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映画2題「ブレードランナー2049」と「マイティソー・バトルロイヤル」

 基本的に自分の好きなものにお金を払って見ているわけだから、好きな作品を取り上げて、何が好きか、どこが好きなのか?がこのブログの主題となる。当ブログで取り上げた作品は結果的にほめそやすことになる。だが中にはけなす作品もあって、その場合はお金払って映像ソフトを購入してみているのだから、無問題だよね!と開き直ってもいるわけで、ほめようがけなそうが、その責任は筆者自身にあることは主張しておきたい。少なくてもネットでチラ見しただけの作品を安易に貶めたりしないよう、映像媒体を購入するなり金を払って見た上で、ほめたりけなしたりしていることを、自分自身に課している。だいたいにして悪い事はできないもので、ネットでチラ見しただけの作品を貶めるようなことをツイートしたら、きちんと反論が返ってきて、あわてたてこともあったので、自責の念を込めて、上記のことだけは肝に銘じておきたい。もちろん他人がどうしようがそれはどうでもいい。あくまでも自分ルールであるから、強制力なんかどこにもない。
 最近はTV作品を取り上げる機会も減ってきて、映画ばかりで恐縮だが、今回も2作品見に行ってきたので、ちょっくら書いてみました。お好きな方だけどうぞ。

「ブレードランナー2049」
 昨今のSF界隈がにぎやかで、映画関連雑誌のみならず、ハヤカワのSFマガジンまでがSF映画を取り上げて特集してくれている。SFマガジンを見る限り、「これもSF映画なのか?」と思しき作品まで含まれていて、SF界もずいぶんと裾野が広がったものだと苦笑しながら読んだりしているが、それもこれもこの作品がトリガーになっている。先行作である「ブレードランナー」は日本では1982年に劇場公開された作品だが、ひっそりと公開されひっそりと終わった作品だった。だがSFファンや映画ファンの口コミによりカルト化し、現在でも80年代SF映画の金字塔のように扱われている作品だ。スターウォーズシリーズで一山当てたハリソン・フォード扮する刑事・デッカードが、犯罪予備軍と目される人造人間レプリカントを逮捕する通称ブレードランナーとして、脱走したレプリカントを追いつめる物語だが、作品全体にちりばめられた情報量の多さや、監督リドリー・スコットがこだわりぬいた映像、シド・ミードのデザインしたスピナーなどの先鋭的な造形物などによって他に類を見ない卓抜した映像センスでまとめ上げられた映画作品である。それはもはや映像体験であったが故に、後に多くのフォロワーを生み出す結果となった作品だ。本作は偉大な作品の続編として製作された。

 さてまずは筆者のホンネをさらしておけば、眠かったっす。もちろん筆者の視聴スタイルに問題があるのはさておくとして、決して上げ下げの起伏のある物語運びでは、全然ない。ところどころのちりばめられたバイオレンスシーンはあるし、物語の核となるレプリカントの秘密や本作における主人公・Kの出自に関わる話など、緊張感の走るシーンはいくらでもあるが、その緊張感を弛緩する暇がないほど、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、見ているこちらは休む暇もないほどだ。つい見疲れて、大事な場面を見落とすものかと張り切るから、余計に眠気がさしてくる。やがて映画を見るのが苦痛になるほどの眠気との戦い。この戦いを制して手に入れた本作の感想が、「眠かった」では監督もきっと心晴れないだろうが、まあ本音なので仕方がない。意味ありげに出てくるモノのすべてに意味を持たせて、理由を持たせて画面を構成している映画の、なんと窮屈なことよ。んで、いつしか映画を見る快楽をどこかに忘れ去ってしまう。まあ「2001年宇宙の旅」とかも、こんな感じで見てたけどね。

 ただし、面白くなかったかといえば、そうでもない。前作の何が問題なのかわからない感じのまま物語が進み、なんとなく“ああ”と腑に落ちる感じに比べれば、今回の謎解きから前作の主人公・デッカードのその後にまつわるエピソード、レプリカントに対する人間の圧政や、それでもレプリカントが切り離せないでいる世界の実情などを理解することは、決して難しくないし、その実態とジレンマが解るだけに、人間側よりもレプリカント側に感情移入しやすい作りかなと思わせる。何よりKというブレードランナーでありレプリカントであるキャラクターの構築が、この作品の根幹のすべてといっていいから、Kのありようと思考を正しく追えば、迷うことなく本作を楽しむことに無理はないだろう。

 とはいえ問題を感じないわけじゃない。レプリカントの問題として、前作ではレプリカントの「人権」そのものを扱った話で、レプリカントの叛乱はあくまで過重労働を強いられていた抑圧からの解放と人権の獲得こそが焦点だった。その中で、人間そっくりに作られたレプリカントとオリジナルであるはずの人間の境界線のあいまいさをついたすぐれたSFだったわけだが、今回の争点は人権という、人間が生まれながらにして持っている人権という物ではなく、新型レプリカントが生物種として人間と遜色なく生殖が可能であるという事実の隠ぺいと、それを根拠にした新型レプリカントによる人権の尊重こそが主題となった。そのためにわざわざ旧作のデッカードのその後の物語まで創作し、あの物語の後でデッカードがレプリカント側への協力と逃亡の助力によって行方不明になっており、前作から30年を経て隠遁生活をしていた。もうそれだけで「ブレードランナー2」ができるだけの物語がそこにあるのに、そこをすっぽりと放り投げて30年後の物語を作り上げているのである。この遠まわしな企画、よく通ったなw

 先ほども述べたように、本作の主題は前作の主題である「レプリカントの人権」をどこに求めるか?を思考した結果、生殖能力に求めたという話である。前作ではタイレル社の創造したレプリカントが反乱を起こしたが、本作ではタイレル社はすでに後退し、ウォレス社によって買い取られた。ウォレス社は遺伝子組み換え食物による景気と生産拡大を背景にタイレル社のレプリカント製造技術を利用し、新世代のレプリカントを製作するに至り、またもや旧型レプリカントを狩るブレードランナーが必要となる事態になるわけで、この繰り返しにまったく学習がない。どちらの会社も自身のレプリカントに相当の自信を持っており、人間と見分けがつかないことをことほど左様に主張する。そしてウォレス社の目的は、このまま自社のレプリカントが地球上に広がっていくことなのだ。ただでさえ不健康な状態の人間はやがて駆逐され、ウォレス社の作る食品を作り、さらに消費するレプリカントの群れというマッチポンプ的構造によって半永久的に会社が繁栄することを標榜する。だが現在の世界ではレプリカントが人間の支配下においてのみ生活を保障され、人権はない。その人権を主張するために、ことさら生殖機能まで備わっていることを支えとして、デッカードは30年をくらし、かつて愛したレイチェルの影を慕いながら生きながらえてきた。そして生殖機能ゆえにレプリカントは自分たちの人権を主張し、人間たちの世界に異を唱えるという。

 いや、そんなことをしなくても生命レベルの落ち切った人類は、もはやレプリカントの叛乱に堪えうるだけの体力がない。人類はやがて来るレプリカントが主役の時代を、座して死を待つように眺めるしかなく、いずれウォレス社の示すマッチポンプな時代を迎えるのは時間の問題のデストピアと化した地球なのである。本作で登場する人間側の活動のすべては無駄なのだ。逆説的にとらえれば、本作はすでに終焉を迎える人類が、レプリカントの中にだけ遺伝子情報として残っていくしかない世界で、人間とレプリカントがそれでも共存できないだろう悲観的な未来像を映像化した映画だといえばいいだろうか。そう考えると、すべての謎ときが意味をなくしていく。つまるところ旧作「ブレードランナー」も本作も、人類に明るい未来を見いだせない時代を点描のように克明に活写したSF映画だということになる。そこには問題提起もなく、思わせぶりなブラフと意味のない謎解きのためのフラグがきれいに回収されても、何の明るい未来も見いだせないで終わるデストピア映画であったということになる。とうことは、考えることをやめて、映像美や細かなプロップの数々をオタク的審美眼で楽しむ映画だといったら、この映画を読み解こうとする数多の評論家に怒られるだろうか? だが批評家のスノビズムにまみれさせて、本作や旧作をカルト映画化させてしまうには、エンターテインメントとしてもったいないと思う。少なくとも本作に限っては、旧作を見ている人にとってはくすぐりもあるし、フックとなるシーンも多岐にわたる。だからといって旧作を知識程度に知っておきさえすれば楽しめる映画でもなく、エンターテインメントとしては朗らかさに乏しいこの映画を、どうやってオススメすればいいのか言葉を失う映画でもあるも確かなのだ。ああ、こりゃBD買って何度か見返すだろうな、この映画。

「マイティ・ソー バトルロイヤル」
 えー、まずはこの作品のサブタイトルを「ラグナロク」から「バトルロイヤル」に変更した日本の映画関係者に、「バカたれ」といいたい。
 前作「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」以降のソーのその後の物語。前作後に行方不明になったハルクのなんともびっくりな再登場と、アスガルドに隠された過去、それに起因する悪の生還、ソーの弟・ロキの去就など、前作を見ていなくてもびっくりする仕掛けに満ちており、とにかく見ていて楽しい娯楽作品である。アスガルドの神様であるソーが人間にどれだけなじんでおり、より以上に人類を愛してくれているのかがわかるシーンもあれば、アスガルドも父も弟も家族を分け隔てなく愛し、なによりアスガルドの民を心から愛している人間臭い神様ソーが、ますます好きになる映画であった。
 ソーが好きになる一方で、ハルクについても「アベンジャーズ」以来触れられているのだが、人間体ではなくハルクの状態が長いあたりがポイントだ。人間体であれば高い知能と深い知識で、アイアンマンのトニー・スタークと共にアベンジャーズの頭脳を司るはずの彼が、単なるお山の大将扱いで登場するわ、その地位に甘んじてソーの話に耳を貸さないわ、実に子供じみた一面を披露してくれる。もちろんそのあとで人間体に戻って恥ずかしがったりするシーンも含めての話であれば、そうした二面性もハルクの魅力であるから、いっそ愛おしい。筆者が昔見たTVでの「超人ハルク」はどちらかというと人間たちに迫害されながらも人間たちを助けるエッジに立たされた人であり、能力よりもその姿ゆえに、人間の都合で振り回される気の毒なお話だった気がするが、ハルクの活躍よりも重苦しい迫害される人としての話がしんどくて、じっくり見ていられなかった記憶があった。もちろんそうしたハルクの基本的な設定は押さえておいて、このマーベルにおける映画シリーズの中では、怒りで吹き飛んでしまった理性をどうやって取り戻すかという方法論をブラック・ウィドウに役割を与えている。もはやスカーレット・ヨハンソンに声を当てる米倉涼子に文句を言うつもりもないし、彼女の演技が悪いといい立てるつもりもないが、ハルクの鎮静化が事件の終焉と結びつくパターンは映画「アベンジャーズ」でやってしまっているし、ブラック・ウィドウがいない非常時にはハルク・バスターが登場するパターンも「エイジ・オブ・ウルトロン」でやってしまっている。ましてや「アベンジャーズ」によれば、怒りをコントロールするために常に怒っているというハルクの言葉は実に重い。自分自身で完全にハルクをコントロールしてしまえばキャラクターの魅力が失せてしまうので、今後もハルクはアベンジャーズにとって強力な味方であり、同時に足かせでもあるわけで、これからもハルクの身の処し方に注目していたい。
 それにしてもこれほど頭を使わないでいい作品も貴重である。頭からっぽにして見ることがこの作品の鑑賞ポイントであり、最大の楽しみ方の一つだといえる。こういうの、好きだ。
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波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
50歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
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特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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