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2020見逃し映画考・その1~X-MENとアリータ~

今回ご紹介する2本については、あまり好意的ではないご意見をお持ちの方々が、多数いらっしゃることは承知している。日本ではコケたやら受け入れられなかったなどの言説は、ネット界隈を眺めれば嫌でも目に付くし、この作品を目にしたら、その理由もよくわかる。

「X-MEN ダーク・フェニックス」に関しては、本ブログでこれまでのシリーズを俯瞰する記事を上げたので、できればそちらもご参照いただきたいし、その後に劇場公開した「X-MEN アポカリプス」(2016)や、ウルヴァリンことローガンの去就を描いた「LOGAN/ローガン」(2017)についても記事を書いたから、その流れで公開前から楽しみにしていたし、新潮社から発売された関連書籍も買っていた。だがその書籍の中ですら、日本では公開前だというのに、書籍中の記事の中ですら、酷評されている始末である。

一方「アリータ:バトル・エンジェル」に関しては、日本では公開されたものの、ひっそりと公開して、まったく話題にもならずにひっそりと公開を終えた作品だ。ご存知のように、この作品の原作は、日本でも人気のあった木城ゆきと著「銃夢」であり、「タイタニック」や「ターミネーター2」「アバター」などの監督であるジェームズ・キャメロンが製作することで、一時日本でも話題になった作品であった。ところが、監督はキャメロンではなく、「デスペラード」や「スパイキッズ」などのロバート・ロドリゲスが務めることになった。この経緯については後述するが、この監督の交代が作品の製作と公開を遅らせることで、映画ファンから次第に忘れられていったことがマイナスに働き、直接興行成績に響いたと感じる。

 そんなマイナス要素たっぷりの2作品であるが、このマイナス要素がまったくぬぐえない作品でもあったことだけは、筆者の感慨としても残っているので、先にお断りしておく。でもご紹介する以上は、この作品を筆者がどうみたのか?という視点に絞ってお届けしたい。ま、たいした話じゃないですからw

「X-MEN ダーク・フェニックス」(2019)
 前作「アポカリプス」での事件の10年後が舞台。アメリカのスペースシャトル打ち上げ後、シャトルは強烈なエネルギー波に見舞われ、大統領からX-MENへ救援要請がなされる。各々の能力でアストロノーツを救出するX-MENたちであったが、その救出現場にてジーン・グレイはそのエネルギー波を受けてしまう。地上に戻ったジーンは、次第に自身のサイコキネシスを制御できなくなり、チャールズ・エグゼビアの学園を去っていってしまう。ジーンは幼いころにチャールズのもとにやってきたのだが、その原因はジーンの力の暴走にあり、それによって家族を失ったために、チャールズが引き取ったのだが、彼女のトラウマを取り除く目的で、その記憶に手を加えていたという。死んだと思っていた父親のもとに行くジーンは、ジーンの力ゆえに彼女を拒絶する。ジーンはひっそりと仲間ともに隠れ住んでいたマグニートーの元に身を寄せるが、そこでも拒絶されてしまう上、アメリカ軍からも命を狙われることになる。だがジーンの力の覚醒には秘密があった。その秘密を握る謎の女性もまた、ジーンを付け狙う。ジーンの力を巡ってぶつかり合う3つの勢力。そんな中、ジーンが最後になした選択は?

 ジーン・グレイが「X-MEN」史上最強の能力者であることは、コミックのファンやシリーズに親しんだ人になら知られていることだが、能力を覚醒させ、別人格になることでダーク・フェニックスと呼ばれることは、この話の中でさして重要なことではない。問題なのは、最初の映画「X-MEN」3部作でもジーン・グレイが重要な役回りを演じており、「X-MEN2」(2003)のラストで仲間を守るためにジーンは命を落とし、続く「X-MEN:ファイナルディシジョン」(2006)ではダーク・フェニックスとして別人格でよみがえり、エグゼビア教授の敵として登場する。しかもウルヴァリンによって腹部を貫かれてジーンは死亡、スピンオフである「ウルヴァリン:SAMURAI」(2013)では、物語冒頭部でさすらっているローガンのトラウマとして登場する。かように前シリーズにおいては、ジーン・グレイが落としどころとなってシリーズを畳み、なおかつローガンの行動動機にすらなっている。いくら本作が「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」(2011)で仕切り直したシリーズとなってはいても、その落としどころにまたもジーン・グレイを持ってくるのは、いささか疑問を感じないわけにはいかない。

 「X-MEN:フューチャー&パスト」(2014)以降、世界を救った英雄であるミスティークことレイヴンは、本作におけるジーンの力の余波で、物語序盤で早々に死んでしまう。シャトルの救出にあたり、チャールズとの確執が顕在化していく。若き日のチャールズも、決して人格者ではなく、迂遠な市井の人々と変わらない間違いを犯した罪を、当たり前のように持っている人として描かれる。それは後に「LOGAN/ローガン」に登場する、ウルヴァリンに守られながら過去の後悔にさいなまれているチャールズの姿にダブっていく。本作評にはこのチャールズ・エグゼビアがひどく貶められていることを指摘したものがある。この作品をダメにしているのは、チャールズがジーンに過去に行った記憶改ざんだというのであるが、筆者はそうは思えなかった。ジーンの記憶改ざんに関しては、チャールズはまったくの善意で行われている。だからといってそれが正しかったかと問われれば、否とこたえるだろうが、ジーンが親を殺したトラウマを抱えて苦しむ姿は、チャールズにとっても耐え難いことだったろう。問題そのものはジーンがシャトル事故で出会ってしまったエネルギー波そのものである。エネルギー波の正体についてはここでは伏せておくが、これ自体の解説や、物語の中での言及がもっとなされていれば、チャールズに非難が集中することもなかったのではないかと勘ぐってみたりする。

 それにしても本作はウルヴァリンことローガンもおらず、「X-MEN」としてはキャラクターが不足気味だし、早々にレイヴンが死んでしまったのも、後半のけん引力に欠けるところではある。謎の女がラストバトルを盛り上げるのに一役買っていて、実は重要なキャラクターなのに、そこもまたやや薄味に描かれていて、もったいないと感じた部分か。一つには本作の製作途中でマーベルの「キャプテンマーベル」と話がかぶっていたために、物語内容が大幅に変更になってしまったという裏話があり、劇場公開が遅れたとのこと。また出演する女優陣のウエイトの置き方でもめた話も漏れ伝わってきて、その分レイヴンが割を食ったことは想像に難くない。やはり制作時の面倒事は、良くも悪くも作品に影を落とすのだ。「ファイナルヂィシジョン」の時ですら、ブライアン・シンガー監督の交代劇と役者の引き抜きによって、影を落とした結果が作品に影響していることを考えれば、配給や製作会社もどうにかできなかったのかと悔やまれる部分もある。どんなプロジェクトにも問題は起きるが、それが作品に影響を及ぼしたのであっては、本末転倒。楽しみに見ている観客には、なんら問題がないとすれば、そうした製作状況の不利を作品として見せつけられてしまっては、ただでさえ観客が不足気味の映画興行は、どんどん衰退していく。可能な限り健全な状態を保つことこそ、映画製作に欠かせない要素だとしたら、それはそれで難しいのだろうが。

「アリータ:バトル・エンジェル」(2019)
 この作品に関して、主人公アリータの目、あるいは「不気味の谷」について語るのは、もうやめようと思う。ビジュアルとしてのアリータの目に関しては、最初に劇場で予告編を見た時に、一瞬ギョっとしたのはもう否定しようがない。だがそれがこの作品の本質に対して、監督および製作サイドがどのようにジャッジしたのかは、あまり想像したくない。どのような市場を想定し、どのような視聴層を想像し、ターゲットがこれをどう見るか?を想像するべきは、作り手側の責務である。この作品においては意識的にそれを行ったうえで、あのデザインの目が採択されたのだとしたら、それを誰も咎めなかったのだろう。だからね、といいたいのを押さえて、ここはもうこれ以上話題にしないでおく。

 さて真摯にこの作品を見るとよくわかるのは、原作の「銃夢」を必要以上にくみ取った上で、OVA「銃夢」を必要以上にリスペクトしている点にある。ようつべさんにも動画があるので、本作を見る前には、出来る限りチェックしておきたい。特に原作漫画にはいないキャラクターが幾人か登場しているが、これの出自がOVAなのである。どうしてこのOVA版がフューチャーされているかというと、最初にジェームズ・キャメロンが見て感銘を受けたのが、OVAだったかららしい。そしてキャメロンは「銃夢」の実写映像化を検討に入るわけだが、技術的な壁によって阻まれる。この技術的な壁を乗り越えるために、彼は技術の開発に着手する。その技術のフィードバックが彼の監督作である「アバター」(2009)だそうだ。そして2021年に公開が予定されている「アバター」の続編が準備中であり、こちらにかかりっきりになってしまったキャメロンは、「銃夢」の製作に入れなくなってしまった。これに助け船をだしたのが、本作の監督を務めるロバート・ロドリゲスであり、以上のような経緯によって、キャメロン脚本・製作でロドリゲス監督の本作が撮影されることになったという。これは本作の映像特典に収められているお話なので、詳細はどうぞそちらをご参照ください。

 さて、筆者はアリータの目の問題もあまり気にならなくなり、原作の話も知っていて本作を見ているので、この作品をそこそこ楽しんだのであるが、それでもやはり問題があった。それはアリータ、あるいは彼女が使う機甲術(パンツァークンスト)に、オリジナルの出自を提示してしまったことだ。以前「攻殻機動隊」の実写映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」でも指摘したが、どうしてこうアメリカ人、あるいはハリウッドの映画関係者は、出自や由来にこだわるのだろうか。なお、原作「銃夢」に続編シリーズにおいて、少し触れてはいるから、原作者の木城ゆきと氏にも了解をとっての演出だろうが、アリータが火星での戦闘を経験している過去があったり、アリータに機甲術を仕込んだ教官の存在などが示されている。こうした由来や出自の部分が、物語に大きく影響するかといえば、それはないのであるが、アリータというキャラクターに厚みや深みを持たせるための演出であることは、誰の目から見ても明らかだ。原作にひどく抵触しないように、控えめに障られてはいるが、枕詞として語られる、地球と火星共和国の「ザ・フォール」(没落戦争)の実態を語るための語り部でありながら、アリータは記憶を失っているために、それを自ら語らない。もちろん現世でアリータがそれを街の人々に語ったところで、彼らの生活が変わることはないから、それは意味がない。この経緯で一つだけはっきりしていることは、空中都市ザレムが既得権益を欲しいままにしており、その下に広がるクズ鉄街(アイアンシティ)はこれに寄生して生きるしかない世界観を強固にすることで、本作の人気が出たら、2作目を作る気は、どうやらあったらしい。イマドキの映画は、続編への伏線は必ず含んでいるために、こうした部分は少なからず詰め込まれているのは、いたしかたなしか。

 そして原作ではヒューゴの件とモーターボールの件は別エピソードなのだが、モーターボールをむりくり本作に含めてしまったために、最後の部分はかなり豪快にして強引に物語が展開する。ゲームを逸脱して街中で追ってと戦いつづけながら、ヒューゴのために戦うアリータは、ザパンから瀕死のヒューゴを取り戻したが、サイボーグの体なったヒューゴは、それでもザレムへのあこがれを捨てきれないまま、ザレムにつながるワイヤーを伝ってザレムに行こうとする。そしてアリータは悲しい現実を見ることになる。この件は原作でも一旦ピリオドとなるエピソードであり、実に感動的な話だから、本作のオチとしては十分機能しているが、そもモーターボールの件がなくてもいいのではないかとは思うところではある。とはいえ最後の盛り上がりのバトルとしては、モーターボールのシーンは必須であるから、映画としての体裁をとるならモーターボールのシーンはどうしても必要なのかもしれないが。

 映画としては及第点。問題点は数限りなくあるし、目をつぶらないでもない点もあるのだが、筆者は映画としてのひとまとまりとして、十分に楽しめる作品ではあったし、これを契機に原作の第2シリーズ以降を買いそろえてもいいかなと思っている。結局、原作を読み返してみたくなった、という点についてはいいのだが。それでも2作目の映画を作り出したとして、2時間という枷の中で、ベクターとの戦いを、原作のようにエピソードをこなすわけにはいかないので、正直2作目は無理かなとは思う。漫画「銃夢」の人気が集中している初期エピソードを、新解釈でつないだ実写映画として、記憶の片隅にひっそりと残しておきたい。かなw
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