして、そのテーマ性というのはその後のミレニアムシリーズ全体(あと、シン・ゴジラにも)の味付けに役立っている部分でもありますしね。
それに、フルメタルミサイルやら立ち上がる岩塊やら高層ビルの最上階に陣取るUFOとか、ビジュアルインパクトの高いシーンも豊富で、自分の中じゃシーンで思いだせる箇所が一番多いのがミレニアムです。

とはいえ、ハッキリ言って歴代ゴジラの中でも相当に粗の多い作品でもあるのが困りもので、
例えばスペゴジも設定を盛り込み過ぎているって弱点があるのを、全体の描写を主人公達3人に絞る事で、展開が強引ながらも見易い映画になっているのに、
ミレニアムは設定を盛り込み過ぎな上に、政府、民間、ミレニアン等の描写をそれぞれバラバラの視点で描いちゃってるせいで、それらが一つのテーマでリンクしている事が画面を通して伝わり辛くなっているし、
CGは当時のテレビゲーム以下のレベルで、特撮も全く重量感が無いのにゴジラの足元を映すし、ラストのゴジラとオルガのバトルが迫力不足で全く盛り上がらないし、
何より映画の中で掲げられたテーマに対するアンサーが
「ゴジラは・・・俺達の中に居るんだ!」
って・・・

でも、そんなミレニアムを今から再評価しようって動きがあるのが個人的には非常に興味深いです、
特に、再評価しているのがVSシリーズ世代のような、所謂“ミレニアムシリーズ世代”では無さそうな辺りが。

すべてはオルガ

レバニラさま

 興味深いコメントありがとうございます。ご紹介いただいた記事も拝見しました。いちいち反論してやりたい子供じみた衝動にかられましたが、やめておきます。好きと嫌いは背中合わせだということを証明するようなものでしてw

 ご紹介いただいた記事を読むにつれ、「VSシリーズ」は時系列として一括りで復権を果たしましたが、ミレニアムシリーズは個々の作品単位で復権してきた印象が強く、最初に公開時からメガギラスやGMKが評価されたのを皮切りに、機龍シリーズが復権し、ファイナルウォーズはものすごい別格扱いで、2000ミレニアムだけが取り残された感じがありました。私も「シン・ゴジラ」公開時に84年ゴジラや2000ミレニアムを再見し、その比較対象として名前を挙げたんですが、ポリティカルフィクションとしてのツッコミどころは、2000ミレニアムがとびぬけて空想力が必要で現実感がなく、NPO団体の存在も、それまでのゴジラ被害の積み重ねの演出が希薄なため、説得力に欠けており、映画としてはもっと練り込みようがあった部分をお金の問題か、時間の問題かで切り落としてしまったあたりが、なんとももったいない話で、私としては自宅近くの酒蔵で撮影されていたことだけがトピックとなった映画でしかありませんでした。私自身はもっとゴジラ対政府の在り様で押し込んでよかったのに、オルガなんて飛び道具をねじ込んだせいで、すべてが空中分解した映画だと、いまでも感じており、再評価の機運に乗れない自分がいます。とはいえ「シン・ゴジラ」以降の再評価としては、着眼点は慧眼だったと誇っておこうかとは思いますが、それも大した話ではないなとw
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
50歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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