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映画「バービー」~オトコトカオンナトカ~

 仕事場の同僚の方が、嬉しそうに「見に行ってきました!」との声を聴き、その声に促されるように映画「バービー」を見に行ってきた。これがもう本当に楽しい映画だった。2023年という年回りが、映画の当たり年なのか、コロナの影響で様々な映画の公開が転んだせいなのかはよく知らないのだが、今年、筆者がこれほど映画を見ている事実もあるし、やはり今年はここ10年の中でも、映画の当たり年として記憶されるべき年なのかもしれない。テレビのニュースを見ていても、映画興行の観客動員数はV字回復を果たし、コロナ以前よりも上向いたという報道もある。もちろん興行的に爆死した映画の話も漏れ伝わって、製作会社に大きな赤字を計上させた話もあるが、そうした映画でも劇場で観る、あるいは観た、という体験は、これに勝るものはなく。これによってネット配信サービスとの棲み分けができてくれば、興行として映画界全体が盛り上がっていくのではないだろうか?

 さてさっそく見てきた「バービー」の話に移っていこう。この映画、ある意味ですべての事柄に製作者がしかけたシニカルな皮肉が込められており、その皮肉のどこに反応するかで、おそらく観客の反応が異なるように感じる作品で、鑑賞後にXにて感想を拾い読みしてみても、フェミニズム映画としてとらえる人もいれば、劇中の男性キャラの物語と断ずる向きもあれば、事件が起こっても元に戻ってしまうオチをみて、何も起こらなかったので元の木阿弥とする見解もある。こうして様々な意見が飛び交うのも、この映画が多くの人の耳目に触れた証しでもあるし、こうした意見百出の状況を眺め見て、本作を観に行きたくなる人もいることだろう。それもまた製作者の思惑なのだとしたら。

<着せ替え人形「バービー」とは>
 そもそも論ではあるが、筆者のような男性にとっては、人形はブルマァクのソフビ人形やタカラの変身サイボーグやミクロマン、時代が下ればガンプラで、Figmaでフィギュアーツでリボルテックなどの可動フィギュアなわけだが、同年代の女子は違うのだよ、って話からしておきたい。

 1959年、アメリカのマテル社から発売されたのが着せ替え人形「バービー」だ。ルース・ハンドラーがドイツを旅行中、新聞連載されていた漫画の主人公を商品化した人形「ビルド・リリ」をアイデアの源泉とし、女児用玩具として考案。人形と衣装の双方を発注できる利便性によって日本での生産が始まる。キャラクターとしての本名は「バーバラ・ミリセント・ロバーツ」。「バーバラ」の名はルース・ハンドラーの娘の名前からとられており、愛称を「バービー」として発売された。ファッショナブルでいて精巧にできており、極端なプロポーションが特徴のバービーは、アメリカ国内で売られている女児用人形よりも高かったが、爆発的に大ヒットする。日本では「新しいアメリカのおともだち」という触れ込みで1962年から発売し、こちらも東京五輪やビートルズ来日などのあおりで大ヒットするが、国産の女児向け玩具タカラの「リカちゃん」が1967年に発売されると、売り上げ不振となり、一時的に日本国内より撤退を余儀なくされる。だが1980年代に入り、タカラとマテル社の輸入代行販売契約によって、バービーは再び日本国内での販売が始まり、リカちゃんの開発ノウハウを生かして和製バービーとなる通称「タカラ・バービー」を販売する。だが86年にマテル社との提携が解消され、タカラ・バービーは「ジェニー」として販売されることになる。その後、マテル社はバンダイとの提携によって日本製バービーの販売を行うが、ジェニーの顔と酷似していたことで、タカラから提訴される。その後、様々なテコ入れを行うものの、販売不振によって生産を打ち切り、1991年に販売終了となる。1991年から2003年まではバンダイの子会社から細々と販売を続けたが、現在はマテル社の日本法人がバービーを販売している状況だ。本映画、こうした「バービー」のこれまでの歴史を踏まえて製作されており、タカラのリカちゃん同様、キャラクター性を高めるために周辺キャラクターを設定して販売。物語性を持たせることで、ごっこ遊びに没頭できる設定が、大きく生かされている。本作で異世界の住人であるバービーが、リアルワールドであるこちらの世界にくる、という物語はある意味で必然なのだ。

<作品解説>
 映画「バービー」は、日本では8月11日に公開。主演のマーゴット・ロビーは、DCU「スーサイド・スクワッド」にハーレイ・クイン役で出演しており、「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒」や「ザ・スーサイド・スクワッド」でも同役を演じている。なお彼女は本作の製作にも参加している。バービーの「お友達」であるケン役には、「ラ・ラ・ランド」や「ブレードランナー2049」のライアン・ゴズリング、そのライバル役のケンにはMCUで「シャン・チー」で主演を演じたシム・リウが出演している。ケン役のご両人が楽しそうにコメディを演じているのは、それだけで楽しい。

 「バービーワールド」に住むバービーたちは、様々な職業につき、この世界のあらゆる仕事につき、人生を謳歌していた。だがある日、マーゴット・ロビー演ずるバービーは、「死」について考えはじめることで、彼女の日常が変化し始める。元の生活を取り戻したいバービーは、人間世界を知る変てこバービーに相談すると、世界の裂け目ができており、そのために異変が生じていることを知る。人間世界でバービーの持ち主を探し出せば、異変も戻り、世界の裂け目もなくなると教えられたバービーは、彼女を慕うケン(ライアン・ゴズリング)ともに人間世界へと向かう。そこで二人が見た人間世界は、バービーたちの登場によって女性が解放された世界ではなく、男性優位によって支配され、抑圧された女性たちが住む現実世界だった。自身の記憶を呼び起こし、やっと見つけた元の持ち主と再会するバービーだが、人一倍リアリストのサーシャによって、夢見る世界に閉じこもって生きてきたバービーの世界を否定されてしまう。悲しみに涙するバービーだが、人間世界での奇行がマテル社に通報されたことによって、マテル社の幹部たちがバービーを拉致しようと行動を開始する。マテル社の社員たちは、バービーをパッケージに戻そうとするが、間一髪で脱出するバービーは、サーシャとその母グロリアによって助けられ、3人はバービーワールドへと帰還する。ところが先に帰っていたケンによって、バービーワールドは男性優位の世界へと変貌しており、バービーはさらなる失意に見舞われる。だがケンの洗脳から逃れたバービーたちと変てこバービー、そしてサーシャとグロリアを仲間に、バービーはケンからワールドを奪回する作戦を開始する。それは男にかしづき、能動的に社会に関わることをやめたバービーに、現実世界の女性の苦労や現実の難しさを解くことで、ケンの洗脳を解くことを繰り返す方法だ。そしてすべてのバービーを取り戻した後、ケンたちに仲間割れを誘発させ、議会とワールドを取り戻す。すべてを取り返されたケンは涙ながらに語る真実とは、ただ愛するバービーを振り向かせたい一心での出来心だったという。こうして世界の裂け目は修復され、元に戻る。だがたった一つの大きな変化が訪れる。バービーは人間世界で生きることを選んだのだ。

上記のあらすじは、筆者の見解が多分に混ざっているあらすじなので、こうではないと考える方も多くいらっしゃることだろう。現に、最後のバービーが婦人科の病院を訪れるシーンで、彼女の妊娠を考えた人がいたとかいないとか。様々な思考の方がいらっしゃるのなら、こういう解釈もありかなという程度で、このあらすじもご勘弁ください。

<抑圧から解放されるために>
 ハッピーラッキーで、なんの思考も持たずにお気楽に閉ざされた世界で生きてきたバービーが、人間世界に生きる女性を開放したと思い込んで生きてきたところが、実際には全く違っており、むしろバービーの思惑とは異なり、男性優位の社会に抑圧された世界であることを知るお話が物語の前半だ。しかも自身の身におきていた不可思議な出来事も、かつての持ち主が、女性が抑圧されたこの世界で、生きにくさを抱えながら生きていた証しでもあり、その逃避がバービーを脅かしていた事実が明るみになる。これに輪をかけてバービーにとってつらいのは、この人間世界ではバービーの存在そのものが否定されてしまい、リアリストにとっては女性解放を高らかにうたったバービーの存在そのものが、真なる女性解放を遅らせたと指摘する。ただの着せ替え人形に、背負わせるにはあまりに重い話だろう。バービーがまとう職業が如何に多岐にわたろうとも、それはバービーワールドの世界だけの話であり、女性がこれに勇気づけられることはあっても、それが実現できる世界になるまでに、バービー誕生から60年を経過した現在でも、一部を除いて果たされてはいないのだ。サーシャが指摘したことは一見正しい。だがそれをバービーのせいだけとも限らないだろう。とはいえバービーにしてみれば、成功した女性の代表者たる自負もあっただろうし、この指摘が大きく影を落としたことは間違いない。しかも現実に押しつぶされそうになったグロリアが想像したバービーが、死を想像したり、肌が焼けたようになったり、ヒールすら受け付けらないカカトになったりする変化を生み出している。これはもう現実がバービーワールドに干渉していたことを示す事実だ。

 昨今のMCUでもウルトラマン世界でもいいが、「マルチバース」というか異世界の設定がとても身近になった気がする。ラノベやラノベ原作のアニメにも異世界モノが多いのもあるが、こうした異世界がどこに存在するのかは作品設定次第だが、現実世界に干渉する異世界というのは、ちょっと珍しいのではないかと思うのだ。それは異世界の成り立ちが現実世界に縛られている事情もあるし、行って帰ってこられる気楽な異世界の設定の緩さは、筆者が異世界モノをなんとなく受け入れられない理由の一つなのだが、本作ではこの「干渉する2つの世界」と「行き来が楽」という2つの事情が同居している、かなりなレアケースだと思える。昨今のマルチバースの面倒くささに辟易している向きには、なんとなく息抜きのような設定でありがたいとは思う。

 さて後半はバービーたちが、ケンによって改変されてしまったバービーワールドを取りもどす話なのだが、これもまた抑圧から解放される話で始終する。ケンに洗脳されたバービーたちが、現実の抑圧された生活の難しさを口にするグロリアのグチとも本音ともつかない言葉から、洗脳が溶けていく件を見ていると、ケンの支配下に置かれたバービーたちは、社会で役割や職業を持たされていることに、苦痛や悩みやしんどさを抱えていることがわかる。これもまた抑圧の一つだろう。実はケンがなしたことは、バービーたちを職業の抑圧から解放したという見方もあるだろう。きっとそれも正しいのだ。けれど男性優位の社会で職業人として働く女性が感じる抑圧は、それ以上だろう。働かずに男にかしずくことも、男性社会の中で戦いながら働くことも、その両方を正しいと全力で応援しているのが、この映画の最大のメッセージなんじゃないかと思うのだ。ありとあらゆる立場の女性がいて、それを支える社会がある。それこそが女性が解放された、開かれた社会なのだろう。

その一方でマテル社のトップがのたまう言葉もまた、男性社会の荒波に耐えかねてもらした言葉だとすれば、その重圧に耐えながら働いている男性もまた、解放されることを望んでいる。それでも社会を動かしていく責任感から逃れられないし、その責任を受け止める度量を試される毎日だから、男性諸氏だってツラいのだ。この映画が女性のためだけに存在する映画ではないことが、これで明らかだろう。そしてケンが最後に口にしたのは、ただバービーを愛していただけだったこと。大好きな女の子に振り向いてほしかっただけ、という小さな謀反の理由。その小さな理由は、どうしてどうして働くお父さんたちが、妻に、子供に認められたいと願う、ささやかで小さな願いとなんら変わらない。この映画が大人のためのファンタジーである証左である。

ではなぜバービーたちは自分たちの世界を元に戻したいのか? なぜバービーワールドはケンの思い描いた男性優位の世界を受け入れられないのか? それがマルチバースの世界設定にある。現実社会の我々の住む世界は、様々な国と歴史と文化がせめぎ合っており、男性優位の社会は、そうした多様で長い歴史認識の中で培われてきたもので、女性の社会進出にしても男女平等にしても、その革新は常に最新にアップデートされている世の中ではあるが、その動きは遅々として進まない。逆にバービーワールドは、バービーを主体に構築された世界であり、創作者によって女性優位に設定されている世界であり、現実世界とは異なる理(ことわり)で作られている。バービーワールドはあくまで人間の想像力が生み出した可能性の世界であり、現実世界の理が適用しない世界なのだ。バービーが女児向け玩具として誕生した瞬間からワールドは拡大し続け、必要に駆られて男性キャラクターが誕生しても、その設定はあくまで添え物である以上の存在価値はない。現実世界に照らせば、その歪みに着目したからこそ、劇中でのケンの叛乱になるわけだ。現実世界の理が正しいのではなく、可能性の世界としてバービーワールドがあっていい、とするならケンの叛乱によって出来上がった世界は、バービーによって駆逐されるしかない。ただし、現実からの逃避と夢の無い事実によって、バービーたちが正気に戻り、ケンたちからワールドを奪還する件の、なんと皮肉たっぷりのねじれた関係性を思うと、少しばかりめまいがするw

笑いどころもあれば、くすぐりもある。序盤から登場していた妊婦のバービーの扱いのひどさも、マテル社のトップの言葉がさらに突っ込んでくる仕掛けには、笑いを禁じ得ないし、地味にマーゴット・ロビーの美しさに製作者がツッコむナレーションなんかも楽しい。筆者は吹き替えで見たが、バービー役に多くの女性声優が大挙して登場する中、主役のマーゴット・ロビーのバービー役を演じた高畑充希さんに、称賛を送りたい。上手いね、あの方は。ベテランや上手な声優さんの中で悪目立ちするどころか、彼女のしゃべりの特徴的なもたつき加減が、絶妙なるマッチングでコメディにあっているとか、もはや不思議に思えるレベルで上手かったっす。

<追記:バーベンハーマーについて>
 本作公開直前に、公式から謝罪文が出回ったのを見た。ことの経緯や事実はここではもう細かく取り上げないが、本作と「オッペンハイマー」という映画が同時期に公開しており、二つの映画を同時に見る人がいることを揶揄して、不謹慎な画像が作られた。これを公式が追認するような形で拡散したのである。おそらくはファンサイドの悪ふざけに、宣伝に手詰まりだった製作サイドが便乗して盛り上がったのだということは、うすうす理解できる。問題なのは、いまだ日本では公開が決まっていない映画である「オッペンハイマー」なる映画が、原子爆弾を開発した人物の物語だということで、日本の映画ファンをはじめ多くの人々の耳目に触れて、騒ぎが大きくなったことも分かった。

 この件で、原爆を扱うことの難しさや安直さが、これをして日本人に拒否させたことは、誰でもが理解できるだろう。直接的な戦争体験者でなくとも、これがいかに不謹慎であるかは想像できる。であればなおのこと、そうしたものに触らないというわきまえ方があっていい。日本はこうして国全体が痛みを感じる傷口がある。それはアメリカ人だって中国人だって同じだろう。脛に傷持つ身はお互い様なのだ。だとすれば、何が問題で、何が不謹慎で、何が炎上するかは自ずとわかるはずだろう。ネットがこの世界に誕生して、もはやどれくらいの年月がたったとお思いか。それでもまだネットリテラシーの成長もないのか、我々人間は。他人が嫌がることをしない。たったそれだけの話ではないか。映画鑑賞マナーでもそうだが、こんなことを一々説明しなければならないこと歯がゆさは、リテラシーだけの問題ではない。根本的に他人への配慮に欠ける行為は、時代が変わっても、場所が変わっても、国が変わっても、ダメなものはダメなのだ。私たちがすべきことはただ一つ、他人を思いやる優しさだけなのだ。
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コメント

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嘆かわしいですね

お疲れ様です。

追記文に同感です。
元来日本人は、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と定めた昔から、他人を思いやって来てたと思うし、ちょっと(2~30年前?)前までは実際にそんな世の中だったと思うけど、今って、他人に興味がないのか、自分さえ良ければ他人はどうでもいいような人が増えてますよね。

とりあえず私は、周りの人に気を配りつつ、でも卑屈にはならず、「お天道さんにも他の人にも顔を向けてまっすぐ立つ」(フロムうしおととらの徳野のばあさん)事を意識しながら生きていきます。

すばらしい!

ちんたらさま

 コメントありがとうございます。素晴らしいお考えだと思います。
 いつからかはわかりませんが、平成以降、理不尽な社会情勢が人々を襲った結果、責任のありかが自分ではなく他人に移乗した。その上で、人々が事あるごとに自信で責任を取ることを回避するようになった気がします。それを企業が取り上げた結果、揚げ足を取られないようにする行動が、これに拍車をかけた気がしてます。

 明文化されていないお約束ってものが、日本にはいろいろあったと思うんですよ。そのグレーゾーンを企業も個人もめっちゃくっちゃに荒らした結果、行き過ぎた配慮と干渉しない距離感がコンフリクトしている現状かなって思ってます。卑屈にならずに他人に配慮する。その当たり前が難しくなってるからこそ、卑屈にならずに配慮したいですね。
プロフィール

波のまにまに☆

Author:波のまにまに☆
東京都出身
50歳になりました 
妻一人

戦隊シリーズをこよなく
愛する、男オタ。
特撮は主食、
アニメは副菜。
後期必殺を好み、
スタートレックは
ピカード艦長が大好物。
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