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「さよならジュピター」~特撮ファンの落胆と奮起~

 本ブログのコメント欄までご覧の方には、いつぞやのコメント返しで予告しておりました、満を持してお送りする「ヒトネタ」がこれでございます。
やーい、ガッカリしたでしょうwww 
 なんで時間がかかったのかは、いつもの通りでございまして、本編を見る以前に、当時の資料などを引っ張り出すのに時間がかかったからとしか申し上げられない。

 この作品のどこがそれほどの「ヒトネタ」なのか?
 このブログではままあることですが、ちょいと古い話にお付き合いください。話はこの映画が公開された1984年の前年から始まる。それまで日本のSFを牽引していた作家・小松左京氏のSF映画作品は、氏の代表作である「日本沈没」(1973)の大ヒットがあり、角川映画による大規模宣伝効果も相まってヒットした「復活の日」(1980)がすでにあった。その小松左京原作の新作SF映画が公開するとなれば、SFファン、特撮ファン、映画ファンはこぞって注目していたわけさ。当時も今もSF専門誌はさして多くはないが、老舗の映画会社東宝が送り出すSF大作に、総じて胸をときめかせていたし、「週刊TVガイド」のようなTV情報誌なども本作にページを割いていた。年が改まって1984年。いよいよ3月の公開が迫ると、メディアへの露出も多くなり、映画の主軸となる特撮部分の撮影風景やキャストが映画について語る場面も多くなる。緻密で精巧なメカニック群、1977年に公開された「スターウォーズ」で使用されたモーションコントロールカメラやシュノーケルカメラなどの撮影機材による新しい映像技術の導入など、事前情報は振りまかれ、日本映画界に、日本特撮界に新しい風が吹くことを、誰も疑わなかったのである。期待だけがいや増していった。当時14歳の筆者は、そんなお祭り騒ぎの中、映画公開となる1984年3月を迎えたのである。

 ところがwwww

 ここから先は、本編についてお話をしてから、ゆっくりと語っていきたい。

<作品概要>
 時は2025年。180億の人口を抱えた地球は、太陽系内に進出し、その人々ですら5億人も抱える規模にまでおよび、資源やエネルギーの枯渇に喘いでいた。人類はさらなるエネルギーと資源を求めてさらなる飛躍を準備していた。火星では極冠の氷を破壊し、人類が建設した貯水池に水を導くべく、大規模爆破を実施していた。だが氷の下から現れた火星の大地には、まるでナスカにあるような地上絵が描かれていた。人類は新たなエネルギー源として木星の太陽化計画を進めていたが、この火星の地上絵の出現と研究によって、計画の中止の可能性が出てきた。木星太陽化計画の現場責任者である本田博士(演 三浦友和)は、地上絵の研究者・ウィレム博士の来訪を受けいれる。計画の拠点となるミネルヴァ基地で、記者団や自然保護団体などへの説明の中、計画反対派・ジュピター教団が機材を破壊する暴挙に及ぶ。そのメンバーの中に、かつての本田の恋人であった女性マリアがいた。かつての愛を思い出す二人だが、木星への想いはすれ違うばかりだ。そのころキム大尉は井上博士とともに冥王星軌道外へと旅立っていく。ここ数年で隕石の数が減じている原因究明のためである。ウィレム博士と本田は、火星の地上絵の分析結果から、木星の大赤斑の中心へと降りていく。そこで二人が見た物は、全長120㎞にもおよぶ巨大な宇宙船ジュピターゴーストだった。一方そのころ、キム大尉と井上博士の乗った宇宙船が遭難する。原因はマイクロブラックホールによるものであった。このままでいくと、遠からず我らが太陽系と接近遭遇することとなり、甚大な被害をこうむることは間違いない。マイクロブラックホールが太陽系に到来する2年の間に地球人類180億人全員を別の惑星に退避させる方法はない。だがブラックホールが木星付近を通過することを知った本田は、木星太陽化計画に修正を加え、ブラックホールの接近に合わせて木星を爆破し、ブラックホールの軌道を変更させるという計画を立案。地球連邦政府はこれを認め、本田は計画を進めることになる。無理な計画にジュピター教団の妨害と、計画はなかなか進まない中、本田は地球に降りてジュピター教団のピーターと面会する。彼はあくまで滅びに瀕している地球と運命を共にするというだけで、仲間への指示をしたわけではない。だが教団の急進派は薬物を使用してでも目的を果たそうとしていた。ミネルヴァ基地から研究員の退避が始まり、木星爆破まであとわずかというころ、ジュピター教団の急進派が制御システムに侵入する。そこへ爆破をより完全なものとすべく本田を含めた4人が作業を始める。最終作業が終了した刹那、ジュピター教団が破壊工作を開始する。調整室での死闘。本田は生存者一人を退避させ、残った工作員を排除するためにシステムに戻る。だがそこで本田が出会ったのはマリアだった。本田は爆発物を取り外し、外に放出するが、たったひとつ残った爆弾が本田を瀕死に追いやる。だがシステムは正しく起動し、木星は縮退を始める。瀕死の本田はジュピター・ゴーストの声を聴きながら死んでいく。そしてブラックホールは太陽への軌道ははずれていく。人類は犠牲者を出しながらも、救われたのである。

<ミニチュアはいい!>
 本編に最初に登場してくる宇宙貨物客船トウキョウ―3にしても、木星のプロジェクトベースであるミネルヴァ基地にしても、その後に登場するスペース・アローにしたところで、本編に登場する宇宙船のミニチュアは、前後、左右、上下の6面図が製作されており、大変緻密で精巧にできている。現在はオガワモデリングと呼ばれる当時の「小川模型グループ」が製作したこれらの宇宙船のミニチュアのほとんどは、現在の目で見ても、デザインセンスから造形まで含めて、文句の付けどころはないだろう。あとは好き嫌いの話だけではあるが、こうしたガジェット好きな特撮ファンの多くは、これらの造形を嫌いはしないだろうと思う。劇場で見た当時を思い出しても、こうしたミニチュア群が劇中でどんな活躍をしてくれるのか、大変楽しみだった。事実、今回視聴したDVDの特典映像には、メカニックや特撮シーンだけをえりすぐったチャプターがあり、これだけでも見ていて楽しい。だが問題はいかにミニチュアの見映えが良くても、その動かし方、演出によって左右されることも、特撮ファンならば誰もが知っていることだ。別の作品で例を挙げてみよう。「宇宙からのメッセージ」という作品に登場するガバナス軍の巨大戦艦が、惑星の地表を這うように飛び、敵の攻撃を受けてなお進軍するカッコよさは、物語上のガバナスの強さを証明して見せる。物語上の要求を特撮が承ってなおカッコよさすら感じさせる、矢島特撮の頂点の一つだろう。

では翻って本作を見てみると、本作では別に「スターウォーズ」のように宇宙船がバトルするわけではないから、探査や輸送などが主な出番となる。ここで問題になるのが、本作で何度か登場する「旋回」だ。たとえば物語序盤に登場する、木星の大赤斑へと探査船ジェイド3を抱えたミューズ・12が、木星大気圏内に降りていき、乱れた気流のなかで探査船を切り離すにあたり(この時の大気の渦などの表現は、まこと素晴らしい)、くるっと旋回してからアームを伸ばしてジェイド3を切り離すのである。このミューズ・12の旋回があまりにきれいなのだ。きれいすぎる。つまり機械で動かして1軸方向で回しているのがすぐにばれてしまうのである。この瞬間、ああミニチュアなのねと冷めてしまう。例えばであるが、木星の大気圏内に突入する直前に旋回してから、木星へと降下し、アームを伸ばしてジェイド3を切りはなす段取りなら、まだ悪くないのだが、こうした機械的旋回が、乱気流の中に探査船を切り離すためにミューズ・12が下りていくというシチュエーションがなんとなく台無しになった気がしてしまうのだ。最後の方で登場するミネルヴァから退避してくる研究員たちを受け入れるフラッシュバード船団が旋回するシーンも同様で、ミニチュア感がどうしてもぬぐえない。旋回するなら船体のどこかしこにスラスターなりバーニヤなりがついていて、こういった機械類が船体を制御するというシーンがあってしかるべきだろうに、この1軸方向のくるっと旋回では興ざめといった感じだ。また序盤のトウキョウ―3から切り離された客室部分が、またも回転してニネルヴァに入港するのだが、切り離しの段階で回した位置から切り離せばいいのにと思ってしまったら、ツボであるw

 「キネマ旬報別冊 動画王」の6月10日号Vol.5は「メカデザイン特集」ということで、スタジオぬえにインタビューを行っている記事がある。本作のメカデザインに関しても関与しており、当時を思い出してインタビュアーに答えて佐藤道明氏が語るところによれば、本作に参加した多くのSF関係者が「2001年宇宙の旅」を目指していたらしいが、光量を落として長時間露光を行うことによって太陽からの平行光線を表現していた「2001年~」に対し、本作では影の部分を黒で塗りつぶすという方法を行っていたと証言している。この話は岡田斗司夫氏の著述や対談集にも残されており、特撮ファンにはよく知られた話であるので、ここで行を割くことはしないが、そうした撮影時間の短縮と、アイデアによって製作費を押さえる努力は、日本人らしいといっても過言ではないだろう。だが匠の心を大事にした特撮ファンには、歓迎されない話であることも十分承知している。

 劇場公開当時のパンフレットにもあるように、巨大な宇宙船であるジュピター・ゴーストは、東宝のステージに巨大なプールを設置し、人の身長の3倍ほどもある巨大なミニチュアを沈めてスモークなどを炊いて撮影している。ラストの喘ぐように木星に沈んでいくジュピター・ゴーストのシーンでも、全身に埋め込まれたグラスファイバーを光らせることで異様さを醸し出していた。序盤に登場した火星極冠の氷の爆破シーンでは12トンもの水が使用された大規模な一発勝負のシーン撮影だったという。また「SFマガジン2017年10月号」の「オールタイム・ベストSF映画総解説」PART-1による本作評では、木星の衛星イオの地表の表現や木星探査直前に入る一瞬だけ光る木星の輪の表現をトピックとして取り上げている。

 当時としてはまだ珍しかったコンピュータ・グラフィックスを取り入れて、ワイヤーフレームの構造物の画像など、さりげに挿入されている。そもそもコンピューターと小松左京氏にも浅からぬ因縁があり、本作における軌道計算にも利用されており、原作執筆の足掛かりになっている。ややちらつきは残るものの、合成の面でも実に美しく、「スターウォーズ」にも引けを取らない合成に成功している。そんなわけで、特撮面で言えば大変良好な作品であることは疑いえないのである。であるが、

<ジュピター教団の本質>
 さて一方の物語の面で見ると、これが決して悪くはない。いやもっと正しくお伝えすべきだろう。全体にのっぺりしていて緊張感に欠けるし、緩急がないので見ているこちらは山も谷もない。その最大の原因はジュピター教団自体にあるといっても過言ではないだろう。
 劇中ジュピター教団は、歌手(どうみてもフォークソングの歌手っぽい)を教祖に、そのまわりに若者たちが自然とあつまることで誕生した教団だが、お金の出どころなども怪しいもんなので、もちろん宗教法人登録などはしてないに違いない。ジュピター教団とはそも宗教ですらなさそうなので、少なくとも小松左京氏の宗教批判ではありえないことになる。また教団の中には急進派・過激派がおり、劇中では小野みゆき扮するアニタがそのトップに立って活動しているが、矢面に立つ若者たちを先導してミネルヴァなどに若者たちを送り込み、暴動や暴力行為を行っているだけに見える。それが表立って問題になるのは、木星爆破阻止の行動に打って出る辺りなのだが、ここの部分に緊迫感を持たすなら、それ以前い教団過激派の行動がもっと表立って過激化し、実際に多くの場面で阻止行動を見せていないと物足りない。そしてなおかつ最大の問題なのは、この過激派のトップであるアニタの行動動機が全く描かれない点によるところが大きい。もしアニタが劇中にささやかれているように、教団トップのピーターの心象を良くしたいだけだとすれば、彼女はこんな過激なことをする理由がない。ピーターの歌をほめそやしたり、イルカ「ジュピター」の世話を焼けばいいのである。

 さらに問題なのはピーター自身の扱いである。この教祖が誕生した経緯は前述の通りであるが、劇中本田と対面したピーターは、何もしないのである。すべてをあるがままに受け入れ、滅びに瀕する地球と共に死ぬことをいとわない人物なのだ。それに共感してパラダイスのように若者が集まるのだが、この映像がまたいけない。邪推を承知で申し述べれば、ここに現れているのは、70年代に流行したヒッピー文化への嫌悪感でしかない。しかも反戦をテーマにギター一本で歌う反戦歌フォークソングに対する疑念すら感じるのだ、これはピーターの劇中で口にする考え方にも通じるものがあるが、自ら行動を起こして事態の打開を図るのではなく、あるがままに流されていき、それをあるがまま受け入れていくことに対する、小松左京氏のSF魂的思いが、ヒッピー文化や反戦歌としてのフォークソングを否定したいという思いのあらわれにしか見えない。もちろん本田と袂を分かったマリアが拠るべき道として選んだ教団への道があって、初めてラストの本田との確執が生まれるので、物語上の要求として必要なのだろうが、もしジュピター教団の妨害工作がなくても、「シン・ゴジラ」を知っている今となっては、私たち特撮ファンは反対勢力がなくても物語が緊迫し、緩急あふれる展開があることを知っている。物語に必要な存在であるはずなのに、なくてもいいのにと思わせてしまうジュピター教団の存在が、物語の足かせに感じてしまうのだ。

 もう1点、難癖をつけるなら、市井の人々が描かれていない。180億の地球人がいるのに、木星を壊そうとする人々と、それを阻止しようとする人々しか映し出されていない。市井の人々がこの状況をどうおもっているのか?ジュピター教団の支持はどのくらいなのか? 他惑星にいる5億の人類はどうしているのか?などなど、描きたくてもさわれなかった点は、おそらく数多い。それはわかっているけど、やはりマスというものを描く必要性はあるわけで。

<昔ばなし、続くw>
 んでね、当時中学2年生だった筆者は、これを父親と見に行ってたいそうがっかりしましたとさ。やっぱり日本特撮ってゴジラみたいなキャラクターがいないとダメなんじゃないかって。でも当時のゴジラはまだ平成ゴジラがスタートする前の話で、メカゴジラの首をへし折ってから、そのまま新作が作られなかった時代の話でしてね。

 事前にTV放送されていた特集番組を食い入るように見ていたし、そこで序盤に登場する三浦友和の無重力の行為も理解していた。実際には行為よりもイメージシーンが主体であり、ファンタジックな映像でありながら二人の想いがすれ違っていることを端的に示すよいシーンだと思っているのだが、当時の中学生には乳が見えたの見えないだのでバカバカしく興奮していたりもした。それでも劇場で観たあとのショックは大きく、その落胆はどうにも言い表せない感情の塊となる。同行した父親が「面白ったか?」の言葉に、ついに返事ができなったのは、今となればわからなくもない。正直今回本記事のために見直してみれば、日本特撮史上忘れえぬ作品であり美点も多いが難点はさらに多い作品であることはよくわかったし、当時落胆した自分の感情自体は間違いではなかったことを今更ながら立証できたのは幸いである。筆者にとってのこの作品は、80年代を生きた特撮ファンにとって、一度はくぐっておくべき「門」のようなものだと思っている。良いも悪いもさまざまな感情を生み出すことは間違いなく、だがそれを言葉にすることにためらいがある作品でもあるだろう。だが、平成ガメラの特技監督である樋口真嗣氏は、本作の撮影を見て特撮の舞台裏の面白さを知り、本作を劇場に見に行って当時付き合っていた彼女を別れたらしい。だが樋口氏はまた別の感慨を持って日本特撮業界の門をたたき、現在に至るのである。先述の「動画王」に登場した佐藤道明氏にしたところで、設定画や脚本を読んでいるとものすごくおもしろそうだったと言うが、実際に動いているのを見て落胆したという。関係者ですらそうなのだから、市井の特撮ファンが落胆してもおかしくはないだろう。だが樋口氏のように、本作を見て落胆した人々の奮起を促したことは、本作を評価するにあたっての一つの評価軸にはなりはしないだろうか? 筆者は劇中で使われている故・羽田健太郎氏の素晴らしい楽曲の数々に耳を奪われたし、やはり多くの宇宙船のメカニックの素晴らしさに、改めて舌を巻いた。見るべき人が見る分には、見るべき部分がある作品であるのは真実なのだ。それならそれで、愛してしまおうというのも当ブログの主旨の一つである。見直してよかった。
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Author:波のまにまに☆
東京都出身
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ピカード艦長が大好物。
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