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映画「ヴィナス戦記」~青春の残酷と無残~

 どれだけアニメが好きでも、現在放送中の深夜アニメを全て見ている人もなかないないだろう。先だってTwitter上でも、著名なアニメ制作関係者のツイートで、現在の過剰供給状態を憂いているものがあった。さりとて筆者が子供のころでもまったくご同様で、作品数が限られるアニメ映画にしたところで、そのすべてを見ているわけではない。昨今のような過去作の円盤がそれなりに売れていることを考えれば、そうした過去は、その気になりさえすればリカバーできたりするもので、あとは自身の努力とお金の問題だけになる。

 今年の5月に劇場公開された「機動戦士ガンダム ジ・オリジンIV 誕生 赤い彗星」をもって、安彦良和氏のジ・オリジンシリーズも終焉を迎えた。筆者は友人の誘いのおかげで、全6作を劇場で見ることができた。このシリーズに関しては以前にもブログで書いた通り、漫画作品が先行してあり、それが安彦氏の絵柄によって、アニメ化されたことへの感慨はあっても、単独の映画としてもOVAシリーズとしても、取り立てて特徴のある作品群ではなかったため、当ブログではこれまで取り上げてこなかったのだが、最終作である上記作品についてだけは、物語にきちんと決着がつけてあり、原典である「機動戦士ガンダム」への橋渡しとなる盛り上がりも手伝って、1本の映画として十分見ごたえのある作品となっていた。このことがどれだけ驚きかといえば、安彦氏が監督として劇場公開した作品をみれば一目瞭然である。「クラッシャージョウ」しかり「アリオン」しかり。最低限の映画としての体裁が整ってはいるが、どちらの作品も事態に翻弄されて、なすすべない少年が主人公であり、主人公自身の力によって物語が動くこともない作品であり、主人公は目的を再三見失いながらも、物語はなぜか完遂するという作品なのだ。
 さて安彦氏にはもう1本、劇場用作品の監督をしているのであるが、その作品を筆者はこれまで見たことがなかったので、つい口をつぐんできた。だがつい最近になってその作品を見る僥倖に恵まれた。その作品こそ「ヴィナス戦記」である。

<作品概要>
 「ヴィナス戦記」は学習研究社(学研ですね)のコミックNORA誌に連載された、安彦良和の手による漫画作品。安彦氏にとっては「アリオン」「クルドの星」に続く3作目の漫画作品である。2部構成のこの原作に手を加えて、第1部を作品化したのが1989年に公開された劇場版であり、安彦氏のインタビューによれば、劇場版がそこそこ受けて、それなりの興行収入が入れば続きを作るつもりだったという。ところが結果は惨敗。この作品を持って安彦氏はアニメ業界から手を引いて、専業漫画家に転身することになる。そんな思い出もあって、安彦氏にとっては封印していた作品でもあり、現在は北米版のDVDがあるだけで、国内向けの映像ソフトは発売されていない状況だ。VHSビデオとLDは発売されていたそうですが、さすがに未入手で。

 映画開巻早々、金星に巨大な氷塊が衝突する。この一大カタストロフによって金星には大気が発生し、自転周期が変わり、どういうわけか人類が移住可能な惑星となってしまう。金星への植民が始まって半世紀が経過したところで、金星における2大勢力となっていたイシュタルとアフロディアという2つの自治州が覇権争いに乗り出した。すでに植民が始まって世代が重ねられてきた金星に生きる人々は、そんな一触即発状態にある2大自治州の緊張を知ってか知らずか、若者たちの多くは退廃的な空気感の中で、生きる目的も見いだせずに日々を過ごしていた。そんな若者の一人である主人公ヒロは、ミランダ率いるチームと共に、危険と背中合わせのバイクレースにいそしんでいた。だがそんな日常をぶち壊す事件が巻き起こる。強大な軍事力にモノを言わせて、イシュタル軍がアフロディアに侵攻。先んじてイシュタルの侵攻を察知したアフロディアの政府・軍部の中枢は、守るべき民衆を見捨てて逃亡し、無政府状態となっていた。これを知らない市民はイシュタルの侵攻になすすべもなく蹂躙されていく。地球からやってきた女性新聞記者のスーザン・ソマーズは、金星到着早々に仕入れた情報を元に、このアフロディア侵攻を取材するが、その記事は軍部によってもみ消されてしまう。戒厳令によって外出禁止となった街中を無気力に闊歩するヒロは、侵攻軍によって目の仇にされ、足を怪我してしまうものの、ガールフレンドのマギーに助けられる。マギーたち家族の疎開を耳にして、ヒロは自分たちが真剣に戦っていたバイクレースのサーキットを破壊したイシュタル軍に一泡吹かせるために、武器の横流しをしていたバイクメンテナンスのガリー(元軍人)やチームの仲間たちと共に、イシュタル軍に戦いを挑む。少ない兵力と重機を使って1台の重戦車を機能停止させるも別戦車に敗北。ガリーや仲間の死を目の当りにしながら、ヒロ自身も死を覚悟した瞬間、アフロディアの新兵器である軍用バイクに助けられる。アフロディアから逃亡していた軍部は、イシュタルの重戦車部隊に対抗する準備を進め、バイク部隊「HOUND」を組織して、抵抗活動を続けていた。敵の補給線を絶ち続けることで、アフロディアに駐在する軍の抵抗力を徐々に削ぎ、時を見てアフロディアを取り戻す作戦だという。ヒロたちはHOUNDに拾われた形で参加することになり、訓練まで強制される。だがそんな折、戦闘の中でヒロは仲間を失ってしまう。HOUNDから逃げ出そうとするヒロたちだが、部隊長のカーツはヒロの適性に目をつけて、1つの勝負でヒロ以外のメンバーを開放する条件で、ヒロを部隊にスカウトする。そして来るべき時、補給を絶たれて焦れた駐在軍のトップであるドナーは、アフロディアの空港奪還作戦に自ら陣頭指揮を執って迎撃にあたる。大将首を取らんと襲い掛かるHOUNDのバイク部隊。乱戦に次ぐ乱戦の中、ドナーの乗る重戦車とヒロのバイクが激突する。カタパルトレール上で展開される戦いを制したのはヒロであり、辛くもヒロは生き残る。そしてカーツの計らいによって解放されたヒロは、疎開したマギーに会いに行くためにバイクを走らせる。

<見るべき美点は…>
 当ブログをご覧の方々にとっては、安彦良和監督の作品が当ブログでどのように扱われてきたか、「アリオン」および「クラッシャージョウ」の項目をご覧いただければ一目瞭然である。本作における美点、それはこれまで当ブログで紹介してきた安彦作品同様、まずは美麗なる安彦画が動く、ということに他ならない。作画監督にあたった神村幸子の作画は、「アリオン」同様のクオリティでキャラクターを生かしている。安彦氏といえば、アニメーター時代に動かしたキャラクターは数知れず。例えば代表作の一つである「機動戦士ガンダム」の劇場版での修正作画の正統派の人物描写もそうだが、「ロボっ子ビートン」などのコミカルな動きの味わいは、東京ムービーの「元祖天才バカボン」や「ど根性ガエル」を再放送で見慣れた目には、本当に気持ちがいい。
荒涼たる岩肌がむき出しの金星の荒野は、近未来の街中の情景とのコントラストと相まって、単調な色味ではあるが戦場としては魅力的に映る。劇中実写の映像に軍用バイクが疾走する映像が重ねられるが、この背景映像はアメリカに実在する化石の森国立公園(「水曜どうでしょう」の「アメリカ横断1800km」編に登場しているので、見てみてね!)の映像で、スタッフが実際にロケを行って撮影したものを加工して使用しているとのこと。

そして何よりも見ごたえがあるのは、イシュタルの重戦車アドミラルA-1戦車、通称{タコ}と、アフロディアの一輪軍用バイク「HOUND」の描写である。タコの重々しく地上を這いずるような動きと、キリキリという音が聞こえてきそうなキャタピラーの細かい動き。追従できない車体に対して必死に砲撃を決めようとする砲塔の動きなど、よく見れば実に芸が細かい作画が集中しており、「ガールズ&パンツァー」のスピード感あふれる戦車の疾走感とは異なる重戦車の重々しい動きが楽しめる。一方でHOUNDやレースで使われた一輪バイクの動きは、なんといっても重心が及ぼす車体へのブレをはじめとする作画の細かい芸も堪能できる。SFマガジン2017年12月号に掲載されている「オールタイム・ベストSF映画総解説PART2」には、北米版BDのパッケージと共に本作の解説が収められているが、それによれば、原作とは異なるデザインの戦車とバイクのデザインの対比に妙について言及しており、同時に陸戦の主役・戦車の恐怖感を描き切った点を美点としてあげている。余談ではあるが記事を読むと、本作と同時期に劇場公開された作品に、「機動警察パトレイバー THE MOVIE」や「ガンヘッド」、「ゴジラVSビオランテ」「バットマン」といった作品が並んでいる。まさに玉石混合といった作品群であるし、「パト1」にしたところで当時としては早すぎる「コンピュータウイルス」を扱ったサイバーテロを主題としたり、ゴジラは平成VSシリーズの礎としての基礎固めが落着した時だ。いまさらにして面白い時代だったわけで。

<青春とは無慈悲で残酷な時>
 しかしバイク兵器というのはどうだろう。戦車が地上戦において移動砲台として足を止めても、ゆっくり移動してもほとんどの方位に攻撃できる能力を持っているとすれば、バイクの車体の長軸方向(つまり車体前方向)にのみ攻撃手段を持つことを考えた場合、1対1ではやはりどうにもならないと感じるのは、筆者だけだろうか。もちろんバイクの側は数で押してくるのだから、基本バイクと戦車の一騎打ちなど発生してはならない想定で作られているはずだ。だが物語のカタルシスはそれを具現化してしまう。主人公たるヒロは、カタパルトレールという巨大構造物を味方にして、その破壊に巻き込む方法で重戦車を、敵の御大将ごと葬り去ってしまうのであるから、まことにアニメであるといわざるを得ない。「小を持って大を制す」は日本人の好きなお題目ではあるが、それをやってしまうことはあくまでエンターテインメントに寄り添っているからと、思うしかない。

 先述の通り、本作の不評を受けて安彦氏はアニメ業界から足を洗って専業漫画家になるわけだが、その不評の最大の原因は本人にあるとしか思えないのは、「アリオン」同様である。「日本アニメ史学研究序説」(北野太乙著 八幡書店,1998)には、安彦氏に関する「機動戦士ガンダム」における作画監督としての偉業を紹介するページを設けながら、本作を含む安彦監督作品に関しては欄外にてのみ触れており、「(前略)全共闘運動に関わり大学を中退しているが、その当時の感覚を伝える資料としてならともかく、まっとうな鑑賞作品としてはなりきれていない。」などと、一刀両断である。迷著「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」(佐藤健志著 文芸春秋,1992)においても、漫画およびアニメ「アリオン」を取り上げてその物語的破綻を説明する中で、安彦氏が経験した60年代安保闘争とその失敗による挫折を、傍で傍観しながら実感した人間であり、作家として安彦氏はその挫折と向き合いながら、表現の中でそれをテーマとするしかなかったとしている。文中では押井守監督についても同様であることに言及している。あるいは雑誌「ユリイカ」(9月号第39巻11号)における安彦良和の特集号においても、大杉重男や杉田俊介をはじめとする多くの論者が論じていることでもある。

 劇中で例を挙げていこう。中盤の盛り上がりであるヒロたちのバイクチームが、レース場に居座っているイシュタルの戦車に反撃するシーンにおいて、バイクメンテナンスを担当するジャンク屋のガリーが、軍の武器を横流ししているのを知って、その武器を使って一泡吹かせようかというときにガリーが止めに入るのだが、かつての若かりし日のガリーが足をなくすほどの無茶をした理由を尋ねるヒロに向かって言った言葉は、「力と嘘を見ると腹が立った」というのだ。またムキになって巨大クレーンを使って重戦車を破壊しようとするヒロを止めようとしたガリーは、「生きてりゃ、いつかいいことだってあるんだ!」と叫ぶ。このシチュエーション一つとっても、ガリーに安彦氏が思い入れをして言わせているとしか思えないし、60年代安保闘争の中でヘルメットもかぶらず、闘争自体には参加せずにくすぶっていた安彦氏の願いが台詞に現れている。あるいはヒロの仲間がおくびょうにもライフルを乱射しているのを尻目に、「お前の方がよっぽど危険だ」と言わせたり、後にスウにそそのかされて実戦で死んでしまうウィルに「なんかこう、スタジアムをぶっ壊しに来てるみてえだな」と言わせている辺りも、闘争自体に参加せずに傍観していた安彦氏が、実際に目の当りにした破壊の様子を俯瞰した台詞に聞こえないだろうか。

 そういう見方が許されるならば、バイクレースにいそしむ無軌道な若者たちは、60年代安保闘争のさなかに、闘争に参加しなかった安彦氏自身だろうし、それをたしなめるガリーは、それを大人なってからの視点で見つめた安彦氏自身の言いぐさだと考えることができる。しかもなすべきことを知らない若者が、いきがって知った風な口を利くようなヒロの台詞は、極端に少なく、彼の口から事態の説明もなければ、状況説明もなく、目の前の状況を嫌悪し、いら立ち、文句を並べているだけだ。物語の中核たるイシュタルとアフロディアの戦争など、心底どうでもいいと思っているから、彼は最後の空港奪還作戦において、敵の大将首を取ったにもかかわらず、ヒーローになるわけでもなく、一人ガールフレンドを探してバイクを走らせて、彼女と再会して物語は終幕する。そこには戦いに勝った爽快感も、生き残ったことに対する感慨もなく、最後の戦闘自体、物語の目標・目的ですらないのである。前述の北野太乙氏の言いたいことはよくわかる。本作でスクリーンに展開されていたのは、かつて若かりし日の安彦良和が見た、60年代日本における無慈悲で残酷なまでの青春の挫折だったのである。

 ただし、漫画家・安彦良和が本作でアニメ業界から身を引いた後、自身が手掛けた漫画作品を見るに、彼の興味が「歴史を点描する」ことにあるとしたら。筆者は安彦氏の作品をすべて読んでいるわけではないが、氏の作品の多くに実在の歴史が材を提供していることは、何かで作品のあらすじを読んだりしたことがある方々なら、すぐに思い当たるだろう。例えば「645年 大化の改新」(今では違う解釈があるそうですが、あくまで例ね)という事件の名前と年号を覚えることと、そこで何が起こって、それによってどうなっていって、歴史がどうなったのかを物語で語ることは、まったく別のことなのである。しかも安彦氏の興味はその時代の変換点の主人公たちではなく、変換点に立ち会わざるを得なかった市井の人々の視点から事件を傍観する形で、事件のある側面を描写することにこだわっている。だとしたら、この「ヴィナス戦記」では主人公であるヒロの名前すら、安彦氏にとってはどうでもいいことで(そもヒロって名前が“ヒーロー”からとか、安直すぎるでしょ)、描きたかったのは戦争のどさくさで負け犬になりたくなかった青年の、一世一代の大勝負をクローズアップしただけで、本質的には植民が進んだ金星での小競り合いの顛末だと読み解けば本作の本質が見えてくる。重戦車タコは強力無比の恐ろしさがあるし、軍用バイクは実戦で有益であったことが証明された、ってな架空戦記ものとして。まあ、だから「ヴィナス戦記」なんだよね。ほら、間違ってないじゃんよw

 それにしても上記のように戦記ものとしては、登場人物の人数が無駄に多い。しかも彼らに感情移入するための情報はまったくない。キャラクターに名前があって、声優に声を出させるだけで背景が見える、などという幻想を頭っから全否定してくれる。特に物語の帰結としてのマギーの存在はいいとしても、開巻冒頭から登場するスウことスーザン・ソマーズは、本当に腹が立つほどどうでもいい。地球から来たジャーナリストであり、特ダネをものにして名を挙げたいというキャラクターなのはわかるのだが、ヒロたちがイシュタルの戦車に攻撃を仕掛ける前の偉そうな言いぐさといい、HOUNDに拾われたあとにウィルをそそのかした後でヒロに説教を垂れる不細工なシーンといい、イシュタルの占領軍のドナーを暗殺しようとしたりと、ひどい行動が目立つ。この女、映画冒頭で早々に脱がされており、最初の時点で辱められているのだが、それをものともしないキャラクターに設定されてはいる。が、ここまで厚顔無恥な女になるとは、安彦監督自身でも想像していなかったのではないか? しかも本作の戦争後に生き残り、ちゃっかり地球に戻ってジャーナリストとして成功し、再び金星へと戻るところで映画は終幕するのだが、本作を彼女の物語とみるには、あまりにも感情移入しづらい女性である。

 本作の主人公・ヒロを演じた少年隊・植草克秀さんの演技が、公開当時にどのようにいわれていたのかは、今となっては思い出せない。どうして筆者がこの作品を見なかったのかといえば、大学1年生になったばかりで、見に行けなかっただけで、一人暮らしを初めて映画を見に行く精神的な余裕がなかったからだが、その不評は確かに筆者の耳にも届いていたのは間違いない。だが声優人事がその理由ではなかったと思う。よしんば声優人事に問題があったとしても、ただ現状に不満やグチをいうだけのヒロのいらだった台詞は、若者が抱える一般的な不満を具体化したものであり、植草さんの演技云々という話とは違うだろう。だが少なくても、不平不満しか口にしないヒロという主人公が、監督・安彦良和の青春の挫折に材を得て作られた作品の台詞を言うにあたっては、架空歴史を点描する以外に役割を持たせてもらえなかった主人公の本音だと思えばいいのかもしれない。この作品は安彦氏が封印してあるといわれて、日本国内ではソフト化していない作品ではあるが、今回の特別上映を契機にソフト化されることを切に願う。例え本作が60年代安保闘争の残滓であったとしても。
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波のまにまに☆

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