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映画「ダーティペア」~恋とスペオペのシャレオツ~

 以前、「宇宙からのメッセージ」と「惑星大戦争」を同時に扱った記事を書いた時、この記事が日本における「スターウォーズ」を起点とするSFブームの流れについて、SFというよりもスペースオペラ寄りに説明をしてしまったために、「スペオペだけがSFじゃないだろう」的なコメントを頂戴した。至極まっとうなご意見で、自分自身でこの記事を書いた時点でも自覚的であったが故に、ちらっとだけ「未知との遭遇」にも触れてみたのだが、さすがSF好きの方の目はごまかせなかったのか、実に手厳しいご指摘を受けて、背筋が伸びる思いがした。とはいえ、スペオペだってSFの1ジャンルであり、このジャンルの台頭なしにSFの躍進もなかったわけですよ。スペオペの娯楽としての楽しさや爽快さがなかったら、SFがジャンルの殻を破り、一般に認知されていくのを押しすすめることもなかったと思えるので、それはそれでよしとしておきたい。

 さて今回取り上げる「ダーティペア」であるが、この作品をきちんと取り上げるには、TV版アニメはもちろん、この作品が当時のアニメファンにどのように受け入れられていったかの検証をするために、「ジュブナイル小説(あるいはラノベ)」「OVA」「美少女SF」といった関連ワードを説明する必要がある。これを1回の記事をまとめ上げるには、ものすごーく文字数が足りない。だいたいにして文字だらけの当ブログで、「昭和の日」のお祭り記事以外で2万字に到達するほどの記事など、そうそう読んではもらえないだろう。なのでここいらへんの話は、本文中でちらっと触れるだけにしておきたい。その上で、本作の楽しさをお伝えできれば幸いであります。


追記(2019.04.12)
 サディンガについての考察を追記しました

<作品解説>
 SF小説「ダーティペア」シリーズは高千穂遙氏原作。「S-Fマガジン」に短編が連載され、現在では既刊8巻、外伝3巻にもよぶシリーズとなっている。1985年にはTVシリーズが23話で放送、後にローカル局放送分の24話、OVAとして25,26話を加えて全26話構成になっている。さらにキャラクターデザインを変更したOVA作品や劇場版が公開されており、今回扱うのは1987年に公開された劇場版の作品である。
「ダーティペア」の物語は22世紀の銀河系にて、様々なトラブルを解決するWWWA(スリーダブリュエーと読みます)のトラブルコンサルタント(以下、トラコン)である女性二人組のチーム「ラブリーエンゼル」が、数多くの依頼を解決するお話だ。二人がなぜ「ラブリーエンゼル」ではなく「ダーティペア」と呼ばれるかについては、本編をご覧いただければすぐにわかる。二人の問題解決方法は、都市や国、時によっては惑星規模の崩壊を招くことが多く、本来のコードネームではなく「ダーティペア」のほうが独り歩きしてしまった結果なのだ。80年代後期にOVAシリーズが完結した後、1994年からはキャラクター、設定などを一新した「ダーティペアFLASH」シリーズがスタート。コードネームを受け継いだ二人の女性をトラコンという設定で製作された3シリーズがある。

 稀代のスペオペである「クラッシャージョウ」シリーズを高千穂遙氏が成功させたのが70年代末のこと。劇中アルフィンという女性キャラクターが華を添えるものの、男臭い戦闘描写に背後に控えるSFマインドあふれる設定の数々で人気を博したこの作品とは真逆に、女性キャラクターの視点と口調で物語が進むのが「ダーティペア」シリーズの特徴である。ハヤカワのSFレーベルからの出版であるが、ジャンルとしてはあくまでスペオペであるし、同じ高千穂氏の「クラッシャージョウ」を発表した朝日ソノラマの文庫シリーズを考えれば、安彦良和の手掛けた表紙絵もふくめて、現在の「ライトノベル」につながる作品群だといえる。

80年代に奇形ともいえる状況で誕生した「OVA」というメディア形態は、押井守氏が監督した「ダロス」からその歴史をスタートさせるが、その中で女性が主人公となる作品がある。もちろん80年代初頭に登場した「うる星やつら」の「ラム」が先行作品としてある。ドタバタのコメディでありながら、作家・高橋留美子の卓抜したSFセンスに、アニメ作家たちのSFマインドが融合して昇華し、「うる星やつら」はSF作品としても名をはせていくが、女性がアクティブに暴れまわる作品としても先鞭をつけていたといえる。そんな中、OVAとしては「プロジェクトA子」という作品で、主要キャラクターがすべてセーラー服を着た女性である作品が登場し、それまで女性キャラクターが主導するいわゆる「魔女っ子」アニメとは一線を画す「美少女アニメ」というジャンルが一つ確立していく。それが本作「ダーティペア」がアニメの人気作として認知されていく道程にある。現在の深夜アニメにいたる潮流の、一つの原点でもある「美少女アニメ」の勃興期、それがこの80年代にあることを、今一度押さえておきたい。

さて前置きが長くなったが、本作劇場版「ダーティペア」の話に戻ろう。物語冒頭から、レアメタル・ヴィゾリウムの闇取引を嗅ぎ付けて、窃盗グループを取り押さえようとするラブリーエンゼル。2人の活躍によって一人は取り逃がしたものの、グループの親玉は取り押さえ、事件は解決!と思いきや、現場となった惑星を取り巻く巨大リゾート施設は壊滅的打撃をくらってしまう。またも意図しない破壊に加担してしまった二人の次なる仕事が、本作のメインストーリーだ。

「ヴィゾリウム」。物語冒頭の説明によれば、人類は銀河系のほぼ全域へと移住し、独立惑星国家や委任統治の惑星が数多く存在する世界で、恒星間航行用の宇宙船のエンジンや様々な機材の資源となるレアメタルがヴィゾリウムだという。このヴィゾリウムの宝庫である惑星アガーナが、本作の舞台となる。アガーナにある2つの国、ウルダスとエディアはヴィゾリウムの採掘と輸出によって国益を得ている国だったが、互いの主義主張の違いによって国家間は緊張状態にあった。だがウルダス側にある2か所の試掘プラントが何者かに襲われる事件が発生し、エディアの依頼によってラブリーエンゼルが調査に乗り出すことになる。破壊された試掘プラントで調査を始めた二人は、そこで2足歩行をし、ヴィゾリウムを食べる気味の悪い怪物たちと出くわしてしまう。偶然プラントに居合わせた泥棒カースン・ディ・カースンと共にその場を脱出するラブリーエンゼルの2人。カースンは物語冒頭で2人が取り逃がした窃盗グループの一人であった。だがカースンはこの事件の裏にある何かを知っている。そうにらんだ二人は互いの仕事には干渉しないことでカースンと手を組んで、とある場所に潜入する。その場所とはワッツマン教授の居城。そこで3人が見たモノは、化石化した古代生物「サディンガ」に遺伝子操作を行って、人類の次世代を担うべき超人類を生み出す実験だった。このサディンガの化石こそは、ヴィゾリウム鉱石そのものである。教授の話によれば、古代生物サディンガは体内にヴィゾリウムを蓄積させながら、化石の状態で現生人類の情報を収集したまま眠り続けているという。教授の実験の過程で生まれたサディンガの怪物は、ウルダスの実験プラントを襲った張本人であり、目的はあくまでヴィゾリウムを食べるためだった。調査の過程でたまさか教授に見つかってしまった3人だったが、なぜか教授には3人が突然変異として生まれた超人類に見えたらしく、ケイとカースンが教授に捕まってしまう。二人から遺伝子サンプルを取り出した教授は、超人類を誕生させる計画を最終段階へと進めようとする。ユリと合流した二人は教授とその執事を捕まえようとするが、新たなサンプルを手に入れた教授はさらに進化して女性型になったサディンガの怪物を誕生させる。あまりに圧倒的な物量で迫るサディンガの怪物たちを前に、ユリとケイは任務を遂行できるのか? そしてカースンが命を懸けて成し遂げたい仕事の内容とは?

<シャレオツな音楽と映像と>
 本作でなんといっても目を引くのが作画監督を務めた土器手司氏によるまるっこくて愛嬌のあるキャラクターだろう。特に主役のケイとユリには目を見張る。可愛いだけではない、コメディ部分の生き生きとした動きといい、くるくるとよく変わる表情といい、氏が「うる星やつら」などで手掛けた仕事の延長線上にある仕事であることがよくわかる。特にケイとユリのボディラインについては、セクシーになりすぎず、かといって女性的な魅力を失わない肉感的なふくよかさは、健全でいて肉付きの良さを感じる健康美でもある。まあカースンの裸も出てくるし、こんなに男の乳首をみるアニメもそうないと思うので、その点で珍しいのかなとは思う。

 どちらかといえば物語を見せるよりはダーティペアの二人のアクションをつないで、幕間に物語をすすめる感じの作品であるので、いわばアクションつなぎの作品だ。そういったアクションシーンは、これまで派手な演出やメカニック、その使い方や見せ方によって見せ場としてきた経緯があるが、この作品ではそのアクションはあくまでダーティペアの2人にカースンをプラスした3人のアクションシーンだし、サディンガの化け物が2種類登場するとはいえ、その襲い掛かり方や戦い方もそうそう変わるものではない。バトルシーンの見せ方も単調にならざるを得ない状況の中で、そう見えなかったのには、台詞をほとんど介さず、音楽と絵で見せることに主眼を置いたバトルシーンの演出にある。スピーディに見せるよりも、むしろスローモーションで見せたり、擬音や効果音すら挟まずに音楽だけが耳に心地よく聞こえながら、目は3人のアクションに酔いしれる快感こそ、この作品の一番のウリだろう。この作品は同時上映が「バツ&テリー」という作品でもあり、それゆえに上映時間も限られる中で、複雑すぎる物語を切り捨てて、短い時間の中で魅力ある映像を見せつける。本作に課せられた命題は、併映作品としては十分すぎるほどのパフォーマンスを示したといっていいだろう。

 ただし、忘れてはいけないのは、この音楽と映像の魅力は、この作品の本質部分ですらある。OPやEDの映像の演出の大人っぽさや艶っぽさ、採掘プラントの現場へと移動するシーンにおける飛行艇上のユリのダンスやケイとのケンカのタイミングなどなど、映像と音楽のマッチングの楽しさを存分に味わえる。これをシャレオツと言わずしてなんといえばよいものか。また音楽面に関しては、どこか当時の流行でもあった「あぶない刑事」(1986)などの音楽センスを思い出す。本作がサンライズ製作であることを思い出せば、本作の公開が1987年3月で、TVアニメ「シティハンター」のスタートが1987年の4月。本作の原画に参加している神村幸子も「シティハンター」に参加しているので、多分にその影響が垣間見えるといっていい。それもまた本作がシャレオツな作品であった事情でもあるだろう。

<古代生物と資源の関係>
 エネルギー資源である「ヴィゾリウム」と古代生物「サディンガ」の関係についてはすでに前述の通り。これ以上つっこむのは野暮なのであるが、野暮を承知で突っ込んでみたい。そもそも古代生物が有効なエネルギー資源となるかについては、石油および天然ガスの例があるからして、突っ込む余地もない。劇中ではヴィゾリウムの精製プラントが登場することから、サディンガ鉱石を生成することによって純度の高いヴィゾリウムが精製できることになっている。サディンガはそも体内にヴィゾリウムを取り込む体質であるから、サディンガ鉱石を精製する方法が手っ取り早いのは納得だが、ではサディンガが取り込んでいたヴィゾリウムはどこにあったのか? このあたりを想像するのはSFの領分だから、思いっきりSFの羽を伸ばして考えてみたい。考え方の手掛かりは、サディンガは化石として眠ってしまっていることにあると思われる。

  あくまで仮説であるが、そもそも本作の舞台となったあの惑星にはサディンガが生物として存在し、彼らの食料となるヴィゾリウムが鉱石や鉱脈として惑星上に存在していたと考えてみる。彼らには生物学的な脳髄はあっても知能は低いので、その本能の赴くままに地上に現出するヴィゾリウムを食らい尽くしてしまった。もちろん自分たちで何らかの方法で精製する技術は持たない。従って互いの体内の蓄積されているヴィゾリウムを争って同族による殺し合いが横行したのではないか。すると同族からの自己防衛と種の保存を考えたサディンガは、自身を固い殻で覆い、仮死状態になることにした。その方法論が、自身が生き残るために有効だと悟ったサディンガたちは、先を争ってどんどん化石化して仮死状態となる。だが惑星にも地殻変動が起こったり、大気があれば気候による天候変動などが幾度も押し寄せる。化石化して動けないサディンガはそれに対処する方法もなく、変動に飲み込まれるような形で土中へと埋められていく。仮死状態のサディンガではあるが、たった1匹の力で上に被った土塊を除去して動き出すことはできないだろうから、知らずと移住してきた人類の情報を蓄積しながら、来るべき日を待っていたサディンガは、なんと発掘されて人類の餌食になってしまったと。

 さて、上記の論述展開からもう一つ導き出せる可能性がある。ヴィゾリウムは本当にサディンガたちによって食い尽くされてしまったのだろうか? 技術を持たないサディンガたちが手に入れることができないヴィゾリウムのありかがあるとすれば、地殻変動によって埋もれてしまった地下に鉱脈がある可能性がある。つまりあの惑星においてサディンガを消費した暁に訪れる産業は、ヴィゾリウムの採掘そのものにあると考えていい。ってか、おそらくはそれを考えて、先駆けて行動している人物がいるに違いない。まあ、本作における事件の顛末によって、生きていればの話だけどw

 もう1点、サディンガについて気になることがある。ワッツマン教授によって目覚めさせられた古代生物サディンガだが、ケイとカースンの遺伝子情報によって女性型のサディンガが誕生したのは劇中にある通り。だがそれ以前に登場していたサディンガの怪物は、ワッツマン教授による遺伝子操作が入った産物なのだろうか? そもそもあの形状がサディンガの本来の姿だとしたら、1万何時間も、ワッツマン教授は何を研究していたんだろうって話になるのだがw

<恋とすれ違いとプロフェッショナル>
 本作は主要キャラクターが極端に少なく、EDの映像では登場人物の一人一人が止め絵で登場するほどで、実に少ない。しかも(ネタバレですが)誰も死なない作品なのだ。ワッツマン教授は勘違いしたままで、物語のクロージングで執事とヒトネタかましてくれるし、序盤からコメディ寄りの演技を見せるカースンですら、死なずにラストまで顔を見せてくれる上、ラストではむしろヒーロー然とした活躍までしてくれる。その意味では本作のキャストは実にやりがいのある面白いアフレコだったんじゃないかと推察する。すべてのキャラクターの演技の幅があり、奥行きがあり、上げ下げの抑揚が大きい。それは耳にも心地よいので、すぐにわかる。

そうしたプロの演技を垣間見て、本作におけるカースンやケイがいう「プロ」とはどういうものかを鑑みた時、この作品に誰一人としてプロが存在しないことを自覚する。いやプロを自認するのはいいが、それは果たしてプロであるかと問われれば、プロを自覚して行動する責任と、プロにあこがれる故にプロたろうと自覚して行動することには、さして違いがないのかもしれない。ただし任務遂行中にいつものクセでカースンに恋してしまうケイがプロであるかと問われれば、やはり否だろうとしか答えられない。劇中ワッツマン教授に囚われたケイとカースンのシーンで、ケイが気を失って見た夢は、大人っぽい演出シーンの一つであるが、この延長線上にあるシーンが、カースンが腹部を負傷してケイたちと別れるシーンである。この2つのシーンを対比すると、どうもカースンの話とケイの話が食い違っているように見えるのだ。カースンはあくまで自身の泥棒としてのプロを自認して、プロ論を語ろうとしているのに対し、ケイはあくまで自分を惚れさせたカースンに対する「恋泥棒」としてのプロ論を話しているように感じられるのだ。そう見ると、かっこよく死にたいカースンと、カッコ悪くても生き延びてほしいケイの願いが、二人の会話をすれ違わせたんだなあと感慨深い。そういえばワッツマン教授って、この話の核である人物なのに、あまりキャラクターと絡まない人物であるし、その台詞はほぼだれとも絡まないので、これもまたすれ違いなのである。

さて1987年という年回りを考えると、なんとも軽く扱われがちな本作ではあるが、先にも示した通り、サンライズの作品史としての側面で見ても後続の作品への影響は大きいし、劇場版「コブラ」のOP映像や、かつてアニメラマと呼ばれた手塚治虫氏の「哀しみのベラドンナ」などの作品にもインスパイアされていそうな本作のOP映像のシャレオツ感といい、アニメ史で見ても承る部分も、後への影響の部分でも見過ごすには惜しい作品である。なにより娯楽作品であるだけで、ほんの数瞬、時間を忘れて没頭できる作品でもあるので、気分転換にはもってこいの作品だ。3月の年度末を乗り切って、疲れた心と体をホッと休めるのに、こんな作品はいかがだろうか。筆者はとみにお勧めいたします。
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波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
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特撮は主食、
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スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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