シャナが最後に得たもの~劇場版「灼眼のシャナ」~

 あまり古い話ばかりだと退屈な向きもあるだろう。だからといって今回が特別新しいわけでもないけれど。今回取り上げる作品は、劇場版「灼眼のシャナ」である。本作は2007年4月より劇場公開された作品で、「電撃文庫ムービーフェスティバル」として公開された3本の内の1本となっている。私が当時利用していた西武腺の駅のホームでは、この作品のポスターが掲示されており、よく目についたし、3本立てというのが珍しかった。この中でも「シャナ」については、ラノベにうとい私でも知っているほどのネームバリューを持っていたので、自然興味があったのだが、結局劇場に足を運ぶことはかなわなかった。そんな負の事情もあり、DVDの購入もだいぶ後になってからだったが、「ディレクターズカット版、スペシャルコレクション」を購入、劇場公開ヴァージョンとディレクターズカット版、そして特典ディスクの3枚組、おまけに絵コンテまで封入されているものを買った。今回はそれをテキストとしている。

 舞台は我々が生活している日常となんら変わらない世界。だがしかしその裏では、人の存在の力を食らう「紅世の徒(ぐぜのともがら)」と、世界の均衡を破壊する紅世の徒を狩る「フレイムヘイズ」が激しくぶつかり合っている。紅世の徒が人間の存在の力を食らうと、その人間はその存在がなくなった事にされるため、急激な人口減少が世界のバランスを崩すことになる。そこでバランスを簡単に崩さないよう、わずかな存在の力を残した人間を、「トーチ」としてこの世に残す方法をとる。トーチはいずれ自身の存在の力を消費し尽くし、やがて消えてしまう運命にあるが、周囲の人間はそのことに気づくことはない。
 主人公・坂井悠二は、偶然この戦いに巻き込まれトーチとなるのだが、その身に宿す謎の宝具により「ミステス」となった。その特異な能力故にフレイムヘイズが作る結界「封絶」の中でも自由に動けることから、シャナに目をつけられ、紅世の徒を狩るためのエサとなる。シャナとの奇妙な生活の中で、級友すらトーチとして消えていく現実に、次第に自分の存在理由に悩み苦しむ悠二であった。
 悠二の住む町は、異常なほどのトーチの数を示していた。気がついたのはシャナだけではない。弔詞の詠み手「マージョリー・ドー」が感づいた。そしてこの町でトーチを作り続けてきた張本人である、狩人「フリアグネ」と燐子「マリアンヌ」が二人を襲う。戦いのさなか、悠二がフリアグネにさらわれてしまう。それを取り戻すために、シャナとマージョリー・ドーは共闘することになる。廃屋となったデパート屋上の遊園地で死闘がはじまる。だがフリアグネはシャナたちと戦いながら、人形の形をしたマリアンヌに、人間としての存在の力を与えるための計画を発動させる。からくも阻止するシャナ。だがフリアグネが最後にはなった宝具の力で、シャナの体内に眠る紅世の王「天壌の業火 アラストール」が目覚めてしまう。シャナと悠二の運命は・・・・・?

 本作は先行で放送されていたテレビ版の内、原作本1巻の物語をベースに脚色、新作カットを盛り込んで1本の映画として仕上げた作品だ。だが新作カット数が異常に多く、ほぼ全編新カットが盛り込まれているので、まったく新作のようにも見えるらしい。作画のクオリティは高く、新作カットとのつなぎもまったく気にせず見ることができる。またDVDでは劇場公開版とディレクターズカット版が両方楽しめるので、比較してみるのも面白い。監督が何に重きをおいて、何をカットしたのか、またどこを編集したのかがよくわかる。わかりやすいのは、冒頭部分のCD店での悠二たちのカットだろう。劇場版ではこのカットにスタッフロールを入れ、音声も小さくして、時間の短縮を図っているが、一方のディレクターズカット版では、無編集のまま音声もそのままの状態だ。まさに時間短縮のための苦労が忍ばれるシーンである。

 キャラクターに注視すれば、もう一人の主人公であるシャナの表情には、非常に気を配って作画されている。一部面長のシーンがあるものの、ほぼ全編かわいらしいシャナが堪能できるので、ファンにはたまらないだろう。私自身もラストシークエンスでのシャナの微笑みや笑顔に、何度かきゅんときたほどだ。これに”ツンデレ女王”釘宮理恵嬢の声が当てられるのだ。

 反則です(笑)。

 彼女に関しては「うたわれるもの」のカミュ、「咲」の勇希、「鋼の錬金術師」のエドなど、代表作がいくらでもでてくるだろう。近作では「とらドラ!」の大河なんてもう、まさに彼女のためにあったようなキャラだし、彼女がやらなくてどうするってなぐらいの親和性を見たのだ。このシャナも例外ではない。いやいや閑話休題・・・・。

 原作にもある設定だが、この「トーチ」というのが素晴らしい。紅世の徒に存在の力を喰われてしまった残りかす。そしてわずかな炎でその存在をかろうじて保っている人間。やがて消えていく運命であり、徐々に人々の記憶からも消えていく哀しいありよう。これを見たときに真っ先に思いあたったのは、社会的にその存在を消している人々だ。登校拒否で机だけありながら出席していないとか、学校にいてもなにか存在感のない人とか、会社にいても存在を故意に無視されている上役とか、引きこもりの人とか。
 普通に生活しているとそれほど感じないのだが、自分がいざそうなったらどうよ?と考えてみるといい。人間なかなかそうはなれないし、そこには意外にも大きな壁があるのだが、もし自分がそういう存在になるとしたら、それは世間的にいるのかいないのかわからなくなる。故意にそうした生活をしているならまだしも、やむにやまれぬ事情があってそうなっているとするならば、それは傍目で見てもかなりしんどいのではないか? そんななんとなく人命軽視の印象があったから、私は「灼眼のシャナ」という物語に、ある種の偏見をもっていたのだが、あらためて見直せば、そこを指摘することで、逆に人の尊厳のありようを浮き彫りにすることに気がついた。

 フレイムヘイズたちは、人間の存在の力で、破壊された世界を元に戻したりする。そうした存在の力をなくした人間を、役に立たないものとして扱っている。それを人間としての尊厳が許さないと、悠二が代弁する形になる。悠二はトーチの代表だ。それはどれだけすばらしい宝具を持っていたとしても、日常を生きる人間であった悠二にとって、平凡な日常を生きている普通の人間にとっては、その存在を無視されてはたまらないと主張する。シャナはそれを最初は突っぱねる形になるのだが、やがて悠二との信頼関係を結ぶため、人間としての尊厳を認めるようになる。そういう見方をすると、この物語は人間が失われた尊厳を取り戻していく話にも見える。その証拠に、悠二自身がその存在の力をさらに強く主張する、宝具「零時迷子」を宿していることがわかったからだ。トーチのなかにミステスがある。そんあ当たり前の発想を、シャナは失念していたのだ。

 その一方でフリアグネは、自らの力を使い、存在の力を一挙に大量に確保できる「都狩り」を行い、その力で愛する人形マリアンヌに力を与え、1つの存在にすることに執着する。そばにどれだけ人形をはべらかしても、たった1つの人形に愛情を注ぎ、命を宿そうとするのだ。だがその願いはシャナによって阻まれる。そしてその身はアラストールの業火に焼かれるという、最大の報いをもってあがなわれた。まるでそれが人々の存在をもてあそんだ罪だといわんばかりだ。存在の力を利用している点で、シャナもフリアグネも変わりはない。問題は利用した力の大小ではないからだ。シャナは悠二を通じて人の存在の力の重要性を認識し、悠二というあらたなパートナーを得た。だがフリアグネはマリアンヌを失い、自分さえも失う結果となったのだ。この差は大きい。単に正邪の差では説明できないだろう。

 ここで脚本家「小林靖子」嬢に登場願おう。本作のテレビシリーズの脚本やシリーズ構成のみならず、現在のアニメ・特撮シーンでは欠かせない脚本家である。その仕事の原初は、特撮にある。とくに彼女を一躍有名にしたのは、「仮面ライダー龍騎」の脚本であろう(それ以前の東映特撮作品でも細かい仕事、いっぱいしてます)。「仮面ライダー龍騎」は、平成ライダーシリーズの3作目であり、13人もの仮面ライダーが、ミラーワールドを舞台に、己の願いを叶えるために戦い続ける人々を描いた傑作である。その戦いは、あくまで人間の持つ欲望の正体をえぐろうとした物語であった。その中で、仮面ライダーナイトに変身する蓮(演:松田悟)が最後に勝ち残り、植物状態の恋人の命を救ったものの、自分の命と引き替えとなってしまった最後が描かれている。「鋼の錬金術師」ではないけれど、まさに「等価交換」といったところか。

 この考え方にのっとれば、シャナとフリアグネの差がはっきりする。シャナが対価としたのは「物」である。それも破壊の修復は必要最小限にとどめている。その上で悠二の説得と存在により、彼女は人間の存在に敬意を払うことができるようになった。一方のフリアグネは人間の命そのものを欲したのだ。その対価に見合うものは命でしかない。人の命を奪った対価は、自分の命であがなわなくてはならない。だがその計画もシャナによって潰えたのに、フリアグネは死ぬことなかったじゃないかと思うだろうが、その命をつかって、爆弾にするという宝具を用いている。人の命をもてあそんだことは事実だ。この2つの事情から、フリアグネはやはり死ぬしかなかったのである。それはアラストールの復活というアクシデントだけではない。

 このストーリーそのものは小林が考えたものではなく、原作に準拠している。だが小林の書いた「龍騎」のラストシーンにも通じる願いと欲望、その果てにある末路を想起させる物語になっていたのは、興味深い合致だ。
 その一方でシャナが命をかけて守ろうとした悠二は、まず友情という形でシャナに与えられる。この悠二という存在が、その後のシャナにとってあまりにも大きな存在となり、物語は混迷を極めていくことになるのであるが、それはまた、その後のお話である。

 小難しい話は別にしても、アニメーションとして本作が魅力的なのは変わらない事実だ。特にアクションシーンの細かいカット割りは、スピーディーで力が乗っている。またマージョリー・ドーのモンローウォークの後ろ姿なんかは、かなり珍しい作画で、そうした細かいところも楽しみの1つだ。その上で、釘宮嬢の正調ツンデレが聞けるのである。十分お買い得の逸品である。これを見たあとで、細かい設定をたどって原作小説を読むも良し、テレビ放映版のDVDを見るも良し、また漫画版を楽しみも良し。メディアミックスとしての展開で十分楽しめる作品になっている。まさに現行のアニメ業界や出版業界をなめ回すように味わう事ができるだろう。



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(2007/09/21)
釘宮理恵渡部高志

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