女神に涙は似合わない~劇場版「ああっ女神さまっ」~

 このたび漫画「ああっ女神さまっ」が、第33回講談社漫画賞を受賞されたそうだ。また連載開始より20年が経過し、現在20周年のお祝いムードだ。1993年のOVAシリーズから数えても、アニメシリーズだけでもすでに6作品になるシリーズであり、今後もことあるごとにアニメ化される可能性を秘めた作品である。
 2000年10月に松竹洋画系で公開された劇場版も、このシリーズに連なる作品であり、シリーズの監督を務めた合田浩章監督いわく、「女神さまっ」としての集大成として制作された。セル画を使用した劇場用アニメとしては最後の作品であるとされており、美しい女神たちや背景美術はすばらしいし、劇中に登場するバイクやサイドカーについては、凝りに凝った音響を聞かせてくれる。また壮大な音楽に彩られたストーリーは、主人公である螢一とベルダンディの恋愛模様を主軸に、二人を引き裂く謎の人物により、天界と地上を巻き込む大騒動に発展する。そのスケールの大きさは、劇場版にふさわしい出来であったろう。だがこの劇場版、不思議な事にテレビ版よりも人気が薄く、レンタル店でも置いている店が少ない。なんだか影が薄いのだ。なぜだろう?

 導入部に問題があるとは思えない。そもそも原作マンガのファンにむけて作られた作品であるから、螢一やベルダンディのキャラクター紹介については、きれいに省いてくれるのは決してマイナスには働かないだろう。
 自動車部の新入生歓迎コンパで、恵や長谷川に絡まれる螢一に、嫉妬するベルダンディが、ささやかな事件の予兆である。予期せぬ恩師・セレスティンとの再会。駆けつけるウルドが事態の緊迫度を増していく。物語の冒頭でモルガンに救出されたセレスティンは、過去に天界で大罪をおかした人物らしい。ベルダンディに紹介されても螢一は不信感をぬぐえない。ましてや過去の事件はベルダンディの記憶から消されている様子だ。そして突然のセレスティンとのキスで意識を失うベルダンディ。同時にユグドラシルへの介入が始まる。意識を取り戻したベルダンディは、螢一と出会ってからの記憶を失っていた。そしてここから物語は迷走を始めるのだ。
 これ以降の物語の構成要素を整理すると、以下のとおりになる。

・ベルダンディの記憶を取り戻そうとする螢一たちの物語
・モルガンの迷い(サイドカー・レース出場をきっかけとした互いの信頼関係の話)
・ユグドラシルに発生した異常と天界での話(セレスティンのエピソードも含む)

 セレスティンはベルダンディを利用し、その強大な力とユグドラシルにリンクしていることを逆手に取り、地上界と天界の再構成を目論む。そのためにベルダンディからユグドラシルのデータを取得すること、事態を収拾するためにユグドラシルに巨大な力による攻撃を行わせることで、ユグドラシルの3本の根を地上に出現させる。ユグドラシルを支えるエネルギーの力場となったその場所で、セレスティンはエネルギーを解放させようと巨人を暴れさせる。そして最終的なセレスティンの目的は、「裁きの門」などの神の名目で作られた不平等な世界を作り直すことだった。

 事件が発覚してからのシーンは、かなり淡々としており、先の3つの物語が、見事なほどに融合している。しかしながらユグドラシルの異常とベルダンディの異常が、物語としてリンクしてはいても、映像上でのリンクには程遠い。これが物語をわかりにくくしている要因ではなかったろうか。
 またラストの壮大なスペクタクル映像ではあるが、これがどうやって世界の再構築につながるのかが、またわかりにくい。金色の粒子が広がる世界は、ある意味で天界の様相に近いのかもしれないが、さりとて世界の再構築というにはイメージとして伝わりにくい。エヴァンゲリオンにおける人類補完計画の実態と、同種のわかりにくさである。

 原作のマンガでは、数話を用いて1エピソードを消化する体制だ。基本的には小さな事件の発端があり、それが大きなエピソードに展開する。あくまでも一つの事件が時間を追うごとに大きくなっていき、事態の収拾に躍起になっているうちに、さらなる事態の急展開を迎えるという構成になっている。その上で、ベルダンディと螢一の立ち位置はまったくかわらない。ここだけは安心してみていられる部分だ。読者もここを裏切らないと思っているからこそ、螢一たちが出会うさまざまな事件にも、二人(ウルドやスクルドふくめても)で立ち向かうから、どれだけ話がとっぴな展開を見せても、読んでいられるのだ。
 この点を踏まえると、本映画は、(1)螢一とベルダンディの信頼関係、(2)ストーリー構造の単純さの2点をおこたったのだ。それは劇場作品として、螢一にとっての最大の試練を与えたことであるし、同時に「女神さま」の集大成として作られたことが原因だ。
 
 この物語でベルダンディはよく泣く。しかも喜びの涙ではなく、悲しみの涙だ。そして清廉潔白であるはずの彼女の過去に、恩師を失うまいと同属殺し(まあ防御プログラムだけど)までさせてしまった。そういう意味においては、「ああっ女神さまっ」という物語とは、相容れないストーリーをつむいでしまったのである。ここが原作ファンにもそっぽをむかれた原因ではないだろうか? 本当にファンが望んでいたのは、こんなスペクタクル映像ではないのかもしれないし、複雑なストーリーではなかったかもしれない。だとすると原作を上手にテレビサイズに引き伸ばした感があるテレビ版は、ファンの心情に合致する出来だったのだろう。映画ではウルドやスクルドの活躍も見せ場も少ない。特にラストバトルでのスクルドは、完全にお味噌扱いである。こういう非常時に、スクルドは女神の力とは異なるベクトルの能力を発揮する。それはギャグでもあるし、意外なほど事態の核心を付いているのだが、そうした部分もない。「ああっ女神さまっ」の集大成として作られながら、肝心が点が抜けている。まさに「画竜点睛を欠く」とはこういうことだろう。

 セルアニメの最後の砦となった本作である。音楽や音響にこだわりぬき、ストーリーも磨きぬかれた大作らしいスペクタクルにあふれる物語であるにもかかわらず、肝心な点で「女神さま」の本質から外れてしまったというのが、私の本作評である。
 だが、このように映画として、「女神さま」としての構造的な欠陥があったとしても、どうしようもなくこの作品が好きである自分も自覚している。それは世界を超えて愛し合う二人が、どう困難を越えるかという、「冬のソナタ」のようなラブストーリーには、やはり私の胸を突く。それは「ああっ女神さま」という物語が、どのような結末を迎えるかという、核心の部分に抵触している感覚があるからだ。そしてどんな困難も乗り越えるだろう螢一とベルダンディの、二人のつむぐ物語は、きっとハッピーエンドであると信じているからだろう。私はやはりこの作品が好きなのである。
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テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

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